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(28)水、再び

「お兄ちゃんどうしたの?心配ごと?」

 朝の食卓、夏希が心配そうに晴太の顔を覗き込む。

「何でもないよ」

 晴太は笑って取り繕うが、無論、心配ごとである。具体的には今日、渚に会ったときにどんな顔をすればいいのか、という心配ごとだ。いきなり気さくに話しかけてもいいのか。しかしいつも通りだとさすがに冷たすぎる気がする。はてどうしたものかと、家を出て電車に乗り学校の門を過ぎるまでずっと晴太はぐるぐると考え込んでいた。が、そんな晴太の心配ごとは一人の少女に一蹴される。

「おはよ、久条くん」

「わっ!」

 突然声をかけられて晴太が驚いて振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた渚の姿があった。

「どうしたの?そんなに驚いて」

「いや、いきなり声かけられて驚いちゃって……」

 晴太がそう言うと、渚はきょとんとした顔になる。

「いつもこんな感じだけど?」

 そう言われて晴太は記憶を探る。果たして自分と魚守渚はそんな気さくに挨拶を交わすような間柄だっただろうか。

「そうだっけ?」

「そうだよ。久条くんは気付いてなかったかも知れないけど、あたしたち前から結構仲良しだったんだよ?」

 渚に言われて晴太は再度首をかしげる。言われてみれば確かに、渚の方から話しかけてくることは多かったような気がする。しかしはっきりとは覚えていない。ただまあ、むしろ他人との会話をそこまではっきりと覚えている方がおかしいのかも知れない。

「あ、そうなの?じゃあ僕の計測ミスだね、距離感の」

「も~、ちゃんと測ってね?実践魔法の先生も言ってたでしょ?値は正確にって」

 二人はわいわいと話ながら校舎へと向かう。こうして晴太の心配ごとは渚本人によって一蹴された。しかしこうもあっさり解決すると、悩んでいたのがばからしくなるなと思っていると、ふと晴太の頭に、『大抵の心配ごとは関係者と話すことで解決する』という格言が浮かんだ。無論、そんな格言聞いたこともないが。


 その日の授業終了後、渚が晴太のもとにやって来た。

「ようやく夏休みだね~。こんな清々しい気持ちで夏休みを迎えられるなんて、久条くんのおかげだよ!」

 渚は大袈裟な手振りを交えてそう言った。晴太は苦笑いを浮かべる。明日が終業式なので、夏休みはその翌日から。追試が行われたのが先週なので、もし追試に落ちていれば夏休みに食い込んでいたことになる。去年の渚はそのパターンだったのだろう。

「あ、でも、どうせ午前中は課外があるけどね」と晴太は付け加える。

「うっ……それは言わないで……」

 課外という言葉を聞いた途端、渚の顔から清々しさが消える。

「しかも午後からは部活だし……。全く、あたしの青春って何なの!?」

「テニス部だっけ?大変だね」

 晴太は部活動をしていないが、部活動をしている人たちは大変だなぁとよく思う。特に運動部は、体力的にも学校の課題との両立が大変そうだ。

「うちのテニス部、弱いくせに練習だけはしっかりやるからねー。魔法道部とは大違い」

「魔法道部?」

 突然その言葉が出てきて思わず晴太は反応してしまう。まさに今、雨音が助っ人として参加している部活だ。

「そ。今年の2、3年が凄くやる気みたいで。練習量も去年の倍くらいあるんだってさ。しかも全国大会出場って結果も出してるし、すごいよね~」

「そうなんだ」

 そういえば今朝方、校門近くのフェンスに魔法道部全国大会出場と書かれた幕が掛かっていたのを晴太は思い出す。雨音なら直接伝えに来そうなものだが、それが出来ないということはやはり彼女もその練習をこなしているのだろう。果たして大丈夫だろうかと晴太は少し心配になったが、まあ雨音なら大丈夫なのだろうとすぐに思い直す。雨音は無理をするタイプだが、同時に無理が出来るタイプでもあるのだ。

「あ!そろそろ行かないと!」

 渚は時計を確認して慌てる。自分の席に置いてあった鞄とラケットを掴むと、くるりと晴太の方に向き直った。

「じゃあ、久条くん。また明日」

「また明日」

 晴太はそのまま、片手を挙げて渚の背中を見送る。


「また明日、ですか」


「!?」

 急に、背後から声がして晴太の心臓が跳ね上がる。恐る恐る振り返るが、そこには誰もいない。

「ここです、ここ」

 再び声が聞こえたかと思うと、何もないはずの空間がカーテンか何かのようにめくれた。そこから見覚えのある顔が覗く。

「え……水!?」

「お静かに!今あちきは透明マントをかぶっているので、他の角度からは見えないのです。だから一人で喋ってる変な人だと思われますよ」

 はっとして辺りを見回すと、実際何人かが訝しげに晴太の方を見ていた。晴太はそっと水の方に視線を戻す。透明マントをかぶっているという言葉通り、水の体は見えず、顔の一部だけが何かの隙間から覗くようにして晴太の後ろにあった。

「えっと、何のよう?」

「ほう、自覚がない。そうですか、そうですか。取りあえず署までご同行願えますか?願えますよね?」

 そう言うと水は、「ではあちきの後ろに着いてきてください」と再び透明マントをかぶる。

「着いてきてくださいって……見えないけど」

 晴太は呆れて呟くが、どうやら水自身もマントをかぶっているせいで周りに注意が向かないらしく、あちこちで机や人にぶつかっていた。

「取りあえず、あれについて行けばいいのかな」


 しばらく歩いて、晴太が連れてこられたのはいつもの理科室だった。水が研究室として使っている場所で、先日晴太が監禁されていた場所だ。といっても、例の事件の後も晴太は何度か来ているので、何てことはない。

「えーとそれで、僕は何で呼ばれたんでしょう……?」

 晴太が恐る恐る尋ねると、水はカッと目を見開いて叫んだ。

「この期に及んでまだ白を切るつもりですか!いいでしょう。決定的な証拠をお見せするので、そこに座ってください」

 水が指した椅子に座ると、晴太の体を透明な紐が縛った。

「え!?ちょっ何これ!?」

 見えない紐は腕もろとも晴太の胴体をしっかりと縛っていた。水はというと、晴太の方には目もくれず、何やら球体の機械をいじっている。晴太は突然の出来事に驚きつつも、内心またかと思っていた。

「はい、用意が出来ました」

 水はそう言うと何やらスイッチを押して白いスクリーンを下ろした。そして机の上に置いた球体の機械を触る。すると機械の前方から光が出て、スクリーンに丸く明るい部分が映し出される。

「映写機?」

 晴太が尋ねると、水は「はい」頷いた。

「ですが普通の映写機とは違います。目で見たものを映像として映し出せるように、少し改良を加えました」

「はぁ……」

 何をどう改良すればそうなるのか全くもって謎だが、そんなことをいちいち気にしていては話が進まないので晴太は曖昧に頷く。

「さて、晴太先輩。やはりあちきが何のようで先輩をここへ連れてきたのか、分かりませんか?」

「う、うん……」

「そうですか。ではこの映像を見ていただくしかないのです」

 そう言うと水は映写機に手をかざした。すると丸い光の中にぼんやりと色が浮かんで、徐々にそれが形になっていく。おそらく男女の二人組が……。

「……あ」

「ようやく分かったようですね」

 スクリーンに映し出されていたのは紛れもない、昨日の晴太と渚だった。ちょうど本屋で魔道書を見ている所だ。

「たまたま本屋さんで晴太先輩を見かけて、声をかけようとしたら……」

 見知らぬ女の子がいた、ということだろう。水はコホンと一つ咳払いをすると、晴太の顔をじっと見つめる。

「これ、デートですよね?」

「デートじゃないよ?」

「え?」

「え?」

 しばらく間が空く。

「えーーーっ!!!これはデートですよね!?男女が一緒に出かけたら、それはもうデートじゃないですか!!!」

「あっ、ちょっ落ち着いて……!」

今にも掴み掛からんとする水を晴太は何とかなだめ、話し合いに持ち込む。といっても、話し合うことな ど出来そうもない。晴太に出来ることといえば、言い訳っぽくならないように気をつけながら、水の誤解を解くことだけである。

「まず、これはデートじゃないんだよ」

「じゃあ逢い引きですか?」

「それはもっと違うけど」

 聴く耳持たずといった様子の水に、晴太は取りあえず成り行きを説明する。

「そういうことですか……」

 晴太の説明を聞き終えると、水は腕組みをして頷いた。まだ少し納得していない感はあるが、渚に勉強を教えてくれと頼まれたことを知っていたのがよかったのか取りあえずは誤解だと分かってくれたようだ。

「しかし晴太先輩。あなたは仮にも雨音先輩の彼氏なんですから。少しは身の振り方を考えた方がいいのではないですか?」

 映写機をいじりながら水が言う。そういえば断らないことを決めた要因は、雨音が『仲良くするのはいいこと』と言っていたからだったなと晴太は思い出す。晴太とて何も考えていなかったわけではない。たが、改めて第三者にそう言われると、何となくまずい選択をしたような気がしてくる。

「でも断るのもなんか悪いし、友達とか言ってたし……」

「友達?それは魚守さんが言ったのですか?」

 水は映写機をいじっていた手を止め、晴太の方に顔を向ける。

「えーと……うん、なんか友達になってあげるって」

 思いがけぬ反応に晴太は驚きつつ、昨日の記憶を辿った。

「なるほど……。何となく状況が理解できました」

 水は納得したように頷く。状況、とは一体何の状況のことか。晴太は水が何を納得したのか分からず。じっと水の顔を見ていた。

「まあ、幸い雨音先輩が帰ってくるのは早くて一週間後ですし、その間に何とかしましょう」

「一週間後?」

「もしかして……今日首都に出発するって知らないのですか?」

「あー……、今日だったのか」

 雨音が魔道部の助っ人として首都で開かれる全国大会に出場することは知っていた。ついさっきも渚と魔道部の話をしていた。しかし今日出発だったとは。

「大会は三日後ですが、早めに着きたいので出発は今夜なのですよ。それで帰ってくるのは早くても一週間後、決勝まで残れば二週間後になります」

「そうか、もう出発なのか」

「それぐらいは知っていてもいいのでは……」

「ははは……」

 苦笑いを浮かべる晴太を水が呆れた目で眺める。彼女どうこうという以前に、知らない仲ではないのだし、それくらいは気になってもよかったのかなと晴太は思った。


 帰り道、電車に揺られながら晴太の頭の中では水に言われたことがグルグルと廻っていた。彼氏として、友達として、あるいは知り合いとして、どれぐらい雨音という人間に興味を持てばいいのか。晴太には分からなかった。彼女のことをどれぐらい気にするべきなのか分からなかった。

 昨日も夕日が綺麗だったが、今日はまた一段と綺麗だ。最近晴れの日が多いなと思いながら、晴太はぼんやりと窓の外を眺める。提灯通りの提灯が色とりどり光を放っていた。


 ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。志賀飛介でございます。

 今日は特に書くこともありませんので早々に失礼します。

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