親父がナンパされた
土曜日の昼、お袋は不在、俺のバイトも大学も休み、親父も家にいる。つまり二人っきり。
だからなんだという話なのだが。
親父は真っ昼間から梅酒をロックでやっていた。台所からその様子を眺めていたところ、見事に目が合った。
「おい、ちょっと付き合え、おい」
なんだよ、と文句付ける暇もなくダイニングテーブルに招待される。対面に座ると、頬を赤くした親父はカラカラと氷を鳴らした。
目がとろんとしている。酒好きなのに酒が苦手な親父だ。
「うっく、昨日な、父さんな、仕事帰り、ひっく」
「はいよ、聞いてやるから落ち着いて話せって、まったくいい年して」
テーブルに置いてあった炭酸水をグラスに注いだ。潰れそうな親父を眺めながら、それを喉に運んだ。口の中でパチパチと泡が弾けた。
「落ち着いてりゅ……でな、仕事帰りにな、駅で」
「駅で、はい」
「若い男に声をかけられて」
「若い男に……ん」
傾けていたグラスが止まった。炭酸水が口とグラスの間でゆらゆらしていた。
そのまま目を動かして、親父を見る。金髪美少女はヒクヒク言いながら、目を赤くしていた。
「茶をおごってくれるって言うからついていったんだ」
俺の口から、炭酸水が噴き出した。
「ぶっ、げほっ、うえ、と、と、え、え?」
「おぃ、きちゃないぞ」
「あ、ああ、すまんって、そんなことより、それで!?」
テーブルに手をついて、前のめりになった。親父の真っ赤な鼻が、少し右を向いた。
「そしたらパンケーキの店に連れて行かれた、若い女の子ばっかりのハイカラな店だ」
自分もだろうが、鏡見ろ、鏡。いや、いい、その突っ込みよりも貞操が心配だ。
「そ、そこでなにがあったんだ、無理矢理抱きつかれたとか……? 許せねぇ」
親父は左右に首を振った。
「経済の話ができるっていうから付き合ってやったのに、やれかわいいだとか、なにが好きだとか、家は金持ちだとか、そんな話ばかりをされた」
親父は梅酒を一口飲んでから、続けた。
「そうやって適当に話を合わせてたらな、場所を変えようって言われたんだ、二人っきりになれるところがいいって。いいかげん父さんだってばかじゃないから、こいつぁ不埒なことを考えてるってわかったよ」
「最初に気づけよ。……で、どうなったんだ、どっか触られたとか……野郎ぉ……」
机の下の拳に力が入った。うちの親父に手を出そうとするなんて、見つけ次第殺してやる。
親父は顔を伏せて、テーブルに置いたグラスの氷を指で回した。上目遣いで、こっちを見てきた。
「されそうにはなった」
俺はテーブルを叩いた。席を立った。絶対に探し出してやる。
「おい待て」
「いいや止めるな親父、俺はそいつを見つけて磔にする」
親父は言った。
「帰してくれないから父さんは言ったんだ、息子と妻がいるって。そしたらあいつ目を点にしていたぞ『け、経産婦ですか』って」
親父はげらげらと笑った。
「実年齢と事情を伝えて、責任とれよって言ったんだよな、父さんは。そしたら急にしおらしくなってな」
「……んだよ、ほんとになにもなかったのか。ちっ、仕方ねえから許してやるか」
腰を下ろした。なんだか喉が渇いたので、炭酸水を口に含んだ。
親父は言った。
「でな、あいつは言ったんだよ」
「ん」
「それでもいい、って」
「ぶほっ」
また炭酸水を吐き出した。テーブルの上がびっちゃびちゃになった。
結局「最後? 普通に逃げてきたよ」ということだったらしい。
女は大変だと親父はゲラゲラ笑っていた。こっちの気も考えろ、馬鹿。




