97 おまけ 温泉へ行こう・18
とんでもない目に遭ったわー。
二日目の夜も、俺はまともに寝る事はできなかった。
「おとうさんは、美人の女将に追いかけ回されて、本当は嬉しかったのじゃないですか?」
朝食の席で、エーシャがジト目で恐ろしい事を言いやがってきた。
嬉しいも何も、割と本気で命の危機を感じたぞ。
「いやですよう、エーシャ様ったらぁ」
その当の女将が朝食の配膳をしつつ、照れた表情でエーシャの背中をビシバシ叩いている。
器用というかなんというか……。
女将の叩く力が思いの外強いのか、背中を叩かれたエーシャがむせ込んだ。
女将との追い掛けっこは朝まで続いたのだが、日が昇った途端に女将が正気に戻ったのである。
なんでも、妖力を操る練習をすると精神が昂ってあんな感じになってしまうそうだ。
その事を平身低頭で謝られたのだから、怒るに怒れない。
あんまりにも申し訳なさそうに謝るものだから、逆に申し訳なくなって、思わず女将の犬歯をブラッシングしてやると言ってしまった。
我ながらよく分からない事になってるけど、それで丸く収まるなら結構。
そんな訳で、朝から女将の機嫌が良いのである。
「うにゃあ、クラタんの浮気者にゃー」
ミユさんや、朝からなんて事を言うのだね。
他のお嬢さん達から冷たい目で見られてしまったじゃないか。
「ソウジは益々、我の父に似てきたなあ」
ガイラさんも感心してるんじゃないっての。
その父親とは昨晩、酒を酌み交わしていたんだけど。
途中、女神の邪魔が入ってグダグダになってしまった。
当事者の一人であるリグミナが意味深にこちらを見るのだが、その視線の意味がいまいち掴み切れない。
悪意は無さそうなんだけどな。
それはそうと、俺達は明日にはここを出立しなくてはいけない。
温泉を楽しむのも今日までだ。温泉宿協会で売られている温泉手形というのを買えば、各旅館の温泉のはしごもできるそうなので、今日はゆっくり温泉を楽しむとしよう。
「ソウジ様、今日はどうされますか? お暇なら私と手合わせしましょうよ」
すっかりワンコ状態のフィルデが『遊んで! 遊んで!』と心の声を駄々洩れにしながら訴えかけてくる。
おっさんの身としては、ゆっくり温泉に入りたいなあ。
「うにゃあ! クラタんはアタシと遊ぶにゃ!!」
「ミユ殿ばかりズルいです!! 私にもソウジ様と遊ぶ権利はあります!!」
なんだかんだで、あの二人は仲が良いなあ。
「おとうさん、今日はマナシエちゃんと姉さんとで色々回ってきますので、こっちは気にしないでください」
朝食をさっさと食べ終えたエーシャは、マナシエとガイラさんを伴って朝食会場から出て行った。
「じゃあ、クラタんを掛けて勝負にゃ!!」
「望むところです!! 勝負は悪人討伐にしましょう!!」
「どっちが多くをやっつけるか勝負にゃ!!」
ミユとフィルデも行ってしまった。
どちらかが勝っても、俺が一緒に遊ぶとは限らないんだけどなあ。
「リグミナは、今日どうするんだ?」
「え!? わ、私!?」
何を挙動不審になってるのやら。
「ええっと、女神会の研修ってのに誘われてて……」
「なんだそれ?」
「神としての立ち振る舞いや、使徒との接し方とかを教えてくれるとか……」
「それは参加した方がいいんじゃないか?」
「ええ……まあ、そうね」
なんか歯切れが悪いなあ。
もしかして、みんなと一緒に遊びに行きたかったのだろうか。
俺が口出しても仕方ないし、リグミナも子供じゃないのだから、自主性に任せよう。
気づいたらルネイアナがいなくなっている。
あいつも割と自由奔放だからなあ。何か面白い物でも見つけたのだろう。
新婚のギルデオとヴァネリーも、さっさと出掛けたらしい。
「アイニはどうするんだ?」
到着早々に、ギルドから託された仕事を終えてしまったので、暇を持て余している感じだ。
いくらなんでも、一緒に温泉を巡ろうとは誘えないよなあ。
「ええと、アルジットさん達と一緒に行くところがありまして」
「アルジットとトルゲか? 珍しいな」
「はい。私はお手伝いという形で参加ですけど、領主の娘としては、黙って見過ごせない事があるのです」
感じからすると、何やら単なる物見遊山ではなさそうだ。
「ふふふ。気になりますか? ソウジさん」
「あっしとしては、クラタの旦那も一緒に来てくれると嬉しいんですがね」
黙って朝食を食べていた二人が、気味悪く笑っている。
何か良からぬ事でも企んでいるのだろうか。触らぬ神に祟りなしとも言う。
今日はゆっくり温泉に浸かりたい。温泉上がりにコーヒー牛乳を飲んだり、温泉饅頭を食べたい。
「……いや、別に気にならない」
アイニが悲しそうな表情を浮かべるが、俺には関係のない事だ。
「クラタの旦那が、そんな冷たいとは思いませんでしたぜ」
なんとでも言え! 俺は温泉を楽しむんだ!!
「ふふふ。そんな事を言っててよいのですか? あちらの彼女にも関係のある事かもしれませんよ?」
アルジットはそう言って、食器の片づけを始めている仲居の一人に目を向けた。
その仲居は、俺達が盗賊団から助け出したリーディという子だ。
「あの子となんの関係が……?」
「彼女を傷つけた盗賊団から奴隷を買っていた大物が、出張を終えて帰って来ているのですよ」
盗賊団から奴隷を買っていたとなると、俺達がリーディを助けなければ彼女も売り飛ばさていたかもしれない。
同僚達と汗を流して働いている彼女の姿を見ていたら、心がぞわりとした。
救出した直後は心身共に傷付いていて、ミユに食って掛かったと聞く。
そんな状況で奴隷として売られたら、どんな扱いを受けたのだろう。きっと、磨り潰されるような使い方をされたに違いない。
「今回の大物は、特殊な愛玩用の奴隷の売買を手掛けています。……この意味、分かりますよね?」
アルジットはこう言いたいのだろう。
潰しに行きますと。
アルジットは奴隷商だったが、奴隷を粗末に扱うのを嫌っている。
なので、奴隷の派遣業の話に興味を持って、管理組合まで立ち上げたぐらいだ。
「今日あっしらは、その大物と商談の約束を取り付けましてね。隠れ家に挨拶に行こうと思うのですよ。せっかくなので、クラタの旦那も一緒に来てもらえると心強いですぜ」
勘弁してくれよ。
ここまで聞かされたら行かない訳にはいかないだろう。
「アイニも行くのか?」
「はい。私は領主の娘として、事実確認をしないといけません」
まったく真面目過ぎるなあ。
流石のあの領主でも、実の娘から証拠を提示されたら見逃す訳にはいかないはず。
それを見越して動くのだろう。
しかし、アルジットとトルゲがそれなりの腕を持っていたとしても、一般人のアイニを連れて行くのは危険だ。
だから俺に護衛をさせたいのだろう。
「ああくそ! 分かったよ。俺も行くから!」
「流石はソウジさん。乳首をつねり合った仲ですね!」
「やかましいわ!」
そんな訳で、本日の予定は悪徳奴隷商のお宅訪問となってしまった。
温泉旅行に来てまで、俺は何をやっているのだろうか。
部屋に戻り、着替えの支度をしていると女将がやってきた。
「あの、クラタ様……」
「えっと、どうしました?」
散々追いかけ回されたのもあって、どうもこの女将は苦手だ。
見た目は物凄く好みなんだけどな。
「歯を磨いてもらえる約束でしたので……」
恥ずかしそうに上目遣いで訴える姿に一瞬、心を奪われてしまった。
俺は、ギャップ萌えに弱いのだろうか。
「分かりました。誠心誠意、磨かせていただきます」
妙齢の美人女将の犬歯を磨く経験なんて滅多にないだろう。
……まったく、俺も何をやってるのやら。
支度を終えて温泉街の入口に集合した。
集まったのは、アルジットとトルゲとアイニ、それに俺の四人だけだ。
「ふふふ。ソウジさんは、四人だけでは心許ないと思いましたか?」
「いや、それよりもアイニの恰好はなんだ?」
アイニは何故かメイド服である。
物凄く新鮮だなあ。
「クラタの旦那も好きですねえ」
「いや、好きとかそういう話ではなくてだな……」
「分かってますって。クラタの旦那もメイドがお好みと。良かったですね、アイニのお嬢さん」
「は、はい……」
勝手に俺がメイドが好きという事にされているのだが。
まあ、普通に好きだけどな。
「今日のアイニ嬢は、私の使用人の役なのですよ。その方が相手に怪しまれないでしょう」
なるほど。潜入捜査の基本というやつだな。
「それで、今回四人だけというのも、相手に警戒されないためです」
確かに大勢で向かったら、速攻で警戒されるだろうなあ。
「分かった。それで、その大物とやらはどこにいるんだ?」
「こちらです。ついて来てください」
ちなみにだが、俺は普通にアルジットの護衛役となった。
トルゲは秘書役だそうだ。
温泉街を抜け、ケンベルナの商業地区を進む。
この辺りまで来ると、普通の街と変わらない雰囲気だ。
そのまま、治安のあまり良く無さそうな地域に足を踏み入れた。
メイド姿のアイニを連れているせいなのか、ガラの悪そうな男達から下卑た視線を向けられる。
そんな視線に慣れていないのか、アイニが身を硬くして緊張している様子。
「大丈夫か? 怖かったら、俺の近くにいろ」
男達からの視線から守るようにアイニの隣に移動してやる。
これも護衛の仕事と思っておこう。
「あ、ありがとうございます。今からこれでは駄目ですね。あはは……」
「無理はするなよ」
怖いんだったら、最初からついてくるなと言うのは簡単だ。
彼女なりに『領主の娘』として、責務を果たしたいのだろう。
まったくもって、面倒な性格だよな。それが彼女の良いところでもあるが。
それから程なくして、悪趣味な屋敷に到着。
いかにも悪役がいますよって主張しているが、普通はもっと目立たない感じにすると思うのだが……。
「こういう方が分かりやすくていいじゃないですか」
アルジットは気にせず門番に訪問の旨を伝える。
二人いる門番の片割れが屋敷の中に入ると、すぐに戻ってきて屋敷の中に案内された。
通されたのは、なんというか悪趣味な応接室だ。
無駄に豪華な調度品やら、どぎつい色のカーテンに絨毯。
金は掛かってそうだが、センスの欠片も無い。アルジットの屋敷とは大違いである。
無駄にごついテーブルにアルジットが着く。
その隣にトルゲが座り、俺とアイニは背後に控えた。
「ブォッフォッフォッフォ。よくぞ参られた」
そう言いながら現れたのは、これまたお約束な悪役顔の太った男である。
男の背後に護衛の人相の悪い男が控えていて、こちらを一瞥した。
「お忙しいところ、お時間をとっていただきありがとうございます。ドンドレッブ殿」
アルジットが恭しくお辞儀をする。
今日のアルジットは、お忍びの貴族のアルゲートだそうだ。
本当に何をやっても様になる男だよな。中身はアレだけど。
「ブォッフォッ。そうかしこまらなくてもよろしいですよ。今日は商談なのですからね。それはそうと、そこのメイドを売ってくれませんかねえ? 器量も良いし、高く買わせてもらいますよ」
ここまでゲスいと逆に笑えてくるな。
「ふふふ。ご冗談を。彼女は私のメイドですので、奴隷ではありませんよ」
「ブォッフォウ。そう言われてしまうと、益々欲しくなりますねえ」
ふふふ……。
ブォッフォッ……。
なんかよく分からんが、既に戦いが始まっているらしい。
「ブォッフォ。今日はアルゲート卿のお好みに沿う奴隷を用意しました。おい、連れてきなさい」
ドンドレッブとやらが奥に声を掛けると、部下の男が獣人の少女を連れてきた。
嫌がる少女の首には首輪がつけられていて、その首輪から伸びる鎖を男が無理矢理に引っ張る。
「おらあ! とっと歩け!!」
「や、やめ、てくだ……さいっ……ご、ごめん、なさい……殴ら、ないでっ……くださ……い」
ああ、こういう展開か。
アルジットに目を向けると、意味深に頷いた。
「ひどい……」
アイニが思わず目を背ける気持ちも分かる。
俺も胸糞悪くて仕方がない。
「ブォッフォッフォ。どうですか? とても気性が荒かった娘ですが、躾けはしっかりとしておきました。いやあ、心を折るのに大変に手の掛かる娘でしたよ。安心してください。一応まだ生娘ですので」
躾けだって? 想像もしたくないが、相当にひどい事をしたのだろう。
あの少女の表情は絶望と諦めだ。
「おお、素晴らしい!! 流石は奴隷の扱いに右に出る者はなしと評判のドンドレッブ殿ですね!!」
「ブォッフォッフォッ。そう褒められても値引きはしませんよ?」
「────なんて言うと思ったのですか? この下衆野郎が」
アルジットが抜剣して目にも見えない速さで一閃した。




