2.揺れた理由
ヲトヤはスヒナカの相手を爺に任せると、持ち帰った荷を分けていたヒタリに声をかけた。荷物を分け合う村人たちから離れた場所へと移動する。
「ヒミクヮオウに迎えをやってくれ。クヮグの島に行ってるらしい」
ヲトヤは声を落として言った。
「なにかあったのか?」
ヲトヤはスヒナカから頼まれたことを話した。ヒタリはスヒナカの背中を一瞥し、首を振った。
「北の連中とは関わらない方がいい。あいつらは災いをもたらす」
「それが出来るのなら苦労はしない」
「鉄の矢じりなら、クシラに分けてもらえばいい。ワタの民が南から運んできているだろう」
「矢じりを手に入れるだけなら、そうすればいい。だが……」
ヲトヤは息をつき、背後にそびえる火等の山へと目を向けた。
「ワダマトの連中が、なにを考えているか……」
ヲトヤは幼い頃、北へ行ったときのことを思い返しながら呟いた。
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ヲトヤが大海へと船をこぎ出したのは、そのときが初めてだった。普段は村近くの浜から目の前に広がるクヮグの狭海に船を浮かべ、釣りをしたり、潜ったりしていた。狭海は根のような両の地に挟まれ、波も潮も穏やか。しかし、大海の潮は力強く、櫂が取られて思うように動かせなかった。波に押され、断崖へと打ち付けられるのではないかと幾度となく思った。
十日ばかりかけてワダツマの海を行き、ようやくアケの海に入るとヲトヤは安堵した。これでフウミまではすぐだと。しかし、アケの海は潮の満ち引きが激しく、船を走らせられる日も時も限られていた。自分は、なんと恵まれた土地に暮らしているのか。ヲトヤは、そのとき初めて知った。
二十日をかけてアケの海を渡りフウミが近づいてくると、船の数が驚くほど増えた。五十も六十も浮かび、それのどれもが荷を多く積んでいる。荷だけを乗せた船を綱で引っ張る船も少なくなかった。
水夫の肌に入った墨は模様が様々で、船同士のやり取りで話される言葉は聞き馴染みのない響き。そして岸から見える一面に、水の田が広がっていた。
ヲトヤは、こんなにも大地が開けた場所を目にしたことがなかった。普段暮らすソの地は山と原からなる地で、ほとんどの村々が小高い原にある。下の地に降りると近くに遠くに、折り重なるように襲連なる山並みが見える。
北の地はなだらかな山が遠くに一つの線となって見えるばかりで、あとは平たんな地がどこまでも続いていた。そして、フウミの水門につくと無数の川が蛇のようにうねり、海へ注がれていた。
一つ一つの川に海と同様、多くの船が行き交い荷や人を運んでいる。陸の道も、人の影が数えきれないほどある。田で働く人もクヮヤの村の人数よりも多く見えた。
ヲトヤは戸惑い、恐れを感じた。船から降りると、思わず共にきた叔父の腕に縋りついた。
叔父は、イノシシに嚙み千切られて四つ指になった手でヲトヤの頭を強く撫でた。そして静かに言った。
「この北の地も、ワダマトのヒミオウが統べる場所だ。なにがあるか、なにをしているか、なにを求めているか、よく見聞きし心に刻んでおけ」
そのあと、フウミの水門からほど近いシワの集落へと招かれた。小高い場所にある村は、村と呼んでもいいのか迷うほど、ヲトヤの村とは違っていた。周囲を木の板で囲い、出入り口では銅の棒を腰に差した男が数人、見張りをしていた。
あとでヲトヤは、それが剣と呼ばれるものだと教えられた。
いくつもの屋が立ち並び、見たことのない背の高い屋もある。奥の方では幾筋もの煙が立ち上り、洞の中で火を焚いたときのような焦げ臭く、息が詰まるようなにおいが漂っていた。
石を穿つ甲高く重い響きに、怒声のような声が飛び交う。子供の姿は少なく、男の大人ばかりが目につく。いい年をしているのに、顔にも体にも墨を入れていない奇妙な男も幾人かいた。
そのときクヮクチヒコだった叔父が、なにをしに北の地へ行ったのか、なぜ自分も連れて行かれたのか、ヲトヤは覚えていなかった。
けれど、ワダマトのヒミオウが統べる北の地が、狭海の縁に広がるクヮムアソの地とはまるで違う世界であることは、強く心に刻み込まれた。
なにがあるのか、なにをしているのか、なにを求めているのか。
なにひとつ理解出来なかったが、理解の外にも世界があることは理解した。




