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新事業は香り付けだけではなく、新たな取り組みも行われた。
魔獣の素材は、クラリスが育てる薬草を加えた染色液に染まった。
さらには、魔獣の素材で針を作り、刺繍をしてみようとしたが、これについてはクラリスは断念した。まったくもってして力が足りなかったのだ。
そこで、エルシーにも協力を依頼した。その針が魔獣の素材と知って恐れるも、竜騎士の妹は意を決して刺繍に取り組んだ。魔獣の素材は頑丈であったが、同じく素材から作られた針はなんとか通った。コツをつかんだエルシーは試行錯誤し、魔獣の皮革に見事な刺繍をしてみせる。
「なんとうつくしい」
「見事なものですわ」
カールやクラリスだけでなく、出来栄えにスザンナたちもため息をついた。
「これが魔獣の素材なんて誰も信じやしないでしょうなあ」
ウルフスタンの長も驚きを隠せないでいた。
「そろそろ王都への流通を検討したいですわね」
「しかし、魔獣の素材は嫌がられる」
「それを払拭するのが難問だな」
ほかにも問題がある。王都の貴族の好む香りというものが未だつかめていない。すべてが手探りの中とはいえ、指針がないのは不安である。
まだ交通が未発達であることから、輸送には莫大な費用がかかる。貴族に必ず好まれ、はっきり言えば売れるという保証がなければ、採算が合わない。クレイトン商会も商機が見えなければ協力するに二の足を踏むことになるだろう。
そんな折、珍しい出来事があった。
「離宮のお祖母さまから祝いが届きました」
「オリアーナさまから?」
離宮にこもって出てこない先々代辺境伯夫人から接触があった。
「わたくしも出産祝いをいただきましたわ」
スザンナが言うには、オリアーナは子孫を残すことをこの上なく重要視しているらしく、三人目の子供を生んだ際、素晴らしいと寿いだという。
「そうしたためられた手紙をいただきましたの」
クラリスはふと思いついて、カールとスザンナを見やった。
「出産祝いのお礼に、一度、子供をお見せしに行きませんか?」
カールはクラリスの言を受け入れたものの、断られることも大いに考えられると言った。オリアーナは誰にも会おうとしないからだと慰める。
だが、案に反して、訪ねたいという連絡に、色よい返事があった。
クラリスはそこで、思いつきをカールに相談した。
「なんと、それは、」
カールが目を見開く。
「ご気分を損ねてしまいますかしら」
「いいえ、やってみる価値はあります。素晴らしい考えです。お祖母さまこそ適任というものです」
不安そうに小首を傾げるクラリスに、カールはにやりと笑って、そっと抱き寄せる。閨を共にし、子供ができても、カールは相変わらずクラリスを丁重に扱った。結婚したときよりも大分ふっくらしたと思うのだが、相変わらず、「あなたの大丈夫は大丈夫ではありません」と言って過保護に接する。それが申し訳なく、同時にくすぐったい気持ちにさせた。
辺境伯夫妻とその子供、そしてスザンナと乳母の五人が離宮を訪ねた。
離宮の前にうつくしい庭があるが、もっと素晴らしいことに、背後に宮殿を反転させて映し出す鏡面のような湖が広がっている。
エントランスは吹き抜けで彫刻や絵画が飾られ、壁や柱の装飾には金箔がなされている。
「すばらしい宮殿ですわね」
通されたサロンの椅子に腰かけたクラリスがため息交じりに言う。
「本当に。こんな風だったのですのね」
驚いたことに、スザンナも初めて足を踏み入れるという。
「先々代であるお祖父さまがお祖母さまの好みをふんだんに取り入れたと伺いましたが」
「その通りですわ」
凛とした声が聞こえた。
一行が立ちあがって入室するオリアーナを迎える。白髪で肌にしわが刻まれているものの、真っすぐな背筋や優雅な立ち居振る舞いは驚くほど若く見えた。
「お久しぶりです」
「ええ、本当に。すっかり立派におなりになって」
この場で最も身分の高いカールが言うと、オリアーナは懐かし気に目元を緩める。
「紹介します。我が妻クラリスです」
「お初にお目にかかります」
そう、クラリスはウィングフィールドへ嫁して数年経って初めてオリアーナと会うのだ。
「ようこそ、離宮へ。婚礼の式に出席できなくて申し訳ないわね。少し体調を崩していましたの」
矍鑠としているからこそ、弱っている姿を見せたくないのかもしれない。
「いいえ。先日は素晴らしい贈り物をありがとうございました」
「そちらがサイラスさまね。まあ、ご両親の特徴を兼ね備えておられるわ」
気位が高そうなほど品のある顔がほころぶ。抱いた子供を覗き込まれた乳母の緊張が伝わって来る。
「ぜひ、抱いてやってください」
「え、ええ、」
カールの言葉にすこし躊躇する風をみせた。嫌がってはいない様子なので、「わたしが介助します」とカールが申し出るのにためらいがちに頷いた。
乳母からそっと渡されたオリアーナの背後にカールが控える。
「ああ、重いわ。そうね、こんな風でしたわね。それによく動くこと。元気な証拠ですわね」
意外なほど言葉を連ねる。子供の誕生を心から喜んでいることが伝わってきて、居並ぶ者たちは安堵する。
「先代の辺境伯も大柄な御子でしたと伺いましたわ」
「そうなの。そのせいかとても難産でしたわ」
スザンナの言葉に返しつつも、オリアーナの視線は腕の中のサイラスに釘付けだ。
「サイラスさまは人見知りをしませんのね」
ご機嫌で笑い声を上げて手を振り回すひ孫に、オリアーナが微笑む。
「そうですね。人も飛竜もまったく怖がりません」
「まあ!」
オリアーナが顔を上げ、カールはすかさず手を出して祖母の腕ごと息子を抱き留める。
オリアーナはそのままサイラスをカールに託し、椅子に腰かけた。
カールやクラリス、スザンナが代わる代わる飛竜たちがサイラスに興味津々であること、そのせいか、次々に卵を孕んだことなどを話した。
「それはウィングフィールドにとってはまたとないことですわね」
「気の早い者は次の辺境伯は素晴らしい竜騎士になるとまで言い出しております」
「それはそれは」
オリアーナは上機嫌に微笑む。
田舎暮らしを嫌って引きこもっているという女性にしては、意外なほどウィングフィールドの繁栄を望んでいる風である。
その様子に勇気を得て、クラリスは頃合いを見計らって切り出した。
「実は、ウィングフィールドでは新事業を手掛けようとしております」
「素晴らしいことですわね。ただ、国防を担う重要なお役目をおろそかにしなければ、ですが」
「はい。肝に銘じます。けれど、国から支給される国防費のみに頼るのは危険極まりないことです。そのほかの手札を持っておくこともまた、大切なことだと思います」
カールはいったんオリアーナの言葉を受け止める。その上でカールとクラリスは自分たちの考えを伝える。この地は魔の森に近いせいか、南の草原ほどではないが、あまり農作物は育たない。安全に旅をできるから商業は発展しているが、特産物を持ちたいのだと話した。
スザンナは訪問する前にカールとクラリスがオリアーナに協力を要請せんとする旨を聞いていた。口出しせずにやり取りを見守る。
クラリスはオリアーナの威厳の前で緊張し、手を握りしめる。
「わたくしはオリアーナさまのお気持ちが少し分かる気がするのです」
「わたくしの気持ち?」
「はい。わたくしと似ているのです。わたくしは王宮でいない者としてひっそりと暮らしておりました。社交の場に出たこともございません。もちろん、自ら離宮においでになるオリアーナさまとまったく同じではございませんが」
けれど、ずっと顧みられずにいたのは似ている。そう思ったのだとクラリスは懸命に伝える。
「ですが、わたくしはウィングフィールドにやって来て、初めて役に立てることができました。オリアーナさまにとって、煩わしいこともございましょう。ずっとなにもせずにいたにもかかわらず、今になって厚顔な申し出ですが、どうか、お力をお貸しくださいませ。ウィングフィールドはオリアーナさまのお力が必要なのです」
そう言って、クラリスは頭を下げた。その隣に座るカールとスザンナもまた同じように面を伏せた。




