カーテン・コール
この浜辺には、毎日のように何かが流れ着く。朝目覚めるとここにきてそれをチェックするのがウーゴの日課だった。
前にイアに尋ねたら、この周辺はたくさんのチョウリュウが集まる場所だから、と言っていた。よくわからないが、まあそういうことなのだろう、とウーゴは思う。
さて、今日は何があるかな、と手を体の後ろで組んでいつもどおり歩いていると、何かが朝日を受けてキラリと光った。
不思議に思い駆け寄った。どうやら、何かの瓶のようだ。
「中に、なんか入ってる」
ウーゴの顔ほどもある大きな寸胴の瓶は、ガラスよりも軽い。透明なその中に、チャック付きのビニールに入った紙の束のようなものが見えた。
「変わった本だなー。なんて書いてんだろ? おれ、字まだあんま読めないんだよね……そうだ、クラウスなら読めるよな!」
ちょっと前から、クラウスはここの住人になっていた。彼女たちを見届けるギムがあるとかなんとかわからないことを言っていたから、まあそういうことなのだろう。今はどこかへ出かけているらしいイアに変わって、先生とお医者さんもやってくれていた。
早速ウーゴはクラウスの住んでいる廃墟に向かう。足の速さなら近所の誰にも負けない自信があった。
「クラウス!」
ドアのない入口をくぐり、奥のベッドで寝ていたクラウスに飛びかかった。
「ウ、ウーゴか? どうした、朝早くに」
まだ少し眠そうなクラウスが、枕元にあったメガネをかけた。
「これ、浜に落ちてたんだ! 中に本が入ってるだろ、読んで!」
「んん? メッセージボトルか?」
そう言って、ウーゴは瓶をクラウスに押し付けた。だが、だんだんとクラウスの顔が険しいものへと変わっていく。
「これは……研究所で使っていた特殊サンプル瓶じゃないか。しかも中に入ってるのは……何かの論文か?」
赤い蓋を回して、クラウスが中身を取り出した。チャックを開けて、その中の紙の束を取り出すと、間から何かがヒラリと落ちた。
「あっ! おれこれ読める、『ソウへ』って書いてるよな!」
茶封筒には、これまで何度も見てきた綺麗な字で確かにそう書かれていた。
「……! 間違いない、イアくんの字だ。じゃあ、これは」
クラウスが、紙の束をめくっていく。細かい字がびっしりと書き込まれたそれには、棒が何本も並んでいたりグネグネとした線が重なっていたり、なんだかよくわからない図もあった。
なんだか面白くなさそうだな、とウーゴが感想を持ったそれを逆に食い入るように見ていたクラウスは最後の一枚をめくると、不意に唇の端を上げた。
「……なるほど、イアくんらしい。なんとなく、事情は飲み込めたかな」
「え?」
ウーゴが首を傾げると、手に持っていた茶封筒をヒョイと取り上げられた。
「これはイアくんがソウくんに宛てた手紙だ、彼に渡さなければ。我々は、彼らが帰ってくるのを待とう」
死のう。結局、ソウはその結論に達した。
屋上から動くことができずに、ずっとイアの骨を抱えて考え抜いた答えだった。
もうどのくらいの時間泣いて、疲れて寝て、起きてまた泣いて、を繰り返したかわからない。ソウは魔族だ、その気になれば一ヶ月は飲まず食わずでも生きていける。
ただ、雨が降らないでよかったな、と思う。イアはただでさえ骨だけになってしまったのだ、雨なんて降ったらきっと寒がる。
「ね、よかったね、イア」
満天の星空の下、髑髏を掲げてソウは少しだけ笑った。
さて、死ぬとは決めたがどこで死のうか。ソウはイアを撫でながら考えた。
ふと、もしかしてイアも同じように考えたのかな、と思った。自分を蘇生させた、と言っていたから、それはおそらく研究室で行われたはずだ。でもソウが目を覚ますとここにいた。きっと彼女は、ここを死に場所に選んだのだろう。
空が見えて、海が見える。二人が、初めて出会ったこの場所を。
「────っ、」
腫れ上がった瞼の奥が、飽きもせずに再び熱を持ち始めた。
もうそれを拭うのも億劫だった。顎を上げて、潰れそうな喉の痛みに耐え、少しだけ泣いた。
「やっぱりさ、イア。帰ろう」
焼け付くような痛みの喉でそう呟くと、我ながらいいアイディアだと思った。
彼女が選んだこの場所で死んでもいいけど、俺は帰りたい、あの家に。
立ち上がると、疲労がたまっているのか鈍い頭痛とめまいがしたが、あの家に帰れると思うとそんなことも気にならなくなった。
ソウはコンクリートの上に散らばったイアの骨を集めて、彼女が顔を隠すのに使っていた布を広げてその上にできる限り集めた。風呂敷の要領でそれを大事に包むと、頭蓋骨だけは別に胸に抱えて飛んだ。
「イア、大丈夫? 寒くない?」
────大丈夫、ワタシはドールだから。
そんな声が聞こえてきたような気がして、でもソウはイアを丁寧に抱え直した。
しばらくすると、懐かしい景色が見えてきた。もう故郷とも言うべきカダミアの、ガラクタとゴミの山が。
飛行機の突き刺さる浜辺を抜けて、電車とバスの残骸を飛び越えた先に、小さな四角い建物が見えた。
主とともに玄関に降り立ち、ソウはドアを開けた。ここを出て行った時と変わらない景色が、ソウたちを迎えてくれた。
とりあえず中央のテーブルに、イアの体と頭を大事に乗せた。
(さて、どうやって死のうかな)
椅子に座って、テーブルに突っ伏すようにイアと顔を向け合った。
すると、ふいに玄関がノックされた。
「ソウくん、いるか?」
クラウスの声だった。今は夜中のはずだが。
「……? どうぞ」
ドアが開けられたその先には、何かの紙の束を抱えたクラウスが立っていた。
「よかった、帰ってきたんだな。これも運命ということなんだろう」
「? なんのこと?」
「イアくんは……そこか?」
悲しげな顔で、クラウスはテーブルの上の軽くなったイアを見た。だが、あまり驚いた様子はなかった。
「知ってたの? イアが、こうなったこと」
「なんとなくはね。……浜辺に、イアくんからメッセージボトルが届いたんだ」
「!」
「これを、読んで欲しい」
そう言って、クラウスはひとつの封筒を差し出した。そこには、ただシンプルに『ソウへ』と書かれていた。
「こ、これ」
「ああ。イアくんから、君への手紙だ。安心してくれ、誰もその中は読んでいない」
震える手で、中から手紙を取り出した。クラウスが壁掛けランプを点けてくれたので、その下に移動して広げた。
────ソウへ────
ああ、イアの字だ。まだ題名しか読んでいないのに泣きそうになった。
イアはもうここにいないのに、彼女の文字はこうやって残っている。文字には触れられる。それが不思議でたまらなかった。
────今日は、キミへのコア逆抽出を始めてちょうど一ヶ月になったよ。キミが目を覚ますには多分もう数ヶ月かかっちゃうと思うけど、待っててね。
さて、キミがこれを読んでいるということは、ワタシはきっと骨になってるんだと思う。
そしてキミは多分、ワタシの後を追って死のうとしていると思う。
……何考えてるの。命懸けでキミを助けたんだから、キミは生きてよ。────
「!」
見透かされている。思わずソウは口角を下げた。
(だって、だってイア。もう俺には生きる理由がないよ。早く君に会いに行きたいよ)
────でも、こうやって怒っても、キミはきっと死のうとする。
ワタシがキミの立場でも同じことをするだろうから、それが止められないこともなんとなくわかってる。
でも、絶対にキミを死なせたくない。
だからワタシは、いくつかの奇跡を信じて、運命に身を任せようと思う。────
(……?)
よくわからないまま、次の紙をめくる。
────そのためにはまず、以下の項目の奇跡が起きる必要がある。
一.この手紙が、キミのもとへ届くこと
実はこれが一番確率が低いんだけど、これを読んでいる時点でクリアしてるから大丈夫。
二.クラウス先輩が近くにいること
これは五分五分の確率だと思う。でもクラウス先輩がワタシの知ってる先輩のままなら、きっと彼はキミの近くにいると思う。
人は、良くも悪くもそう簡単に変わらない。変われない。それこそ、たとえ一度死んだとしても。
彼はドール研究の第一人者だから、添付した論文を誰よりも理解してくれる。────
思わずソウは顔を上げた。どうした、とイアの先輩であった男は椅子に腰掛け首を傾げた。その手に持つ紙の束には、『遺伝子情報からの人体完全復元』というタイトルが見える。
ソウは再び手紙に視線を戻した。
────三.ワタシのある程度の骨を持っていること
遺伝子情報がわかるものならなんでもいいんだけどね。まあキミのことだから、きっと欠片の一つも残さずに持ってくれてると思う。
そして、これが一番大事なこと。
四.キミが、なるべくたくさんワタシを覚えていること
ワタシがもう一度、自律思考を確立できる可能性は極めて低い。けど、コアとなるキミの魔力の中にワタシに関する記憶があればあるほど、それが核化した際に影響を受けたアクセプターが活性化して基底となる体の方に植えつけられた情報を掘り起こして共鳴しようとするはず。
つまり、元通りになれる可能性が上がる。────
ソウは知らず知らず、手紙がシワになるほど握りしめていた。
内容はさっぱり理解できないが、彼女が言いたいことがわかったからだ。
────この四点の奇跡が一つも漏らさず起こるくらい、運命に導かれているのだとしたら……ワタシは、ドールとしてまた生き返ることができる。
その代わりキミのコアをまたもらうことになるから、キミは小さくなったり大きくなったりするだろうし、ワタシが生き返ったとしても今度は感情も記憶もない完全なドールになってしまうかもしれない。
それでもいいと、キミが思ってくれるのだったら。キミを死なせないために、ワタシはこの手紙を残す。
……ううん、正直に言う。ワタシも、キミに会いたい。ずるいことを言うなら、またキミの隣で笑い合いたい。
ワタシの罪は消えないけど、もし次に生き返れたなら今度は別の償い方を探してみようと思う。
その時、キミが隣にいてくれるなら、きっとそれ以上の幸せはない。
この手紙が、キミのもとへ届く奇跡を信じて。
イア・グレーン────
「────イア、俺の答えは決まってるよ」
ソウは手紙をテーブルに置き、イアの頭を抱きかかえた。そしてその冷たい額に、自分のそれを押し付けた。
「もう一度、君に会いたい」




