第1話 「空白をみる少女」
世界は、今日も正常に見える。
それが一番の異常だった。
少女は空を見上げる。
風は正しく流れ、雲は正しい速度で動いている。
駅前では人々が行き交い、信号は規則正しく色を変えている。
誰もが今日という日を疑わない。
──なのに。
(ここは、本来少し違っている)
彼女の視界の端に、薄いノイズが走る。
まるで映像のフレームがずれたような違和感。
気づく人はいない。
昔からそうだった。
彼女だけが時々見てしまう。
この世界にあるはずのない「ズレ」を。
「また……」
生まれて17年。
いつから見えるようになったのかは覚えていない。
彼女の名前はリリア。
金髪のボブが、歩くたびにわずかに揺れる。
柔らかい髪色とは裏腹に、その瞳は妙に静かだった。
人を見ているのではない。
世界そのものを見ている目。
この世界は完成していない。
常に修正されている。
欠けたものは埋められ、
壊れたものは繋ぎ合わされ、
矛盾は誰にも気づかれないまま消されていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
──気づける者を除いて。
リリアは歩き出した。
駅前の雑踏を抜けた先。
その一角で足を止める。
駅前広場の一角。
そこだけが僅かに歪んでいた。
遠目には分からない。
近づいても気付けない。
人の視線が自然と逸れ、誰も立ち止まらない。
そして、誰も疑問を抱かない。
まるで最初から存在しない場所のように。
だがリリアには分かる。
そこだけが、この世界に馴染んでいない。
そこには何かがあって、そして消された。
完全には消えきれないまま。
まるで誰かが現実を切り取り、別の現実を上から重ねたように。
景色の中に残された継ぎ目。
傷跡のように。
リリアはそれを
『空白』
と呼んでいた。
目の前の空白の縁で空気が揺らぐ。
視界の奥で、ほんの一瞬だけ別の風景が重なった。
崩れたホーム。
黒く焼けた駅舎。
人のいない広場。
次の瞬間には消えている。
まるで存在しなかったかのように。
最近、この現象が増えている。
見えるはずのない景色。
知らないはずの記憶。
まるで世界のどこかに置き去りにされたものが漏れ出しているような。
空間の残穢。
誰かの修正によって消された可能性。
本来なら誰にも観測されないはずの歴史。
その断片が、その『空白』には沈んでいる。
そのときだった。
目の前の『空白』が軋んだ。
(一体なに、)
音ではない。
世界そのものが悲鳴を上げたような感覚。
リリアは思わず足を止める。
視界が揺れる。
空白の輪郭が微かに震えた。
『空白』はこれまでいくつも見てきた。
駅前も、その一つに過ぎない。
なのに、今まで見てきたものと何かが違う。
まるで何かに反応しているように。
ハッと顔を上げると目の前には、
一人の少年が立っていた。
何事もない顔で。
まるでそこに異常など存在しないようだった。
リリアの瞳が僅かに見開かれる。
(見えている)
普通の人間なら認識できない。
違和感すら抱かない。
なのにその少年は、『空白』を見ていた。
いや。
見ているだけではない。
空白の存在そのものに気づいている。
その時点で異常だったのだ。
リリアは慎重に口を開く。
「そこ、危ないよ」
言葉が空気に溶けるその瞬間、
世界が止まった。
ほんの一拍。
瞬きほどの時間。
だが確かに、
空間はその言葉を認識した。
『空白』が揺れ、
少年が振り向く。
そしてリリアは初めて見る。
空白よりも。
世界の歪みよりも。
ずっと理解できないものを。
少年の瞳を。
――その瞬間、物語は始まった。




