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クィンの子供は無事に生まれ、すくすくと育っている。クィンは子供の面倒をせっせとみるが、その子が眠ってしまえば、自身はクラリスに甘える。マーティンがその傍をうろうろする。
「やはり母親がいる飛竜は違うな」
人の意志を読み取る能力が備わっている。それでいて、親や成獣たちに狩りの仕方や敵のことについて学ぶから、外界で後れを取ることもない。
今や、竜騎士たちは辺境伯夫人を敬い頼りにもしていた。
カールもまた、若くして就いた領主の座、国防を担う辺境伯の地位に肩ひじを張っていたのが、クラリスのお陰で余分な力が抜けるようになっていた。
クラリスは寝室に乾燥させた薬草を吊るして良い香りをもたらしてくれた。
「安らかに眠れる香りですわ」
ウルフスタンたちにもあれこれアドバイスしたことからも、処方についての知識も持っている様子だ。
寝室に設置した香草にカールが喜んだことから、クラリスは蒸留器で精油を精製し、飛竜の身体に塗布するのはどうかと思いついた。
竜舎に出入りするようになったとき、竜騎士たちから大規模な魔獣の間引きの際にはさすがの飛竜も緊張して戦闘で動きが硬くなりがちだという話を聞いたのだ。
「飛竜に好みの香りの精油を塗れば、リラックスできると同時に、お腹の弱い部分を守ることができます」
カールは頭ごなしに否定することはなく、まずはやってみようとなった。辺境伯としては飛竜たちに関して慎重な姿勢となりがちになるものの、クラリスには実績がある。今回のクラリスの提案も試用を認めた。
クラリスは新たな試みに、心を弾ませた。
久々の飛竜の子の誕生に、ウィングフィールド中が歓喜に沸いた。
領都を始めあちこちの集落でお祭り騒ぎで、辺境伯のカントリーハウスでも、誕生を祝う夜会が催されることになった。
クラリスはそう聞いて、辺境の地での飛竜が重要視されていることを改めて思い知る。
「わたくし、馴れ馴れしくし過ぎかしら」
竜騎士でもない他所からやって来た者が仲良くなってしまって、腹が立たないかとクラリスはにわかに心配になる。
「まさか! 嫌なら飛竜が許しませんよ」
「そうです。それに、イーズテイル自らクラリスさまに興味を示したとカールが言っていましたよ」
「若奥さまは辺境伯夫人でいらっしゃいます。飛竜たちに好かれるのは、この上ないことでございます」
すかさずノーラが否定し、スザンナも擁護し、侍女長がウィングフィールドでの認識を言い含める。
「婚礼の儀式では慣例通りのドレスしか着られなかったのですもの」
スザンナが張り切ってノーラと侍女長とともにクラリスの支度を手伝った。隅々まで洗い上げられ、毛先や爪の先まで香油を塗られ、髪も結い上げられた。複雑に編みこまれ、花々を差し込まれた頭に、かゆくなってもうっかり掻いてしまったら大変だとこっそり考える。
ドレスはシンプルなもので、クラリスの華奢な身体の線に沿って、いっそそっけないほどすとんと裾を下ろしている。
「動かないでくださいませ」
眉を整えられ、目じりや唇に色を乗せられる。
「血色が良くなったから、チークは必要なさそうね」
素早い手つきで化粧を仕上げて行く侍女長にスザンナが言う。
「そうですね。少しふっくらなさったのでは? ドレスは緩めに作っておいて正解でしたわね」
侍女長が言うのに、ウィングフィールドにやって来て早々、採寸され、スザンナやヘレナ、ローラたちとああでもないこうでもないとドレスや小物を選んでいたときのことを思い出す。あのとき、侍女長もいっしょにいただろうか。スザンナはクラリスが太ることを予想していたのだろうか。
「まだまだふくよかになられますよ。なにしろ、あのイーズテイルさまが背に乗せるのだとせっせと獲物を携えていらっしゃるのだから」
「あら、だったら、もっと緩めのドレスを作っておくべきかしら」
マーティンから聞いているのか、ノーラがそんな風に言えば、スザンナが小首を傾げる。
「良いですわね。では、着られるうちにすべてのドレスに袖を通していただかなければ」
「昼餐やお茶会も催しましょう」
そんな風に話しているうちに、クラリスの支度は整った。
「———うつくしいな」
迎えに来たカールが言葉を失った後、ひとり言のように呟いた。
「ドレスはあくまで清楚に、クラリスさま自身を華やかに演出してみたのよ」
「素晴らしい手腕です」
カールは珍しく如才なく女性陣を褒めたが、単に本心からの言葉である。スザンナたちは満足げだ。
常に命の危険と隣り合わせで、飛竜という甚大な力を持つ生き物の自由気ままな気質と付き合い、さらにはその背に乗って空を飛ぶ竜騎士たちは、迂遠や過剰な装飾を嫌う向きがあった。
辺境伯であり同時に飛竜騎士団の団長でもあるカールがエスコートするクラリスの潔いほどシンプルなドレス、それでいて髪を色鮮やかに飾る花々に目を奪われた。
竜舎に訪れる際のほとんど村娘と変わらない姿を見慣れていることから、これほどまでにうつくしい女性だったのかと感嘆すら覚えた。
竜騎士たちの中でも見劣りしない体躯のカールの隣を歩くので、クラリスの華奢さが一層強調される。
たおやかな姿に守りたいという気持ちと、この方こそが懐妊した飛竜の心をほぐし、健やかな幼獣の誕生せしめたのだという誇らしい心持とでないまぜになる。
竜騎士たちは身分問わず、当人の資質と技量などで入隊が可能となる。ウィングフィールドにおいては、最も敬意を払われる花形の職だ。
辺境の田舎騎士と蔑む貴族令嬢たちも、竜騎士に対しては違う反応を示す。辺境の土地で生きて行くには竜騎士の妻というのは憧れの地位なのである。
そんな竜騎士たちがこぞってクラリスに敬意と好意の視線を向けることに敏感に察知した令嬢たちは妬みと敵愾心を抱いた。
辺境伯領では竜騎士を始め、飛竜に関わる者たちの発言力が強い。だから、貴族たちは別の者に依拠しようとした。それが王宮の権威であった。
降嫁する王女は分かりやすく、飛竜とはかかわりのない権威だ。また、無骨さとは対照的な典雅の粋であり、王宮への憧れも手伝って、非飛竜関係者たちに祀り上げられた。
王都から辺境へやって来ることを課された王女も、孤軍奮闘するよりも徒党を組む方が良いと判断する。はりぼてであることを知っている者も気づかない者も、あるいは分かっていて知らぬふりをしている者も、王宮という豪奢な場所から遠く離れたところで、味方を作ったのだ。
ところが、先々代辺境伯夫人オリアーナは田舎暮らしを嫌い、近づこうとする貴族たちからも遠ざかっていた。貴族たちはあてがはずれて落胆した。その落胆分を取り戻そうと新しくやって来た王女であるクラリスにより一層の期待を込めた。しかし、これが再び見当はずれとなる。
聞くところによると、土いじりばかりしている変わり者だという。
「どうかすると、わたくしども辺境の者よりもよほど鄙びた方にお見受けしましたわ」
クラリスを野暮ったいと言うのは、侍女を辞めさせられた令嬢のひとりだ。
「ああ、ほら、ご覧になって。あの野蛮極まる者たちとお話されているわ」
「きっと、気が合われるのね」
魔獣討伐の協力者であるウルフスタンたちは、だからこそ、戦闘において甚大な力をふるう飛竜には敬意を払う。独立不羈のウルフスタンたちも新たな飛竜の誕生を祝いに招待を受けて訪れていた。
辺境の貴族たちの一部は、彼らを蛮族だと蔑んだ。
その蛮族たちが常にないことに、クラリスに積極的に話しかけて談笑している。
ここぞとばかりに嫌味を言い、自分たちの不満をぶつけて溜飲を下げた。