天海白眉の初恋 10
そのまま羽黒彦一のならし運転を続けた。十人ほどメンタルの状態に不安のある学生を治療し、羽黒彦一は完全に自分の超能力を物にした。
『次はどうする?』
『そうだね……』
僕は今、一人で島の浜辺を散歩している。
その隣に羽黒彦一の姿はない。
彼は自分の手を相手の額にかざすことで強い能力を発揮し、逆に手を話したり遠ざかったりすれば力は弱まる。
どれくらいが有効範囲なのか、有効範囲を伸ばせるかを試している内に、声を使わずに自分の意志や命令を伝えられることに気付いた。つまりはテレパシーだ。
スマホやパソコンを使う方が利便性があるとはいえ、悪くない能力だ。
しかも、これは習得が簡単だった。
僕も、そして悟も鹿歩もすぐに使えるようになった。
訓練を兼ねて夜は声を出さずにテレパシーで雑談している。
傍から見たらひどく不気味な光景だろう。
『学生相手に催眠を掛けるのはそろそろ止めよう。悩みを抱えている学生も減ってきた』
『となると、講師か?』
『そうだね。それと僕にも催眠のやり方を教えて欲しい』
『え、それは構わないが……』
彼は言外に、「何に使うつもりだ?」と問いかけている。
『最終的に僕は、天海筏の関係者全員を洗脳するつもりだ。カルト宗教かぶれの全員を日常に返す』
『……マジか』
羽黒彦一が驚いた。
『キミが全部やってくれるなら僕があれこれ立ち回る必要もないんだけど?』
『いや、俺がやるかお前がやるかに驚いてるんじゃなくて……良いのか? お前、なんだかんだでこの教団に馴染んでるよな?』
『あのね。僕が心の底から天海筏に染まってると思う?』
『ちらっと』
『ちらっと!?』
『悟や鹿歩はどっか距離おいてる感じはある。お前の方が、なんていうか……疑問を感じてないところある』
ちょっとショックだ。
『……これからは、そんなことはないよ』
『別に悪いって言ってるわけじゃない』
『僕は悪いって思ってる。少なくともこれ以上、教団の危険なところから目をそらすつもりはない』
『あんまり思い詰めるなよ』
『思い詰めもするよ。なんとかできるのは僕だけなんだから』
『僕だけってなんだよ』
『え?』
『ここまで来たら一蓮托生だよ。俺はそう思ってたんだけどな』
ちょっと拗ねたような口調で、はーやれやれとわざとらしい言葉を吐いた。
泣きそうになる。
『…………ありがとう』
後は、実行あるのみだ。
◆
「宮本さん」
「あら、何かしら?」
この女性は、座学の講師の一人だ。
宮本朝香さん、三十四歳。
独身の元中学校教師だ。
現在は教団の合宿の講師として、Cクラスの学生たちを受け持っている。
「今、ちょっと相談があってよろしいですか?」
昼休み、僕はそう話を切り出した。
「ええ。まあもう少しでトレーニングが始まるから十分くらいなら」
「父から命令がありました。ちょっと来てもらっても良いですか?」
「……! はい、神子様。今すぐに」
何気なく仕事をしているこの人も、可哀相な人だ。
彼女は、昔、中学校の教師だった。そして、未来視と過去視の能力を持っている。まあ「虫の知らせがわかる」、「妙に具体的な夢を見る」程度で自覚症状は薄く、確たる未来を的中させる悟ほどの絶対的な力は持っていない。
ただこの人が不幸だったのは、まっとうな教師としての倫理観を持っていたことだ。
具体的に言えば、生徒の事故死と思われていたものが、同僚の教師の体罰が原因だと知ってしまった。
まさかそんなはずはあるまい、ただの夢だと宮本さんは疑念を振り払った。そして同僚にうっかり、過去の事故死について質問をしてしまった。
隠蔽できたはずの殺人を暴かれそうになった教師は逆上して宮本さんを殴った。いや、殴り殺そうとした。命からがら逃げた宮本さんは当然被害届を出したものの、殺されそうになった恐怖は払拭できなかった。
また、それがきっかけで宮本さんの周囲から友人や家族が離れた。周囲の人間はなんとなく宮本さんの勘の鋭さを恐れていた。
孤独になり憔悴しきったところに、天海筏が声をかけた。
あっという間に、彼女は教団、そして教祖に心酔した。無理もない。弱りに弱り切っているところで、自分の人生を追い詰め、人を遠ざけたもののに「予知能力」という名前を与えられたのだから。
しかし彼女を教団は良いように利用している。仕事を押し付けられ、お布施を強要され、今もこうして学生たちの指導に駆り出されている。
いや、それどころか、教祖や僕の個人的な世話さえも命じられている。学校にあまり行けない僕のための家庭教師をしてもらったり、あるいは家事をしてもらうことも少なくない。まるで都合の良い召使いだ。ろくに休む姿を見たことさえない。
彼女は、自分が充実してると言う。だがそれでも、時折ひどく辛そうな顔をしていた。天海筏に彼女を追い詰めるものがないとしても、教団はそこに付け入り利用している。
ただ被害者として酷使されるだけではない。
彼女も、新たな超能力者を目覚めさせ、不幸を再生産することに加担することになる。
「……すみません、宮本さん。僕はあなたが心配なんです」
「どうしたんです、神子様?」
僕は、合宿所の裏手にある草むらに彼女を誘い出した。
「今だよ」
「ほい来た。宮本さん、【眠って】」
そこで、羽黒彦一の視線と指が伸びた。
淫靡に動く彼の指が彼女の額に触れ、言葉を放った瞬間、まるで糸の切れた人形のように宮本さんが倒れる。僕と羽黒彦一が慌てて彼女の体を支えた。
「僕は宮本さんをベッドに寝かせる。羽黒は今の内に教室に行って自習って伝えてきて。違和感を覚えないように催眠しても良い」
◆
今まではすべて羽黒彦一に治療を任せてきた。
だがほとんど彼の能力の完熟運転は終えたと言って良い。これからの彼は生徒側ではなく講師側だ。まず彼に宮本さんの記憶を読み取ってどのように治癒すれば良いかを把握し、ボクに指導してもらうのだ。同時に、僕らにさえ秘密にされている天海筏の計画の全貌を掴む。そういう目論見だった。
「しかし指導か……。感覚を伝えられるかどうかちょっと自信がないが」
医務室に寝ている宮本さんを前にして、羽黒彦一が困ったように呟いた。
「その感覚もテレパシーで伝えられないかな?」
「あ、そうか。言葉に翻訳する必要もないのか。冴えてるじゃないか」
羽黒彦一がぽんと手を叩いてボクを褒める。
そういうのときめくから止めて欲しい。
「そ、それと、いつもより深くリーディングして欲しい。彼女が何を知り、何を命じられて、どういうことを考えているのか。それを知りたい」
「記憶だけを深く探るのか……。できなくはないと思うが治療とセットでやってるからうっかり治しちゃいそうだ」
「いやいや、サイコヒーリングとリーディングを自然と連動させて繊細な精神を適切に修復するなんて相当な離れ業だからね? ちょっと気持ち悪いぐらい精度が高いんだよキミは」
「巨大な岩を軽々と持ち上げられる奴に言われたくはない」
羽黒彦一がぶすったれた口を利く。
「悪かったよ。ともかく、この人を何とかしたい。このまま教団に言いように使われて、悪事にさえ加担することになるのは忍びないんだ。そのためには治療だけじゃなくて色々と情報を探る必要がある」
「加担することになる、っつーか現在進行形でそうなってるがな」
「……そうだね」
多くの学生を騙して催眠・洗脳している。
少なくともこの点について、宮本さんは主体的に参加している。
言い訳はできない。
「でも、途中で止めることには意味があるはずだ。お願い」
僕の言葉に、羽黒彦一は諦めたように溜め息を付く。
そして、寝ている宮本さんに向き直った。
「知らないお姉さん、すまん」
羽黒彦一の手がずぶずぶと宮本さんの額に沈み込んでいく。
その様子を、僕は目に焼き付けるように観察した。
なんとなく理解してきた。
彼は何も物理的に頭蓋骨を貫通しているわけではなさそうだ。
彼の手と宮本さんの額の接地面が通常の物理的な空間とは異なっている。
鹿歩がテレポートするときに現れる次元の境界線と似ていた。
空間と空間を突破するのが鹿歩の能力だとしたら、彼の能力の本質は物理的な世界と精神的な世界を突破することにあるのかも知れない。
そんな風に興味深く眺めていると、ぬるりと羽黒彦一の手が額から抜かれた。
「……えげつねえ」
記憶を探った羽黒彦一は、疲れた顔で呟いた。
「み、宮本さん、そんなに精神が追い詰められてるの……?」
「違う、そうじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「……聞かない方が良い、って言って納得するか?」
「するわけないだろ!」
「だよな」
露骨に羽黒彦一が溜め息をついた。
「この人は計画に加担している……どころの話じゃない。この人は首謀者の一人と言って良い」




