朝の体操
翌朝。
俺はチュルカ様とティフォルナ様と共に、シャグマ様が主催するという体操に向かっていた。
「アルバ様の朝練にも少し出ようかと思っていたのですが……っ不覚にも、寝坊してしまいました……っ」
お恥ずかしながらお二人に起こされた結果、慌てて支度をする羽目になった。
チュルカ様は長い黒髪を背中に流した姿で、優しく微笑んでいる。
「仕方ないよ、えっちゃんは疲れてたんだもん。
長旅の疲れって、そんな簡単に抜けないって母様も言ってたよ」
妹のティフォルナ様も白髪をゆるく一つにまとめた姿で、面白そうに口角をあげた。
「自国内だけならともかくデアの砂漠も越えるから、気が抜けたらどっと来るらしいわね。
シャーちゃんと父様は慣れているみたいだけれど、母様はしばらく朝食の時に眠そうよ」
軽い運動のため、薄いシャツと体に沿う柔らかいズボンを履き、学校に行く準備後よりもずっと気楽な格好となっているお二人が、目を見張る俺に講義してみせるように指を振った。
「そうそう。母様ってあんまり弱味を見せたがらないんだけど、毎日見てると調子悪そうなのとか、なんとなくわかっちゃうんだよね。
外交は完璧だけど、家族だけの前になると気が抜けて、嘘が得意じゃなくなるみたい。
父様と喧嘩したり無理してる時は、笑顔が張り付けたみたいになるよ。……子供に気づかせちゃ駄目だって、あれで多分、母様なりに気にしてるんだと思う」
「ふふ、たとえ叡智の妖精とはいえ、この名探偵の目は誤魔化せないけれどね!」
「名探偵じゃなくても分かるくらいかなぁ……エイルですら『今日は女王顔、父様もピリピリしてる、これは喧嘩したな』って気づいてるもん」
(なるほど、陛下はお子達の前で嘘をつきたくないのだろうな……嘘をつかれると、相手の何を信じていいのかわからなくなる。
他人の子であっても俺のためを精一杯考えてくれるような、優しい方だから……子供達が親元で過ごしやすいよう、特に考えておられるのかもしれない)
陛下の生い立ちも内緒で教えてもらったからこそ、逸話に彼女の心遣いを感じる。
喧嘩だって不安がらず、仲の良い両親の一環として信頼と共に受け入れている双子姉妹の姿が愛おしくなって、チュルカ様の髪に少しだけ触れていた。手触りも良く、癖がない……サラサラした感触は黒絹のようだ。
「チュルカ様の髪は、今日は流したままですね」
「うううんっ、シャーちゃんの体操、すっごく軽い運動だしっ。いつも通りの、このままでいいかなってっ」
「あら。いつも通りとか言いながら、朝からしばらく揉めたのよ?
まとめた方が可愛いか、新しい髪型にするか、それとも下ろした姿がいいかって散々悩んでるから、どれも同じって言ったら怒るんだから。部屋を出るまで議論が続いたわ」
「だって同じじゃないもん。第一印象って、髪型で簡単に変わっちゃうもん」
「チュルカ様がどのお姿であっても、愛らしいことに変わりはない。
ティフォルナ様はそう言いたかったのではないですか?」
真っ赤になって振り返った婚約者の、今日は下ろされたままの艶やかな髪が朝日を反射して輝く。
長い髪は動きを反映して、目を引く。
振り返ったチュルカ様が赤い顔をしているのも、俺が見つめて微笑むと黒の瞳が慌てて隠されるのも、清楚に感じて好ましい。
ティフォルナ様は肩を落として、小さく吐息した。
「やっぱりふとした瞬間に、レイト王の影響を感じるわ。
……はぁ。チューが面倒だから、そういうことにしておいてちょうだい……」
名探偵はこれ以上の議論をやめて、目的地まで案内してくれた。
王城からわずかに森の中に進んだ先には、大きな床が広がっている。
シャグマ様が近衛に指示しながら準備を進めているが、その手前では桃色の髪を馬のしっぽのように一つに束ねたラフィネル陛下が、母に抱きつく長い白髪の美姫の頭を撫でていた。
クラエッタ様は頬を膨らませて、まだまだ幼さを感じさせる仕草で母の背中を引いて揺らす。
「母様、私、エイル嫌い。なんであんなに無神経なのかな……いつもそう。双子なのに、みんなと大違い」
「よしよし、いいこ、いいこ。皆ともに個性があるからな、一様にはならないとも。
クラエッタはエイルと部屋を分けて長いのだから、構いに行かなければいい。
喧嘩を忘れたら、またお兄ちゃんと仲良くすると良いよ。お前にとっても、大事で大切なお兄ちゃんとして信頼しているはずだ」
「普段のエイルならいいんだよ?
でもちょっと興味があって聞いただけだったのに、昨日のは大事になって困っちゃった……あ」
姉君たちに気づいたクラエッタ様が、なんでもない顔をして陛下から離れて、シャグマ様のお手伝いに向かった。
突然離された母君は悲しんでいる様子だが、俺たちが近づくと振り返って細い腰に手を当て、笑いかけてくれる。
「おはよう、チュルカ、ティフォルナ、エリクセル殿下。今日は私もご一緒させてもらうぞ」
「おはよう、母様。お休みの日だけどちゃんと起きられたんだね」
「ふふ、当然だ。エリクセル殿下が初めて参加するとあれば、やはり私も国主として参加しなくてはな。
レイト王にも『ご子息はお元気だ』と手紙を書くが、実際に目にしたことこそが話題の一つになる」
「いつの間にか仕事の一環になっているじゃない……」
「うん、いつもの母様だね。
えっちゃんなら昨日の父様の朝練にも出てたよ? 行けばもっといいお手紙が書けたんじゃない?」
「うっ。アルバのは無理だ……動くうちに頭から全部飛んで、結果、何も覚えていられないからな……」
目を逸らして本音をこぼれさせた陛下が、何かに気づいて顔を上げた。
ラフィネル陛下の元へ、走る音が近づいてくる。
陛下そっくりのエルテ様とニア様が母親の両腕を取って挟み込むと、その腕をギュッと抱いた。
「今日は誰がニアか当てるのっ」
「当てるのー」
なるほど、新参者を揶揄いたいと聞いていた通りらしい。
今日も母親を混ぜて当てっこをしたいお二人が俺を見上げているが、片方ずつ示した。
「エルテ様のふりをしたニア様と、ニア様のふりをしたエルテ様、であってるかな」
正解だったらしく、エルテ様が驚愕に目と口を開く。
ニア様は陛下そっくりの空色の瞳を半眼にすると、憎らしそうにため息を吐いた。
「レイト王なら分かっていても二、三度は間違えてニアたちのご機嫌を取るの。
やはりお前は真面目な男なの、少しは遊び心というものを見せるの」
文句を言われてしまった。
元気な声に同じく気づいたらしく、歩み寄ったシャグマ様の褐色の指が、ニア様の桃色の髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。
「ニアのひっかけ問題に付き合ってあげてるだけで、エリクセルは十分遊び心があると思うよ?
思った通りに遊んでもらえないからって、責めないの。
ほら、朝のお話は楽しいけど敷物の準備を進めちゃおう。俺もそろそろ始めたいからね」
「「「はーい」」」
声をかけたシャグマ様に従って、皆が箱から畳まれた布を取り出していく。
俺も倣おうとしたが、陛下が少し出遅れたのが気になって振り返ると……シャグマ様に手を取られた陛下が、唇を手の甲に贈られた姿が見えた。
「この子が、今日も可愛い俺のラフィネル。……正解?」
「……なあ、シャグマ。正解だと言いづらいんだが、私はどうすればいいんだ」
頬を染めた陛下が狼狽えて、顔を手で扇いでいる。
なるほど、こういった光景をふとした瞬間に見ると、いつも熱いとチュルカ様たちが言うのも分かった。
(……しかし朝の体操の何が、シャグマ様の言うハーレムにつながるのだろう。
健康的に親子が集まって賑わう光景にしか見えないが……)
俺はチュルカ様に「ここ」と示されたシャグマ様の前に敷物を敷いて座った。
柔らかいのに硬さもある、不思議な布だ。
あぐらを組んだ美丈夫と同じ姿勢をとると、この場に集まった全員の準備が整ったことを見たシャグマ様が一つ手を打ち鳴らした。
「はい、それじゃ始めようか。
体をゆっくり動かそう。動きに合わせて、まずは息を吸っていくよー」
医師でもある彼の指示に従って、体をじっくり動かす。
体幹などに効くのを感じて、寝起きの体が気持ちよくほぐれる感覚を感じていたが。
……俺はこの後、地獄を味わうことになる。




