迷ひ猫 壱
「視えん!!!!!」
市役所の地下、幽霊社会復帰課。
そこに、目の下にマリアナ海溝より深いクマをつくった鬼怒川烈子課長の怒号が響き渡った。
課長はスチールデスクの上に直に敷かれた『マイ畳』の上にドカリとあぐらをかいて座り、ハイライトを2本同時に口に咥え、未開封のアルコール度数9%のストロングなレモンサワーの缶を素手でグシャァッ!! と握りつぶしながら叫んでいた。
プシューーーッッッ!!!
「ひゃんっ!? うわあああ、くっさーーい!! 課長の真夏のドブにレモンを丸ごと絞り込んだみたいな最悪の臭いが僕のスーツにーーっ!!」
飛び散った謎の液体を全身に浴びた真壁が、涙ながらに絶叫する。
「うるさいんじゃ! オタンコシロナスビが!!」
スコンッ!!!
「あべしっ!?」
握りつぶされたアルミ缶が、凄まじいスピンを伴って真壁の額のど真ん中に命中し床へともんどり打って倒れた。
その横で、事務員の此花栞さんは、1ミリも表情を動かすことなく淡々と、流れるような手つきでパソコンのキーボードをカタカタと操作している。
真壁は額を押さえ、鼻水をすすりながら床から這い上がった。
「……でも、あんな世界滅亡一歩手前みたいなカルト宗教との大決戦があった後だけど、なんかいつも通りで凄い安心するな……」
その時、オフィスの隅に置かれた、時代錯誤な黒電話が「チリリリリリリリリイン!!!」と爆音で鳴り響いた。
その瞬間、鬼怒川課長の顔から般若の覇気が消え失せ、驚異のスピードで受話器を引ったくった。
「もしもしぃ〜〜♡幽霊社会復帰課でございますぅ〜〜♡ 幽霊ですかぁ? 妖怪ですかぁ? ほぉほぉ、ふむふむなるほどですねぇ〜〜! すぐに優秀な職員を向かわせますので、ど〜〜ぞご安心くださいねぇ〜〜♡」
ガチャン。
受話器を置いたコンマ1秒後、課長の顔面が再び般若へと戻る。
「真壁ぇぇえええッッッ!!! 仕事じゃいボケェ!! 飼い猫が行方不明になったから『幽霊の仕業かもしれない』ってよぉ! 舐めとんのかコラ! ウチは近所の便利屋じゃねぇぞタコ!!」
「ひぃぃん!! そんなの僕じゃなくて今すぐ依頼者に言ってくださいよぉぉぉ!!」
「馬鹿野郎!!」
烈子課長は畳の上から立ち上がり、真壁の胸ぐらを掴んで前後に激しく揺さぶった。
「無垢なる市民の切実な訴えだぞ!? それを四の五の言わずに快く引き受けるのが、このド腐れ日本の公僕の仕事じゃろがい!! あ゛ん!? お前の皮で三味線作ってやろうか? お!?」
「ブラックだああああああ!!! 労働基準監督署おおおおお!!!早く来てーーーー!!!」
「とっとと猫ちゃん探して、適当に『幽霊の仕業でしたわ〜』とか何とか言って、お礼をたんまりせしめてこい!!」
「真壁さん、ファイトです」
栞さんが、真顔のまま、片手で小さくガッツポーズを作って真壁を冷酷に送り出す。
数分後。
真壁は泣きながら、市役所の駐輪場へと立っていた。
そこに置かれた、幽霊社会復帰課の公用ママチャリ。相変わらずサドルは盗まれており、本来サドルが刺さっているべき穴には、烈子課長によってハイライトの吸い殻がミチミチに詰め込まれている。
真壁は涙と鼻水を撒き散らしながら、サドルポストの穴からヤニ臭い香りを漂わせるママチャリのペダルを全力で踏み込み、夕暮れの街へと立ち漕ぎで爆走していくのだった──。
「って言われたって、依頼者の住所も名前も教えてくれてないから探しようがないよ……。あの鬼はまったく……。……あのバイオレンスささえなければ、物凄い美人なのにさぁ……」
真壁は誰もいない路地でぶつくさと文句をこぼしていた。
その瞬間、ポケットのスマホが「ピロリン」と無機質な通知音を鳴らす。事務員の栞さんからのメッセージだった。
『鬼怒川課長はいつでも美人で素敵です。今の発言、しっかり課長へ報告をあげておきますね。
猫の特徴は三毛猫で、名前はミィちゃんだそうです。鈴のついた赤い首輪をしていて、尻尾が特徴的だそうです』
「ヒェッ……!!! な、なんで僕が今口にした文句がバレてるの!? あの人、本物のエスパーなの忘れてた……っ!!」
(※公用ママチャリの発信機に、高感度な集音マイクが仕込まれていることを真壁はまだ知らない)
即座に、栞から1行だけの返信が届く。
『はい、エスパーです』
「ヒェッ……」
画面を凝視して硬直する真壁のスマホに、さらに冷酷な【追伸】が打ち込まれた。
『追伸:課長より「猫を見つけて帰ってきても摺鉢で潰す。見つけずに帰ってきてもミキサーで潰す」だそうです。ファイトです』
ヒェ……。ど、ど、どうしよう……。バックれるか? いや、僕の住所は一人暮らしのマンションも実家の位置も、全部あのゴリラにばれてるし……。せ、せめて猫を見つけて、ちゃんと仕事をしたという達成感と共に散ろう……。よし、胸ポケットに辞表と遺書はある。辞世の句を考えながら猫を探そう……あ、居た!」
文句を言いながら立ち漕ぎしていたママチャリを急ブレーキで止め、真壁は路地の奥を見つめた。
薄暗い路地へと、音もなく消えていく小さな影。
「……うん、見間違いじゃないね。確かに、尻尾がすっごく特徴的な三毛猫だ。赤い首輪もしてたし、チリンって鈴の音もした。……うん。……うん? 尻尾……、左右に分かれて【2本】あったな……。ね、ね、ね、猫又じゃねえええかあああッッッ!!! チキショー!!!」
夕暮れの住宅街に、真壁の魂の叫びが木霊する。
「普通の迷子猫じゃなくて、最初からウチ(幽霊社会復帰課)のガチ案件で合ってたよーー!! あーーーっ!! 余計な文句言わずに出てくれば、まだ骨折で済んだのにいいいいいい!!!」
ミィちゃん(猫又・推定樹齢100年以上)は、振り返って真壁を不気味な妖光を放つ瞳で見つめると、「ニィァオ……」と低く鳴いて、さらに暗い民家の隙間へと逃げ込んでいく。
零感のゴリラに潰されるか、妖怪猫又に呪い殺されるか。
真壁の前に、第4クール早々、最悪の二択が突きつけられるのだった──!!
ミィちゃんを追いかけ、民家の庭を突っ切り、狭い軒下を泥まみれで這いずり回り、真壁がたどり着いたのは、何年も前に放置されて不気味に佇む廃寺だった。
時刻は夕暮れ、あの世とこの世が交わる逢魔時
その荒れ果てた境内の中心で、おびただしい数の猫たちが車座になって集会を開いていた。
霊感が無駄に高く、「視える・聞こえる・触れる」の三拍子が揃った真壁は、物陰の段ボールの隙間に身を潜め、息を呑んだ。
(え……? ぜ、全部が猫又……!?)
そこに集まった二十匹ほどの猫のすべてが、尻尾が二本に分かれた『猫又』だったのだ。
(ね、猫又の群れ!? うわ、これはヤバい臭いしかしないぞ……。ま、まさか長年人間に虐げられてきた猫又たちが結束して、人類への血の復讐計画を……!?)
真壁が恐怖にガタガタと震えながら聞き耳を立てると、猫又たちの恐るべき会話が耳に飛び込んできた。
『昨日のエビフライの尻尾、カリカリして美味しかったニャ』
『わかる。あ、それよりうちの飼い主、最近いびきがうるさくて寝不足だニャ〜』
『私は昨日、お腹を吸われすぎて中身が無くなりそうな気分になったニャ……』
「普通の猫の集会だったーーー!!!」
完全に現世の飼い猫ライフを満喫している猫又たちの世間話に、真壁が心の中でズッコケたその瞬間、彼のポケットの中でスマホが大音量で鳴り響いた。栞からの追加メッセージである。
(うわあああ!? ミュートにするの忘れてたァァアアッッッ!!!)
静寂の境内に響く電子音。
その瞬間、ピキィィィン!! と二十匹の猫又の動きが止まり、四十の瞳、そして八十の尻尾が一斉に真壁の潜む段ボールへと向けられた。
『ニンゲンだ』『ニンゲンだ』『ホントだ』『ニンゲンだ』
『ミラレタ』『コロセ』『ヒミツをマモれ』『コロス』
ガチの殺気を孕んだ妖怪の眼光に晒され、限界を迎えた真壁は、ここで「涙と鼻水と失禁を完全に同時に噴射する」という、人類の生理現象の限界を超えた離れ業をやってのけた。股間から温かい液体がスプラッシュする。
『ウワ、モラシタよコイツ』
『カワイソウ、ウン、カワイソウ』
『カリカリタベル? チュールあげる?』
まさかの、妖怪の群れから一斉に同情の目を向けられる真壁。
すると、猫又の群れの奥から、一際体が大きく、片目が古い傷で潰れた隻眼のキジトラ猫又がのっしのっしと歩み出てきた。ボス猫又は真壁の肩をぽんぽんと優しく叩くと、やれやれと首を振って話しかけてきた。
「人の子よ、いい大人が漏らすとは恥ずかしい。我々なんて、ちゃんとペットシートの上で用を済ませて、消臭用の砂もしっかりとかけられるというのに……。やれやれ、現世の教育はどうなっているのだ」
(ね、猫にトイレのマナーのことで本気で慰められたァァァアアッッッ!!!)
真壁のプライドは完全に粉々に砕け散った。
ボス猫又はキセルをペロリと舐めると、真壁を睨み据えた。
「人の子よ。なぜココがわかった? 誰も近づかない我々の聖地に、なぜ踏み入った? 返答次第では……」
ゴクリ、と真壁は鼻水をすすりながら生唾を飲み込んだ。
「へ、返答次第では……殺される、んですか……?」
「お漏らしを、烈子にバラすぞ」
「……へ? れ、烈子って……あの、うちの課長の知り合いですか……!?」
まさかの場所から飛び出した、地下の支配者の名前。
真壁の股間の水たまりが、夕暮れの風に寂しく冷えていくのだった──。




