手を取りましょう
「マルガレーテ様、わざとで無いことは皆分かっていますけれど、水がかかってしまったのは事実ですから、リリアンヌ様に謝るべきではないでしょうか」
ロゼリアの耳障りの良い凜とした声を聞いて、思わずリリアンヌはうつむきかげんだった顔を上げ、目を見開いた。大きな目が更に大きくなった。
なんとロゼリアがリリアンヌのために動いてくれた。
(ロゼリア様って、なんか、かっこいい!)
貴族の令嬢との関わり方など分からないリリアンヌでも、ワザと水がかけられた事くらいは察していた。周りの令嬢達の悪意にだって気が付いていた。自分が場にそぐわないと疎まれていると分かっていた。遙かに身分が低いからと、ただ黙って耐えるだけだった可能性を、ロゼリアは取り払ってくれたのだった。
(さぁ、マルガレーテ様、謝りなさいませ)
リリアンヌは再び目を伏し目がちにしつつ、してやったりと心の中では拳を突き上げて歓喜していた。
マルガレーテは渋々と言った感じであったが、公爵令嬢ロゼリアの言葉を受けて「申し訳ありませんでしたわ」とリリアンヌに謝ってくれた。
こうして、この場においてロゼリアの庇護下にリリアンヌが入ったと解釈されたせいか、リリアンヌに対する視線はどうでもいいと言ったものに変わった。そしてお茶会の空気は麗しの王子の登場を待つものへと変わっていった。
場慣れしていない下級貴族の娘に対しても他の令嬢と同じように接してくれるロゼリアにリリアンヌは感動していた。
(ロゼリア様って、かっこいいだけで無く公正だわ。凛としていてキレイだし、まさに令嬢! ううん、お姫さまって感じ!)
「王子がいらっしゃる前に、早くドレスの水気をとってらっしゃい」
「は、はいっ」
再び冷静なロゼリアにうながされ、言われるがまま、リリアンヌとカナルは急いで王宮の廊下へと戻った。
二人は無言でズンズンと歩き、少し広くなっている場を目指す。
まだ緊張していたのか、気が緩んだのか、リリアンヌは足をツルッと滑らした。手を付く間も無く、あっという間にデンとお尻が固い床につく。膨らんだドレスの裾が更に大きく床に広がった。
「……痛ぁ」
「リリ様、手を」
カナルは顔をしかめるリリアンヌに慌てて近寄った。立ち上がらせようと手を差し伸べる。
「ええ」
――グィ――
――ビタン――
持ち上がらない……リリアンヌは再び床にお尻をついた。
ギョッとした顔で二人は手をつないだまま顔を見合わせ、固まる。
「もう一度だ」
――グィ――
「……上がらねぇ」
口をへの字にしてカナルは呟いた。それなりに雑務をこなしているのだから、力はあると思っていた。しかし、カナルとリリアンヌは同じくらいの身長である。痩せすぎといえる体型のカナルが手を引く程度では、リリアンヌは持ち上がらない。決して、リリアンヌが他の令嬢と比べて重いという訳では無いのだが。
「お嬢さん、僕に手を出して」
カナルをどけるようにしてリリアンヌに手が差し出された。
――グィ――
手を引いてリリアンヌの体が床から離れるや否や、もう片方の手が腰に添えられサッと抱き起こされた。
「僕のお茶会の参加者かな? もう始まる時間だよ」
顔を覗き込むように瞳をキラキラさせた美形が目の前に立っていた。
「は、はいっ。私はリリアンヌ・フロイラインと申します。こちらは私の従者で妖精使いのカナルです。用事が出来ましたので、遅刻して参加させていただきます」
本能的に、お茶会の主催者であり主役であるヴィルベルトを目の前にして、リリアンヌは固まった。
濃い金髪の見るからにサラサラの髪は肩下で結わえられていた。瞳は星が入っているかのようにキラキラとした真っ青な瞳。濃紺のロングジャケットの襟と袖には銀の刺繍が施されている。緊張しながらもなんとか返事をした自分を褒めたいと思うリリアンヌだった。
(世の中こんなきれいな男の人が存在するんだわ)
さすがと言うべきか、仕草の一つ一つが目を引く。
自分とは違う人種がいるということを身をもって感じるリリアンヌだった。
「他の令嬢を待たせてしまうから、先に行っているよ。リリアンヌ嬢、早く用事を済ませて会場に戻っておいで」
「は、はいっ」
ニコッと笑うとロングジャケットのスリットの大きく入った裾を揺らしながら、ヴィルベルトは長い手足を動かし、お茶会会場へと行ってしまった。
残されたリリアンヌとカナルは再び目を合わせる。
「なんて言うか、目をひく方ね」
「妖精が周りを飛んでいたからな。王族ってのは、好かれるタチなんだろ」
「だからキラキラなの?」
「そうかもな」
「……カナル、機嫌悪い?」
ひざまずくようにして、カナルはリリアンヌの濡れたドレスをハンカチで拭いた。タックの隙間に入り込んだ水滴も丁寧に拭う。リリアンヌもロゼリアから渡されたハンカチで手の届く範囲を拭った。
カナルに出来なかったことを何でも無いようにして出来た王子を見て、何となくカナルは自分に腹が立っていた。
「カナル、ありがとう。もう、いいわ。戻りましょう」
遅刻となったリリアンヌも貴族として麗しいお茶会に末席で参加した。基本だんまりである。
無くなれば追加で、香り高い紅茶に小ぶりのサンドイッチやらスコーン、甘いだけのお菓子以外の料理までもがテーブルに並べられていった。どれをいただいても大層美味しいものであった。
ヴィルベルトは参加した令嬢の話にニコニコとしながら耳を傾けていた。
美味しい食べ物の味と共にヴィルベルトを一生懸命見ているロゼリアの姿がリリアンヌにとって最も印象に残るものとなったのだった。