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食べても食べても足りないもの


「はあ……」


 これから夕飯だというのに、ネルは暗い顔をしていた。周りをただよう澱んだ空気のせいか視線を感じるが、知ったことではない。食事を作る気力さえどこかへ行ってしまったのだから。


 ヒューゴに会えない。理由はそれだけだ。

 しかし、恋する乙女にとって恋しい人に会えないということは、ほとんど全てのエネルギーを奪い去ってしまうほど重大な問題なのである。

 

 たしかに、はっきりと好きだとか惚れたとか愛してるとか言われたわけではない。

 だがネルの聞き違いでなければ、ヒューゴも自分ともっと一緒にいたいと言ってくれたはずだった。


 手だってつないだし(公園で少しだけだが)、あんなに照れてくれたし(なんかかわいかった、と何度も思い返している)、ネルとしては、これから毎日のように会えるつもりでいたのに。


 ここ五日、食堂をのぞいてみても、あの店に行っても会えないのだ。終業後に第一研究棟を見上げてしばらく待っても、なかなか出てこない。


 まだ五日。されど五日。いくら能天気なネルとはいえ、不安が大きくなってくる。 

 避けられているのでは、と。


 だとしたらなぜだろう。嫌がられるようなことをしただろうか。ネルは食堂の料理をトレーに乗せながら、自分の行いを振り返ってみた。


 一、かなり強引に手をつないだ。


 二、テンションが上がり過ぎて、店でヒューゴに「あーん」しようとした。


 三、帰り際に離れがたくて、話を無駄に長引かせた。


 四、そもそも告白のとき、胸ぐらをつかんだり逃げ出したりしている。



――やってた!


 ネルは愕然とした。取り落としそうになった皿を慌ててつかみ直す。

 もしかしたら、それらのことが原因でやっぱりナシ、と思われたかもしれない。あの日の彼は寝不足のようだったから、後から考え直したのかも。


 ますます落ち込んだネルが取った皿はトレー二枚に収まりきらず、往復してその倍のトレーを使用した。やけ食いである。

 こうなれば明日の休日もたくさん食べてやれと、ネルは買い出しの食材について考えを巡らせ始めた。




* * *




「こんにちは」


 街をぶらぶら歩いていたネルは、肩をトンと叩かれて振り返った。


「あ! こんにちは!」


 耳にかけた白い髪、穏やかな笑みと、あの耳飾り。

 ネルの心臓が音を立てた。本人ではなく、そのご家族に会ってしまうとは。

 これはもしかして、まずは家族に取り入って仲良くなれという何かの導きだろうか、などとよからぬ考えが頭をよぎる。


「また会えてうれしいわ」


 ふわりと笑った顔がまぶしい。ネルは即座に反省した。「すみませんでした、正攻法でがんばります」と心の中で謝りつつ、その腕の荷物に目を止める。


「ぜひ、今日も荷物を持たせてください!」

「ええ……?」


 ネルは戸惑う彼女の荷物を、有無を言わさず抱え込んだ。取り入ろうという魂胆ではない。善意である。




「ネルさんも、研究所にお勤めなの?」


 簡単に自己紹介をし合うと、アマンダと名乗った彼女は驚いた様子で言った。


「そうなんですよ! まだ新人も新人、しかも見習いですけどね。ヒュ……」


 慌てて口を閉じた。危なかった。アマンダがヒューゴの祖母だと知っていることを、言ってしまっても良いものかわからない。やっぱりナシと言われないよう、ここは細心の注意を払うべきだ。


 ネルがそんなことを考えている間にも、アマンダはのんびりと話をつなぐ。


「それならネルさん、うちの孫、ヒューゴっていうんだけど、もしかして会ったことあるかし……」

「会ったことありますよ! わーすごい偶然!」


 前のめりのネルの勢いに、アマンダの目は丸くなった。


「あら、そうなの」


 ちょうど良かった。これでヒューゴのことを話題に出してもおかしくない。ネルはかいてもいない額の汗を拭いたくなった。


「魔力の扱いを教えてもらいました。ヒューゴさんは教え方が上手ですし、ちゃんと話を聞いてくれるし、優しいですし、素敵な人ですよね!」


 そしてここぞとばかりにヒューゴを褒めちぎる。

 好きな人のことを誰かに語るのはこんなに楽しいことだったのかと、また新しい発見だ。


「まあ。あの子のことをそんな風に言ってくれるなんて、うれしいわ」


 アマンダは頬を緩め、感動した様子で胸に手を当てた。


「それにこんなにほめてくれるほど、親しい人がいたなんて……」


 ハッとした表情で言葉を止め、アマンダはネルを見つめた。何か失礼があったかと身構えるネル。

 彼女は少し迷ってから、内緒話をするように顔を近づけてきた。


「もしかして、ネルさん、ヒューゴとお付き合いしているの?」


――ハイ?


 その質問の答えは、ネルこそが今一番知りたいことである。しかし。


「な、ナゼ、ソノヨウナ……?」

「なんとなく。ネルさんの顔を見ていたらふと思って」


 アマンダは頬を染めて微笑んだ。

 その様子は大変可愛らしいが、ネルはいたるところから汗が吹き出してきた。どう答えようかと頭の中をぐるぐるかき回す。


「ソウデスカー、アハハ。ヒューゴさんは大先輩ですからネ、色々、教えてもらいましたケドー……」


 ネルのとてつもないぎこちなさを、アマンダは気に留めなかったようだ。パタパタと手を振って、恥ずかしそうに笑う。


「やだ、ごめんなさいね、変なこと聞いて。困るわよね。私ったらうれしくなっちゃって、つい」

「イエイエー」

「あら、着いたわ。ここなの」


 ネルが固い笑みを貼り付けている間に、目的地に到着したらしい。きわどい質問はそれきりとなって、ネルは心底安堵した。こんなに気をつかった会話は初めてかもしれない。

 

 お茶でもどうかと招かれて迷ったものの、ヒューゴの家に入れるという誘惑に、ネルはあっさり負けた。

 



「どうぞ、狭い家だけど」


 アマンダはそう言ったが、ネルは感動のあまり力が抜け、危うく荷物を落としそうになった。


 大きくはないが手入れの行き届いたその家は、植物と共に生きているように感じられた。


 小さな庭やバルコニーはもちろんのこと、室内の鉢にもたくさんの植物が生き生きと根付いている。まるで彼らは、ここにいられることを喜んでいるかのようだった。

 ヒューゴがあの店に通う理由がわかった気がした。


 居心地の良いリビングの椅子に誘われ、アマンダお手製のお茶をいただく。すうっとする香りで、頭がすっきりした。毎日飲んだら頭が良くなりそうだった。


 壁の棚にはずらりと本が並んでいた。少しきつそうだ。書斎や書庫では間に合わなくなって、生活スペースにも本が進出してしまったのだという。

 ネルは本を開いたときのヒューゴの目の輝きを思い出した。きっとここの本もあんな顔で読むのだろう。



 ヒューゴの家にいると思うだけでドキドキとわくわくが止まらないネルに、向かいに座ったアマンダから新情報が次々に入ってくる。


 幼い頃から本ばかり読んでいたこと、ここに来てからは魔法に興味深々だったこと、一緒によく料理をしたこと。それから一番驚いたのは、


「あれって、ヒューゴさんが作ってるんですか!?」

「そうなのよ。私も作るけど、無心で作ってると落ち着く、なんて言ってね」


 あの焼菓子を作ったのがヒューゴだったことだ。


 「私が話したって知ったらきっと怒るから、秘密よ」とお茶目に笑ったアマンダに、ネルはコクコク頷き返す。秘密は苦手だが、がんばらねばならない。


 知らないうちに彼が作ったお菓子を食べていたかと思うとムズムズする。またもらいたい。いつか手料理も食べてみたい。そのうち一緒に作ったりなんかして。


 妄想が膨らんで、ネルの頬はしばらく緩みっぱなしだった。



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[気になる点]  脳内の妄想が膨らみ過ぎて、ネルは顔がにやけるのが止められなかった。 若気る【にやける】 男性が女性のようになよなよして色っぽい様子 鎌倉・室町時代に男色を売る若衆を呼んだ言葉で、…
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