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クラリスはカールの案内でふたたび竜舎へやって来た。竜騎士ではないヘレナは同行することはできない。残念そうに、けれど、期待を込めてクラリスにクィンのことを託して去って行った。
「クィンがいる竜舎はこちらです」
イーズテイルの竜舎とは別の棟へ連れて行かれた。その後ろには様々な種類の薬草を積んだ荷車を押すイーズテイルが続く。
「カール! おや、奥方もごいっしょなのか」
竜舎の戸口にいた、どの竜騎士よりも筋骨隆々の壮年の男性がカールを見て片腕を掲げる。
「噂にたがわぬ甲斐甲斐しさだな」
ふたりの後ろにいる荷車を押すイーズテイルを見て、目を見開き、にやりと笑った男性を、カールがマーティン・レイナー副団長だと紹介する。ヘレナの父親だ。
「ウィングフィールド伯爵夫人にはお初にお目にかかります」
騎士の礼をするマーティンに、クラリスはあたふたしながら、ほとんど作業着と化しつつあるドレスの裾を摘んで腰を落とす。
「何分、田舎騎士でありますので、不躾なこともございましょうが、ご容赦願いたい」
「お楽になさってください。わたくしなど、土いじりをしているくらいですわ」
「我が娘が最近通い詰めているという薬草園のことですな」
マーティンがにやりと笑う。
「いつも手伝ってくださって、助かっています」
「こちらこそ、イーズテイルがこれほどまでに奥方さまに協力的であることは、この上ないことです」
副団長が言うには、団長不在の折には飛竜の長たるイーズテイルに言い含めることができる者がいるのは、とんでもない僥倖なのだという。
「こちらがどれだけ騒いでもやつらは知らん顔を決め込むのです」
「え、そうなのですか?」
肩をすくめるマーティンにクラリスは小首を傾げる。
イーズテイルは初見からクラリスに興味を示し、じゃれついた。そして、自ら手伝ってくれるほど協力的で友好的である。もしかすると、薬草園にクラリスがひとりでいたのが良かったのかもしれない。誰かいたら、近寄って来なかったのかもしれない。だとしたら、あの貴族の令嬢の侍女たちの振る舞いは、悪いばかりでもなかったのかもしれない。
「いつもイーズテイルには助けてもらっていますわ」
「ギュワ」
荷車の上の薬草の匂いをしきりに嗅いでいたイーズテイルが鳴き声を上げる。
「そうらしいですな。娘が逐一報告してくれますが、我が耳を疑っていました。百聞は一見に如かずとはこのことだ」
言いながら、クラリスにそっと頬を寄せ、撫でろと言わんばかりのイーズテイルを見やる。クラリスが希望通りに頬を撫でると、うっとりと目を細める。ひと目で気を許していることが分かる。
「それで、今日はこちらの竜舎にどのようなご用件で?」
カールがマーティンに、飛竜の嗅覚の鋭さや、イーズテイルから聞いた飛竜ごとに匂いの好みがあることなどを話した。
「イーズテイルが好む薬草の葉を絞った水を美味しそうに飲んだのだという。クィンも同じことがあり得るのではないかと考えたのだ」
「つまり、クィンも好む匂いがあり、それを加えた水なら飲むかもしれないということですな!」
マーティンは一も二もなく、それらを試みることに賛同する。
クィンは竜舎から出たがらないので、女性は足を踏み入れたことがないという竜舎に、クラリスが入ることになった。
天井近くに明り取りの窓がいくつも並んだ薄暗い竜舎の中はひんやりしていて、そして、飛竜の匂いが濃かった。
「ギュワギュワギュワ!」
「ギュギュワ!」
クラリスが入ったとたん、飛竜たちが一斉に鳴き声を上げる。
「ギュワ!」
イーズテイルがひと際大きい鳴き声を上げると、とたんに静かになる。
「こちらです」
マーティンに案内されて通路を歩く。木造の長大な建物の中は大きくいくつかに仕切られている。その最奥に藁が敷かれ、そこに飛竜がうずくまっている。イーズテイルよりもひと回りほど小柄だ。
「クィン」
マーティンが呼びかけても身じろぎもしない。
「ギュワ?」
「ギュワ」
イーズテイルが問いかけるように鳴くと、億劫そうに目を開ける。
クラリスが荷車に載せた薬草を手に取り、クィンの方へ向けようとするのをカールが制止する。
「クィンは気が立っています。イーズテイルに任せましょう」
「はい。イーズテイル、クィンに薬草を渡してくれる?」
「ギュワ!」
イーズテイルは器用にクラリスから薬草を受け取り咥え、クィンの鼻先に持って行った。
近づけた薬草に、クィンは興味を示した。鼻先を近づけふんふんと嗅いだ。
「おお!」
マーティンが思わずといった態で声を上げる。カールもぐっと拳を握りしめる。
竜騎士たちは久々に卵を孕んだ飛竜のことをとても心配しているのだ。こうして顕著に変化を見せたことに喜色を露わにした。
「ギュワワ」
「ギュワ」
ふい、と顔を逸らしたクィンに、イーズテイルはすごすごとクラリスの下へ薬草を咥え帰る。
「あら、だめだったのね。じゃあ、次はこれね」
「ギュワ!」
そうして、クィンが気に入る薬草を見つけるために、ひとつひとつ試した。
「ギュワッ」
中には近寄る前から身をよじって嫌がるものもあった。
「ほう、これは嫌いなんだな」
マーティンはともかくどんな反応でも珍しく受け止めた。
「ギュワ」
と、クィンが自ら長い首を差し伸べて、クラリスが荷車から手にした薬草に鼻を近づける。
「これが気になるの?」
「ギュワ」
クラリスの問いに答えるように鳴き声を上げると、ぱくりと葉に食らいつく。
カールが咄嗟に動こうとするのを、マーティンが腕を掴んで止める。すぐ傍にはイーズテイルがいる。彼が反応する方が速い。そして、飛竜たちの長は泰然とクラリスとクィンを眺めている。
クィンがひょいと千切り取った葉を飲みこむ。
「ギュワ!」
少し元気そうな声を上げる。そして、クラリスの手にした薬草の匂いをしきりに嗅ぐ。心なしか、その顔つきが安らいでいるように思われた。
「この匂いが気に入ったのね。では、これは差し上げるわ」
「ギュワ!」
「ギュワ」
クィンが嬉しそうな声を上げるのに、イーズテイルが応えるように鳴く。
「ギュワギュワッ! ギュギュワギュギュワギュワ?(もう、みんな、うるさい! クラリスは竜騎士とは違うか弱い女の子なんだよ?)」
「ギュワギュワギュワギュワギュワギュワギュワギュワ。(でも、クラリスは根気強いんだよ。クィンの我がままにもずっと付き合ってくれたんだ)」
「ギュギュワギュワギュワギュワ!(ついに、クィンの好みの薬草が見つかったんだ!)」