第二十五話 言えなかったこと
# 第二十五話 言えなかったこと
「……転職、するんですか」
フロアの空気が、少しだけ静かになる。
かずまは数秒、にちかを見ていた。
驚いたような。
困ったような。
そんな顔。
「……誰から聞いた?」
声は、思っていたより穏やかだった。
「先輩が……」
「そっか」
かずまは小さく笑う。
でも。
その笑顔は、どこか疲れて見えた。
「まだ決まったわけじゃないよ」
席へ座りながら、かずまが言う。
「面接受けてるだけ」
にちかは、少しだけ安心して。
でも同時に、胸が苦しくなる。
“まだ決まってない”
つまり。
本当に、いなくなる可能性がある。
「……なんで、言ってくれなかったんですか」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
かずまの手が止まる。
「言ったら、止めてくれた?」
その一言で、息が詰まる。
止めたかった。
本当は。
でも。
自分は何も言えなかったはずだ。
かずまは視線を落としたまま、小さく息を吐く。
「にちかさ」
静かな声だった。
「俺がいなくなるの、嫌?」
胸が痛い。
嫌だ。
嫌に決まってる。
毎日隣にいた人がいなくなるなんて。
考えただけで苦しい。
でも。
その“嫌”を、どう伝えればいいかわからない。
「……それは」
喉が詰まる。
かずまは、そんなにちかを見て、少しだけ苦しそうに笑った。
「ほら、またそうなる」
責めているわけじゃない。
でも。
諦めが混ざっていた。
「俺、ずっと待ってたんだけどな」
その言葉が、胸へ深く刺さる。
ずっと。
本当にずっと。
かずまは待ってくれていた。
昼休み。
珍しく、二人とも食堂へ行かなかった。
フロアに残ったまま。
静かな空気だけが流れている。
にちかは何度も、隣を見そうになる。
でも怖くて見れない。
すると。
「……転職先さ」
かずまがぽつりと呟いた。
「東京なんだよね」
その瞬間。
にちかの頭が真っ白になった。
遠い。
簡単に会えない距離。
今までみたいに、
『帰ろ』
って隣に立ってくれることもなくなる。
「……そんな顔すんなって」
かずまが苦笑する。
「まだ決まってないし」
でも。
その笑顔を見た瞬間。
にちかは、初めて本気で思った。
この人がいなくなるのは、嫌だ。
もう耐えられないくらいに。




