猫はぽむぽむする 3
「夕希ちゃん、おばあちゃんと一緒だから心配ないからね」
電停に着いた夕希と祖母である珠江は1本の路面電車を見送ったあと、やってきたネコ電車に乗り込んだ。
泣きはらした顔でちょこんと席に座る夕希に、珠江は優しく語り掛けたが返事はなかった。
夕希はその小さな唇をギュッと閉じたまま、黙りこくっていた。
大きな我儘を言ってしまった罪悪感、そのせいで父と会えなくなってしまうのではないかという恐怖と悲しみで、幼い夕希の心は押し潰されそうだった。
しかし、泣き疲れた夕希にとって路面電車の緩やかな揺れはだんだんと眠気を誘ってくる。こっくり、こっくりしてはハッとしたように顔を上げるも、またすぐに目がとろんとしていく。
と、その時、
――なぁーう。
猫の鳴き声が聞こえたような気がして夕希が重い瞼を押し上げると、目の前に猫がいた。
くりくりとした瞳が印象的な白に黒と茶色の模様をした猫が、夕希の膝の上に向かい合うようにして座っていた。
「にゃん、にゃん……?」
電車内に猫? もしかしてこれは夢? 不思議に思いつつも、まだ半分夢の中にいるような感覚でぼんやり猫を見つめている。
そんな彼女を猫もジーッと見つめ返し、再び「なぁーう」と鳴いてみたが、依然としてぼんやりとしたままの夕希に、その猫はおもむろに匂いを嗅ぎ始めた。
――すんすん、すんすん。
何度も顔を上下左右に動かして、何かを探るように夕希の匂いを嗅いでいく猫。やがて、彼女が肩から下げているポシェットに辿り着くと、念入りにすんすんと匂いを嗅いだあと体を起こし再度彼女に向き直ると、おもむろに前脚を上げそのまま夕希の顔に近づけたのだった。
顔に近づいてくる猫の前脚に夕希が思わず目をつむると、そのすぐあと頬にぷにっと何かが当たる感触がした。
夕希の乾いた涙でカピカピになっていた頬に、猫が器用に前脚でぽむっと優しくタッチしたのだった。
きょとんとした様子でそっと目を開ける夕希。しかし猫はそんな彼女に構うこともなく、爪を立てずに何度も彼女の頬に優しく前脚でタッチし続けるのだった。
――ぽむぽむ、ぽむぽむ。
最初は片脚だけだったのが、途中から両方の前脚で交互に夕希のほっぺを熱心にタッチしていく。
――ぽむぽむ、ぽむぽむ。
どれぐらい続いただろうか、ちょっとくすぐったいような、けれどぷにっとした肉球の感触とリズムがまるで母親に背中をとんとんされている時と似たような心地よさに、まただんだんと眠りに誘われそうになった瞬間、電車が大きくガタンと揺れた。
「大丈夫、夕希ちゃん?」
祖母に声を掛けられ、そこでやっとハッと目が覚めた様子の夕希がきょろきょろと辺りを見回すも、あの猫の姿はもうどこにもいなかった。
「どうしたの? そろそろ着くから降りようね」
「おばあちゃん、あのね……」
夕希はさっき起こった出来事を祖母に話そうとした時だった。
「あら、夕希ちゃん。そのほっぺどうしたの? 泣いたから赤くなっちゃったのかしらねぇ」
祖母が夕希の顔を覗き込んだあと、鞄の中から取り出した手鏡で見せてくれた。すると、確かに頬のあたりが少し赤くなっている。
その瞬間、夕希は弾かれたように顔を上げると、
「おばあちゃん、早くパパのところに行こう」
大きな声でそう言ったのだった。
珠江にしっかりと手を繋がれて夕希が父親の待つ病室へ辿り着くと、枕元に駆け寄り大きな声で呼び掛ける。
「パパっ! パパ、にゃんにゃんがいたよ! 本物のにゃんにゃん」
娘の声に洋希は目を薄っすら開けて、かすかに反応してくれた。
「夕希のほっぺ見て、にゃんにゃんが……にゃんにゃんが押してくれたの!」
夕希は父親がよく見えるようにぐいっと顔を近づける。それは、先ほど夕希があの猫にタッチされていた場所で、赤くなった跡をよく見てみると何だか肉球の形をしているような気がした。
あのメモ帳のスタンプはまだ最後まで貯まっていなかった。けれど、夕希は路面電車の中で出会ったあの猫が残りのスタンプを押してくれたのだと、ほっぺの跡を見て何故か強くそう思ったのだった。
込み上げてくる涙で濡れた頬がじんじんと熱い。気持ちの高ぶりとともに夕希のほっぺに赤みが差すと、肉球の形をした跡も一段と浮かび上がった。
「だから、パパ……元気になって、お願い……パパ!」
夕希がぐしょぐしょに泣きながらそう叫ぶと、洋希の瞳が大きく揺れたような気がした。
◇◆◇
「お父さん、久しぶり」
夕希は1年前亡くなった父の墓の前で、手を合わせるとそう語り掛けた。
「あのね、末っ子の遥希が無事に小学校に入学したよ」
あれから父は余命をはるかに超えて、夕希の結婚を無事に見届け、そのあと夕希の子どもたち洋希にとって孫となる3人の兄妹に囲まれた生活を短いながらも送る事が出来た。
精一杯頑張ってくれたという思いもあるけれど、やっぱりそれでも旅立つにはまだ早くて、もっともっと一緒にいたかったし、子どもたちの成長もまだまだ見守って欲しかったという思いは尽きない。
父と過ごした歳月は、普通に反抗期もあったしケンカもたくさんしたけれど、必ずその日のうちに仲直りをするという約束はなるべく守るようにして大切に過ごして来たつもりだ。
何でもない日常も、かけがえのないものだということを身に沁みていたから。
「そうだ、これ覚えてる? 実家を掃除してたら久しぶりに見つけたの」
夕希は父の墓前に1冊の古びたメモ帳を取り出す。
それはかつて熱心に集めていた猫のスタンプ帳だった。いつのまに無くなっていたのか、あれほど大事にしていたはずなのに、不思議とつい先日実家で見つけるまで夕希もすっかりそのメモ帳の事は忘れていた。
表紙には当時自分が好きだったキャラクターが描かれており、思わず懐かしさが込み上げて来る。メモ帳を手に取りそっとページをめくってみると、忘れかけていた記憶がふと蘇ってきたのだった。
あれは父なりに娘のために考えてくれたものであって、あの日見た光景もあの時の自分の願望が見せた、ただの夢だったのかもしれない。
それでも――。
「もしかして、お父さんも昔あの猫に会ったことがあったのかな?」
かつて父は路面電車で見かけて気になっていた母に話しかけるきっかけを探していたと言っていた。そのきっかけがもしあの猫に出会ったことだとしたら……。
本当のところはもう父親に聞く事は出来ないので、分からないけれど。
少なくとも夕希にとって、あの時あの電車内で出会った不思議な猫は、神さまからのエールだったのかもしれないと思ったのだった。
Fin.
完結です!(=^・ω・^=)
最後までお読みくださった皆さまに、心から感謝します。
路面電車×猫のヒューマンファンタジー、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。
声を掛けてくださった方、本当にありがとうございます。
とても励みになりました!
まだ構想中のエピソードがあるので、また第2弾としてお届け出来る機会があればと思います。




