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辺境伯領での日々は想像以上に楽しいものだった。
見るもの聞くものみな珍しく興味を持った。
美味しいものをたくさん食べ、城内を自由に歩くことが許されている。うつくしいドレスや小物をもらい、なにより、カールの家族は親しく接してくれる。彼らの好きなものを教えていっしょにやろうと勧めてくれ、逆にクラリスがなにに興味を持っているのか知ろうとしてくれる。
クラリスはこのウィングフィールド辺境伯領に来て初めて、存在を認められ、尊重されるようになった。王宮の奥宮にいたころは母や乳母以外の数少ない使用人たちは義務や仕事としてクラリスに接していた。
道中にカールから教わった通り、ウィングフィールドではみながやれることをする。
クラリスが奥宮で貴族らしからぬ生活をしていたと知ったスザンナが、辺境伯夫人教育はウィングフィールドに慣れてからで良いと言って、自身がその役割を続行している。
カールや彼の弟ふたりは竜騎士として国防の任についている。ヘレナはスザンナを助け、辺境伯家門の家政を担っている。ローラはクレイトン商会と辺境伯との橋渡しの役割をしている。
「クラリスさまはまず、運んできた薬草をこの地に移し、馴染むことをされてはどうでしょう」
カールに言われて、その通りだと思った。大量に運び入れた土を広げ、ウィングフィールドの土と混じらせる。
クラリスができることは薬草畑の仕事だ。できることを任されたのだからとクラリスはせっせと働いた。
「イーズテイルの好きな薬草を増やしてください」
カールもイーズテイルも期待してくれているので、重労働も苦にはならない。今まで期待されることもなかった。名ばかりとはいえ王女だったので、義務だとされ、当たり前のこととして薬草を育てていた。それが今や自分がしたいこととして行うようになった。
スザンナが家柄から選んでつけてくれた侍女たちは気が付けばいなくなっていた。正確に言えば、薬草園へ向かう際にはなにかと理由をつけて姿を消した。だから、クラリスはひとりで薬草園の手入れをしていた。貴族の子女である侍女とは話が合わなかったが、辺境伯の家族とは気が合ったので気にならなかった。そのため、重労働をする際にはいなくなることを問題視していなかった。王族であるものの、冷遇されてきたクラリスは自分でなんでもしてきたので特に思うこともなく、スザンナたちが気づくのが遅れた。
辺境伯は優しく遇してくれるし、必要なものはすぐにそろえようとしてくれる。なるべく時間を合わせて一日一回はいっしょに食事を摂っていた。また、薬草園や必要なものの手配をしてくれた。
義母である前辺境伯夫人はまだ若く、うつくしい。有事にはきびきびと動く。手も早いが、それ以上に口はよく動く。クラリスの実母は出産後体調を崩しがちだったので、義母のパワフルさに圧倒されるが、好ましい人だ。だからか、親元から離れた寂しさはあまり感じなかった。
そのほかの家族も温かく接してくれる。
侍女たちがよく姿を晦ますので、一人で廊下を歩いていたクラリスは迷った。そんな際、カールの弟ライナスとルイスに出会い、案内してもらったことがある。
「兄は無骨ですが、頼りになる男です」
「本来、辺境伯の重責はもっと長い間引き継ぎ期間を設けられます」
カールにはその期間は与えられなかったという。
「この辺境の地では戦闘で命を落とす危険性がつきまとうのです」
つまり、前辺境伯の死因はそういうことなのだろう。そして、代々辺境伯夫人はそれを覚悟しなければならないのだ。
「教えていただき、ありがとうございます。胸に刻みますわ」
ライナスとルイスも竜騎士だと聞く。飛竜隊を率いる兄を尊敬していることがよくよくわかる。
カールが温かい家族に恵まれていることが、クラリスには嬉しかった。
カールは後からイーズテイルが初見でじゃれついたことを改めて謝罪した。
「あれでも力加減しているのです。竜騎士相手だともっと荒っぽくなります」
「まあ、本当に頭が良いのですね」
竜騎士と女性との体格差からか、力の入れ具合を変えているのだという。
「わたくしには飛竜の区別はつきませんわ」
「竜騎士たちはさすがにできますよ」
「そうなのですね!」
羊飼いも群れの中の羊たちの個性を読み取れるようになると聞く。
「飛竜もまた個性があります」
「イーズテイルは悪戯者ですわね」
「ご明察です」
食卓でそんな風に会話しながらも、カールは辺境の食事は口に合うか、私室や薬草園で足りないものはないかと様々に気を配ってくれた。
他者に気に掛けてもらうのがこんなにも嬉しいことなのだとクラリスは喜びをかみしめる。けれど、王宮でも、母や乳母が気に掛けてくれていた。では、嬉しいのは異性から向けられるからだろうか。
違う。カールだからだ。
一度、飛竜隊の訓練を見せてもらったことがある。イーズテイルはクラリスにじゃれつくときとは打って変わって力強く、勇壮で堂々としていた。カールは見事に乗りこなしており、見とれた。
それは圧倒的な光景だった。
高い空を見上げるということ自体、振り仰ぐことで尊敬の念が自然と生まれる。
カールとイーズテイルは人竜一体となって悠々と空を飛ぶ。
クラリスは形容しがたい飛竜と竜騎士との絆、勇壮さ、自由さ、頼もしさを知った。おそらく、魔獣が跋扈する森に隣接する辺境領にあって、この心情こそが、よすがとなっているのだろう。
面白いのは、カールはなんでも飛竜のことに例えたり、話を交えることだ。
クラリスにどんな食べ物が好きかと聞いた後で、「飛竜はなんでも食べますが、自分で狩ったものを好むのです」などと続く。
スザンナが「なんにでも飛竜に例えるのは竜騎士の悪い癖です」などとため息をついていた。きっとカールだけではないのだろう。クラリスはこっそりその独特の表現を楽しんでいた。
カールの方もクラリスが初対面で飛竜の洗礼を受けたものの、とても晴れやかな笑顔で、「滅多にない経験をさせていただきました。仲良くしてくれそうで嬉しいですわ」と言うのに安堵した。
怖くはないかと聞けば、「怖いのは当然ですわ。この地で魔獣の侵入を阻止する頼もしい存在なのですもの」と答える。
彼女は真理を見抜いている。翼を持たぬ人は飛竜に憧れ、そして、恐怖を覚える。飛竜の存在によって守られているのだということを知りながら、勝手な希望を押し付け、一方で忌避するのだ。カールは一時期、それが我慢がならなかった。辺境伯の後継者として、さらには爵位を継いだ後、徐々にそういうものだと思うようになった。
クラリスは辺境領民に近い考え方をする。そして自己憐憫から遠く、ポジティブな人柄をしていた。
好奇心旺盛でいろんなことに興味を示し、初めて見聞きするものすらも尊重してくれる。
ただし、よくよく気を付けていないと、体力が乏しいのですぐに疲れてしまう。カントリーハウスを案内する最中、カールがロングギャラリーに置かれた椅子に誘ってみると、座ってふた言み言話すうちに、こてんと腕に軽くもたれかかってきた。肩に頭を預けて来るのではなく腕だ。そのくらい体格差がある。
すうすうと無邪気に寝息を漏らす姿が面白く、そして愛おしさが込み上げてきた。
まどろむクラリスを起こさないようにしながら、棚から本を抜き取って時間をつぶした。
目を覚ましてぴゃっと跳ね起きるクラリスを見ながら、こまめに休憩を取るようにしようと思った。
「あなたが辺境伯夫人となってくださって良かった」
「わたくしこそ、こんな素晴らしいところで暮らすことができてとても嬉しいですわ」




