第二十六話『クエスト発令』
魔女。
世界の災害にして、人類の天敵。かつて人類が敗北し、大陸の覇権を奪われた存在。
今はその全てが根絶され、大陸は人類のものとなった。人類は平和を謳歌し、怯える事なき日々を送っている。
――しかし魔女への恐怖が失われたわけではない。
魔女が失われたのは、たった数百年前。エルフやドワーフといった長命人種は当時の恐怖を未だ覚えている。短命人種の人間にしても、魔女が残した魔性に日々生活を脅かされている。
魔女によってもたらされた魔力に生活を依存しながらも、魔女の残した魔性と争い合う日々。魔性に対する恐怖は、そのまま魔女への恐怖に直結している。
そうしてもう一つ、致命的な事実があった。
魔女とは超常の存在であり、人類を遥かに上回る存在である。
しかしそれは――種族ではないのだ。魂の色彩が魔に変色した者を指す言語に過ぎない。
ゆえに、かつての時代には数多の種族から魔女が生まれたものだ。
エルフの魔女、パル・ヒュームのように。
「だからこそ、魔女化事象なんて名前がまだ使用されているわ。誰もが思っているのよ」
ヴァレットが語る。もしかすれば、もしかするならば。
魔女は再び、生まれるのではないのか。人類の平和が再び失われ、魔女の君臨した最悪の時代が始まってしまうのではないのか。
「真にそこまでの考えに至っている者がどれほどいるかは分からんが。民間伝承として恐れられているのは事実だ。まさか、その中において魔女の墓を荒そうという者がいるとは」
「いや、別に荒したわけではなく。何というか」
「墓に入った時点で似たようなものだろうが!?」
パル・ヒュームの墓から出てもう一時間近く。森の中でこんこんと魔女について三人から教え込まれている。
ヴァレット、アニス、リザ。全員が真剣な表情をしているから、何時ものように口先で逃げる事も出来ない。
誤算だ。まさか俺と彼女たちでこうも『魔女』の概念に対する理解に相違があったとは。
俺にとって、魔女は良くも悪くも『設定』でしかなかった。存在を理解し認知しているが、現実の延長線上に存在する生物ではない。
だが彼女たちにとっては違う。魔女とは現実の恐怖であり、自分の心臓を踏み抜くかもしれない脅威なのだ。
平和の中に生きている人間と、紛争地帯で生きている人間の認識が大きく食い違う。
「……ナビアでも、考えは変わらないであります。魔女がいた旧時代の遺物や霊性は、リザたちもほとんど扱いません。危険すぎますし、天霊教に目をつけられるのです」
「天霊教に?」
この世界の歴史は、大きく二つの区分に区切られる。
旧時代とは即ち、魔女が大陸に君臨していた時代。人類が大陸の覇権を取り戻した後を、現代と呼ぶ。
旧時代の遺物は魔女との大戦において多くが失われ、ごく僅かな遺物が残るのみ、そんな設定になっているはず。
「です。天霊教は霊性を全て管理したがっているですから。世界の秩序と理を揺るがす悪しき道具、とか」
「そうね。現代の模造品はともかく、旧時代の霊性を放っておくわけがないわ」
霊性。即ち魔力が込められたアイテムもまた、時代区分に応じて大きく二つに切り分けられる。
旧時代において、魔女や英雄達が用いた純粋霊性。
現代において、それらを真似て作られた模造霊性。
後者も十分に脅威ではあるが、もはや世の中に出回りすぎている。そこらの冒険者でも、高位クランなら複数の模造霊性を持っているのが普通だ。
天霊教は魔女に繋がる物品は全て回収したいのだろうが、実質的には不可能。よって旧時代の純粋霊性にのみターゲットを絞っているという所か。
「……リザ。詰まり、俺がこれを持ち出してるのは非常に不味いと言いたいわけだな?」
手元の『異貌の外衣』を軽く持ち上げながら言う。
こいつは間違いなく、当時パル・ヒュームが使っていた完全な純粋霊性。
リザは一瞬瞳を輝かせたが、正気に戻ったようにこくりと頷く。
「はい。下手に触れ回ると、天霊教の戦闘司教が飛んで来るですよ。あの方たちは、霊性が広まるのを最も恐れてるです」
理解は出来る。純粋霊性はその殆どが魔女が造り上げた代物。言うならば、魔力の原液だ。
ろくでもない使い方をされれば、それだけで破滅的な結果を生む。
しかし、ふと思う。
ヴァレットの耳元に顔を近づけて囁いた。
「なぁ、ヴァレット」
「ひゃい!? 何よ!?」
「良いからちょっと耳を貸してくれ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。優しく、優しくよ」
何言ってるんだこいつ。こっちは重要な事を話しているというのに。
なるべく刺激を与えないように、小声で言う。
「……そういう意味で言うなら。そもそも、俺自身が純粋霊性なんだが」
「…………」
ヴァレットが無言で顔を覆う。絶対こいつも今まで気づいてなかっただろ。あれだけ堂々と俺を持ち歩いていたもんな。
大魔導書グリフ。魔女が用いた全ての魔導が書き込まれ、集積された魔力の塊。
放っておけるはずがない。知られれば間違いなく天霊教に狙われるだろう。
「いいや、天霊教云々が問題ではないだろう。魔女の遺品を用いるなど。魔女の力を使っているようで癪にさわる」
「君も何時になく反応するな」
「当たり前であろう!」
アニスは刀を傾けながら、勢いよく噛みついてきた。
「貴殿、己ら武芸者が何故技を磨き、力を蓄えるのか知らんのか! 魔性を断ち切り、無辜の人々を守るためだ! よりによって魔女の力に手を染めるなど!」
「君が解放したバイコーンを止めたのは一応『魔』の力だけどな」
「…………」
やめろアニス。君まで無言で顔を覆い始めるな。俺が悪い事を言っているみたいだろうが。
しかし魔女の遺品がここまで反発を受けるとは。これは暫くは俺の事も、ヴァレットが魔導を用いている事も口に出来ないな。どんな反応をするか分かったものじゃない。
「まぁ三人の言いたい事は分かった。理解もするよ。――ただ、今回はこいつは使わせて貰う。この南方鎮圧、まともな手段でやって、四人で仕上げられるわけがない。そうだろう?」
「グリフ様に、お考えがあるとお伺いしていたでありますが」
「これが、貴方が言っていた考えと言う奴?」
復活したヴァレットが、リザの言葉を引き継いで口にする。純粋霊性を目の当たりにしているとはいえ、その効果まで理解出来るはずもない。
果たして圧倒的多数の魔性に対抗出来るものか。やや怪訝そうに『異貌の外衣』を見つめている。
「丁度良い。南方に展開してる魔性どもについて、ここで話しておこう」
念のため周囲を見渡すが、恐ろしくなるほどに木々ばかり。俺達を付け回す密偵の類はいないと見て良いだろう。
唯一懸念するのは異郷者の接近のみだが、彼らが来れば俺にアラームが鳴る。少なくとも、この場ではこの話を聞いているのは俺達だけだ。
「もう情報は集めている。五つを超える魔性の部族が集まり、奴らは一つの軍隊にまで膨れ上がってる。数にすれば千に近いはずだ」
無論、情報を集めていたというのは嘘だ。
ただただ、俺が元から知っていただけ。
「……現地領主が治められないはずね。それだけの数、種族によっては国家が総動員で当たる規模よ」
「これを政争の道具に使おうってんだから、アーリシアも大した奴だよ」
アーリシアも当然、魔性の規模がどの程度かは把握しているはず。
その上で、自分ならば鎮圧出来ると確固たる自信を持っているのだ。リ=ヘクティアル家の持つ力がそれだけで推し量れる。
「数の大部分を占めるのはゴブリンやコボルドといった低ランクの魔性だが、一つだけ面倒な種族がいる。魔女化事象を起こしてるのもそいつらの頭領だ」
「異形殿。貴殿の言葉は己には婉曲的すぎる。率直に言ってくれ、相手は誰だ?」
立ち直ったアニスが、彼女らしい言葉で先を促す。
やる気になってくれているなら有難い。今後には、彼女の力が欠かせないからな。
ヴァレットとアニス、リザの視線を軽く身渡してから言った。
「――大毒蜘蛛だ。奴らの統率力は目を見張る。だが、だからこそつけいる隙もある」
含むように、敢えて手元の『異貌の外衣』を見せつけるようにして言った。
「これを使って、女王を殺す。そうすれば奴らは勝手に瓦解するさ。それだけが、今回唯一の勝利条件だ」




