1.初めの揺らぎ
ヲトヤクヮヤは村の境に入ると、木々のざわめきの中に、ふと気配を感じた。足を止めて辺りに目を配る。青々と茂る樹木の足元を覆う笹がザっと鳴り、数人の子供たちが飛び出してきた。
「ヲトヤ!」
「おかえり!」
「ねー、おみやげは?」
頭に巻いた絹織りの額飾りが、子らの動きに合わせて大きく踊る。魔除けに縫い付けた海で産する赤玉がぶつかり、カチカチと小さく音を立てた。
「こら! ヲトヤではなく、クヮクチヒコと呼ばないか!」
ヲトヤの供をしていたヒタリクヮヤが、眉を吊り上げ怒鳴る。それでも子供たちは笑いさざめき、ヲトヤやヒタリ、他の従者にまとわりついた。彼らが背負っていた竹籠を引っ張ったり、覗き込んだり。子ザルのように木の枝からぶら下がって手を伸ばす子もいる。
ヲトヤは笑って子供たちを退け、言った。
「慌てずとも土産はたくさんある。ほら、先に行って他の連中も集めてこい」
子供たちは歓声を上げると、競うように村へ続く坂を駆け上って行った。
と、小さな子の手を引いた娘が思い出したように振り返り、告げる。
「そうだった。クヮクチヒコにお客さんが来てるよ」
「客? 誰だ」
「ソゾのスヒナカ」
その名を聞きヲヤトは眉根を寄せた。ヒタリへと視線を向ける。ヒタリも険しい顔でヲトヤを見返す。
ヲトヤは娘にうなずくと、腰に下げた革袋を手にした。幼子の手を引いて駆けていく娘の背中を見送りながら、袋を強く握り締める。中にある小さな固い塊が手のひらに食い込んだ。
*****
ヲトヤは村に入ると背負っていた竹籠を置き、広場へと向かう。石を組んだ焚火台の近くに、背を丸めて座る男がいた。結わった髪を赤く染めた鹿角のかんざしでまとめ、赤い糸を織り込んだ肩掛けを羽織っている。
相手をしているのは村の年寄りだ。なにを話しているか、大きな笑い声が響いてきた。
「スヒナカ」
ヲトヤが声をかけると男は振り返った。その顔を見てヲトヤは面食らった。両目の下から口にかけて、下唇から顎にかけて、朱で模様が描かれている。男が笑みを見せると、模様もぐにゃりと歪んだ。鯨の歯と管玉で作られた首飾りまでかけている。
「ようやく、お帰りか。会えないまま帰ろうかと思ったところだったぞ」
「そんな洒落た格好をして来て、なに用だ?」
ヲトヤは腰に巻いたシシの毛皮を引き寄せると、尻に敷いてスヒナカの隣に腰を下ろした。
「なに、ちょっとした頼みがあってな。礼儀を取って飾ってきたんだ」
明るく言うスヒナカへ、ヲトヤは怪訝な眼差しを向けた。
スヒナカはウィトの海に面したソゾに暮らす、ヒナカの長だ。ヲトヤの暮らすソの地からは十日ほど離れた場所で、ほとんど直接的な交流はなかった。ヲトヤがスヒナカと会うのも、クヮクチヒコを継いだ祝いの日以来のことだった。
「頼みとは、なんだ?」
「なめしたシシの皮と竹を揃えてほしい」
「どれほどだ?」
「皮は百。竹は矢を作るものが、ひとまず五百。あとは、赤なる季までに千が欲しい」
ヲトヤは眉間に深く皺を刻ませ、スヒナカを睨みつけた。
「そんなに揃えて、なにをするつもりだ? 狩りのためではないだろう」
「さぁな。俺も知らん」
スヒナカは牙と波を表した紋の入った肩をすくませて答えた。
「北の連中からの頼みだからな」
ヲトヤは苦々しく舌打ちした。
「なにを考えてるんだ、あいつらは。食いものも着るものも住処も、十分すぎるほど持ってるだろう。運べないものを、あれ以上抱えて、どうするんだ?」
「そうは言っても、俺らも恵みは受けているからな」
スヒナカは苦笑いを浮かべて言うと、自分の腰に下げた袋を探って黒く輝く鉄を取り出した。放り投げられてヲトヤは反射的に受け取る。握り込んだ手のひらにチクリとした痛みが走った。
手の中にあったのは鉄で作った矢じりだった。
「鉄の矢じり三十と釣り針を十、持ってきた。十分、交換に値するだろう?」
ヲトヤは険しい面持ちのまま、矢じりを見つめた。
「……ヒミクヮオウと相談してから」
「セヤはおらんぞ」
口を開いたのは、黙って二人の話を聞いていた爺だった。
ヲトヤが目を向けると、爺は焚火の中に薪を放り込み言った。
「一昨日からクヮグの島に行っとる」
「なにか予兆があったのか?」
ヲトヤは不安を覚えて聞き返した。しかし、爺は首を振って答えた。
「浮き石を取りに行った」
「浮き石なら下の浜辺にもあるだろう?」
「ついでに筍を採ってくると。あそこのは、味が違うからの」
ヲトヤは唖然とし、込み上げてきた怒りをぶつけるように拳を地面に打ち付けた。
「遊びに行くため、俺が戻る前に村を空けたのか? あのバカ兄は!」
スヒナカが声を上げて笑った。
「クヮヤの村は、なんとも長閑でいいな」




