ワンッ!
いつかの会合以降閉鎖されていた勇者召喚の間に、今までとは比べ物にならない程の光が満ちて、城中を照らした。
破滅の振動によって大地は裂け、瘴気と見まごう不吉な黒いモヤが立ち上る。
雷鳴が轟けば、無数の雷光が黒雲を駆けた。
窓の外を見れば遠くの山から火が噴き上がり、逆の海からは壁のような水の塊が全てを飲み込む勢いで迫って来ている。
いつぞやの忠犬が来たのかと思ったが、あの時よりも余程酷い。
何事かと集まった面々の傍らには、すっかり懐いたイヌがピッタリと寄り添っている。
そのイヌ達の視線は、魔法陣の中心へと注がれている。
「……伏せよ」
淀みの一切を振り祓う鈴の音を彷彿とさせる、脳が蕩けるような声が、広間に響いた。
むしろ蕩けた。
そのせいで思考は一切動かせなくなった。
その鈴の音と共に、イヌは勿論、飼い主となった人間までもが本能に従い、跪いた。
「お前には言うとらんぞ、駄犬」
「つい……申し訳ございません」
恭しい態度で、しかし膝を折った体勢のまま、相変わらず見目の良過ぎる忠犬が謝罪の言葉を口にした。
つまり這いつくばるように命令をした、この女性こそが、忠犬やイヌ達の主人なのだろう。
女性と言うよりも、声の調子からして、少女と言った方が正しいだろう。
……一目見たい。
その欲求に駆られるが、頭を垂れたままでは顔までは見られない。
しかし脳が溶けたせいで、身体が命令に抗えない。
ヤキモキしている間に、「おもてをあげよ」と少女が、命令し慣れた調子で告げる。
その顔を見て、誰もが言葉を失った。
少女特有の儚さが混ざった美しさからではない。
その容貌とは似つかわしくない、螺旋を描いた二本の巨大な角が頭から生えていたからだ。
……――魔王。
まさかの、魔王本人の登場であった。
伝承にある通り、血を固めたかのような真紅に輝く両の眼。
揃いと言われる髪色こそ桃色ではあるが、毒々しさを伴う圧は魔王以外の何者でもない。
忠犬の時にも同じことを思ったので、もしかしたら勘違いかもしれないが。
「久しいな、お前達」
言ってパンとひとつ手を叩けば、伏せていた全てのイヌが揃って少女の方へと走って行く。
そして嬉しそうに腹を見せ、満面の笑みを浮かべていた。
我先にと撫でられる権利を主張するように、軽快なステップを踏んだり、ぐるぐるその場で光速回転している者もいる。
こんなにテンションが高いイヌを見るのは、初めてだ。
「ふむ……よく世話をしておる。
しかし一部甘やかし過ぎだな。
肥満は優しい虐待ぞ?」
キロリと睨まれた宰相と国防長官は、地面に頭を擦り付け平伏した。
だから移動する時は抱っこをしないで歩かせろと言っているのに。
そう心の中で毒吐く者達に、歯磨きが十分ではない、気候に合わせてサマーカットをしてやれ、肉球のケアがなっていない、等々……
散々ダメ出しをされた。
「ま、全く知識なく飼うのじゃ。
そんな中よぅ頑張った方じゃろう。
総じた評価は及第点として、譲渡の手続きを進めるかの」
控えていた忠犬が、どこからともなく出して来た机を設置し、紙とインクを用意し、魔王を持ち上げイスに座らせた。
「あの……お嬢様」
「わらわをその呼称で呼んで良いのは駄犬だけじゃ。
それに父王から既に王位を継いでおる。
なんじには、魔王陛下と呼ぶことを許そう」
やはり、魔王本人なのか……
にわかには信じがたいが、本人の口から告げられたのだ。
悪夢としか言いようがない。
敵の総大将が、自分達の本拠地におり、しかも国王までもが跪いているような状態である。
長年続いていた戦争が、まさか人間の敗北という形で終わるだなんて。
御先祖様の墓前に、なんと報告すれば良いのやら。
むしろ、させて貰えるのか?
抗おうにも、本能が脳裏を掠めた選択を拒否している。
無駄な抵抗をすれば、いたずらに命が失われるだけ。
相手が望む通りにして、無辜の民に手出しをしないよう、交渉をしよう。
この首ひとつ差し出すだけで、それが叶うならば安いものだ。
(出来ればヴォルフとハイディの成長を見守りたかったが……)
固く瞼を閉じ、今世へ別れを告げる覚悟を決め、再度顔を上げ、魔王を見据える。
魔王の膝元で転がっていた二匹のイヌが、王の両サイドにくっついてきた。
(最期の別れをしてくれるのか……)
じんわりと広がる、その熱と優しさに、王は嬉しくなった。
ほんの数ヶ月しか共に過ごしていないが、自分の一生の中で、最も濃密な時間だった。
なぜこの子達のいない世界を生きてこられたのか。
今ではもう、会う前にどう過ごしていたのか分からない程だ。
二匹を抱き寄せ、「ありがとう」と告げた。
そして人間の王として威厳をもって、魔王に向き直る。
「魔王陛下、本日の御用向きをお伺い致したく存じます」
威風堂々とは真逆を行きそうな程に、したでに出た言葉であった。
それでも気味悪がることなく、真っ直ぐ逸らすこともなく赤い目を見据えた王を、魔王は気に入った。
(駄犬に次ぐ、下僕にしてやっても良いかもしれぬ)
その独白を察知した駄犬の心がザワつき、漏らすイヌが出たためすぐにその考えは却下された。
「先程申したであろう?
わらわが一時預かりをしていた保護犬達の、正式譲渡の手続きじゃ。
それとワンコ達の健診をするため、医者の手配を含めた諸々の契約と、和平の証として定期的に、わらわが保護したワンコの受け入れをしてくれるのじゃろう?
そう聞いておるが」
「……は」
は行あ段の言葉を、肯定と認識した魔王は、次々に忠犬が用意した書類を読み上げ、相違ないか確認をし、署名をした。
それを国王に差し出し、同じように名を書くよう指示をする。
言われるがままに書判した書類は、何十枚にも及んだ。
そのどれもがイヌ達を第一に考えられているものだと分かる契約内容であった。
基本的にイヌが過ごす空間は常に二〇~二五度を保つようになど、人間よりも余程手厚い待遇である。
だがこの場にいるのは、犬に骨抜きにされている者達ばかりだ。
否を唱える者は、誰一人としていない。
犬図鑑なるものや、イヌの飼い方や注意事項、愛犬自慢が掲載されている雑誌なんかも下賜され、チラと見えた見たことのないイヌの姿に、内心悶えた者が多くいたことを、魔王は知らない。
「わらわは大の犬好きでな。
財もあれば、地位もある。
城に住んでおるし、場所にも困らん。
だが保護をするだけでは、根本的な解決にならんであろう?」
人間の国では野良の魔物が多いために、イヌは随分昔に絶滅してしまったという。
しかし魔王が治める領土では、魔物は魔族の管理下に置かれている。
無駄な殺生はしないし、魔王の指示により野犬が発見された場合は保護をされる。
だが魔王とお揃いが良いと子供がねだるのを理由に、安易に飼われたイヌ達が、面倒を見切れないと捨てられることが多いそうだ。
売れるからと無理に繁殖をさせられ続け、寿命よりも余程短い一生を終えるようなイヌも多いという。
法を整備するにも、反発を生まないため、徐々にゆっくりと、イヌに対する認識を変えていかなければならない。
だが保護したイヌを魔王の城だけで面倒を見るのにも、限界がある。
魔王ですら力及ばず、救えなかった命があるそうだ。
特にフェンリルやオルトロスのように、幼少期は仔犬のように愛らしく小さかったのに、成長するととんでもなく大きく育つ魔物は、自然へと還すわけにもいかない。
自分で狩りをしたことがないのに野に放てば、他の魔物に喰われて死ぬだけだ。
それが分かっていながら、一度保護をしたのに無責任に放り出せば、この子達を捨てた奴等と同じになってしまう。
面倒を見させるために雇用が発生するのは良いが、限界を迎える前に協力者を得なければ。
そう思っていた所に、突然消えた駄犬が、人間の国から和平の申し出があったと、今回の案件を持ってきたと報告が上がった。
イヌは伸び伸びと過ごせるし、人間はイヌの可愛さに目覚め大切にしてくれる。
しかも面倒臭い戦争も無くなる。
戦う暇があったら、イヌのことを考えていたい魔王にとって、渡りに船と言える申し出だった。
「ワンコに対する知識不足は否めないが、愛情はわらわに負けず劣らず、十分注いでいる。
報告されていた通りじゃったな。
皆を見て、わらわもヌシらになら任せてもよいと感じた。
これからも、よろしくたのむぞ」
「こちらこそ、宜しくお願い申し上げます」
差し出された手を掴んだ魔王は、対等な立場であると示すため、王を立ち上がらせた。
ただ頭の位置が余りにも違い過ぎて格好が付かないため、忠犬が用意した踏み台の上に立ち、改めて握手を交わした。
その様子は写真におさめられ、長年の争いに終止符を打った証として、両国で飾られることとなる。
「見事な手腕だな、駄犬よ」
「恐悦至極に存じます」
恭しく頭を下げた忠犬は、嬉しそうに照れた様子で顔を綻ばせた。
今までと違って毒々しくなく、妖艶さも感じられない。
その柔和で穏やかな笑みに、元同僚たるイヌ達を含めた、全てが視線を奪われ、心を鷲掴みにされた。
唯一平然としているのは、そのはにかんだ微笑みを見慣れているのであろう、魔王だけだ。
「平和的に解決するとは、さすが勇者なだけあるわ。
はっはっはっ」
「「「……、…………はっ!?」」」
突如告げられた魔王の言葉に、誰もが耳を疑ったのは、言うまでもない。




