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実家では虐げられてきましたが、可愛い婚約者の国でこれからはのんびり暮らします。  作者: 丹羽坂飛鳥


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二人きりの気分

 エルタニア王城の食堂で、王家ご一家の皆様の注目を浴びながら、俺は隣にいるチュルカ様への気持ちを話した。

 好意を伝えていても、まだ一度も口に出来ていなかった本音だ。

 彼女の膝の上に置かれている冷たかった手が和らいで、代わりに……温かく小さな粒が、重ねた手に落ちる。

 七年以上の時をかけて二人の間に積もった気持ちを彼女の涙でも感じながら、手を包まれたままのチュルカ様のためにハンカチを取り出した。


「えっ、チュルカ姉様、なんで泣いてるの」


 エイル様は姉君が泣き出したことに驚いた様子だ。

 でも……最後になるかもしれない手紙を差し出した時、チュルカ様はきっと今と同じように泣いていたことも、うつむく彼女からとめどなく落ちる涙を見ればわかる。


「……手紙を返さずにいたこと、改めてお詫びします」


 首を横に振ったチュルカ様から、透明な雫が散る。

 頬に触れたハンカチに染み込んでいく感触も、しゃくりあげるのを堪える彼女の震えも、あの日と同じもののはずだと、何度だって読み返した手紙の感触が重なる。


 冷たくされれば、誰だって怒るものだ。

 でも彼女はささくれた俺の心も受け入れて、少しでも癒そうと手紙を届けてくれた。

 自分が出来る精一杯の力を、想いを、たった一通と決めた手紙に込め続けてくれた。


「戻るたび机の上に置かれている手紙が、どれほど心の支えになったのか、今まで伝えられずにいました。

 ……今度は支えていただいた俺が、チュルカ様を支える番だと思っています。

 生涯ただ一人の相手だと、あなたが俺を愛してくれているのと同じくらい……心の底からあなたを愛しています、チュルカ様」


 隣に座る彼女に本音を伝えると、黒髪の少女は何度も首を上下に動かした。

 俺を見上げた婚約者の、瞬きのたびに涙が落ちる黒曜石の瞳を指で拭う。

 ……拍手が聞こえた。

 振り返った先ではエルテ様が八歳らしく空色の瞳を輝かせて、両手を打ち合わせている。


「チュルカ姉様、すごぉい! エルテだったら文通が途切れちゃったら、もう新しいの送れないよ……。

 そっか、分かった、粘り勝ちってやつだね!」


「違うの、もっと繊細なお話なの。

 だからエルテにはまだ早いと言ったの……ニアは今、何度も念入りに馬に蹴られている気分なの」


「……姉様、ごめん、思い出すだけで泣くほど辛かったことがあるなんて、思ってもなかった」


「エイルはチュー姉様の繊細さを、学べばいいのに」


 妹君を振り返ったエイル様に、長い白髪の美姫は凍った空色の瞳を向けている。チュルカ様から聞いた、絶対零度というやつだ。

 生まれた時からずっとチュルカ様と一緒にいた名探偵は懐かしむように遠い目をしていたが、振り切った様子で肩をすくめた。


「言っておくけれど美談どころか部屋の中は大騒動だったのよ、えっちゃん。

 チューが泣くわ喚くわ、私も慰めるのに苦労したんだから」


「大変ご迷惑をおかけしました……」


「反省するなら、この調子でチューのことをお願いね。

 一生離さないで。返品は絶対に不可。えっちゃんがそばにいてくれるだけでチューは幸せになって、なんでも頑張れちゃうんだから」


「もちろんです、生涯離す気はありません」


 国同士の結婚だと分かっていても愛おしく感じ、深く恋をした相手だ。

 決定権を持つ女王陛下を伺ったが、彼女は満足そうに口元を緩めて俺たちを見ている。背もたれに体を預けると、小さく嘆息した。


「私も『エリクセル殿下が戻ってきても、手紙をしたためずに城を出た』と聞いた時は、どうしようかと思ったんだぞ? 流石に愛が重すぎたのかもしれないと、親として止めなかったことを後悔したんだ。

 しかしチュルカが『あと一通だけ、どうしても送りたい』と言ったのを、……ああ、昨日のように思い出すな……ふふ、そうか。あの手紙が契機になったのか。よかったな、チュルカ」


 いつも陰から支えてくれる陛下が声をかけると、チュルカ様も頷いている。

 彼女は俺に改めて涙を拭かれると、まっすぐに顔を上げた。


「えっちゃん、私の方こそいっぱいお手紙押し付けてばかりで、ごめんね。

 でもね……っずっとずっと、っ小さいころも、今も、変わらずえっちゃんのことが大好きだよっ」


「俺もチュルカ様のことが大好きです」


 国同士のつながりのためなんて事実も、忘れるくらい。

 孤独な日々も、苦しい日々も続く中で、永遠を捧げたくなる相手と出会えた。


「……っあ、待って、えっちゃん、見ないで」


 自分の目の腫れに気づき、慌てて癒しの能力で治したチュルカ様が、恥じらいながら俺を盗み見る。

 うるうると揺れる黒の瞳が綺麗で、見つめ合うだけで吸い込まれそうだ。

 手はすでに、柔らかい彼女の頬に触れている。


「……」


 触れ合う手のひらに、頭を預けるように少し重みを寄せてきたチュルカ様が安心したのか、表情をうっとりさせる。

 彼女が無防備になり、隙を見せている頬に、以前お別れの唇を贈ったのをなんとなく思い出した。

 大人の女性にしか見えない婚約者が長いまつ毛を上げて、黒の瞳で俺を見つめる。

 上目遣いになったチュルカ様が綺麗で、可愛くて……何も考えられないうちに、体が少し前に傾いた。


「あー悲しい。娘を改めて取られた気分なんだけど。アルバ、お父さん寂しい」


 シャグマ様が息を吐いて、アルバ様に背中から抱きついた大きめの音で我に帰った。

 婚約者と二人して弾けるように顔を上げたが、ご一家も勢揃いしている食堂で何をしているのかと、俺も慌てて椅子に座り直した。

 三歳のお子が小さく切られた果物を咥えながら、こちらを見て首を傾げている。危ない、幼子に見せてはいけないものを見せるところだった。

 机の向こうで抱きつかれている冷静な近衛兵長は後ろに手を回して、もう一人の王配の短い白髪を撫でている。


「……わざとか」


「もちろん。だってまだ婚姻前だからね。挨拶以外は許してあげないよ?」


 囁くような低い声に、シャグマ様が一瞬俺を見て、揶揄うように片目をつぶって合図したのが答えだ。

 アルバ様は溜息を吐くと、手慣れた様子で美形の頭をポンポンした。


「別にここで口づけたりしないだろう……エリクセルはお前じゃない」


「そっ、そうですお二人とも、安心してください。

 旅先からお戻りになるチュルカ様へのご挨拶として、頬へお贈りしたのが最後です。口づけなんてするつもりはありません」


「んー、じゃあエリクセルなら今後もチュルカを傷つけずに守ってくれるって、俺も信じてるよ。

 男としても、年上としても、ね。頼んだよ?」


 綺麗に微笑む世界一の美丈夫と、俺と同い年にしか見えない童顔のアルバ様が寄り添いながら俺を見つめるから、深く頷いた。

 了承を見てとったアルバ様が褐色の腕を軽く叩いて離させると、チュルカ様は少し膨れてご両親に目を向けた。


「もう。私とえっちゃんが見つめあってたからって、邪魔しなくてもいいのに。

 シャーちゃんはデアの男の人だから、簡単に口付けるとか思っちゃうだけだよ。

 えっちゃんは慰めるために手にはキス……してくれたけど。今はそんな雰囲気じゃなかったよね? ね、えっちゃん」


「……」


 まさか頬にしようと思っていたとは、俺も言えない。

 十二歳の婚約者は純粋に育てられているから、お恥ずかしながら目が泳ぐ俺を不思議そうに見ている。

 頬を掻いて照れ臭いのを誤魔化すと、三歳のお子を抱っこしたシャグマ様が「なんでもなーい」なんて言いながら遊んであげるのが見えた。無邪気な笑い声が食堂に響く。


(しっかり、釘を刺されたな……。

 シャグマ様は感情の機微に聡いと父上からも聞いていたけれど、でもおかげで助かった。今後も気をつけないと……)


 恋の気持ちに振り回されるまま口づけてしまったら、うぶなチュルカ様はまた目を回して倒れてしまったことだろう。彼女を守る立場としても、大変よくない。

 教訓を心に刻んで顔を上げたが……今はもう話題も変わって、食堂では賑やかに夕食の時間が続いている。

 ラフィネル陛下もシャグマ様から幼い我が子を預かると、笑いすぎてむせたらしい小さな口に水を与えている。

 しかし今度は父様の抱っこをせがまれて、アルバ様に預けながら頬を膨らませた。


「なぜだ、ヒサメは母様の抱っこじゃ駄目らしいぞ。妖精女王の抱っこなのに」


「ボクとシャグマと、君では高さが違うからな。

 もう食事より遊びに夢中だ……こら、ヒサメ。あまり暴れると落ちるぞ」


 ただ一人の王族だったと話してくれたラフィネル陛下の周りは、寂しい過去など感じさせないほどいつも賑わいでいる。

 彼女が努力した結果なのだと改めて感じながら、隣にいるチュルカ様も楽しそうに笑っているのを見た。


「両親が仲良しな姿こそ、チュルカ様の理想だと手紙をいただいていましたね。

 ……俺も、陛下たちのように温かな家庭を築きたいと思っています」


「うん……私も。すっごく賑やかで楽しい家族だから、えっちゃんともそうなりたいって思ってるんだ……っわぁっ?!」


 チュルカ様と改めて手を繋ぎ直すと、驚いた彼女の肩が跳ねた。

 それでも意を決したようにギュッと握り返してくれるから、二人で繋いだままでいた。


「先ほども繋いでいましたし。……これくらいなら、子供の頃からしているから、平気でしょうか」


「っ……うんっ。えへへ、えっちゃんが隣にいてくれるの、すっごく嬉しいな……っ。

 ……ねえ、えっちゃん。大好きだよ」


 優しく愛らしいチュルカ様のことが、俺だって愛おしい。

 賑やかな食堂なのにまた二人きりの気分で見つめあって、気恥ずかしさに笑い合ってしまった。

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