最終報告書
光陰矢の如し…
それからも僕は、退屈な日常を我慢して送り続けた。
瞬く間に1年が過ぎてしまっていた。5年目の夏。僕も、もう25歳。彼女は27歳。
畑に植えたブラックベリーとブルーベリーは、去年よりもさらに収穫量を増やした。2人でも食べきれないくらいだった。来年は、もっと増えるかもしれない。その時、僕はこの家にいるだろうか?たぶん、いないだろう。
退屈な時間の繰り返しをどうにか耐えることができたのは、やはり、彼女の存在が大きかっただろう。それがなければ、とっくの昔に僕はこの街を飛び出してしまっていたはず。毎月何もせずにもらえる8万円という収入を投げ出してでも、この街もこの国も飛び出して、どこか遠い国へと旅に出ていたに決まっている。
その代わりに、僕は衛星放送で「海外の街の風景を映す放送」や「外国の文化や歴史を紹介する番組」や「外国語のニュース」などを眺めて暮らした。それで、いくらか気持ちは落ち着いたし、他国のコトも知ることができた。
それでも、実際にその土地に降り立ってみなければ、ほんとうのところはわからない。画面の中の情報では限界があった。
その土地の空気を感じ、その土地の臭いをかぎ、その土地で話されている言葉を直に聞く。「そういうことがなければ、心の底からその国を理解することはできないのだ」という思いが、心の中に居座っていた。直感的に、それがわかっていた。
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僕は、自分のストレスを抑えるため、毎月政府に送っている報告書をさらに念入りに書きつづるのだった。
報告書は、以前にも増して詳細になり、文章量は増えていく。この土地に縛りつけられていることからくるストレスの量に比例するかのように、執筆量は増加していった。
直接経験したコトやベーシックインカムに関連することがらだけではなく、この国の政治に対する対策や意見、世界情勢に応じてこの国がやるべきコト、庶民の生活を向上させるために必要な援助や資金の額などなど。とにかく、ありとあらゆるコトを盛り込んでいった。
そこに意味があるかどうかなど、どうでもよかった。
僕は、僕のやりたいコトを、ただ心のおもむくままに書きつづっただけだ。そういう意味では、単なる自己満足であったともいえるかもしれない。人々が、日頃の疲れや労働のストレスから、カラオケボックスに通い大声で曲を熱唱するようなものだ。
そこにたいした違いなどありはしない。ただ、ほんの少し、この社会のために役に立つ可能性があるかもしれないという、その程度の違いに過ぎなかった。
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この年の秋。もう冬も近づいてきたある日。
この5年近くの間に、僕が経験し学んだコトから、最終的に“ベーシックインカムが必要かどうか?”についての報告書をまとめた。
主な概要は以下の通りだ。
・最初に、根本的にベーシックインカムには無理がある。どう考えても、この政策を全国民でやるには、信じられないほど莫大な資金が必要となってしまう。おそらく、今の日本政府ではそれはまかなえないだろう。
・また、そのためには各種サービスや税金の控除などをなくす必要が生じてくる。実際には、今の生活よりも楽になるどころか、苦しくなってしまう人も大勢出てしまうだろう。
・ベーシックインカムを導入するために「相続税を100%にする」などの根本的な対策が必要だが、それらは反対する人の数が多すぎて、現実的ではない。理想としてはよいのだが、実現する見込みはほとんど0に等しい。
・それらを踏まえた上で、この“ベーシックインカム大実験”という試みが全くの無意味であったか?といえば、そうではない。それどころか、それとは全く逆に大いに意味も価値もある行為であったと思う。
・その理由として、たとえば「時間や心にゆとりのある生活」「職業訓練としての役割」「過疎地の活性化」「芸術や創作活動などの広がり」などがあげられる。
都会で毎日の労働から疲弊し心を壊してしまった人も、この地でゆっくりと回復することができた。
僕自身も、最初は全く働く気がなかったのに、この実験のおかげで様々な職業に触れ、自分でも汗水垂らして働くことができるようになった。社会に関心を持ち、英語などの能力習得にも役に立った。
人々は芸術に関心を持ち、自分でも絵を描いたり、詩を作ったり、彫刻を彫ったり、演劇を上演したり、積極的に創作活動に打ち込むようになった。これは、時間や心やお金にゆとりがなければ、なかなかできないことである。
・以上のコトから、「ベーシックインカムという試みは大いに意味はあるのではないか?」と結論づけられると、僕は判断する。
ただし、全国民に同時に一生涯というのには無理がある。必要な援助は、人によって違うのだから。
なので、それぞれの人に応じて、必要な期間に限り、今回のベーシックインカム大実験と同じような(あるいは、もっと改善した方式で)援助を惜しまないというのが、この国に課せられた使命なのではないだろうか、と考える。
僕は何度も自分の書いた文章を読み直し、「ヨッシ!これでオッケー!」と最終確認し、メールの送信ボタンを押した。




