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 王女が辺境伯の領地へ向かう「花嫁道中」は本来ならば、きらびやかなものであるはずだった。しかし、クラリスが持ち出したものは身の回りのものではなく、薬草に関するものばかりだった。

 随行する者すらおらず、当人が乗る馬車も仕立てるどころか、どこかから借りて来るという話を聞きつけ、あぜんとしたカールは自ら迎えに来たのだ。道中にお互いのことを話し、まずは辺境のことを知ってもらおうと思った。


「我が領には飛竜がおります」

「存じておりますわ。ウィングフィールド辺境伯領の飛竜隊があってこそ、我がエルドレッド国の安全は保たれているのだと」

 飛竜は縦横無尽かつ機敏に動き、なにより、空を舞う。邪悪な魔獣が魔の森に押し留められているのは、ウィングフィールドが竜騎士隊を擁しているからだ。


「二年前にわたしとお会いしたことは覚えていらっしゃいますか」

「もちろんです。辺境伯も覚えていらっしゃったのですね」

「そのときはまだ爵位を継いではいませんでしたが」

 カールは物憂げな表情になる。彼はまだ二十四歳だ。クラリスと出会って一年足らずのうちに前辺境伯が死去し、長男であるカールが後を継いだ。子供という年齢ではないものの、防衛するに難しい領地を統治するのは並々ならぬものだ。


「あのときいただいた薬草に、我が飛竜が反応を示しました」

「そうなんですか?」

 飛竜が薬草に顕著に反応を見せたというのに、クラリスは興味津々だ。

「はい。しきりに匂いを嗅いでいました」

 最終的にはその薬草を食べてしまったのだが、ひみつだとまで言って譲ってくれたのだから、黙っておくことにした。


 カールはその一件があったから、クラリスをめとりたいと願い出た。

 魔獣から防衛するとはいえ、あまりにも強い武力を持った領地である。守られている反面、いつ反旗を翻すかと恐れる国は、ウィングフィールド辺境伯に二、三代に一度、王女を降嫁させるという栄誉を与えることにした。その栄誉の裏には首輪をはめる、かせをつける、鎖につなぐといった意味合いがある。


 クラリスは自身を忘れられた王女だと笑った。内容のわりに悲壮感はなく、あっけらかんとしている。

 その点も好ましく思えた。少なくとも華やかな奢侈しゃしを好み、辺境を田舎だと蔑み、いつ魔獣に押し寄せられるかと怯える王女よりも好ましい。王宮育ちの王女たちは国の思惑を知ってか知らずか、たいていがそういった反応を示したそうだ。だから、ことごとく辺境での暮らしに馴染めなかった。辺境伯は王族であるから丁重に遇するので、妻は夫を下に見る。


 だから、カールは先々代が王女を娶ったので自分の代は免れるよう祈っていた。

 ふたりいる弟の上の方はすでに結婚し、下の方は婚約者がいる。ウィングフィールド辺境伯の後継者は爵位を継ぐまでは結婚を待たなければならなかった。遠慮する弟たちに辺境の騎士はいつ何時どうなるか分からないのだから、さっさと結婚するように言った。

「ウィングフィールドの長男に生まれてきた宿命みたいなものだから、気にするな」


 予想もしなかったことに父は早世し、爵位を継ぐことになった。そのときからあの王女らしからぬ少女とならば、と考えるようになっていた。

 クラリス王女が丹精した薬草に飛竜が興味を示したことから、彼女であれば妻に迎えたいと思った。土いじりをしていたことも、従来の王女とは違うように思われたのだ。


 辺境伯を受け継いでから、王室から王女をめとるように言われ、ぜひともクラリス王女をと願い出たのだ。

 そして、一年以上経ってようやく許可が下りた。


 王女は十八歳になっていたが、二年前からさほど変化はなく、幼くやせ細っていた。忘れ去られたと発言していた通りと言って良いのかどうか、彼女の荷物はドレスや装飾品といったものはほとんどなかった。代わりに本や道具、薬品、薬草類は出来る限り持って行きたいと言った。


「できましたら、土ごと根ごと薬草を運びたいのです」

「辺境領は魔獣が跋扈する森にほど近い。その森は瘴気ミアズマ渦巻く場所です。通常の薬草はすぐにだめになってしまいますが」

 瘴気はこの世のあらゆる害悪を凝縮させた穢れである。それらをまとうからこそ、魔獣は邪悪とされている。人が触れれば正気を失ったり病を得たりする。


「その瘴気で薬草がどんな風に変化するのか確かめてみたいのですわ」

 聞けば、クラリスは薬草が日照条件や気候、降雨量のいかんによってどんな風に変化するかを研究していたのだという。


「お恥ずかしいのですが、わたくし、ダンスや刺繍といった貴婦人のたしなみとはほど遠い生活を送っておりましたの」

 しかも、使用人はほとんどおらず、身の回りの世話をしていた乳母は農家出身だったのだという。

「時間だけはたくさんありましたので、乳母から聞いたことを片端から試していったのですわ」

 そのライフワークとなりつつある薬草をできる限り持ち出したいと言う。


「母は王家の血筋が入っていないため、これら薬草の育成には係わっておりません」

 王家の婦女子は薬草の育成を学ぶのだという。

「奥宮の薬草園ですね。しかし、今では形骸化しており、自らの手で育てる王族はほとんどいないと聞いておりますが」

「まあ、そうなんですの?」

 奥宮の一画から出ないというだけあって、当事者であるクラリスは知らない事実であった。


「ですが、そういうあなたならばこそ、我が辺境でもストレスが少なく過ごせるのではないかと思ったのです」

「はい。とても楽しみですわ」

 クラリスには悲壮感はなく、どこか嬉しそうですらある。


 カールが危惧したとおり、クラリスには自覚なく体力が乏しかった。そのため、ゆっくりと進んだ。ほかの領地を眺めながらあれこれ話したり、途中立ち寄った街を一日かけて見物することで休憩を長くとった。

 そうして、クラリスとカールはウィングフィールド辺境伯領へとやって来たのである。



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