番外編⑨
魔法は万能ではない。存在しないものを出現させることは出来ない。だから一つが二つになったりはしない。今のところは。
何百年という歴史の延長線上で、魔法という文明は未だ発達を続けている。例えば、同等のエネルギーがあれば一つを二つに出来るのではないか、という研究が進んでいるが、それでもまだ研究段階である。したがって私たちは料理を自分の手で作らなければならない。ただ、万能ではないが便利である。魔法を使えば、料理の行程を一部省略出来たりする。それを便利だと思う人もいれば、便利すぎると思う人もいる。
「ごちそうさま。今日も美味しかったよ」
「ありがどうございましたー!」
最後のお客さんが店を出て行く。本日も無事、営業終了だ。店主の市崎昌治は営業終了の札をかけ、暖簾を回収する。
「お疲れ様、ハルくん」
厨房からカウンター越しに妻の奈央が顔を覗かせた。
「ナオもお疲れ」
そう言うと昌治は暖簾を入り口近くに立てかけ、今度は台ふきを手に取った。それから台ふきに魔力を注ぎ込む。台ふきを媒介にした浄化魔法。油脂汚れを分解できる。奈央は同じ要領で洗い物をしている。週に一度の定休日を除いて、毎日繰り返している作業だ。大変、といえば大変だが、好きでやっている仕事なので辛くはない。
今からちょうど一ヶ月前に父である昌義から引き継いだ店、ラーメン屋『uoiti』。本来ならばもう数年は昌義の元で働くはずだったのだが、母親の認知症が進行し、昌義はその介護のために店を離れることになった。バイトを雇うようなお金はないので、欠けた分は奈央が補ってくれている。まさに夫婦で営むラーメン屋だ。
「ふうー……」
テーブルとカウンターを拭き終わると、昌治は一息ついて店内を見渡す。祖父の代から続く店。ここに立つことは昌治にとって子供の頃からの夢だった。ふと、今日最後に来た客を思い出す。父の代からの常連である。
「今日も美味しかったよ、か……」
昌治がそう呟くと、カウンターの向こうから奈央が声をかける。
「どうしたの?嬉しそうな顔して」
「ん?いやさ、この一ヶ月間、何とかやってこれたなぁ……と思ってさ。あんな形ではあったけど店を任されて、俺なりに色々考えてやってきたつもりだけど、やっぱり不安だったんだ。昔からの常連さんもいるし。でも、何とかなったなぁってさ」
店を継ぐに当たって、昌治は色々と行った。新メニューを考えたり、外装を新しくしたり。別に父親のやり方が気にくわなかったというわけではなく、単に店を継ぐときはそうすると決めていたのだ。きっと自分のものにしたかったのだろう。子供の頃からの夢だったからこそ。
「ハルくん、頑張ってたもんね」
奈央の言葉に昌治は首を振る。
「ナオのおかげだよ。ナオが手伝ってくれたから、何とか店を回せたんだ」
「大袈裟だよ~」
奈央は笑って誤魔化すが、昌治は真剣だ。
「いやいや、ほんとに感謝してるんだって。店を手伝ってくれるし、その上家事までしてくれるし、頑固親父の相手もしてくれるし」
「頑固親父ってお義父さんのこと?」
「そ。親父のやつ、俺が店を継ぐときも色々文句言ってきてさ」
昌治が不満げに口を尖らせるので、奈央は思わず笑ってしまった。
「いやいや笑い事じゃないんだよ。まあ店の名前をローマ字表記にするのは文句言われても仕方ないと思うけどさ……、新メニューぐらいは許してくれてもいいよな。店の味を守れとか何とか言ってたけど、メニューが増えるだけじゃんって」
昌治と昌義は非常に仲が悪い。ただ、嫌い合っているというよりは好みが違うだけのようで、些細なことでよく言い合いをしているが大げんかに発展することはほとんどない。
「お義父さんもきっと分かってくれるよ。あの時も結局最後には認めてくれたでしょ?」
「まあ……認めたっていうより諦めたって感じだったけどな」
「まあまあ」
まだ不満げな昌治をなだめながら、奈央は数ヶ月前に昌治の母とした会話を思い出す。普段はぼんやりしていることの多い彼女だが、その日は妙にしっかりしていた。
「あの二人、今日も言い合いをしてたわねぇ」
縁側に座って庭を眺めながら、義母がしみじみと言う。
「そうですねぇ」
同じく縁側に座って奈央もしみじみと言った。
「でもね、昌義さんもおんなじことがあったのよ?」
「そうなんですか?」
奈央は驚いて義母の顔を見ると、彼女は小さく頷いた。
「ええ。もともとは魚市場って名前だったの。それを昌義さんが継ぐときに魚市に変えて。それで昌義さんと、彼のお父さんが喧嘩しちゃったの」
「今と全く同じじゃないですか」
「そう。やっぱり親子よね。お義父さんも昌義さんも、昌義さんと昌治も」
なるほどなぁと奈央は思った。そういえば昌義本人からも、先代から店を引き継ぐときに少々もめたと聞いたことがあった。おそらく先代は今の昌義と同じような気持ちだったのだろう。
「だからね、奈央ちゃん」
ふいに、母が真剣な顔になったので、奈央は居住まいを正す。
「はいっ」
「色々と大変だと思うけど、あの親子のことは温かい目で見守ってあげてね?」
「どうした?嬉しそうな顔して」
昌治が不思議そうに奈央の顔を覗き込む。
「何でもないよ。ただ、ハルくんだったらきっとやっていけるって思っただけ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。だってお義父さんだって、おじいさんから引き継いで店を続けられたんだから、ハルくんにだって出来るよ」
奈央がそう言うと、昌治は一瞬きょとんとした顔になって、それから納得したように言った。
「そうか、そうだよな。親父に出来て俺に出来ないはずはないよな。そうか、確かにそうだ」
うんうんと頷く昌治を見て、奈央はにっこりと微笑む。店の名前が変わっても、内装が変わって、メニューが新しくなっても、彼らの中にはずっと変わらないものが流れている。そう思うと奈央の胸に何か温かいものが流れ込んできた。
一つ、大きく息をすってその感触を確かめると、先程よりも少しだけ食器を洗う手に力を込めた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。またまた割り込み投稿です。
皆さんはラーメン好きですか?私は好きです。小さい頃は塩が好きで、ある程度大きくなると味噌が、最近はとんこつもなかなかいいなぁなんて思っています。魚介系なら塩とか醤油がいいですね。魚介とんこつは結構こってりしてるので苦手です。




