ヒルド山地へ
王城から逃げ出した俺たちは、そのまま王都の外に出た。
あのまま王都の中にいたら衛兵に追い回されるのが目に見えたからだ。
「イオナ、悪いが竜の姿になってもらえるか!」
「仕方ないわね!」
王都からある程度離れた場所でイオナに竜の姿になってもらい、その背中に乗り込む。
シルとセフィラは当然として、依然としてここにはシャーロット様もいる。
イオナが飛び立ち、王都と距離を取れたところで、俺は安堵の息を吐いた。ひとまずこれで安全だろう。
それにしても疲れた……
なんでこんなことになってるんだろう、俺たちは。
「今頃王都では大騒ぎだろうな……」
「一時的にはそうかもしれませんが、少しすれば落ち着くと思います。部屋に書置きを残してきましたから」
と、これは俺の背中にいるシャーロット様の台詞。
「どういう意味です?」
「手紙には、ある協力者とともに外出する旨を書きました。私が脱走した証拠であるロープなんかもそのまま残っていますから、侵入者が私の関係者だと伝わるはずです」
「……それはそれで大問題になる気がしますけどね」
なにしろ王女にして予知能力者である人物が失踪したのだ。
たとえそれがシャーロット様の予定通りのことだったとしても、大規模な調査が行われることは間違いないだろう。
「す、すみません……ロイに咎が及ばないよう、きちんと私が責任を持って衛兵たちには説明しますので」
申し訳なさそうにシャーロット様が言ってくる。
「……はあ。もういいですよ、今さらどうしようもないですし」
「あ、ありがとうございます」
「それより事情を聞かせてもらえませんか? どうしてヒルド山地に向かいたいのか」
「ん? ヒルド山地ってどういうこと?」
シルが首を傾げたので、俺は中庭でシャーロット様と話したことをかいつまんで説明した。
それが終わると、シャーロット様は俺の疑問に答えた。
「ロイ。『ラウフィートの浮遊城』についての話は覚えていますか?」
「ああ、確か世界のどこかを漂っている、宙に浮く城のことでしたっけ?」
確か薬を届けたときにそんな話をされたような。
シャーロット様はぽつりぽつりと語り出す。
「……私は幼少期から古代文明に関する書物を読むのが好きでした。私は体の問題で遠出が難しかったので、冒険心を満たしてくれるものが好きだったんです。中でも世界中の学者が注目する遺跡が存在しました。それがラウフィートの浮遊城です」
「ラウフィートの浮遊城が古代文明と関係しているんですか?」
「あくまで学者の仮説です。あの中に実際に入ることのできた人物はいませんから」
まあ、宙に浮いている城に人間が簡単に入れるわけないか。
「私はいつしか、ひと目でいいからラウフィートの浮遊城を見てみたいと思うようになりました。あれは決まったルートで世界中を移動しています。そのルートさえ知っていれば、観測は可能なんです」
「なら見に行けば……というわけにもいかないんですよね」
「はい。クリフを始め、みんなに止められてしまいました。『予知能力者のお前に万が一のことがあったらどうする』と」
シャーロット様の言葉はどこか自嘲するようだった。
彼女は高貴な身分であり、特別な能力を持っている。
彼女の言う『世界の終末』のことが真実なら、それに対抗できるであろうシャーロット様を失うわけにはいかない。
「なんか……ちょっと気の毒だね」
シルがそんなことを呟いた。
俺も同じ気持ちだった。
籠の中の鳥。そんな表現が思い浮かぶ。
「話の流れからすると、ヒルド山地はラウフィートの浮遊城の移動ルート上にあるのでしょうか?」
「その通りです、セフィラ。あの城が我が国を通過するのはこの時期、ヒルド山地の上空のみ。この時期を逃せば来年まで見られません。そして私には……来年があるかどうかもわからないのです」
セフィラの言葉に頷き、そう告げるシャーロット様。
その言葉はどこか悲痛な響きを持っていた。
シャーロット様は俺の背中を掴む手に力を込めた。
「……話は以上です。ロイ、あとはあなたに判断を任せます。私をヒルド山地に連れて行ってくれますか?」
えええ……
この話を聞いて断れるわけないだろうに。
「はー……わかりました。ヒルド山地まで行きましょう」
「ほ、本当ですか!? 嘘ではありませんか!?」
「本当ですよ。……イオナ、悪いけどヒルド山地に向かってくれるか? シルは案内を頼む」
「了解ー!」
『ロイが言うなら仕方ないわね』
シルの能力による案内のもと、イオナがヒルド山地に向けて飛び始める。
まあ、シャーロット様に『何かあったら連絡してくれ』なんて言ったのは俺だからな。
それにあんな話を聞かされたら、とても断れない。
不意に――ぎゅう、と後ろからシャーロット様が俺を抱きしめてきた。
「!?」
柔らかい感触やいい匂いが伝わってきて、一気に体がこわばる。
そんな俺の様子に気付いていないのか、シャーロット様は小声で言ってきた。
「……ロイは、なぜそんなに優しいのですか?」
「い、いや、別に優しくはないですよ。きちんと報酬をもらいますからね」
「それはもちろん支払いますが。そうではなく……今まで私に接してきた人は、私の体のことばかり心配していました。長年一緒だったクリフもそうです」
「……」
「そんな中で、私の『心』に寄り添ってくれたのはあなたが初めてです」
囁くような声で言われ、俺はまともな思考ができなくなる。
これは……きつい。
絶世の美少女ともいえる相手が、俺を抱きしめて、甘えるような声を出してきているのだ。危ないぞ本当に。イオナに乗っている最中でなければ正面に向き直って好きなだけ抱きしめていた可能性すらある。
「ずるいです……」
「ま、待てセフィラ! これはあれだ! シャーロット様も慣れない空中だから、安定を求めて俺に抱き着いているだけで!」
シャーロット様の後ろに乗るセフィラがあまりにも寂しそうな声を出すので、俺は慌てて言い訳をするのだった。
なんか今日は浮気男のような行動ばかりしている気がする……!
そうこうしているうちに俺たちはヒルド山地へと到着した。
▽
ロイたちがヒルド山地に向かっている頃。
王都の一角ではこんなやり取りが行われていた。
「僕のターン! このまま戦闘フェイズに突入する! いっけえええええ! 『神狼フェンリル』で直接攻撃だ!」
「ふふふ甘いでござるよアラン、そこには罠がしかけられているでござる!」
「なに!? 罠だって!?」
「これぞ拙者が一ターン目からずっと狙っていた布石! 罠カード発動! 『毒液満ちる落とし穴』! これによって『神狼フェンリル』は破壊されるでござるよ!」
「ば、馬鹿な……ッ!? そんな、こんなはずじゃ……!?」
「わははは、これで拙者の有利! さあまだまだ勝負はこれからで」
ゴン、ガンッ。
「こんな時間になにをやっているんですか、ギルドマスターにカナタ」
「「頭があああああああ!?」」
カードゲームに興じていたアランとカナタは、いきなりやってきたクラリスによってゲームを強制中断させられた。
クラリスは広げられたカードを見下ろすと、容赦なく片付けて二つの山に戻した。
「ああっ、せっかくいいところだったのに……」
「正座」
「はい」
クラリスに従い床に足を折りたたみ、カナタ直伝の『正座』状態となる二人。この姿勢は足に負担がかかるため反省させるには最適と、怒ったクラリスがよく指示するものでもある。
「本当にあなた方は自分の立場をわかっていないんですか……? 今冒険者ギルドがどれだけ忙しいかわかっているでしょう? なんで私が寝る間も惜しんで仕事をしているのに、執務室ではSランクが二人そろって遊んでいるんですか……?」
「お、落ち着くんだクラリス。これはそう、ちょっとした休憩だよ」
「あなたの休憩は一度が長すぎるんですよ! だいたいカナタまでなにをやっているんですか!?」
「む、むう。つい誘われて……実は前から少しやってみたかったものでござるから」
「今度にしなさい、この馬鹿! まったく……」
小さい子供のように床に正座して叱られるアランとカナタ。
まさかこの二人が選ばれしSランク冒険者だとは誰も思わないだろう。
「ええと、それでクラリスはどうしてここに?」
アランが尋ねると、クラリスは溜め息を吐いてから扉のほうに「入ってください」と声をかけた。
現れたのは鎧姿の重装騎士。
シャーロットの護衛である騎士クリフだ。
「……相変わらずふざけた場所だなここは。仕事を舐めているのか?」
「ふっ、クリフも一度やってみたらわかるよ。このゲームは大人から子どもまで楽しめるんだ。とりあえず向いているデッキがわかるアンケートがここにあってだね」
「黙れ、俺まで妙な沼に引きずり込もうとするな。そんな話をしに来たんじゃない」
軽口を跳ねのけられ、アランは表情を改める。
一拍置いてアランが尋ねる。
「クリフはどうしてここに?」
「……シャーロット様がいなくなった。部屋の書き置きには、『数日間だけ外出する、護衛が一緒だから心配いらない』とあった」
「シャーロットがいなくなった……!? 大変ではござらんか!」
「その通りだ、カナタ・フォーブス。だからこそあらゆる手がかりを集めて行き先を特定する必要がある」
クリフは冷静を装っているがかなり焦っているのが明らかだった。
彼はシャーロットに忠誠を誓っているため、今の状況が不安でたまらないのだろう。
「気になるのはこの『護衛』だ。この護衛は<召喚士>ロイだと俺は考えている」
「根拠は?」
「シャーロット様は昼間、ロイに手紙を出していた。内容は見ていないが、おそらく護衛の依頼や合流場所を提示するものだったのだろう」
「……なるほど」
「兵士たちだけでは人手が足りん。依頼料ならいくらでも出す。冒険者ギルドでもあの<召喚士>の行方を探してくれ」
アランはそれを聞き、「わかった」と応じた。
「ああ、それと一つ。ヒルド山地を探すといい。彼らはそこに現れる可能性が高いと思う」
「なぜだ?」
「勘みたいなものかな」
「……チッ。胸にとどめておこう」
舌打ちを残してクリフは去っていった。
クラリスがアランを見やる。
「……なにか知っていますね?」
「まあね。シャーロット様は以前から古代文明や遺跡に興味を持っていた。そしてこの時期に脱走となれば――」
「――なるほど。『ラウフィートの浮遊城』ですか。ヒルド山地はレディリア王国で唯一、あの城が見られる場所ですからね」
「そういうこと」
「??? 拙者はなんのことかよくわからんでござる……」
博識のアランとクラリスの会話に、カナタが首を傾げる。
クラリスは再度アランに尋ねる。
「ではなぜクリフさんにあんな言い方を? 普通に教えればよかったのでは?」
「護衛役はクリフの話を聞く限り、間違いなくロイ君だ。そして俺はロイ君とシャーロット様の時間をできるだけ長くとってもらいたい。そのためには、捜索隊は少し遅れてほしいんだ」
「……どうしてですか?」
「ふふふそれはまだ言えないなあ~」
「カードを破りますね」
「落ち着いてクラリス! それはもう手に入らない限定モノのレアカードなんだ!」
大切なカードを人質にとられたアランは観念したように言った。
「まあ、とにかく悪いようにはならないんじゃないかな」
「根拠に乏しいように感じますが……あなたが言うと妙な説得力がありますね」
「それに僕は見極めたいんた。ロイ君という規格外の<召喚士>をね」
アランはそう呟き、眼帯に覆われていないほうの目で窓の外を見やった。




