農家に補助金を出して何が悪い?
ある日、シェアハウスの集まりにて。
僕は、この前疑問に思ったコトを尋ねてみた。
「日本の農家は補助金に頼り切っているのではないか?」と。
すると、すぐにこのような答が返ってくる。
「確かに。畜産を含めた日本の農作物の売り上げが8兆円ちょっと。それに対して、補助金は5兆円以上も使われている。これは、かなりの額だよな~」
「けど、それはどこの国でも同じじゃないか?むしろ、日本は農家に補助金を出してない方だと聞いたけど」
「そうそう。ヨーロッパにしろアメリカにしろ、農家にはもっとたくさんの補助金がかけられてるって話だからな」
さらに、こんな反論も飛んでくる。
「だけど、それは決して悪いコトばかりではないんだ。考えてもみたまえ。補助金が全くなくなったら、どうなると思う?全然金にならない農業なんて、誰も見向きもしなくなる。そうなれば、米も野菜も肉も卵も、誰も作らなくなり、食糧自給率は激減してしまう。もちろん、農家が自立して収入を得られるようになれば、それに越したことはないけれども」
「そこまでしても守らなきゃいけないってことだよな~」
「そうそう。こういうのは、お金の問題だけじゃないんだ。世の中、お金よりも大切なコトがある」
「それに、農家以外の人たちだって、恩恵を受けてるんだぜ。国が補助金や助成金を出すことで、農産物をより安い価格で売ることができる。そうすれば、一般人だって家計の助けになる。これは、ある意味で、税金を使って人々に還元しているともいえるんだ。単なる税金の無駄づかいとは違う」
「農家に配られたお金だって、そこで止まるわけじゃないしな。そのお金を使って、農業機械や肥料なんかを購入したり、新しく人を雇ったりもできる。そのお金が、また別の商品を購入するのに使われる。お金ってのは、そうやって世界を循環しているわけさ」
なるほど。それは、考えてみなかったな。確かに、いわれてみれば納得できる。
たとえば、公務員に支払われる賃金や、公共事業費なんかもそうだけど、そこだけ考えると“単なる税金の無駄づかい”にも思える。でも、よくよく考えてみると、そのお金はそのまま止まっているわけではない。血液のように社会を回り続けているのだ。
国の役割というのは、「いかに、お金をうまく回してやるか?」でもあるのだ。
もちろん、それも度が過ぎれば、無駄づかいということになってしまう。ただ、日本の農家に使われている補助金の額というのは、それほど多いものではないのかもしれない。
そこで、また誰かが、こんな風に発言する。
「それでも、農家も悪い部分はあるんだよな~」
「ん?たとえば?」
「たとえば、毎年、同じコトを繰り返している。去年と同じ方法で、去年と同じだけの収穫量をあげようとする。工夫も進歩も何もない。そんな農家は多いんじゃないか?」
「そりゃ、仕方がないさ。みんな忙しい。しかも、専業でやっている人は少ない。ほとんどは兼業農家。他の仕事の片手間に、休みの日を使って農作業だもの」
「それそれ、それがいけないんじゃないか?そもそも、日本の農家の数は多い方なんだ。もっと数を減らして、大規模化しないと。そうしないと効率が悪くて仕方がない」
これは、僕も聞いたことがある。他の国に比べて、日本は農家の数ばかり多く、1軒あたりが耕している面積は狭いという。これでは、効率的な農業などできるはずがない。
「だから、最近は、企業が農業に参入してきたりもしている。会社みたいに社員を雇って、毎月給料を払ったり、ボーナスを出したりしてるところもあるって話だ」
「それで利益が出るのかい?」
「ああ。大きな機械で土地を一気に耕したり、育てる品種なんかも工夫して、かなり利益を出してるらしいぜ」
「へ~、そういうのはいいな。もっとそういう企業が増えてくればいいのにな」
そこからさらに話が飛ぶ。
「世間ではあんまり評判のよくないTPPってあるだろ?」
「あ~、いろいろ悪い噂を聞くな」
「アレだって、いい面もあるんだぜ。『TPPが成立すれば、日本の農業は壊滅するんじゃないか?』なんてよくいわれているが、実際は逆かもしれない」
「どういうことだ?」
「関税がなくなり競争にさらされるってことは、逆をいえば、やる気を出さないといけなくなるってことだ。海外の安い農作物と戦うには、日本の農家も本気にならざるを得なくなる。そうなれば、農業改革も進み、日本の農業も一気に効率化されるんじゃないか?って話だ」
「なるほど」
「それに、日本の野菜や米や肉は、世界でもトップレベルに品質が高いんだ。実は、充分に世界で戦える能力を持っている。品質の高い農産物を輸出することで、莫大な収益をあげる可能性だってある。これまで、日本の農家が一番怠ってきたのは、そういった世界に売り込みをかける“営業努力”だったともいえるんだ」
「そうか。TPPってのも、悪いことばかりじゃないんだな」
「まあ、それだけで判断するのは危険だがな。TPPってのは、農業以外にもいろいろやろうとし過ぎていて、日本が混乱するんじゃないかって話もある。やるにしろやらないにしろ、慎重に交渉を進めた方がいいな」
このように話は進んでいく。
僕は、こういう空気が好きだった。結論がどうあれ、このようにみんなで話をするという行為には、それだけで意味があるように思えた。
少なくとも、家の中で1人でゲームをしたりアニメを見ていたりして時間を過ごすよりかは。
みんなだって、そうだろう。都会で懸命に働いていた頃には、なかなかこういうゆとりは持てなかったはずだ。時間のゆとりも、心のゆとりも。この街に来て、ゆとりができて、いろいろと自分で調べたり学んだりすることができるようになったからこそ、このような話もできるようになったはず。このままいけば、もっともっと深い話だってできるようになるだろう。
そういう意味で、僕はこの“ベーシックインカム大実験”という計画に感謝したい。




