黒樹2
カナタ・フォーブスの耳に、ドウッ! という空気を揺らす音が数度聞こえた。
「今の音は……ロイ殿たちのいる方向から? 何が起こっているのでござるか」
少し気になったが、今はひとまず頭から追い出す。
ロイたちのことも心配だが、今の自分にはやることがある。
「さて、続きでござる」
「…………」
カナタは剣を構え、油断なく前方の敵を見据えた。
ローブを羽織り、フードを目深にかぶった小柄な人影だ。手には剣を持っている。
カナタの今の役目はこの剣士を迅速に片付け、ロイたちの元に戻ること。
「せぇっ!」
「…………」
ガギンッ!
カナタが『神速』の異名にたがわぬスピードで斬りかかると、剣士は軽々とそれを防いだ。
しかも反撃までしてくる。
カナタは超反応によってそれを受け、再度攻撃に回る。
それが、繰り返される。
ガギギギギギンッ! という鋭い金属音が霧の樹海に響き渡る。
「ふむ……」
カナタは眉根を寄せた。
自分の剣がここまで正確に受けられたことはない。そしてなにより、妙だ。
カナタは一度距離を取り、剣士に問いかける。
「お主は一体何者でござるか? その太刀筋、拙者のものとよく似てござる」
「…………」
「いや、似ているどころかほとんど同じ。不気味でござるな。まるで自分自身を相手取っているようにすら感じられる」
そう、剣士の太刀筋はカナタと酷似していた。
超速度を誇るカナタの攻撃が次々と止められたのはそのせいだ。剣士はまるで鏡のようにカナタの攻撃を防ぎ、反撃を見舞ってくる。
この剣士がカナタと同じ剣術を学んでいる可能性は――ない。
それは有り得ない。
カナタにはそう断言できる。
ではなぜ自分の動きが読まれるのか。
なんらかのスキルによって自分の動きが模倣されている?
あるいは冒険者として活動する自分の動きを長期間にわたって観察・分析された?
どれもピンとこない。
はっきりしているのは、目の前の相手が『自分とまったく同じ技術を持つ剣士である』ということのみ。
「…………」
剣士は無言を貫く。
カナタの言葉など聞こえていないかのようだ。
(……このままでは時間ばかりがかかるでござる。ならば仕方ない)
カナタは、剣を腰の鞘に収めた。
「…………、」
剣士が困惑するように動きをわずかに鈍らせた。
カナタは鞘に仕舞った剣の柄に手を添えたまま動かない。
剣士は意を決したように突っ込んでくる。
カナタの意図がわからないから、まっすぐ突っ込んで最速で斬るという判断だろう。カナタも自分が相手の立場ならそうしたかもしれない、と思った。
カナタは手を閃かせる。
剣士はまだカナタの間合いの外にいるにも関わらずだ。
ドガガッ!
「…………?」
剣士は呆然としたように動きを止めた。
その胴体には、カナタが投擲した小刀が三本突き立っていた。
服の中に隠し持っていた暗器を投げつけたのだ。
その命中精度は凄まじいものだった。
「御免!」
剣士が動きを止めた途端にカナタは肉薄し、抜刀と同時に剣を薙ぐ。
硬直していた剣士はそれを避けることもできずに真横に吹っ飛んだ。
数メートルも吹っ飛んで、木の幹にぶつかってぐったりと身を投げ出した。
「不意打ちのようで、あい済まぬ。しかし拙者は清く正しき武士ではない。悪く思われるな」
カナタはそう呟きつつ、動かなくなった剣士の元に向かう。
「正体を見せてもらうでござるよ」
顔を隠すフードを剥ぐ。
すると……
「……人形、でござるか?」
フードの奥にあったのは、木製の人形だった。しかしただの人形ではなく、関節部分や胸などに輝く宝玉のようなものが埋め込まれている。
カナタは詳しくないが、何らかの魔道具であることは明らかだった。
カナタの投げた小刀の一つが、人形の胸の結晶に突き立っている。
動きを止めた原因はこれかもしれない、とカナタは思った。
しかしこれはカナタの予想外だった。
自分とまったく同じ動きをする人形。
しかもよく見ると、体格も自分とそっくりだ。
「面妖な……持ち帰ってクラリスに見せた方がよさそうでござるな」
カナタは人形を抱き起こす。
重い。
さっき投げ飛ばしたときにも思ったが、相当な重さだ。
これを抱えて行けばロイたちの元に戻るのが遅れてしまうことだろう。
しかしこの森の中に人形を放置していくと、再度ここに戻ってこられる自信がない。
カナタは「どうしたものか」と一瞬悩んだのちに、とりあえず人形の腕を切断した。
腕だけなら邪魔にならない。
これを持っていくことにする。
ついでに人形が来ていたローブも剥ぎ取っていく。
その際に人形が羽織っていたフードの中身が見えた。
フードの裏側には不思議な紋様が縫い込まれている。
カナタはそれを見て、首を傾げた。
「この紋様、どこかで見たような……どこだったでござるかなあ」
しかしすぐにその考えを打ち切る。
今は一刻も早くロイの元に戻るほうがいいだろう。
そんなことを考えながらカナタが『黒の柱』のほうに足を向けようとすると。
キィイン――という音が上空から聞こえた。
思わず上を見たカナタは、次いで表情を引きつらせた。
何が起こっているか理解したからだ。
人形の腕と剥ぎ取ったローブを手に、カナタは慌てて駆け出した。
「…………しょ、正気でござるか、ロイ殿……!?」
▽
「――ァアッ!」
ゴォッ!
何度目かもわからないイオナのブレスがジガルスを襲う。
しかし結果は同じだ。
すぐに再生してしまう。
『無駄だというのがなぜわからん? 小さき者どもよ、脳も相応のようだな』
ジガルスはぐふぐふと笑っている。
『ロイ、全然効いてないよ……このままじゃ何回やっても意味ないよ』
「そうみたいだな。……くそ、再生に回数制限があるって読みは外れか」
黒い巨木、魔神将ジガルスの再生能力は何度燃やしても衰えることはなかった。
むしろイオナのほうが疲れてきている。
『所詮貴様らは矮小な小虫に過ぎんということだ。大人しくしていろ。我とて慈悲の持ち合わせくらいはある。抵抗をやめれば苦しまずに殺してやろう』
抵抗をやめろ、か。
……いっそもう逃げるか?
シルやイオナ、セフィラが傷つくくらいなら俺は尻尾を巻いて逃げると決めている。
一度退いて、そのうえで作戦を立ててもう一度挑むつもりでここに来た。
だが、一度退いたとして……俺たちはジガルスに勝つ手立てを用意できるかは怪しい。
無制限の再生能力に加え、毒や木の魔物化といった多彩な能力を持つ難敵。
そんな相手に勝つ手段なんてあるんだろうか。
だが、こいつを放置すればまたアルムの街のような悲劇が起こるに違いない。
くそ、どうする。
『我はこの地に深く深く根を張っている。そこから妖気を吸い上げることで、いくらでも体を修復することができるのだ。貴様らが相手にしているのは周辺一帯――いや、世界そのものといってもいい。まだ抗うというなら、それは愚か者のすることだ』
ジガルスは俺たちを嘲るようにそんなことを言った。
ん?
俺ははっとした。
根を張っている、とジガルスは言った。
再生能力はそのおかげだと。
なら、一つだけある。ジガルスの馬鹿げた再生能力を封じる手段が。
「みんな、近くに寄ってくれ」
『どうしたのー?』
「はあ、はあ……何?」
「何か作戦ですか?」
シル、イオナ、セフィラに近くに来てもらい、ジガルスに聞こえないよう俺の考えを耳打ちする。
ブレスの撃ちすぎで疲れたようで、イオナは肩で息をしていた。
早めに決着をつけたいところだ。
『……ロイ、それ本気?』
「ああ。ジガルスを倒すにはそれしかない」
「ロイ様は本当に、とんでもないことを考えますね。普通なら思いつきもしないと思います」
俺の考えを聞いたシルとセフィラがそんな言葉を返してくる。
「いや、さすがに無理があると思うけど……」
ジガルスの巨体を見上げてイオナが呟く。
この作戦の鍵はイオナだ。
うちのパーティにおける最大攻撃力を有する彼女が勝敗を決める。
「そんなことはない。イオナ、お前の力があれば絶対にできる。頼む、力を貸してくれ」
俺が再度言うと、イオナは溜め息を吐いて頷いた。
「馬鹿言ってるとは思うけど……でも、ロイを信じる。やるわ」
「助かる。タイミングはよく見計らってくれ」
「ええ。それじゃ、また後で」
イオナは息を止め、【解毒光】から出る。
そして手近な木に登ると、その枝からさらにジャンプする。
そして高度を稼いだところで竜の姿になり、バサァッ! と羽ばたきの音を残してその場から離れていく。
『……? 何の真似だ? あの娘がいなくては我にまともな攻撃すら加えられまい』
「さあな」
訝しげなジガルスには適当に返しておく。
さて、ここからが正念場だ。
イオナ抜きで俺はジガルスに大ダメージを与えなくてはならない。
セフィラは神気を使えないから、イオナが離脱した今、俺がやるしかない。
俺は息を吸いこみ、【解毒光】から飛び出した。




