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沼の街の物語  作者: 紅雪千雨
一章【ライル=デューランド】
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3・遠い朝を待つ部屋で

 レイリアから今回の事態について説明を受けた後、俺は用心棒として雇われている従業員の集まる詰所に来ていた。

 厄介なことになったのは確かだが、だからといってそもそもの仕事を放り出していいわけがない。俺の仕事はあくまでこの娼館の用心棒、アイリスという個人に全てを傾けるわけにはいかないのだ。

 幸いなことに、アイリスは今日既に娼館への出勤が確認されていて、レイリアが直接様子を見たところによると薬品や魔法の影響下にはないらしい。アイリスの仕事が終わる翌朝までは、少なくとも安全が保障されているということだ。


「話は聞いたぜライル。めんどくせぇことにはなったが、ポジティブに考えてみろよ、な?」


 詰所に入った俺に声を掛けてきたのは用心棒仲間のギース。ドワーフの男特有の髭面にニヤニヤと下卑た笑みを浮かべているが、その性根は実にドワーフらしい陽気なもので、共に酒を飲むと実に楽しい奴だ。

 だがギースがこういう笑みを浮かべているときは、経験上要注意だ。人をからかう時と、女の話をする時に、こいつはこういう笑みを浮かべるのだから。


「相手は薬に頼らねぇと女の一人も手に入れられねぇクソ貴族らしいじゃねぇか。そんな奴が百人いたってお前の敵じゃねぇだろ? 『鋼の脚』さんよ」


「よしわかった。今日は出勤したばかりだってのに、治癒院送りで早退したいらしいな」


「わ! ばか、やめろライル! ちょっとした冗談じゃねぇか!」


 『鋼の脚』。ギースが口にしたその言葉は、いつの間にかこの界隈で広まってしまった俺の呼び名だ。

 その名前は当初、義足を持て余してろくに用心棒の役目も果たせない俺を揶揄したものだった。真っ直ぐに歩けもしない鋼の脚、同じ鋼なら剣か盾か、なんなら男の象徴を鋼にでもした方がまだ役立つんじゃないのか、と。

 だが義足の扱いに慣れるに従って、そんな声も消えていくことになる。元々人の脚よりも高性能な義足なのだ、使いこなせばどうなるかは、言うまでもないだろう。

 そして今や、無能の代名詞だったその名前は、そいつの店で悪さをするな、とすら言われる恐怖の代名詞になった。

 それだけなら誉れ高い話だろう、と思うのは部外者だけだ。当事者どころか張本人にとっては、無能の意味で使われるのも恐怖の意味で使われるのも恥ずかしくて堪らない。

 故に、俺の目の前でそれを知っていながらその名前を口にするような奴は、逆鱗に触れても仕方ないというわけだ。


「……次はねぇぞ」


 とはいえ本当に仕事仲間を治癒院送りになんてしたら即効クビになって笑い話がまた一つ増えるだけだ。

 ボキボキと関節を鳴らしていた拳を収めつつ、ギースを本気で睨み付けるだけで済ませることにする。どのみち、俺もギースも本気で喧嘩するつもりなんて最初からないのだから。


「わかったわかった……で、話を戻すがな。実際そんな貴族なんて一捻りだろ、お前さんなら」


「わからん。貴族だからといって魔法や剣を修めていないとは限らんだろう」


「それでも、この街で三年用心棒やってるお前さんには適わんよ。そんじょそこらの用心棒はな、二年以内に怪我していなくなる奴が大半なんだぞ」


 ギースの言っていることは事実だ。

 このパルースで用心棒をやるということは、生半可なことではない。なにせ世界一の歓楽街、世界中から人が集まってくる。そしてその全てが行儀のいい奴かといえばもちろんそんなことはない。

 法や教義に縛られない街ということは、自然と荒くれ者、はみ出し者が集まってくる。その中でも後先考えずに店で暴れだすような、とびきり頭のおかしい奴を相手にするのが用心棒だ。

 当然、暴れる側だって自分の腕に自身があるからこそ暴力で我を通そうとするのである。そんなのと殴り合いするのだから、この街の用心棒の大半は長く続かない。

 実力不足として解雇されるか、怪我をして続けられなくなるか、はたまた金を溜めて違う仕事を起こすか。そういうのが普通だ。


「そう言ってるギースもたしか五年目だろうが。古株もいいとこだぞ」


「俺はいいんだよ。支配人の縁故採用だからな、勝手にゃあ辞められん。んなことはどうでもいいんだよ、いいから黙って聞け」


「わかったわかった。ただしめんどくせぇから手短にな」


「つまらんやつだ……まあとにかくだ、アイリス嬢の護衛をするんだろ? なら目の前で言い寄ってくるその貴族をバシッとカッコよく倒してだな、そのまま口説いちまえってことだよ!」


「……本気で治癒院に行きたいか?」


 お遊び程度の殺気を垂れ流しながら立ち上がり、左脚の義足に力を込める。ギシ、と軋むような音を義足の関節部分が立てると同時に、ギースが立ち上がり部屋の隅へと後ずさる。


「やめろってんだ! シャレになってねーんだよそいつは!」


 慌てたような表情で俺を制止するように腕を伸ばし、どうどう、とばかりに俺を押し止めようとするギース。

 端から見れば戦力差があるのだろう、と、ギースが俺に怯えているのだろう、と思う光景だが、俺は知っている。この義足の力を使ったところで、ギースには勝てないだろうということを。

 この街で、しかもこの『煌きの城』で五年も用心棒をするということは、そういうことなのだ。


「だが俺が言ったことは本気だぞ。お前さんがここに来てから三年だ、三年だぞ? そろそろ自分の幸せって奴を考えたほうがいい」


 俺が義足から力を抜いたことを即座に見て取ると、何事もなかったかのように椅子に座りなおしてのたまうギース。

 客観的に言えば、ギースの言っていることは正しい。用心棒なんてものは先の短い仕事だ。普通に考えて、自分の考える幸せへの踏み台程度に考えなければならないのだろう。

 だが、俺の求める幸せという奴は所詮夢に過ぎない。今はここでこうしていることが最善なのだと、俺はそう思うのだ。


「ハッ、つまんねぇ顔しやがって。今のお前さんの顔、路地裏の乞食共と同じだぞ。鏡を貸してやろうか?」


「……相変わらず、顔に似合わないもん持ってんな」


 懐から手鏡を、それも、たしかあれは北のほうにある小国の民芸品だったか、暗い赤色に塗られた独特の風合いを持つ手鏡を取り出したギースを横目で見やり、ため息を吐く。

 路地裏の乞食と同じ顔、と言われて怒れない程度には、俺にだって自覚があるのだ。

 妥協と諦めと卑屈をない交ぜにして、なんとかこの何もない日々を、生きているだけで幸せなのだと、自分をごまかしている顔だ。


 細かいことは一用心棒である俺には知るよしもないが、アイリスはあの奴隷商からこの煌きの城に引き渡される算段だったのだそうだ。

 なんのことはない、地方のちょっとした小金持ちが何かやらかして借金を背負い、そのかたに売られたとか、そんなよくあるとまでは言えないが、さりとて珍しくもない話だ。

 故に、アイリスには自身の与り知らぬものとはいえ負債が圧し掛かっている。それを返済できるまで、彼女はこの沼の街から足を抜くことができない。

 三年経って尚返済しきれないというからにはかなりの額なのだろうが、それでも返済できる見込みがあるから支配人も彼女を受け入れたのだろう。娼婦を受け入れるというのは、商売以外のなにものでもないのだから。


「これ以上はなにも言わんが……まあ覚えておけ。お前さんもアイリス嬢も、幸せになる権利がある。支配人は不幸になるべき人間を拾い上げることはしねぇ」


 あの年齢不詳の支配人を思い出して、なにも言えないままギースの向かい側にある椅子に腰を下ろす。

 あの森で一目惚れしたあの時から、俺の願いはアイリスが幸せになることだ。だがそのためにはまず、アイリスがこの街から抜け出さなくてはならないのだろう。

 娼館で働いておいて、娼婦という職業が不幸だとか、可哀想などと言うつもりはない。彼女たちは自分の信念に胸を張り、世間でなんと蔑まれようと、自分の譲れない何かのためにそれ以外の大事なものを投げ捨てて生きる、強い人たちだ。

 だが、娼婦である以上幸せにはなれない。たとえ一番大事なものを守るためだったとしても、見知らぬ男達と日々一夜を共にする、身体と心を切り売りするような商売が、その本人を幸せにするはずがない。

 彼女たちは真実、他の誰にもできない、強くて尊い仕事をしている。だがそれと彼女たち本人の幸せは、イコールで結べないのだ。


 だから支配人は常々言っている。

 娼婦をする理由が無くなったのなら、すぐに辞めろ、と。娼婦をしていくための、その核となる何かがなくなって尚惰性で娼婦を続ける人間は大抵、ダメになる。

 客の誰かに依存するか、行為そのものに依存するか、自分自身を傷つけるようになるか、何もかもがどうでもよくなるか……形はどうあれ、それまでの強く輝くような美しさが嘘のように消えてしまう。

 働く理由、無理をする理由というのは欠かせないのだ。自分はこのために頑張るのだと明確に言えなくなったとき、娼婦という職業は、夜の蝶とすら呼ばれるその生き様は、ただ蝶を模したに過ぎない蛾のような売女に成り下がる。

 そんな誇りだけで薄氷の橋を渡り続ける仕事は、踏み台にするべきなのだ。やるべきことをやったら、後はどこかの片田舎で愛する男と畑でも耕してのんびりと、しかし辛くも楽しく生きていくべきなのだ。


「……まだその権利を行使できるほど、俺は義務を果たしてねぇんだよ」


 やっとのことでその一言だけを搾り出すようにつぶやく。

 聞こえているのかいないのか、ギースは本当にそれ以上何かを俺に返すわけでもなく、つまらなそうに壁のほうを向いて煙草を燻らせていた。ゆらゆらと立ち上るその煙が、なんともいえないこの部屋の空気を塗り替えてくれないだろうか、と思うほどには、俺も今の会話が堪えているらしい。


 それから朝になるまで、俺とギースは一言も会話を交わすことはなかった。

 退屈で、しかし不快というほどではないその時間は、ひどく長く感じた。

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