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(25)雨音と放課後の再現

 渚は暗記系の科目の方が得意らしく、晴太が一番の山だと思っていた魔法倫理は意外とあっさり合格した。数学も苦手だと言っていたが何とか合格し、残るは生物学だけとなったが、意外にもその生物学が一番の難関だった。生物学の追試は期末試験と全く同じ問題が出題されるため丸暗記でもよかったのだが、渚が、せっかくだから実力で合格したいと言いだしたのだ。しかしまあ、そこまではよかった。晴太もそのつもりで教えていた。問題は、渚が生物学をかなり苦手としていたということ。どうやら中学校ですでにつまずいているらしく、分からないところを一つ説明しようとすると芋づる式に次々と他の分からないところが出てくる。分からなすぎて丸暗記すら難しいというような状態だった。

「うう……ごめんなさい」

「いやまあ、それはいいんだけどさ。今までの試験はどうしてたの?この感じだと毎回追試だったんじゃ……」

「そう、毎回追試。でも追試にも落ちまくるから先生がしびれを切らしちゃって。もう追試はいいから重要単語を百回ずつ書いてきなさいって」

「書いたの?」

「書いた。腱鞘炎になるかと思った」

「それは……大変だね」

「うう……ごめんなさい」


 と、これが前日、火曜日の話。そして今日は本番。といっても追試なので不合格でも次があるが、それでも渚はかなり緊張している様子だった。

「じゃ、じゃあ……あたし行ってくる……。待っててね」

 そんな渚の様子に晴太も緊張気味になる。

「うん……あの……大丈夫?なんかすごい緊張してるけど?」

「……大丈夫、大丈夫だよ」

 全然大丈夫じゃなさそうに渚は言う。晴太はどう声を掛けたものかと悩んだが、思ったことをそのまま口にすることにした。

「えーっと……まあ、魚守さん、結構頑張ってたし。可能性は十分ある思うよ」

 そう言ってから晴太は無責任なことを言ってしまったのではないかと思ったが、渚は晴太の言葉もよく分かっていない様子で、「うん……ありがと」と言って教室を後にした。一人残された晴太はどうしたものかと渚の背中を見送る。もし不合格だった場合今度こそどう声を掛けていいのか分からないのだが、ここまで来たら結果を聞かずには帰れない。晴太は教室で渚を待つことにした。


 追試が終わるのは午後六時。採点と返却まで含めた時間なので少し遅めだ。せっかくなので宿題でもしてまとうかと思ったのだが、全く集中できない。追試なので、その合否で何かが決まるわけではない。ましてや晴太が試験を受けるわけではないのだが、なぜだか妙に緊張してしまう。ある意味、責任感のようなものかも知れない。そんなことを思いながら晴太はノートを鞄にしまい、窓の外に目を向けた。運動系の部活動のかけ声が聞こえてくる。そういえば雨音と初めてお言葉を交わした日もこんな感じだった。あの時は、グラウンドで行われていたのは体育祭の設営だったが。こんな風に窓の外を眺めていたら、後ろから声を掛けられたのだ。


「久条晴太くん」

 と。


「あら?無視かしら?いい度胸ね」

「雨音!?」

 晴太が驚いて振り返ると、そこには体育服を着た雨音が立っていた。

「違うでしょう?そこは、『そう言う君は……傘咲雨音さん』でしょう?」

「えーと……あの時の台詞?よく覚えてるね。ていうか改めて聞くと恥ずかしい……」

「だってつい最近の出来事じゃない。当然、覚えているわ」

「そういうものか」

 晴太は苦笑する。

「そういうものよ。それに……ワンダーランドを観測するっていう大事な約束もしたしね」

「ああ、そうだったね」

 晴れ男と雨女が同じくらい楽しみにしている日。それの日どうなるのか観測するのが、そもそも二人が今の関係になったきっかけだった。今思えば、ふざけた約束をしたものだとも思うが。

「あら、その反応は、もしかして忘れていたのかしら?」

「いや、まあ……」

 晴太はしどろもどろになる。決して忘れていたわけではない。忘れていたわけではないのだが、普段の生活の中でその約束のことを考える機会はとても少ないということだ。一人でいるときはもちろん、雨音といるときも意識することは少ない。というかそもそも、未だに緊張の方が先に出てしまって、他のことを考える余裕がないのだ。

「もうちょっとこう……親睦を深めてからじゃないと厳しいかな」

 と、言いつつ晴太も己の対人関係に対する免疫のなさに思わず苦笑する。

「まあいいわ……。時間はあるし」

 雨音は若干呆れ気味に言った。それから「ところで……」と話を変える。

「あなたの教え子はどうなったのかしら?」

「ああ、海守さんのことね。今ちょうど生物学の追試を受けてると思う。なんていうか……難しいいなぁって思ったよ。人にものを教えるのはね。でもまあ、海守さんはよく頑張ってたから、いい結果であって欲しいけど」

 晴太はシャープペンシルを持ち問題用紙に向かう渚の姿を思い浮かべる。普段は人に対してそういう期待とか望みを抱く、また言葉にすることをあまりしない晴太だが、この時はすんなりとその言葉が出てきた。

「そう……どうやら海守さんと仲良くなれたようね」

「仲良くなれたっていうかまぁ……、前よりも少し話せるようにはなったけど……」

「それを仲良くなるっていうのよ。でも安心しなさい。こう見えて私は寛容だから。三人までなら認めてあげる」

「えと……三人っていうのは……?」

「もちろん私を含めて、ね」

「あー……、なるほどね」

 それはつまりどういうことだろうか。いや、考えるまでもなくそういうことなのだろうが。しかし晴太の交友関係で女の子三人というとかなり限られてくる。というか、

「ちなみに水に手を出したら承知しないわ」

 晴太の思考を先読みして雨音が釘を刺す。晴太の交友関係だと三人目は必然的に廻川水になるのだ。もちろんそんな気など全くないが。

「ところで」

「分が悪くなったから話題を変えるの?」

 そう微笑みながら雨音は言うが、目は全然笑っていない。晴太は「いや!そう言うわけじゃなくて……!」と否定して続ける。

「体育服着てるみたいだけど、どうしたの?」

 実は先程からずっと気になっていた。体育服姿の雨音を見かけることはよくあるので、別段珍しくはない。体育の授業でいつも着ているからだ。しかしこうして放課後に体育服姿でいる雨音を見かけることはほとんどなかった。

「ああ、これね」

 雨音は両手で服をつまんでピッと引っ張る。

「実は私、魔法道部の助っ人に呼ばれたの。それで、ついさっきまで部員達に混じって練習していたというわけよ」

 魔法道部。道という字が入ることからも分かるように、魔法を使った武術を行う競技だ。ただ一口に武術と言っても、その種類は多い。その中でも魔法道は主に得物を使った武術の総称だ。晴太はやったことがないが、内容はある程度知っていた。というのも晴太の妹の夏希がエクストリームチャンバラ部に所属しているからだ。

「確かあなたの妹さんはエクストリームチャンバラ部に所属していたわね?」

「……そうだけど、話したことあった?」

 晴太が聞き返すと、雨音はじっと晴太の目を見つめる。

「……ええ」

 たぶん話していない。いや、もしかすると話したのかも知れない。晴太はそう思うことにした。

 それで、なぜ魔法道の話をしているのにエクストリームチャンバラなのか。エクストリームチャンバラとは、簡単に言うと魔法道の簡易版だ。エクストリームチャンバラでは使う得物も安全なものを使用し、勝ち負けの判定も相手の体に当てたら勝ちという簡単なものになっているが、魔法道で使う得物は木製の堅いもので、ルールも相手の体に当てたら勝ちという部分こそ共通しているものの、それ以外はほぼ何でもありとかなり危険な競技だ。そのため魔法道は15歳未満の子供には禁止されており、そこで考案されたのがエクストリームチャンバラというわけだ。最近ではエクストリームチャンバラの人気が上昇し、別々の競技のように扱われることが多くなったが、元々は魔法道がもとになっているのである。

「実はこの学校の魔法道部は部員が少なくて、それでよく私が助っ人として試合に出ているのよ。まあ、今回は三年生が最後の大会だから……まさか呼ばれるとは思ってなかったけれど」

 魔法道はその危険性からあまり人気のあるスポーツとは言えない。そのせいか競技人口の多くは強豪校に偏り、栄第一高校のような普通の進学校では部員不足も珍しくない。危険なため素人が手を出しにくく、結果的に実力のある人ばかりになってしまうのだろう。

「そんな大事な大会に呼ばれるってすごいね。ルールが簡単な分、魔法の実力の運動神経がものを言うのかな」

「そうね。まあ今回は、二年の子が怪我をしちゃって、それで急遽招集がかかったのだけれど、さすがにプレッシャーを感じているわ」

 口ではそう言っているが、雨音の表情にはそういった様子は全く感じられない。とはいえ、緊張しているのは事実だろう。それを全く顔に出さないのが雨音なのだと晴太も段々分かってきた。もしかするとそういうところもスポーツをやる上で有利に働いているのかも知れない。特に武道系の場合は。

「それで、その大会はどこでやるの?」

「もしかして応援に来てくれるのかしら?嬉しいわ」

「いや、応援っていうかその……、見てみたいかなぁって」

 体育祭で見た雨音の魔法。そのイメージが晴太の中に強く残っていた。

「そう。でも残念ながら、会場は本島の方になるから、少し遠いの」

「ああ……そうか」

 雨音の言葉に晴太も納得する。というのも、この時期に行われる大会といえば、全国大会の地区予選だ。そして地区予選はそれぞれの地区の主要な都市で行われるのだが、栄市は地区の中でも一番端に位置しているため、とてもじゃないがちょっと見に行けるような距離ではない。

「ちょっと残念だけど、まあ仕方ないか」

 晴太自身、夏希の影響で魔法道の試合を見るのが好きなのだ。しかしそれだけではなく、体育祭で見た雨音の演舞も、晴太の中にはっきりと残っているのだった。

「それより……」

 と、晴太はふいに思いだして言う。

「練習の方はいいの?そこそこ時間経ってると思うけど……」

「そうだった。実は伝えておきたいことがあって来たんだったわ。もしかしたらまだ教室に残っているかも知れないと思ってね」

「伝えたいこと……?」

 晴太は思わず聞き返す。雨音はそのままの調子で「ええ」と言うと続けた。

「どうも今年の三年生は強いらしくて、もしかすると全国大会まで進めるかも知れないみたいなの」

「すごいね」

「そう、すごいのよ。ただ、もしそうなった場合、しばらく会えなくなるわ。一応、そういうのは伝えておくものかと思って……、彼女として」

 魔法道の試合は何かと時間がかかる。試合後の整備や試合そのものの時間、平行して出来る試合の数が少ないことなどが主な理由だ。そのため魔法道の大会は他の競技よりも期間が長いのだ。

「そうなんだ」

「あまり寂しそうではないわね」

「え?まあ……」

 しばらく会えなくて寂しいかと言われたらまあ、そうでもない。まさか雨音の口から寂しいなんて言葉が出てくるとは思っていなかったため、晴太は思いっきり正直に答えてしまった。雨音はそんな晴太をじいっと見つめ、そしてふいっと窓の方へ目を向けた。

「あー。私、愛されていないのね」

「あ、え?それはどういう」

 という晴太の言葉を最後まで聞かずに雨音は続ける。

「あー、いてもいなくてもいいのね。これはもうここから飛び降りるしかないわ。それしかない」

 そう言って雨音は窓の方へ向かって歩き出した。その目は遠くを見つめている。

「え!?ちょっ、ちょっと待って!寂しいよ!会えないの寂しい!」

 唐突な行動に晴太は慌てて背を向ける雨音の肩を掴む。すると雨音はピタリと止まり、そして顔だけ晴太の方を振り返った。

「……本当にそう思ってる?」

「本当だよ。まだその……、会えないっていう実感が湧いてないだけ」

「……そう」

 雨音は晴太の方に向き直る。晴太はどこか面接試験に合格したような気持ちになった。

「まあそれはともかく、助っ人として呼ばれたからには全力で挑むわ」

 にやりと笑う雨音。余裕の笑み、というわけではなさそうだ。いつもの笑みの奥に少しの緊張も見て取れる。緊張しているが、同時に楽しみでもあるといった感じだろうか。普段は自分の実力に自信を持ち、何事も飄々とこなしている雨音だが、それと同じくらいプライドも持っている。加えて周囲の期待とそれに応えなければという責任感も感じているのだ。初めて言葉を交わした日、あるいはそれよりもっと前からあった雨音に対するイメージが晴太の中で徐々に修正されてきていた。

「雨音……」

 言いかけて止まる。かけるべき言葉はもう既に晴太の中にあった。だが晴太はあまりその言葉が好きではなかった。どこか無責任に感じてしまうからだ。しかし晴太はその言葉を口にすることにした。まだ出会って日が浅いが、雨音になら素直にそう言える気がしたのだ。

「頑張ってね」

 その言葉を聞いて雨音は頷く。

「ええ、ありがとう」


 志賀です。ここまで読んで下さってありがとうございます。ここまでで大体半分くらい何です。文字数的にはたぶん普通くらいだと思いますが、前半まだ慣れてなくて話数を刻みすぎたので無駄に話数が多くなるかも知れません。ここから先は大体これくらいの分量で進みます。

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