1.ダパ族のシャズ
ダパの少年シャズの冒険をお楽しみ下さい。毎週火曜日と土曜日更新です。
水平線を眺めながら、シャズは物思いに耽っていた。時刻は中天。波は穏やかで、珍しいくらいの快晴だ。場所は南の岸辺に建てられた櫓灯台。海風に負けないよう頑丈に造られたその上で、船の一隻も通る事の無い寂しい海を眺めている。彼の背中はその寂しげな景色とは反対に、楽しげですらあった。
「なあ、ドーナ」
シャズが横にいるはずの相棒に声を掛ける。
「……ドーナ?」
しかし、反応は無く、辺りを見渡すと反対側で寝転んでいるドーナを見つけた。
「またか。おい、起きろって。親父さんに言っちまうぞ」
ドーナがサボるのはよくある事だが、一人で灯り番をするのは癪なので、揺り起こす事にする。
「……ん?んあ?」
丸々と膨らんだ腹を揺する事しばし、寝ぼけ眼で上体だけを起こしたドーナは、シャズを視界に入れると不思議そうに首を傾げた。
「あれ、もう夕飯?」
「馬鹿言うなよ。まだ昼だ。ほれ水」
シャズから水袋を受け取り、口を付ける。
「そっか、じゃあお昼ご飯だね」
「さっき食ったばっかだろ」
「あれ、そうだっけ」
抜けたところがあるドーナだが、シャズとは幼馴染で共に見張り番をする程度には仲が良い。迷惑を掛けられる事も多いが、最も信頼を置く友でもある。
「なあ、ドーナ」
「なんだい」
「前に船が通ったのはいつだっけか」
「んー半年前?一年前?覚えてないや」
「今度は乗せてってくれないかな」
「またその話ー?」
ダパ族が住む南の半島は外界と隔絶されており、ラパラと言われている。なんでも共通語で最も南に位置する土地と言った意味があるそうだ。そんな南の果てにも船がやってくる。ラパラを経由してトリアン大陸の反対側に出ようとする商人や冒険家達だ。彼らはダパ族に外貨をもたらす、と同時に若いダパにとっては唯一の外の世界を知る手段でもある。
「シャズは船に乗ってラパラを出たとして、外の世界で何をしたいのさ」
呆れ顔のドーナがシャズに聞くと、彼は目を輝かせて口を開いた。
「そうだなぁ。まずは金を稼ぐ!」
「なるほど。お金は大事だよね。それから?」
「船を買って、世界を旅するんだ!」
「うんうん、それからそれから?」
「あーと、あれだ。可愛い嫁さんを見つけて」
「それは外の世界で見つかるものなの?」
「う……」
ドーナのおっとりとした様子とは裏腹の鋭い指摘にシャズは黙り込んでしまった。居た堪れなくなったドーナは話題を逸らす。
「でも、可愛いお嫁さんはいいよね」
「だ、だよな!」
「僕はシンリーちゃんみたいなお嫁さんがいいなぁ」
「ドーナはシンリーに惚れ込んでるなぁ。いつもそればかっかじゃないか」
シャズ自身は好みでは無いが、そのおっとりした性格で密かな人気があるシンリーのふっくらとした姿を思い浮かべる。
「今度のお祭りに誘ってみようかなぁ」
「だったら、もうちょい痩せろって。今のままじゃパタグマと見分けがつかないぞ」
ドーナの丸々とした体躯を見つめる。パタグマと言うのはダパ族が飼育する牧畜で、彼らの二倍はあるまん丸の体をしており、よく餌を食べよく肥える。祭りの際はご馳走として振る舞われる事もある。
「シャズは?」
「ん?」
「どんなお嫁さんがいい?」
「そうだなぁ……」
シャズは理想の女の子を思い浮かべる。スラッとした体躯で、ちょっと口が煩いぐらいがいいかもしれない。それでもって、長い間留守にしても怒らないような……
「ひえっ!」
「え、どうしたの?」
「いや、なんか母ちゃんが浮かんできて……」
「ぷっ、あっはっはっはは」
ドーナがシャズの憮然とした表情を見ながら、腹を抱えて笑う。それはそうだろう、理想の女の子を聞いたら、母親を思い浮かべたのだ。いつもは強情張りで、母親なんぞなんぞのもんやと強気のシャズが、である。
「カナカさんは抱擁力があるよね。僕もあんな女性なら、ぶふっ」
「おい!笑うなって!」
二人の若いダパは、水平線を眺めながらたわいない話を続ける。だが、そんな平和はあっという間に崩れた。突然、櫓が激しく揺れ出したのだ。
「なんだ!」
「うわわわわ」
大地が揺れていた。それはまだ経験の浅い二人には未知の出来事。櫓は木組みの簡素な造りだ。当然激しい揺れに耐えられるはずも無く大きく傾き始める。
「まずい!倒れるぞ!ドーナ!」
「ど、どうしようシャズ!」
「飛び降りるぞ!」
「うん、わ、分かった!」
櫓灯台の高さは凡そ十三尺。並の人ならば助からない高さだ。しかし、彼らはダパである。シャズは傾き始めた手摺を跨ぎ、宙へと身を投げた。彼らダパには手の先から腰元に掛けて大きな飛膜がある。それは空を滑る為にダパが獲得した特性。広げられた飛膜により、滑空し、無事着地をする。
「はあはあ」
「シャズ!助けて!」
激しい動悸を落ち着けようと、深呼吸をするシャズが振り返ると、草叢に嵌まり込んだドーナを見つけた。どうやら飛距離が足らず草叢に頭から突っ込んだらしい。
「たく、何やってんだよ。シンリーが見たら失恋間違い無しだぞ」
「お願い、黙っててよー」
自身の体重の二倍近いドーナを引っ張り出しながら、倒壊した櫓灯台を眺める。それは完膚なきまでに崩れて、最早ただの丸太の山と化していた。
「こりゃあ、作り直しだな」
「怒られるかな?」
「大丈夫だろ。それよりさっきのは何だよ」
「凄い揺れてたね」
「ここだけじゃないかもな」
「え、じゃあ村の皆が?」
「そうだな。心配だし、今はこのままにして早く帰ろう」
「そうか!お母さんとお父さんとおじいちゃんと可愛いチビのモモも心配だよ!」
シャズの言葉にハッとした表情をしたドーナはそう言いながら走り出す。その慌てように呆れながらも、シャズも村への道を急いだ。
ダパの村は小さな谷に作られる。若いダパは谷の上部、つまり崖の部分に住むのが習わしとなっており、谷間の家々は太い樹皮のロープによって結ばれている。これは索道ど呼ばれ、これを使って家々を行き来するのだ。やがて、飛ぶことの出来なくなったダパは低地と呼ばれる川辺に居を移し、その余生を送るのだ。シャズが村に帰って来ると、大騒動が起こっていた。人々は右往左往し、あちこちから悲鳴が聞こえる。二人は別れてそれぞれの家族の下に向かう。
「母ちゃん!」
「シャズ。良かった。無事だったのね」
「兄ちゃん!」
家に駆け込んだシャズは母親であるカナカと弟のバッジを抱き締める。
「なんとも無いみたいで安心したよ。父ちゃんは?」
「今は二軒隣のタワワさんのとこよ。お家が崩れたとかで、男手が必要らしいわ」
「そうか、じゃあ、俺もいかなきゃな」
「そうね。でも、用心しなさいよ。まだ崩れ易いところもあるらしいから」
「家は任せて!」
「おう、母ちゃんも頼んだぞ!」
バッジは突然の非日常に興奮気味のようだ。それはそうだろう。地面が揺れるなんて体験はシャズの人生の中でもこれで二度目だ。まだ幼いバッジにとっては初めての出来事で、今日は中々寝れないのではないだろうか。
「父ちゃん!」
「お、シャズ、大事ないな」
タワワさんの家の索道を繋ぎ直す作業をしていたのだろう。一抱えもあるロープを持った父親の姿があった。
「家が崩れたって聞いたけど」
「ああ、他にも何軒か崩れちまったらしい。タワワんとこは基礎が生きてるから今日中に建て直しちまおうてなってな」
「そうなんだ。じゃあ手伝うよ」
そう言って、ロープの端を持つ。作業をしながら聞いた話だと、崩れた家はあるものの、多少の怪我だけで済んだ人が多く、死人は出ていないとのこと。流石ダパの民だ。逃げ足が速い。
「よっとこんなもんか」
壁面に柱が戻り、何とか幕を張れるぐらいになった。ここまで済めば、雨風を防げる。
「おーい、皆ここまでにしよう。続きは明日だ」
シャズの父、ダダが声を上げると、それぞれが家路に着く。タワワさんも安心したようで、感謝を皆に伝えていた。
「待ってくれダダ。村長が話があるってよ」
「ん?分かった。悪いなシャズ、先に帰っててくれ。母ちゃんにすぐ帰ると伝言頼む」
「分かったよ。父ちゃん」
ダダは他にも呼ばれたらしい男衆と連れ立って、川辺の村長の家に向かっていった。
「それにしても、誰も死んでないなんて、運がいいな」
ダパ族の村はいくつかある。うちの村のように無事だといいなとシャズは思いながら、小さく呟く。きっとダパは神様に愛されているんだ。そう考えるシャズだった。
父親はその日帰って来なかった。帰宅したのは翌朝、空が白んだ頃。その顔は厳しい。
「シャズ。明日ダパタンに行くぞ」
心配する家族を尻目に、開口一番それだけ告げて、ダダは眠りについてしまった。
「ダパタン……」
「いいなぁ、兄ちゃん。おいらも連れてってよー」
「これ、バッジ。遊びに行くんじゃないんですよ」
ダパタンとはダパ族の中心地。ダパの御神木が祭られている村の事だ。祭りの時以外でその地に赴く事はまず無い。この大変な時期にダパタンに行く。シャズにはどうにも嫌な予感がしてならなかった。
翌日は朝から快晴。口数がいつも以上に少ない父親と二人で村の出口に向かうと、ドーナとその父親のギーツが待っていた。
「あれ、シャズ達も一緒なんだ?」
「ドーナも?」
お互いよく分かっていない事を確認した上で、それぞれの父親に疑問符を投げ掛けるが、二人は黙してただ付いてこいとだけ言う。それにしても、色々と不安はあったが、ドーナと一緒なら安心である。
「なあ、なんだと思う?」
「もしかして、櫓灯台が崩れた事、怒られるのかな?」
「あ、その事言うの忘れてた!」
既に歩き出していた父親に追い付き、一昨日の出来事について報告する。ダダは呆れた顔をしたが、今はどうでもいいとだけ告げて再び歩き出した。
「違うらしいな」
「なんだろうね」
やがて、半日程歩くと遠目でも巨大と分かる樹が見えてきた。あれこそがダパの魂である御神木だ。だが、どうも様子がおかしい。常ならば、年中青々とした葉が茂るはずのその大木は、どうした事か枯れ果て、一枚の葉も残していなかった。
「御神木が……」
「枯れてる?」
二人の父親は一層険しい表情で、お互いに頷くと歩を進める。近付けばそれが酷い有様である事がよく分かった。根本の社には落葉が積もり、何人かの若者達がそれを必死に掻き集めている。
「来てくれたか」
「族長。ご無沙汰しております」
「お久しぶりです」
二人が挨拶するのは、立派な体格の壮年のダパ。彼こそがダパ族を束ねる族長ゾーガだ。その背後で社の境内にちょこんと座っているダパがいた。二人は少し驚いた顔をすると、その老年のダパに深い礼をする。
「おひょひょ。それらが己らの息子か」
「そうです。ババ様」
「ご健勝なによりです。ババ様」
「どうも、シャズです」
「ドーナです」
シャズとドーナもぎこちなく礼をする。彼女は祭りの時ぐらいしか人前に出てこないが、とても強い発言力があると噂の大婆様だ。
「他の連中はもう中で待ってる。早速始めるぞ」
ゾーガの言葉に促されるように社に入ると、中には数人のダパが座っていた。その中でも前に座る三人は、シャズと同年代のダパだ。体格の良いダパが確かロンズ。ひょろっとした背のダパがマルマ。一番右のいかにもお調子者と言った雰囲気のダパがドドランである。
「ひひ、そこに座りんしゃい」
大婆様に促され、彼らと並ぶように着座する。二人の父親は、他の三人もそうだが、彼らの背後に座る。
「さて、集まって貰ったのは他でも無い。御神木についてだ。見て分かるように、御神木は……」
「ゾーガ、控えい」
「はっ、ババ様。しかし……」
戸惑うゾーラを制して、大婆様が五人の若者の前に立つ。
「分かりきった事はよかろうて。さての。己らには知っておかねばならん話がある。昔々の事じゃ。その昔、ダパは獣に過ぎなかった。今のように言葉を話す事無く、家族を持つ事も無かった」
大婆様はその皺の深く入った眼を、五人にそっと向ける。
「一塊の獣として生き、死んでおった。そんな暮らしが長いこと続いたある日、一人のダパが知恵の実を口にしたのだ。それは神の戯れであった」
大婆様は懐から、掌大の果実を取り出す。それに指を差し込むと、中から爪の先程の種を抜き出した。
「神より知恵を授けられたダパは賢くなった二本の脚で歩き、より遠くへと飛ぶことが出来るようになったのだ。そして、その種子はこの地に根付き、御神木となった」
大婆様は種を抜いた後の実に齧り付く。
「うむ、この時期のムムルは美味だの」
隣でドーナの喉がごくりと鳴ったのをシャズは見逃さなかった。
「御神木。知恵の木はダパに叡智を授けてくれた。しかし、今その樹は枯れ、地が揺れた。真っ事恐ろしい事だ」
大婆様が五人にゆっくりと近付いて来る。
「ダパは滅びる。いや、それよりも酷いだろうの。何せ獣に戻るのだ。父を父と、子を子と認める事すら出来なくなるであろう」
「そんな!」
ドーナが思わず声を上げると、大婆様はその顔をドーナの目の前に持って来た。
「予言の時だ。五百年に一度、知恵の樹は枯れ、神に試される。猶予は一年。己ら五人の若者は北の果てへ赴き、知恵の実を持ち帰らなければならん。さもなくば、ダパの終焉となるであろう」
「北の、果て……」
シャズの呟きが聞こえたのか、大婆様は社の扉を開け放つと、北の山脈を指差した。
「北の果て。人の踏み入らぬ神々の国。ウィズダムへ」




