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第二十四話『神聖なる醜悪』

 ――神聖さと醜悪さは容易に同居する。


 両者は相反するようで、同質だからである。


 神聖も醜悪も、人類の自然の営みから反する所にあるもの。神聖であろうとすればするほどに、醜悪な行いに手を染めなければいけない。


 リザ=ベルエスト。ナビア商工組合領域の出身者は、本能的にその点を熟知していた。そうした自然の営みから反する行いにこそ、金貨が集積するからだ。


 ナビアの人間は、常にその集積点を探し求めている。


「リザ。そなたに神命を与える」


 天霊教司教。ルージャン=バルリングは、南方遠征に向けて準備を整えるヴァレットの合間を縫って、別邸の一室にリザを呼び出していた。


 ルージャンは神職にありながら欲望深く、その性根は臆病。神聖と醜悪の同居を体現したような人物だ。


「公女は必ずや、そなたを連れて南方に赴く。その間の情報を私に送るのがそなたの役目だ」


 だが、決して無能ではなかった。欲が深いからこそ金貨の価値を知り、臆病ゆえに準備を怠らない。それは勤勉と言えるほど。


 だからこそ、彼はヴァレットよりもアーリシアやデジレを選んだのかもしれない。アーリシアはその謀略的な性質ゆえに話が通じる。デジレは自分と同様に欲深く、操作は容易い。


「……あれは神を神と思わぬ輩。必ずや、神罰がくだるであろう。そなたの行いは、神の求める所なのだ。下賤なナビアの人間に、神命を遂行する機会がくる。これほど名誉な事はなかろう?」


 しかしヴァレットは違う。


 長年、人を観察し続けて来たルージャンの瞳が断じていた。


 ――あれは利害以外のものに価値を置く人間だ。神を求める祈りはなく、神を呪う言葉もなく、世界に座してしまえる人間だ。


 ルージャンにはそれが恐ろしかった。曲がりなりにも神に祈り続け、祭事を取り仕切って来た人間にとって、その全てを踏み躙れる人間は根源的な恐怖に通じる。


 決して、手を組める相手ではない。


 リザはルージャンの瞳をじっと見つめる。白髪は綺麗にまとめられ、彼女の清廉さを示すかのよう。


「――はい。承知いたしました司教様。ご連絡の方法は?」


 しかしリザは、あっさりと自らの主人を売り渡すように言葉を返した。


 ナビアの人間は、本質的に誰かに仕えるという思想がない。彼女らにとって必要なのは、如何に金貨を積み上げるか。それこそが彼女らの価値観であり、神も魔女もそのための道具だ。

 

 ――リザにすれば、自らもまた商品。より高値を付ける相手に売り払うのは当然だった。


 ルージャンにとってみればリザもまた理解の外にいるが、それでも金で動く分ずっと扱い易い。

  

「よろしい。これを使う」


 ルージャンは用意していた二つの品物を見せる。


 一つは、小さな石をはめ込んだネックレス。かなり小さめに作られており、簡単に懐に入る。


 リザがそれを受け取ると、石から魔力の波を感じた。


「『波紋石ペンタル』ですね。これだけ小さいのは、珍しいであります」


「目ざといな。流石は卑しい商人どもの子か」


 『波紋石』は、特定の魔力を発し続ける魔石の一種。それ以上の用途はないが、有用なのは各々の魔石が固有の魔力波紋を持っている事だ。


 魔力察知のアビリティに波紋を登録しておけば、波紋が送られてくる方向、そうして強度によって持ち主の位置が分かる。


 高級品の盗難防止にも使われる魔石。小さくなりすぎればその機能を失うため、幾らでも隠せるサイズは貴重品だ。


「こちらをリザが持ち、司教様にオジョーサマの位置をお伝えすれば良いのですね」


「それだけでも、十分な情報になる。そうしてもう一つだ」


 もう一つの品物は、布の小袋だった。中を覗き込むと、白い粉が包まれている。


「――『毒鳥蛇バジリスクの唾液』だ。吸い込むでないぞ。匙一杯で人を殺せる」


 よく市場に出回る偽物の『毒蜥蜴の粉末』ではなく、本物だった。リザは一目でその価値と意味を理解しながら頷く。


「特有の臭いがある。邸宅内では使えんが、遠征先なら別だ」


 南方への遠征においては、必ずしも物資が充足するわけではない。粗野な食事をとらなければいけない時もあるだろう。邸宅内のように、食事に警戒し続けられるわけでもない。


「食事の用意をするのはそなただろう。隙を見て、奴らを始末するのだ。それが出来れば、波紋石は砕いて構わん。それを神命完遂の合図とする」


 即ちリザに与えられた神命とは、ヴァレットに関する情報伝達とその暗殺。


 聖なる神の名の下に、後ろ暗く醜悪な命令がくだされる。目的のために手段は問われない。何故ならばその目的こそが絶対唯一の神の目的であり、その目的のためならば如何なる手段も肯定されてしかるべきであるからだ。


 ゆえにこそ、やはり神聖さと醜悪さは同居する、し続ける。


「承知いたしました、司教様。それで、代金は頂けるのでしょうか?」


 暗殺という、人の命を手にかける命令を下されても、リザは眉根一つ動かさなかった。


 まるで商品を扱う商人のように、相変わらず表情は薄い。


 だが、ルージャンにとってはそちらの方がよほど良かった。商人という薄汚い職業の人間に神聖さが理解できるとは彼も思っていない。金のために動く方がよほど信頼できる。


「よろしい。事が済み帰ったならば、三十枚の銀貨を与えよう。忘れるな、これは神命だ。そなたの行いが失敗すれば、この国に大きな災いが訪れる事を忘れるな。聖書にもある通り――」


 聖書の一節を引用しながらルージャンは言葉を繰り返す。


 しかしリザは彼の言葉などもはや聞いていなかった。


 ただ報酬とも言える銀貨三十枚の価値を推し量っていただけであった。


 ◇◆◇◆


 魔女化事象に伴う魔性鎮圧。本来であれば輝かしい事この上ない事績だが、今は処刑台に上るような重さを伴っていた。


 本来であればヘクティアルの私兵を総動員すべきだ。ヘクティアル家内の私兵は五千。それだけの数がいれば十分に『ヘクティアルの魔境』イベントもクリアできる。


 しかし未だヘクティアル家内が争乱しているこの状況では、彼らを満足に扱う真似は出来ない。下手をすればデジレに与して敵に回る奴も出て来るだろう。


 とすればヴァレットは、少数の供回りをつれて処刑台に上るしかなかった。


 会議の翌日には、早々に南方へ出発。バイコーンが牽く馬車にすでに数日は揺られている。


「ようやく己の力を振るえる時が来たな! 口先だけの戦争は苦手だ。いいや、力を使わない闘争など虚無だ!」


 南方への道のりにおいて、ヴァレットと俺、そうしてリザはバイコーンの牽く馬車に揺られている。ただアニスだけは専用の馬を与えられ、嬉しそうに道を駆けていった。武芸者にとって、馬を用いるのは嗜みの一つであるらしい。


 ああも心臓が強ければ、人生が楽しいに違いない。


 無論、皮肉だが。


 南方遠征に向かうのはこれが全て。つまり南方に向かう戦力は総計四人。本来ならこれだけの数で魔性討伐などどだい無理な話だった。


「まぁ……前向きなのは良い事だ。嘆いても仕方がないからな」


 そも、魔性とは何故人類の敵足りうるか。


 ――人類より強者であるからだ。


 人類よりも魔力に通じ、強靭な骨格と筋力を誇り、自然に学んで専用アビリティを習得する。


 魔力に満ちたこの世界において、魔力に通じているだけでも大きなアドバンテージだ。


 人類が大陸の覇者たれるのは、その差異を数と戦略戦術で埋め合わせているからに過ぎない。異郷者や冒険者のように魔性を討伐出来る人間はごく稀なのだ。


 一対一で人類と魔性が戦えば、まず間違いなく魔性が勝利する。百対百でも同じだ。


 だから人類は百の魔性に千の兵を押し当て、魔力で砲弾を発射し、相手の住処さえ破壊して勝利する。それが人類の基本戦術。


 本来ならば、それが出来ない時点で敗北は決定づけられている。


 戦争とは、それ以前に蓄えた力を一瞬で燃焼させる行為に他ならない。如何に戦略戦術を練ろうと、蓄えた力が少なすぎれば、ただ蒸発して消えるだけ。


「ですがオジョーサマなら、大丈夫でありますよね!」


 南方遠征に向かう馬車の中では、リザがヴァレットの身の回りを全て管理している。


 彼女の場合はアニスの楽観とは違い、事の重大さが理解出来ていないがゆえの言葉だろう。


「その通り――と言いたい所だけれど、そう簡単にはいかないでしょう」


 ヴァレットはリザに軽く視線を向けた後、今度は俺を見やった。


 俺はこの所、毎日のように外殻を展開させられて死にそうだ。早く本の姿で日々を送れるようになりたい。せめてリザがいなければ、馬車の中では休めたというのに。


「グリフ。貴方の考えを聞かせて頂戴。どうせアーリシアが南方遠征を切り出す事、分かっていたのでしょう」


「……何でそう思うんだよ」


 ヴァレットに胸中を言い当てられて、思わず瞳が歪んだ。


 実際、『ヘクティアルの魔境』イベントは知っていたし、アーリシアが無理難題を持ちかけて来るならその線だろうと予想はついていた。


 しかしヴァレットに見透かされているのは予想の外だ。


「分かるに決まってるじゃない。会議の時、貴方だけが動揺してなかったわ。それに貴方、色々と隠し事をしているでしょう、この私に」


 じろりとヴァレットの瞳が俺を睨みつける。追及するというよりも、嫌味をいう風だ。


「異郷者との争いの件もそう、魔導の件もそう。貴方、情報を隠す癖があるのよ。バレてないと思っているかもしれないけど、案外気づくものよそういうの。浮気性がある男はそうなるらしいわ」


 リザの前でなんて事言うんだこいつ。


「分かった、悪かった。ただ、別に――」


「――私に隠し事をしたいわけじゃなくて、混乱させたくなかった、って所?」


 参った。口喧嘩で勝てる気が全くしない。


 困った様子を出したのが愉快だったのか、ヴァレットは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。


「知ってるわよそれも。貴方が私の不利になるような事をするはずがないもの。必要に応じて、情報を出していると信じましょう」


 けらけらと陽気な笑みを見せた後で、ヴァレットは更に言葉を続けた。


「だから、今回も貴方には考えがあったものだと理解しているのだけれど?」


「信頼が重いね」


 思わず両肩を竦めた。こんな異形の存在にそこまでの信頼を預けていいのか知らないが、しかし可能な限りは答えたい。


「勿論、考えはあるさ。南方に辿り着く前に、寄りたい場所がある」


 言って、少しばかり進路を変えさせる。南方までは半月の距離だが、そこまで道をそれるわけじゃない。


 ただ昔、俺が仕込んだプログラムを回収しにいくだけだ。


「しかし、もしかしたら俺が君に不利なように動く時だってあるかもしれないぜ。その時はどうするんだ」


 馬車に揺られながら、興味本位で聞いた。


 ただ否定されるかと思ったが、ヴァレットは綺麗な笑みを浮かべて言った。


「貴方は必ず殺して、その後で死ぬ予定よ」


 聞かなかった方が良かった。まるで冗談が含まれていなかった。

 

「魔性一体とて出て来ん! 全くつまらん!」


 凍てついたような馬車の内部とは正反対に、ただアニスの気楽な声だけが周囲に響き渡っていた。

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