表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/66

第四十九話『生業』

 攻める側と守る側は、本質的に前者の方が優位だ。


 攻めるというのは、自分の呼吸で物事を開始するという事。相手の呼吸に囚われず、出方さえも自分で決められる。守る側は正反対。常に相手の呼吸に即応せねばならない。


「いいか、踏み入れる前に必ず頭に入れておけ」


 勝負事におけるその神髄を、アニスは深く理解していた。


 ゆえにたった五十の兵を引き連れ、この部隊指揮官は本邸を前にして咆哮する。


「誰に会おうと、躊躇せず斬れ。言葉には刃で答えろ。刃にはそれ以上の刃で答えろ」


 それこそが戦場の決まり事だ。


 銀色の刀がしゃらりと空を撫でる。数秒にも満たない呼吸を整える時間に、兵達は指揮官の言葉をはっきりと呑み込んだ。極限状態における彼らに、反抗という概念は存在しない。


 ヴァレットもまた兵の中心部にありながら、護身用の剣を抜き放っている。

 

「宜しいな、ヴァレット殿」


「――」

 

 アニスは兵の中にあるヴァレットを視線で射抜き、一言を告げる。


 実際の所、この確認はただ儀礼的なものだった。本当に応諾を求めているわけではない。


 だがこの兵がヴァレットに命を捧げ、ヴァレットの為に勝利を掲げようとしているのであれば。その為の命令はヴァレットがくださねばならない。


 これは、彼女の意志の戦いであるのだから。それこそが、神さえも従える鉄火の契約である。


 よく通る声色が響いた。


「――勿論。断然、破壊なさい。隅々まで残さずに」


 ヴァレットの言葉は、兵にとって完全な引き金となった。


 アニスが即座に踵を返し、本邸の扉を斬り破る。玄関口を支えていた兵が崩れ落ちる姿が見えた。


 彼女を切っ先とし、兵士たちは次々と本邸内へと殺到する。


 誰もが熱狂に浸るそんな中、ヴァレットだけは冷静だ。彼女はこの光景を、奇妙な心持で見つめていた。


 曲がりなりにも、本邸はかつて自分が生まれ落ちた生家だ。


 それを破壊しろと命令する声には、後ろめたさが残って良い。悲しみが混じっても良いはず。


 しかし、ヴァレットの胸中にあるのは清々しさのみだ。


 いや。そうか、そういう事か。


 ヴァレットは自らも剣を持って本邸に乗り込みながら思った。


 ――ああつまり、私はこういう事がしたかったのだ。

 

 自分を手酷く迫害した彼女。


 見て見ぬふりで笑っていた奴ら。


 自分の尊厳を糧に、楽しみを得ていた者ら。


 そいつらを、悉く壊してやりたかったんだ。


 ありとあらゆる苦しみと嗚咽から彼女が得たものは、迸る歓喜だ。


 思い通りにならない現実を、自分の望み通りに捻じ曲げる力。


 人はそれを、暴力と呼ぶ。


「堪えろ! すぐに増援が――がひ!?」


 守備の人数は、三十数名ほど。恐らく他の小部隊は本邸の敷地内の防備についていたのだ。家具を用いた簡易のバリケードを置いてはいるものの、そんなもの時間稼ぎにもならない。


 無機物ならば、確実に撃ち抜く武芸者がいるのだから。


「押し通るぞ――『金色一閃』」


 黄金の閃光が跳ねる度、バリケードが粉々に打ち砕かれていく。障害を打ち砕き、斬り払う。それが彼女の役割であり、それが彼女の生業だった。


 ヴァレットの兵にも流石に被害は出たが、それも数名。四十名以上を残して、入り口を守った敵部隊は壊滅に至った。


 やはりアニスの存在は、それそのものが数百の兵に勝る。だからこそ、グリフは彼女を勧誘したのだ。ヴァレットはそう確信した。


 何故、彼はそんな事を知っていたのだろうか。アニスは無名の武芸者に過ぎなかったというのに。


 それを問う相手は、もうすぐそこにる。


「警戒が薄すぎる。よもや、すでに脱出したか?」


「それはないわ。ここにはグリフがいる。そう分かるもの」


 体内の魔力が、痺れるように反応していた。ここまで近づけば、彼が何処にいるのかまで手に取るようにわかった。最奥の当主謁見室だ。

 

「アーリシア殿が、グリフ殿を置いて行かれた可能性は?」


「無いわね」


 これもヴァレットは即応した。


「それをするくらいなら、燃やすか、壊すわ」


 ヴァレットはアーリシアと自分との間に、奇妙な共通点を見出していた。


 ――手に入れたいと一度考えたものは、必ず手に入れる。もしも手に入らないのならば。


 ぐちゃぐちゃに壊してしまえば良い。二度と、自分の手の届かない所に行かないように。


 ヴァレットならばそうする。ならばアーリシアも必ずそうするはずだ。


 それにあの女が逃げるなんてあり得ない。アレは、敵対者を正面から打ち倒し勝利を喧伝する女だった。


「行きましょう」


 ヴァレットの表情には異様な迫力が宿っていた。表情はどう考えても笑っているのに、瞳は酷薄な残酷さに溢れている。


 リザやアニスに出会った頃に見せた笑みとは、まるで質が違った。


 ヴァレットの迫力に押されるように、アニスと部隊とが二階へ駆け上がろうと動く。


 しかし、階段の最上段に――影があった。


「本来あたいはこういうの、向いてないんだよね」


 砕けた口調。緊張はしておらず、かといって気を抜いてもいない。


 白を基調にした看護服を身に着け、両手両足は鉄の具足で固めている。両目に特徴的な十字が浮かんだ少女。


 しかし不思議な事に、彼女の発する言葉は一定の歳を重ねた重みがあった。


「けどヘルミナやズ・シャータだとやりすぎるから、旦那との約束を守るには、あたいみたいな方が良いんだと。知らないけどさ。止まってくれるなら、手は出さないよ」


 『戦場看護師』マサカリ=メロン。三十五レベルの『魔法士』。


 その異形とも思える姿から、一目で異郷者と誰もが理解した。


 万夫不当にして、一騎当千。現地人を遥かに凌駕する性能スペックを持つ驚異存在。


 脚を止めるな。そう言われていたはずの兵の脚が、否応なしに停止する。動物は本能的に、想定外の事態を受け入れられない。必ず停止して状況を確認するように出来ている。

 

「……まぁ、仕方がない。貴殿らがいないわけがない」


 動けたのは、この事態を予想していた二人。


 即ちアニスとヴァレットが、メロンに視線を向ける。二人ともが彼女の思惑の深さを測っていた。


「それで。私達を足止めしてどうするつもり。話でもしたいわけ?」


「さぁ? あたいはここを通すなって言われただけだし? 別にそれ以上はないね。はっきり言うとね、あたいはグリフの旦那の考えとか、アーリシアのお姫様がどうしたいかは気にしないの」


 メロンの十字瞳が輝いた。


 歯を噛みしめるように、言葉を発する。


「あたいは仲良い連中と永遠に楽しくやっていたいだけ。ヘクティアルの東西紛争なんて、歴史通りの馬鹿を繰り返す連中に興味なんてない。良いかい、あんたら。悪いんだけどさぁ」


 呼吸を一つ。二階へと上がる階段から、全ての兵を威圧するかのようにメロンが呼気を吐いた。


「邪魔するんなら、まともな死に方出来るか知らないよ」


 両手の鉄具足を重ね合わせるメロンから発せられる敵意は、もはや憎悪に近い。


 まるで目の前で起きている事そのものが、不快だとでも語るかのよう。


 遥かな上位者からの威嚇行為。これに対抗できる兵はいなかった。


「――致し方あるまい。兵よ、攻守逆転だ。今より己の背後を守れ。援護にかけつける兵を一兵も通すな」


 ゆえに、指揮官が躍り出る。アニスがぐるりと片手を回しながら言った。


 その姿には麗しい覚悟があり、即ちこの場での死を彼女は一瞬で受け入れた。兵士たちは数瞬遅れながら、アニスの指示通りにその背中を守るよう陣を組む。


 彼女ならば、異郷者と相対しうる。誰もがそう認めていた。


「ヴァレット殿」


 アニスは刀を構え直しながら、階段の最上段で威嚇を続けるメロンに視線を向けた。


 その中で、零すように傍らのヴァレットに言う。


「グリフ殿が手に戻れば、我らの勝利。そう信じて良いか――?」


 それは、願望に近かった。今の局面が、そう簡単に逆転するとは思えない。敵にはまだ二人の異郷者がいるのだ。


 だがアニスは一度目の前でヴァレットの魔導を目撃している。


 あの尊大さ。あの偉大さ。この戦場にあれば、どれほど容易に勝利を形成してみせた事か。


 ヴァレットは目じりをつりあげ、唇を尖らせて言う。


「――ええ、当然でしょう。私とグリフなのだから」


「承知。今更ご手腕に疑いはありません。では、己がこの場は引き受ける」


 アニスは一歩前に出ながら言った。その度に死に近づいていくのだと、彼女は理解していた。


「――己が合図をしたなら、振り向かずに駆け抜け下され」


 死の顕現を前にし、それに相対しながらアニスは言った。


 障害を打ち砕き、斬り払う。それこそが自らの生業なのだと、そう語るかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
これはまさしく、「ここは俺に任せて先に行け」ってやつ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ