猿、大きな壁に挑む事を決める
「……本当にすまなかった、二度とこの子を囮にするような真似はしない、そう誓うよ」
「あなたの真面目なところは美徳だと私は思うけど、私のお父様に聞かれたら離縁も覚悟して下さいね?」
「それだけは嫌だな、今日の事は誰にも話さない事にしよう」
精霊は幼な子に憑きたがる、それは純然たる事実として知られている。
おそらく幼いほど精霊の危険性が理解できない、もしくは知らないため憑きやすいからだと言われている。
なので、産まれたばかりの赤子を前にすれば飛び出すかもしれない。
そう考えてサルーシャ、またはその皮を被った精霊の前に我が子を見せたのだ。
結果は予想通りに白。その可能性が高い、いや、それ以外の可能性はゼロに等しいものと理解してたからこそであったが。
「あなたから相談された時はどうしようかと思いましたわ、私の夫は妄想癖を患っていたのかと」
「我ながら否定しがたいけど、もう少し容赦してくれないかい?」
「いいえ、この程度は言わせていただきます。あなた以外がおっしゃったのなら、私ははしたなくも口を開けて笑う自信がありますもの」
妻の言葉に苦笑しながら頭を掻かく、自分とて他人が同じことを言ったら笑い飛ばすからだ。
精霊にそこまで狡猾な事ができる理性があるならば、とっくにこの世は精霊のものだったろう。
この言葉はラテベア教開祖の大人物アークの言葉だが、精霊のもたらした被害を聞くに頷く以外の選択はとれそうにない。
精霊単体で森一つは消せるのに、更に奴らはプルシディンス・ヴィータを起こしたがる。
あれ以上の力を持ってどうするというのか、人間の想像力では世界全てを飲み込むぐらいしか思いつかない。
人類との交戦記録は一件のみだが、上手く形を固められなかったのか数分で死亡したと記録されている。
だが当時、否、歴史上最強と謳われるアーク率いるラテベア教聖騎士団の精鋭100名、それがアークのみを残して全員消滅させられたのだ、僅か数分で、である。
アークはその時のことをこう語る、
『肉体を持って生きるという事、それを知らずにいたからこその結果だろう。少しでも知っていたのなら私の命も無かったのは疑いない』
アークが人類史上最強の魔法使いである事実を鑑みれば、人に対抗できる存在ではないのは明白である。
ゆえに、精霊は見つけ次第討ち滅ぼすのが常識となっているのだ。
幸いにも精霊は生物にはまず取り憑こうとする性質があり、取り憑く前は強く叩けば霧散するほど弱い。
だから人類はまだ滅んでいないのだ、そう提唱し精霊対策を声高に叫ぶ学者も多い。
「大勢力同士の戦にだって、100人なんて数滅多に聞かない。それなのに最精鋭、しかもあのアーク様率いる聖騎士団だ。幼い頃は、精霊が出たと聞くたびに泣いたものだよ」
「気持ちわからないでもないですけど……、お父様にも、お義父様にも、果てはモルモン様にもあり得ないと言われたのに未だ不安でしたの?」
「笑ってくれ、臆病にすぎる軟弱者めと。可能性はゼロじゃないと心配になってしまう、僕の弱さがこれさ」
あんな良い子を疑ってしまうほど心が弱い男さ、そう自嘲する夫を妻はそっと抱きしめる。
「それだけ私とこの子や近しい人達が大事だったのでしょう?
傷つけられる可能性がゼロでなければ、不安にかられてしまうぐらいに。
大丈夫、あなたの優しさは私にはよく伝わっていますよ」
「……ああ、私は幸せ者だ。君のような優しく聡明な妻を得られたのだから」
妻を抱き返しその体温を感じながら祈る、どうかこの幸せが長く続くようにと。
「結論は『このままだとあの赤ちゃんは死ぬ』でいいんだな?』
<魔力って、生きるだけでも消費するみたいだから多分それであってるよ>
頭痛い、知らなければよかったと心から思う。
知らなければ訃報を聞いてもお悔やみを言えばそれでよかったのに。
「でも、知っちまったんだよなあ、出来る限りはやらないと後味が悪すぎる」
<ヒトってホントに同種が死ぬの嫌がるんだね、わりと半信半疑だったんだけど>
「おいおい、半分だけだったのかよ」
<うん、だって私に向かってくる時とか隣のヒトが死んでも変わらなかったもん>
「状況が特殊すぎる! 止まったら自分も死ぬ状況じゃそりゃ気にする余裕ないわ」
基本ヒトは、会ったら必死で逃亡、のちに殺し合いのために全力を注ぎ込んでくる種族って認識だったらしい。
「認識というより現実だな、それでも声をかけるのやめなかったのか?」
<別に叩かれてもちりぢりになるだけだったし、そのうちまとまるから気にしてなかったんだよね>
それが原因で記憶が飛ぶことなかったしねー、あっけらかんとした物言いに何とも言い難い思いになる。
『記憶の飛ぶ原因自体不明ってほっといていいもんか?』とは思うが喫緊の問題ではないので後日に回そう。
「とにかく、あの子を助けるために必要なのはあの子自身の魔力を増やすこと。で、魔力を増やす方法って、近くで生き物が死ぬ以外にあるのかどうか、これが俺が今一番知りたい事だな」
<知らない>
うん、予想通りの答えをありがとう。ちなみに婆には前に聞いてたのだが、そんな都合のいいもんがあったらあんたらにやらせてるとのこと。
いきなり詰んでるじゃねーか、どーすんだこれ。
「いやいや、諦めるには早すぎる。こういう時は、前提条件を一つ一つチェックしていくんだ」
まず一つ目、普段人間は魔力の消費と生産が釣り合ってるっぽい。
これは両親の魔力や他の大人たちの魔力を見てて気づいたことだが、よく見なきゃ気づかないぐらいなんだが微減と微増を繰り返しているのだ。
次に二つ目、魔法を使った時は人間の体は自然と魔力生産を増やす。
代わりに体力を多く使うためたくさん魔法を使った後はしっかり休まなきゃまずい、魔法の授業中に婆に教えられたことだ。
さらに三つ目、なぜ魔力が魔法の使用以外でも減るのかは不明。
これは昔からの研究課題らしい、今まで何人もの研究者が挑んだが未だに不明。
ある程度納得できる説から珍説奇説までなんでもござれで様々な説が唱えられているが、通説すら定まっていないのが現状だそうな。
そして四つ目、魔力が魔力を生む理屈も不明。
ある程度の魔力が無いとできない事は確かだが、具体的にどのような仕組みで魔力を生んでいるのかはさっぱりわからない。
最後に五つ目、体内魔力が増える理屈も不明。
なぜ死ぬと体内の魔力が外に出てくるのか、それが近くの生き物に吸収されるのか、それによって上限がなぜ上がるのか、全てが不明のまま利用出来るから利用しているのが現状である。
「……深く考えると、なんで齢五歳で世界の謎に挑もうとしてるんだ俺。見ないふりして成り行き任せ、大人達がどうするかを遠くから眺めているのが当然だよなあ」
言いっこなしだなこれは。最初に戻るようだが、じゃあ見捨てられるのかって話だ。
「あの子がなぜ一つ目から外れているのか、それからして不明ってさあ」
<他の赤ちゃんは魔力が少ないわけじゃないし、減るような雰囲気もなかったしね>
「二つ目にも当てはまらないようだし、こっちは体が弱いとかか?」
<うーん、サルーシャがよくいう根拠?っていうのはないんだけど、そうじゃないと思う。純粋に魔力の最大値が少ない、で表現合ってるかな? とにかくそんな感じだよ>
最大値が低いから減った魔力を補えない訳か、なるほど一つ目から外れている理由はただの生まれつきか。
おそらくは、という言葉がつくが原因判明だな。
「意味ないけどな」
<そうだね、変えようがないみたいだし>
「生まれが原因の事を生まれた後にどうこうできるかっての」
例外として俺みたいな生まれ変わり(死ぬことには変わりないので無意味)や、プルシディンス・ヴィータ(人間のままでいられるとは言ってない)があるが両方却下である。
「一番手っ取り早い解決策は生き物をあの子の近くで殺すことだけど……」
前世の倫理観でも余裕でアウトだし、この世界基準だとやろうとした時点で精神病患者認定待ったなしである。
「となると、魔力が魔力を生む効率を上げるか、魔力の減る量を減らすか、……生き物からじゃなく魔力を増やすか、か」
<最後のってどういう意味?>
「石とかが砕ける時とかはどうなのかって思ってな」
<意思がこもってないからそのまま留まり続けるだけだよ?>
「じゃあ意思を込めながら石とかに魔力を注いだら?」
<うーん、どうなんだろ? 魔力をなにかに注ぐってやった事ないし>
ポーションなんかは魔力を外から注いでいるらしいし、できなくはないんじゃないかなと思う。
長くは留まらないそうだし、そもそもそれで周りの魔力上限が上がるかわからんが。
「ポーション作りの練習代わりにもなるんじゃないかって思うんだよ、なんでポーション作りに関して婆に聞いてみるわ」
<一石二鳥を狙うんだね>
「時間は誰にも平等だけど、だからこそ効率よく使うべきリソースだからな」
他の方法では世界の謎に挑む羽目になるからな、まだ可能性の高いもので試したい。
次の授業の後にでも聞いてみようと思う。
「じゃあ残りの時間は空気中の魔力の奪取効率上げだな」
<私はサルーシャのやってるのを見て、私のやり方と違うとこを言えばいいんだよね?>
「そうそう、よろしくな」
この技術が実用段階までくれば指折りの強者になれるだろうしな、子供の頃からコツコツと、これこそ最強への近道というもの。
将来俺こそ世界最強だと胸を張って言う姿を妄想しながら、俺は修練を重ねるのであった。
思惑が外れましたー! 婆曰く、
『だーから言っただろう、そんな都合のいい方法があったらやらせてるって。別の物に魔力を宿して擬似的に死なせる、って発想に至ったのは褒めてやるよ。最新の研究結果と同じ発想にその年で至ったんだ、存分に自慢するといいよ」
先に同じ発想されてました! しかも、ダメだったらしいです!
ポーションはどうかなって思ってそれとなく聞きました! 魔力を動かせない奴が飲むと最悪死に至るそうです! 乳飲み子に飲ませるのは完全アウトっぽいです!
流れでポーション作りについても聞きました! その道に進む奴以外には教えられない、門外不出の技術だそうです! なんで門外不出なのかも聞きました!
「開祖のアーク様がね、一振りで雷を撒き散らす剣だの投げればどこまで追ってくる槍だとか魔力で矢を生み出す弓だとかやばい兵器を作りまくってね、そのせいでその辺の技術は冒険者組合の管轄になってるんだよ。ああ、精霊対策関連だけは例外だよ、あれは人間社会全体で対応すべきとされてるからね。
ラテベア教も冒険者組合も作ったのはアーク様だけどね、冒険者組合の方はアーク様に否定的な奴が中心に集めたって話だから開祖自身やらかした自覚があったんじゃないかい?」
その二つの団体は、それぞれ重要な社会的役割を担っているらしいが長くなるからまた今度教えてくれるとのことだ。
それはいい、今重要な事ではないからだ。
重要なのは、
「世界の謎に挑む羽目になったって事だ……!」
<うーん、そこまでしなきゃダメなの?>
「ダメって事はない、むしろそこまで首を突っ込むことの方がダメって言われかねないかな」
<じゃあなんで首を突っ込もうとするの?>
「悔しいから」
そうだ、なんでかは知らないが生まれ変わるなんて特別な事が起きたんだぞ? それなのに、目の前の理不尽一つ吹き飛ばせないなんて悔しいじゃないか。
例えば物語の主人公がそれであっさり諦めたりしたら、俺だったらそんな物語即読むのをやめてしまうね。
俺は主人公じゃないかもしれないけど、それは別の話。
主人公になりたいなら、カッコいい奴を演じたいなら、終わる前に諦めるのは違うだろ。
「だって俺にはどうにかできそうなお前がついてるんだからな」
カッコ悪い姿を見せるのは人間という種族のイメージダウンに繋がるからな、俺のせいで精霊全体が人間はダメな生き物と認識されてはたまらない。
そんな事起きるかっていうと起きないだろうけど。
<ふふん、よくわかんないけど、頼りにされてるのはわかったよ>
「おう、頼りにしてる。先ずは魔力を多く作るように体がなるのはどうゆう仕組みか調べたい。俺が魔法を使いまくるから、普段とどう違うか調べてくれ」
今までも魔法練習はしてきたがその日から身の入り方が一段上がった、近くの目的がはっきりすると気合いのノリがやはり違うものである。
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