番外編⑭
「ごめんね?あの時は取り乱しちゃって……」
渚が晴太に告白し、晴太がそれを断ったあの日から四日後。前日の金曜日で夏季課外も終りようやく本当の夏休みが始まった栄第一高校。閑散とする昼前の教室に晴太と渚がいた。それぞれ窓の内側に着いている落下防止の手すりに背を付けて並んでいる。夏休みとあって廊下を通る人は誰もいない。開け放した廊下の窓からその奥に生い茂る木々ざわめきが聞こえてくる。
「え?いや、僕は大丈夫だけど……」
晴太はそう答える。全く問題がなかったわけではないが、それも含めて仕方がなかったのかも知れないと、晴太の中である程度の折り合いは付いていた。だから昨日、帰り際に渚から明日教室に来て欲しいと言われたときはさすがに驚いたが、もちろんどんなことを言われても受け止める覚悟でここに来ていた。それがまさか渚の方から謝られるとは思っていなかったので少し驚いてしまった。
しかしそんな晴太に対して渚は笑いかけた。
「久条くんは相変わらず優しいね」
「そんなんじゃないよ……」と晴太は答える。
「そんなことあるよ。だからこそ、傘咲さんも久条くんのこと好きになったんじゃないかな?」
「それは……」
晴太は言い淀む。さすがに、泣かせてしまった相手を目の前にして自分の優しさを認めるなんてことは雨音の名前を出されても出来なかった。しかし渚は特に気に止めていないようで、話を進める。
「それにあの時はあたしもやけくそだったっていうか……」
そう言いつつ渚は苦笑いを浮かべる。
「夏季課外が始まる前にさ、ちょっとあったじゃん?それから傘咲さんがずっと学校を休んでて、一週間経って久しぶりに学校に来たと思ったら前髪が凄く短くなってて。一体何があったの!?って思ったんだよね」
今度は少し嬉しそうに笑う渚。晴太は黙って彼女の話を聞いている。
「でもね、傘咲さんの顔を見てすぐに分かったよ。何かいいことがあったんだなって。それから久条くんも。ああ、二人は恋人同士になったんだなって、すぐに分かった。あの時は半分正解って言ってたけど……もう百パーセント、本物の恋人同士になったんだな……って」
最後の方は泣きそうに顔を歪めながら渚は言葉を絞り出した。晴太も少し苦しげに顔を歪めるが、それでも何も言うことは出来ない。
「だから慌てちゃって。今を逃したら、もう二度とこの気持ちを伝えられないかも知れない!って…………。だからまあ、勇み足だったんだよね」
最後は自嘲気味に締めくくる渚。だがすぐにニカッと笑うと俯く晴太の顔を覗き込む。
「だからさ!泣いちゃったのはあたしの問題だから、久条くんは全然気にしなくていいんだからね?優しい久条くんのことだからきっとあたしを泣かせたこと、申し訳ないとか思ってるんじゃないかと思って。でもほんと、これはあたしにしか解決できないことだから。期末テストの追試と同じだよ!」
「っ……!?」
太陽のような眩しい笑顔で語りかける彼女に思わず晴太は泣き出しそうになった。こんな素敵な女の子が自分を好きになってくれたのだと、ただただ嬉しかった。
「……ありがとう」
彼女が話し始めてからずっと、彼女の辛そうな顔を前にしてもなお、何も言うことが出来なかった晴太の口からようやくその一言がこぼれた。
「ところでさ、傘咲さんっていつから久条くんのこと好きだったのかな?」
しばらく二人は黙って窓の手すりに寄りかかりじっと廊下の向こうに見える緑を眺めていたが、ふいに渚がそんな疑問を口にする。
「えっ!?」
突然雨音の話題に変わり、晴太は少々面食らったが、記憶を辿って雨音の言っていたことを思い出す。
「えっと……確か、二年に上がってすぐの頃って言ってたけど……」
「そっか……」
渚はそう言ったきり俯いて、何かを考えているようだった。しかししばらくすると顔を上げ、晴太の目を真っ直ぐに見つめた。
「あたしも大体それくらいだよ。ほら、春休みの宿題見せて貰ったでしょ?」
「ああ、そんなこともあったね」
それは二年に上がってすぐ、クラス替えの直後でまだ多くの人が前のクラスの友達同士で固まっていたときだ。前のクラスに友達のいなかった晴太は当然のように一人でボーッと座っていた。そのとき、突然隣に座っていた女の子が話しかけてきたのだ。
「久条くん……だっけ?春休みの宿題とかって持ってたりしない……?」
「宿題?持ってるけど?」
晴太が鞄から冊子を出してみせると、その女の子は申し訳なさそうに目を逸らしつつ言った。
「あのー凄く申し訳ないんだけど……写させていただけないでしょうか……?」
「……やってないの?」
「やってるよ!?ちょっとはね!ただ少し難しかったって言うか、ほとんど白紙って言うか……」
「…………いいよ」
晴太はそう言って冊子を差し出す。
「いっ、いいの!?」
「うん」
「ありがとうございます!」
「えっと……」
そこで晴太はその女の子の名前を知らないことに気付いた。もちろん面識はないが、自己紹介は終わっているので、一度は聞いているはずだ。だから彼女は面識がないはずの晴太の名前を知っていたのだ。確かクラス名簿に書いてあったはずだと記憶を探っていると、その事に感づいたのか彼女の方から教えてくれた。
「あ、もしかしてあたしの名前分からないかな?あたし、海守渚って言います。よろしくね!」
「え、あのとき?」
「まあ、きっかけはね?それから仲良くなろうと思ってたくさん話しかけてるうちに段々……。それで、あたし的には結構仲良くなれたと思ってたんだけど、久条くんはそうでもなかったんだよね」
渚が不満げな目で晴太を見る。
「いや、まあ結構話しかけてくるな、とは思ってたよ?」
正直晴太の中ではそれくらいの評価だった。というか、そもそもこの学校で晴太が仲良しだと認識している人はいなかった。雨音や水と関わりだして、ようやく二人といった程度だった。
「うー、冷たい……」
渚は顔をしかめるが、ふとその表情を和らげる。
「まあ、それはそれとして」
そう言って一歩晴太の方に近寄る。
「え、なに……?」
晴太驚いて一歩下がる。それを見て渚は「えへへ」嬉しそうにはにかむ。
「あー。あたし、やっぱり諦めきれないなー」
「え……それはどういう……」
「やっぱり好きだなー」
渚の言わんとしていることが、晴太には分かるようで分からなかった。彼女の様子を見ていると、単に自分と付き合って欲しいという話でもなさそうだった。そうしているうちに渚は何か言いたげにモジモジと上目遣いに晴太を見やる。
「えーっと……?」
一体どうすればいいのかと晴太が困惑していると、意を決したように渚は口を開いた。
「あの時さ、友達になろうって言ったの、覚えてる……?」
それは確か追試の勉強を手伝ってくれたお礼にと、渚が自分の好きな店を教えてくれたときだった。二人でラーメンを食べて、それから本屋で少し時間を潰し、帰り際に駅前の広場でソフトクリームを食べた。魔方陣の技術を駆使した高性能なソフトクリームだ。それを食べているときに渚が言ったのだ。『友達になってあげようか』と。
「もちろん覚えてるけど、それがどうしたの?」
「あの時もあたし、やっぱり勇み足だったというか、ほんとはそんなこと言うつもりじゃなかったんだけどつい、言っちゃったんだよね」
恥ずかしそうにそう告白する渚を見て、どこかでそんな話を聞いたな、と晴太は思う。
「だけど……今は素直な気持ちで言える。久条くんと友達になりたい。友達になって、仲良くなって……あわよくば友達以上の関係になりたい!」
雨音ではなく自分を選んで欲しいと、そう渚は言っていた。晴太は既に雨音を選んでいるわけなので、それはつまり横取りをしたいということと同じだったが、渚の瞳はそんなことは覚悟の上だというように真っ直ぐで真剣だった。
「それがあたしの正直な気持ち。あの時とは違う、あたしなりにたくさん、たくさん考えた本当の気持ち」
渚が本気であることは疑いようがなかった。しかし晴太はもう雨音を選んでいる。雨音のことを好きになってしまっている。だからここで友達になったとしても、それはただ渚が余計に傷つくだけだ。それでも、また傷ついて涙を流すだけの覚悟で渚は今この場に立っていた。その覚悟が晴太にも十分伝わってきた。だからこそ晴太も、もう一度渚を傷つけ、泣かせる覚悟を決めなければならないと、そう思った。
その時だった。
投稿するか迷ったのですが、せっかく書いたので投稿することにしました。ここまで書かなくて良かったような気もしますが、どうしても渚のことが気になってしまって、書いてしまったのです……。




