15
前触れもなく、カールには閃きが訪れた。
なぜ、あんなにも飛竜たちはクラリスが丹精する薬草に興味を示すのか。それは、アスチアンが言う「瘴気をある程度必要とする」からではないか。
だとすると、クラリスが育てる薬草が瘴気を含んでいるということになる。王室の女性たちはそんな薬草を育てる慣習があったのだというのか。
とんでもないことだ。しかし、カールはその考えをないことだと切って捨てることはできなかった。そう考えれば腑に落ちるのだ。
王女たちは二、三代に一度辺境伯に降嫁する。辺境と、つまりは飛竜とのつながりがある。そして、今は形骸化されているものの、王女らしからぬ「薬草を育てる」ということが義務付けられている。
薬草が瘴気を含んでいると知っていたかどうかは分からないが、飛竜が好むから育てていたのではないだろうか。だから、王女は定期的に辺境伯のもとへ降嫁し、薬草を育てることを義務付けられた。
祖母オリアーナもまた慣例の通り薬草の知識を受け取ったが、辺境において実践することはなかった。けれど、クラリスは奥宮で言われた通りに薬草園を丹精していた。そして、ずっとそうしていたものを中断させたくなくて、ウィングフィールドにおいても続けた。
「わたくしは薬草を育てるほか、することがなかったのですわ」
そう言って浮かべた屈託ない笑顔を思い出す。
カールが土ごとできる限りの薬草を持ち運びたいというクラリスの願いを叶えたのは、奥宮で忘れ去られた彼女が、それをよすがにしていたのではないかと思えたからだ。王女の慣習として形骸化したことをする以外に、彼女にはすることがなかったのだ。ほかの王女たちは蝶よ花よともてはやされていたのに、クラリスはいないもの扱いされてきた。形骸化された義務を全うするのは、彼女の意地であり、王女としての証だったのではないか。
クラリスはたぶん、そんな風に意識したことはなかっただろう。カールが勝手にそう受け取っただけだ。ただ、彼女の願いを、成果を、それまでやってきたことを無にしたくはなかった。
ところが、ウィングフィールドへやって来て、クラリスの丹精した薬草に飛竜たちが興味を示した。それは劇的な反応だった。
クラリスが行ってきたことには意味があったのだ。それがカールには殊の外、嬉しかった。
そして、不可解でもあった。辺境伯領でも薬草園はある。なぜ、飛竜たちはクラリスが丹精する薬草に顕著な反応を見せたのか。
王宮で育てる薬草が瘴気を帯びており、それに反応していたのだとしたら。
そう考えると話が通る。
アスチアンはウィングフィールドの土地も瘴気を帯びている可能性があると言っていた。ならば、王宮で特別な手法で育てられた薬草が、この地に持ち込まれたことで瘴気を吸収したのか。いや、そうではない。二年前、クラリスが王宮で育てた薬草をもらい受けたのに、イーズテイルが反応した。
なぜ、王宮で育てる薬草が瘴気を含んでいるのか。そして、邪悪である魔獣を倒す側の飛竜がどうして瘴気を必要とするのか。
カールは大きな得体のしれない、なんらかの一端を垣間見たような気がした。
それはイーズテイルの背に乗って、高く高く空を飛び、あまりにも高高度に達した際、ぬっと現れた巨大な雲島のようなものだ。強い下降気流に取り巻かれた中心に、激しい上昇気流が待っている。思いもよらないことが隠れている。
カールはアスチアンに、「飛竜の生まれたばかりの幼獣を見たいと思いませんか」と尋ねた。
アスチアンは目を見開いて飛びつくように言う。
「ぜひ!」
カールはそれまでウィングフィールドは飛竜についての情報の深部を秘匿して来たが、そろそろ意識改革をしても良いと思い始めていた。
アスチアンの考えをもっと詳しく知りたい。
学者という別の観点から飛竜の生態を見て意見を聞き、また、できることなら、エルドレッドの王宮が連綿と伝えてきた薬草についてもなにか情報を得られないかと考えた。
アスチアンはウルフスタンたちが魔獣の素材の瘴気抜きを教える対価として有用な情報を渡した。アスチアンが知りたがっていることを教えれば、逆にカールが知りたいことを教えてくれるかもしれない。
それがこの辺境にどんな変化を及ぼすか。恐ろしくはあったが、カールは辺境伯である。この地を守護する者として、見て見ぬふりをすることはできなかった。
貴族令嬢たちは蛮族ウルフスタンや商人たちが邪魔をして、竜騎士たちに近づけなくてやきもきしていた。
「せっかくの夜会ですのに」
「ねえ。こんなに華やかなものは久方ぶりですのに」
「もうじき定期討伐が始まりますから、その打合せもあるのでしょう」
文句を言う令嬢たちをいさめるのはブレナン子爵令嬢ロレッタだ。
以前はウィングフィールドの花と呼ばれていたが、今は辺境伯の弟の妻ヘレナや婚約者ローラにその地位を譲っている。
「でしたら、なおさら、髪の交換の約束を取り付けたいですわ」
「そうですわよねえ」
定期討伐というのは、定期的に魔の森へ向かい、魔獣の数を減らす。そうしないと、森の外へ出て来て人を襲うようになるからだ。飛竜隊の重要な役目である。そして、それは命がけだった。
そんな任務に送り出す家族は竜騎士と髪や所有物の一部を互いに渡し合う。そうして、無事に帰って来るように祈るのだ。
何代前かの降嫁した辺境伯夫人は夫が討伐に出かける際、髪をひと房もらった返しとして、付けていた耳飾りを渡したのだという。大勢の竜騎士や貴族たちが見守る中、たおやかな仕草で行った優美な光景は、いまだに語り継がれている。
貴族令嬢たちの憧れのエピソードでもある。
「ロレッタさまも辺境伯さまと交換なさっては?」
「そうですわね。辺境伯さまのご無事を祈って」
「ぜひ、そうなさって。蛮族などと仲が良い夫人には、こんな雅なことは縁遠いでしょうから」
「まあ!」
目配せをし合う令嬢たちは笑い声を上げた。
「ウィングフィールドへやって来て間もないのですから、馴染みがないことがたくさんあるのは当然のことですわ」
クラリスを擁護する声を上げた令嬢に視線が集中する。どうやって言い返してやろうと思っていた令嬢たちがぱらりと扇を広げ口元を隠す。かばったのが竜騎士の妹だったからだ。
「あら、エルシーさま、ごきげんよう」
「お召しのドレス、素敵ですわね」
「お兄さまはいかがお過ごしかしら?」
エルシーの兄オズワルドは竜騎士であり、飛竜隊においてカールの片腕とも目されている。そのため、令嬢たちの人気が最も高い。小生意気な小姑がくっついていようとも、その価値は下がらない。
「辺境伯夫人は飛竜の信頼を得られました。辺境伯夫人としてこの上ないことですわ。そして、そんな夫人にすべての竜騎士たちは尊敬の念を抱いていると伺っております」
エルシーは自分を疎ましく思いながらも、兄の妻に収まりたいがためにすり寄って来る令嬢たちを内心滑稽に思いつつ続ける。言外にクラリスを悪く言うのであれば、すべての竜騎士を敵に回したも同然だと伝える。辺境伯領に住まうものとして、そうなったら生きてはいけない。
「まあ、そうなのですね」
「ですが、辺境伯夫人は飛竜と心を通わせても、辺境伯とはいかがなのでしょうか」
「そうね。女性の身としては、夫が第一であるべきですわ。そして、夫の第一でありたいものです」
令嬢たちは単に飛竜に好かれただけで、夫婦仲が良いとは限らないと当てこすりを言う。
「ねえ、ロレッタさま、そう思われませんこと?」
そして、王女の降嫁が通達される以前まで、カールの婚約者候補であったロレッタに話の矛先を向ける。
「エルシーさまのおっしゃる通り、辺境伯夫人としてこの上ない方だと思いますわ」
ロレッタはにっこり笑ってそう言うにとどめた。けれど、ほとんどの者がロレッタがいまだカールに懸想しているということを知っている。なにかにつけて辺境伯のカントリーハウスに訪れ、カールに接触しようとしているのだ。
婚約者候補だったころにはウィングフィールドの花と称され、多くの令嬢たちが取り入ろうとしていた。辺境伯の結婚が決まり、いったんは離れたものの、やって来た王女があまりに貧相だったことから、ふたたび近づこうとしている。さらには煽る向きすらあった。王宮から遠く離れた辺境の地でも複雑なパワーバランスはあちこちにある。
あんな子供を生めるかどうか分からない、痩せて魅力に乏しい元王女は形ばかりの妻となり、辺境伯は側室を持つだろう。うつくしいロレッタがその最有力候補だとみなされている。
カールを一途に思うロレッタがもし側室の打診を受けたら断らないだろう。令嬢たちはそう考えてロレッタの歓心を買おうとするのだった。
エルシーは兄オズワルドからクラリスのことを聞いていた。兄はおおよその竜騎士と同じく飛竜をこよなく大事にしている。その兄からクラリスは飛竜を恐れず、彼らのために尽くし、その結果、とても好かれていると聞いた。何度も素晴らしい方が奥方になったと聞いて、エルシーもすっかりそんな気持ちになっていた。
ウィングフィールドでは飛竜が最優先だというのに、令嬢たちは自分たちの地位ばかりを気にして、肝心なことを分かっていないのだ。