有意義なお金の使い方って、なんだろう?
シェアハウスの集まりから帰ってきて、僕は考える。
「では、有意義なお金の使い方って、なんだろう?」と。
パチンコやパチスロに使うのは、無意味なお金の使い方?
競馬や競輪や宝くじも同じ?
ギャンブルに使うのはよくないのだろうか?
それは、なぜ?
そこから何も生み出さないから?
では、ゲームはどうだろうか?
たとえば、ソーシャルゲーム。たくさんお金をかけて、わけのわからないカードを購入する。それもデータ上のカードだ。後に残るわけではない。それだと意味がない?
逆をいえば、後に残る物ならいいのだろうか?
その理論でいくと、将棋や囲碁やチェスも無意味ということになってしまう。
「いや、そこには“文化”があるじゃないか」という反論が飛んでくるかもしれない。
では、文化とはなんだろう?長い歴史があれば、それが文化となる?将棋と格闘ゲームの違いは何?
格闘ゲームやFPSや落ちものゲームだって、長く遊び続けられれば文化となる?それは、何年くらい?20年や30年の歴史では、まだダメなのだろうか?
もしかしたら、遊ばれてきた期間ではなく、戦略性とかそういうものなのでは?いや、でも、シミュレーションゲームや格闘ゲームにだって、戦略性はある。
あるいは、映画やマンガやアニメはどうだろうか?小説は?ドラマは?
小説は高尚で、アニメは低俗?それは、誰が決めたの?
有意義だとか無意味だとかの線引きは、どこで行われている?
いろいろと考えていると、わけがわからないくなってきた。
さっき誰かがいっていたように、「何が有意義で何が無意味かなんて、人が決めるもんじゃない。本人が満足していれば、それでいい」という考え方には説得力があった。
でも、それもちょっとおかしい気もする。やっぱり、ギャンブルはちょっと違うんじゃないだろうか?
あるいは、麻薬はどうだろう?タバコは?お酒は?
人間の体や人生に害を成すものはいけないのだろうか?
でも、楽しいコトやおいしいものは大抵体に悪いもの。害になる物を一切排して、修行僧のような暮らしをするのが理想の生活なのだろうか?食べる物なんかも、精進料理に切り換えて…
いや、それもどうかと思う。
結局、適度なら許されるのだろう。適度に楽しくて、適度に体に悪い。それは許される。
では、その“適度”とは、どのくらい?そこの線引きは、誰が決める?
その判断基準は、人によって違っている。人それぞれの価値基準がある。
そうなると、やはり、“もらったお金は、自分の好きに使う”という考え方になってしまう。もちろん、法律に違反しない範囲で、だが。
世の中に必要なのは、“自由”なのかもしれないな…と、僕は思った。
自分の狭い価値基準で人に強制しない広い心。「アレはダメ!」「コレはやっちゃいけない!」などとアレコレ細かく指図しない。そんな自由な精神。世界を幸せにするのは、そういった思いなのかもしれない。




