おまけ②:次代への教導
ある日の夜。
帝国の灯りが静かに揺れる頃、
皇帝の私室には皇后とその侍女だけが残っていた。
「……次代の“剣聖”を選ばねばならぬ。」
椅子に深く腰掛けたクロイツァーが、重い息を吐くように呟く。
「確かにそうね。制度としての“剣聖”は続いていかなくてはならないのだわ。」
長椅子に座るエレツィアが静かに頷く。
燭台の光が彼女の横顔を照らし、薄く影を落とした。
「候補はいる。第二騎士団で台頭している、アルフォンスという若い騎士だ。
……だが、その剣の才を鼻にかけて素行が非常に悪い。」
「まあ……。」
「“俺の剣は黒曜の剣聖を超えた”だの、
“皇帝陛下も俺を頼みにするに違いない”だのと、言いたい放題だ。」
その言葉に、室内の空気がひやりとした。
エレツィアの微笑の影に、怒れる母虎の気配が差す。
「“黒曜の剣聖を超えた”……ずいぶんな自信家ね。」
「……うむ。腕が本物な分、タチが悪い。
だから──ひとつ、“躾”が必要であるとは思うのだ。」
そう言って、クロイツァーは視線を皇后の隣に座る侍女へ移した。
「ソフィア。頼まれてくれるか。」
侍女は深く頷く。
「承知しました。兄上。」
「では、アルフォンスを帝都へ呼び出す。
数日中に、立ち合ってもらうことになるだろう。」
⸻
数日後。
意気揚々と帝都に現れたアルフォンスの元に、
皇帝から命令が届いた。
内容を聞き、アルフォンスは眉をひそめる。
「『侍女と立ち合え』……?意味がわからねえ。
帝都のお貴族様は暇なのか?」
だが命令は命令だ。
不満を飲み込み、第一騎士団の練兵場へ向かう。
そこには、既に多くの野次馬──第一騎士団の騎士たちが集まっていた。
さらに皇帝と、なぜか皇后。
そして立ち合いの相手である侍女が静かに立っている。
その姿を見た瞬間、アルフォンスは目を見開いた。
(……なんだ、この絶世の美女は。)
戦場に立つ者には見えない。
だが、気品のある仕草、澄んだ赤い瞳はどこか只者ではなかった。
侍女は侍女服のまま、静かに頭を下げる。
「ソフィア・カルシェと申します。
皇帝陛下の命により、お相手仕ります。」
その凛とした声に、アルフォンスは口の端を歪めた。
「アルフォンス・シードだ。
……おい、俺が勝ったら今晩付き合えよ。」
その言葉に──侍女の赤い瞳が細められ、きらりと光った。
「喜んで。
“あなた様が勝てれば”、でございますが。」
その一言で、アルフォンスの頭に血が上る。
「侍女風情が……いくぞ!」
一気に踏み込み、そのまま鋭く剣を振り下ろす。
容赦はしない。
顔と身体が無事なら、腕くらいは痛めつけても構わない。
アルフォンスが勝利を確信した、その瞬間。
風が吹いた。
アルフォンスの剣が、宙を舞った。
練兵場の砂に突き刺さり、静かに揺れる。
自分が踏み込んだ時、侍女は構えすらしていなかったはずだ。
侍女は剣を構え、ただ静かに立っていた。
「私の勝ち──でございますね。」
その声音には、侍女としての丁寧さと、剣士としての冷たさが混じっていた。
「まだ、まだだ!まぐれの一本など認めるか!」
砂上の剣を掴み、再度踏み込む。
裂帛の気合いを上げ、真の全力で挑む。
だが。
結果は一度も変わらなかった。
アルフォンスの剣は、侍女に届かない。
三合にも満たず、幾度となく剣が宙を舞う。
侍女の剣は必要な軌跡しか描かない。
その事実に、アルフォンスの背筋がひやりと冷える。
(模擬でなければ、一部の無駄もなく、俺の首を刎ねることができる……ということだ。)
その後も、何十回と挑み続け──ついに、膝が落ちた。
呼吸が荒れ、額の汗が砂に落ちて暗い色を作る。
対する侍女は、汗ひとつかいていなかった。
静かに見下ろす赤い瞳に、アルフォンスは言葉を失った。
矜持の全てが打ち砕かれる音がした。
そして、侍女の足元に跪く。
「……侍女どの。立ち合っていただき、感謝いたします。
私は驕っておりました。我が剣を超える者なしと。
剣とは、これほどの高みがあるのですね……。
これからは、より鍛錬に励みます。
あなた様が見せてくれた“頂”に、いつか辿り着けるように。」
立ち上がり、皇帝夫妻へ深く礼をする。
「陛下。このお方と立ち合わせていただき、感謝いたします。
……自身の未熟を痛感いたしました。」
クロイツァーが満足げに頷く。
「うむ。励むがよい。
貴様には“期待”をしているからこそ、この侍女と立ち合わせたのだ。」
だがアルフォンスは、ゆっくりと首を振った。
「……このお方すら“剣聖”ならず、一介の侍女に過ぎませぬのに。
私ごときが“剣聖”を名乗るなど、烏滸がましいことでございます……。」
クロイツァーは天を仰ぐ。
「いかん。“躾”が効きすぎたかもしれぬ。」
それを見ていた、第一騎士団の騎士たちと皇后は、
アルフォンスに悟られぬように同時に、静かに苦笑した。




