ふたり
全てを思い出したソウは、ふと目を開けた。
目の前には、突き抜けるような青空が広がっていた。気持ち程度の雲はあったが、文句無しの快晴だ。
サワサワと海の匂いのする風が、ソウの白髪を撫でた。
(ここは……?)
自分はドローンに撃たれて死んだはずだが。ここが天国というところだろうか、てっきり自分は地獄に連れて行かれると思っていたのだが。
「起きた?」
すぐ隣で、優しい声がした。
恐る恐る顔を向けると、そこにはこの世で一番大切な人が笑顔を向けていた。
「ああ、ここ天国なんだね」
なぜか彼女は頭から布を被っていて、ここからでは右半分しか顔が見えない。でも幻でもなんでもいい、イアに触れたい一心でソウは手を伸ばした。だが、意外にもそれはしっかりとした力で掴まれた。
「ふふ、まだあの世じゃないよ」
「え」
言われて、ソウは体を起こして辺りを見渡した。銃弾で穴だらけになったコンクリートの床、所々こそげ落ちた壁、その向こうに一周して見えるのは穏やかに光る海。そして、見覚えのある給水塔。
間違いなく、研究所の屋上だった。
「ど、うして。俺、撃たれて死んだはずじゃ」
「うん、危なかったよ。でも頑張って蘇生させた。賭けだったけど、さすが将校クラスの魔族だね。数ヶ月で蘇生できたよ」
信じられず、イアを見る。布に隠れていない方の目を細めて、本当だよと手を握った。
その瞬間様々な感情がソウの中を駆け巡り、思わずソウはイアに抱きついた。
「イア、イア!」
相変わらず細い体だったが、それでもイアは手を背中に回して抱きしめ返してくれた。
まさか、またこうやって彼女を抱きしめられる日が来るとは。
「もう、絶対離さない……!」
いや、離さないだけではダメだ。自分を大事にしないイアは自ら離れて行ってしまう。何とかして彼女をつなぎ止めておかなければ。
「あのね、聞いて、イア」
体を離して向き直ると、こっそり一つ深呼吸して、きょとんとする愛しい人の手を握った。
「俺、イアが好き。大好き。ここで初めて会った時から、ずっと」
「!」
「だから、そばにいて欲しい。もう、勝手にどっかにいかないで欲しい、死のうとしないで欲しい。じゃないと俺、多分イアの後を追うよ」
想いをはっきりと口にするのは恥ずかしいし、拒否されたらと思うとすごく緊張するのだということを初めて知った。でも、勝手に死なれるよりは百倍マシだ。半分は脅しになってしまったが、それがイアのストッパーになるならどんな言葉だって言う。
俯いたイアは、小さな声で呟いた。
「……嬉しい、ありがとう。でも……」
でも、の後の言葉を待ったが、彼女は無言を貫いていた。これは自分の好意を受け取ってもらえなかったということだろうか。そう思った瞬間、ソウは鉛を飲み込んだような気分になった。
でも、最悪それでもいい。目の届く範囲からイアがいなくならないのなら。
「俺の気持ちが迷惑なら、もうイアの前には現れない。その代わり、近くにいさせて。いつでも君を守れるように」
「迷惑じゃない!」
大声でそう言われて、色んな意味で心臓が跳ねた。
「迷惑なわけ、ない。でも……ごめんね」
そのごめんは、何に対してのごめんなのだろうか。何かを言いたそうにしたイアは、思い直したように口をつぐんだ。明らかに、様子がおかしい。
「イア? どうしたの?」
半分しか見えない顔で、イアは笑った。だがそれはこれまでのものとは違う、とても寂しげなそれで。
嫌な予感が駆け巡り、ソウは何も考えずにイアが被っていた布を剥ぎ取った。
そこには。
「……!」
あの綺麗な灰色の瞳があるはずの場所にぽっかりと空いた、黒い穴。曝け出された、白く硬い骨。
イアの顔の左半分の肉は、存在していなかった。
声にすることが出来ずただ凝視していると、イアが困った顔をした。
「驚かすと思って、隠しておいたんだけど」
張り付いた喉で一旦唾を飲み込み、ようやく声が出せた。
「それ、何で!」
そこまで言って、気付いた。自分の体の魔力が、ほぼ完全な状態になっていることに。
「ま、さか……イア、コアを、俺に」
「元々そのつもりだったし、こうでもしなきゃキミを助けられなかったから」
「でも! じゃあ、じゃあイアは!」
「ごめんね」
そう言って、イアは白い手をソウの頬に伸ばした。ソウは滲む視界を無視して、それを思いっきり掴んだ。
「どうして! そばにいてって言ったのに!」
「ごめんね。その約束、ちょっと守れそうにないや」
砂を掴んだような感覚に、ソウはハッとして手元を見た。イアの柔らかかった小さな手は、みるみる肉が風化して骨だけになりつつあった。
「そんな! 嫌だ! 今度こそ、一緒に生きたいって……!」
必死に掻き抱いたイアの体が、崩れるようになくなっていく。また、掴んだと思った命が薄くなっていく。
「ソウ、ねえ、ソウ」
カラカラと軽い音を立ててイアの骨が床に散らばる。胸から上だけになったイアが、あの時のように綺麗に笑った。
「あのね、ワタシも、ソウが、」
ザア、と音を立てて、彼女は骨になりきった。
「ぁあ、」
イアだったものが、風に舞って消えていく。
掴もうとするのに、それは逃げるように手からこぼれ落ちていく。
苦しい。息ができない。体中のあらゆる場所が、潰れていく。
「あ、ああ、あああああぁぁぁあああぁぁぁああああ!!」
獣のような悲鳴が、空と海に吸い込まれていった。
肺の中の空気がなくなろうと、喉が潰れて声が出なくなろうと、いつまでもその慟哭は鳴り止むことはなかった。




