第十二話 八十一号作戦
5月22日 7時30分
「敵機、方位180、距離1000(100キロメートル)」
電測室から報告が入る。人ではなく電子の目による索敵、もはや見慣れた光景だ。
「対空戦闘用意」
松原艦長の号令に将兵らは動き出す。その時、若い士官が大声を張り上げた。
「いいかお前ら、我々はニューギニアの友軍を助けなければならない! なんとしてでも輸送船を守れ!」
高角砲と艦橋の機銃座を指揮する分隊長である。
殺気立った空気が広がる艦橋、そこにのんびりとした声が響いた。
「君、あまり気を張ってはいかんよ。まだ敵さんも来ていないのに」
八水戦司令木村昌福少将だ。今回の輸送作戦の指揮官でもある彼は、ずいぶんと落ち着いていた。拍子抜けした顔をする分隊長に木村は続けた。
「まあ、でもその気概は評価するがね。東部ニューギニアの友軍の命運は、我々の双肩にあるのだから」
ガダルカナルでの敗北により甚大なダメージを負ったアメリカであるが、その回復は(特に陸軍において)早かった。ガ島の米軍部隊が降伏してから約二カ月後の1943年4月16日、ニューギニアでの米豪連合軍(南西太平洋方面連合軍)による攻勢が始まった。
この時の日本軍は、ブナ・ラエ・サラモア間をつなぐ道路の建設に尽力していた。しかし、熱帯気候特有の高温と濃密なジャングルが立ちふさがり、工事は遅々として進まなかった。ようやく人が通れるぐらいの道ができ、次は馬や自動車も通れるぐらいに拡張しよう——などと計画している最中、連合軍の攻勢が始まった。
ブナの間反対に位置するポートモレスビーとニューギニア東端のラビ(日本海軍が占領を計画していたが、実行されることはなかった)を根拠地に、米豪軍はブナへの侵攻を開始した。ブナ地区東部にオーストラリア陸軍第16、第30旅団、アメリカ陸軍第41歩兵師団、第32歩兵師団が上陸、さらに豪陸軍第21、第25旅団と第32歩兵師団の一部がスタンレー山脈を越え、ブナ・サラモア間の分断を試みた。
ブナ地区に展開していた日本軍部隊は陸軍南海支隊(約11,000名)と海軍陸戦隊(呉第三、佐世保第五特別陸戦隊基幹、約1,000名)であった。しかし物資(糧食や医薬品)は常に不足し、熱病に罹る者も多くいた。額面通りの戦力を発揮することは到底不可能であった。
ここにきて、第十八軍はブナ地区の放棄を決定(すでにポートモレスビーの陸路攻略は不可能であるとの見方が強かった)、南海支隊にサラモアへの「転進」を命令する。第八艦隊も同様の命令を下した。
ブナ地区守備隊は決死の撤退戦を始めた。幸いにも弾薬は豊富にあり、ブナ周囲の防御陣地もほぼ完成していた。彼らは、在庫処分とばかりに弾薬を使用し、連合国軍を食い止めた。ラエやラバウルから航空隊も支援に駆け付け、ポートモレスビーの米陸軍航空隊と激闘を繰り広げた。
連合国軍も過酷な環境に苦しんだ。特に、スタンレー山脈越えを命じられた部隊は飢餓と熱病に苦しみ、多くの被害を出した。
しかし、守備隊の戦力はすり減っていく。5月15日にはM3軽戦車が投入されるなど、徐々に追い詰められていった。
一方、第十八軍とその上級部隊である第八方面軍は、早くもブナから転進した部隊の収容とラエ・サラモアの守備を固めることに取り組み始めた。東部ニューギニアが敵の手に落ちれば、次に狙われるのはラバウルだ。ラバウルが陥落ないし無力化されれば最悪の場合、ソロモン・ニューギニア戦線の瓦解すら考えられる。
当時、ラエ・サラモア地区に展開していた部隊は3個大隊(第五、第二十、第四十一師団からそれぞれ1個ずつ)、しかしやはり物資不足に陥り、多くの将兵が熱病に倒れていた。同地区守備隊の補充と増強のため、第五十一師団を投入することが決定した。
5月1日に、先遣隊として岡田支隊(第五十一師団第百二歩兵連隊基幹)の輸送作戦、十八号作戦が実行された。この作戦は、輸送船1隻が座礁し放棄されたものの、一通りの成功を収めた。
しかし、状況は好転せず、むしろ悪化した。将兵の損耗は続き、傷病兵の数は(ブナ地区も含め)5,000名を超えた。彼らの維持が大きな重荷となった。特に、サラモアはブナから後退してきた多数の傷病兵であふれ、巨大な野戦病院と化した。
この事態を重く見た第八方面軍はさらなる輸送作戦を計画した。それも、舟艇や駆逐艦によるものではなく、大規模な船団を組んでのものだ。
そして、承認されたのが八十一号作戦である。この作戦は、マダンの第二十師団から1個連隊をフィンシュハーフェンへ、第五十一師団主力をラエへ輸送するなど東部ニューギニア戦線増強のための大規模な輸送作戦であった。特にラエへの輸送は、帰路に同地の傷病兵及びブナ地区から後退して来た部隊の収容も計画されるなど最も大規模かつ重要なものであった。
ラエ輸送の参加艦艇は以下の通り。
護衛部隊 指揮官:木村昌福少将(第八水雷戦隊司令)
【軽巡洋艦】「阿賀野」(旗艦)
第二十駆逐隊【駆逐艦】「白雲」「夕霧」「天霧」
第二十三駆逐隊【駆逐艦】「皐月」「水無月」「文月」「長月」
第三十二駆逐隊【駆逐艦】「桜」「柳」「椿」「檜」
第六十二駆逐隊【駆逐艦】「春月」「宵月」
輸送部隊【輸送船】12隻
輸送船は12隻、護衛部隊は第八艦隊第八水雷戦隊を基幹とし、そこに錬成を終えたばかりの秋月型駆逐艦2隻が加わる。また、彼らの頭上はラバウル航空隊が守ることになっている。
そして5月21日、作戦は実行された。
5月22日 8時1分
「敵機接近!」
「主砲、弾種三式、射撃用意!」
緊迫した空気が広がる。「阿賀野」の電探は敵機の早期に発見したが、上空の直掩機にそれを伝えるすべはなかった。これには、無線機の性能や指揮系統の問題が原因として挙げられる。直掩機は奮戦するも攻撃阻止には至らなかった。
「主砲斉射!」
砲術長の号令とともに、15.2センチ連装砲が火を噴く。装填されていたのは三式弾、対空射撃用に開発された砲弾だ。
およそ十秒後、上空がオレンジ色に光り、無数の火の玉が広がる。三式弾に内蔵された3,000発の焼夷弾子、それらが射出されたのだ。
しかし、炸裂した場所は敵編隊とはやや離れていた。1機がエンジンから火を噴き、離脱していくがそれ以外の機体はこちらに近づいてくる。
やがて、敵機の姿が見えてきた。巨大な四発機、B-17だ。
「高角砲、射撃始め!」
護衛部隊の各艦が対空戦闘を始める。「阿賀野」と秋月型の長10センチ、松型の12.7センチ高角砲が砲弾を撃ち上げる。
「撃て撃て、撃ちまくれ!」
分隊長が射撃音に負けないぐらいの大声を張り上げる。長10センチ高角砲の最大射撃速度は毎分15発(即応弾を使えば毎分19発まで射撃可能)、「阿賀野」砲手は内地での猛訓練の結果、それに近い速度での射撃が可能となっていた。
上空に弾幕が張られる。さしものB-17も砲弾には耐えられない。ある機体は主翼がへし折れてバランスを崩し、またある機体は機首を潰されコントロールを失い墜ちていく。被弾や巻き添えを恐れた敵は、編隊を崩した。
数を減らしていくB-17、それでも残った機は爆弾を投下する。しかし、1発も当たらなかった。
「敵機、離脱していきます!」
見張り員の報告にある者は歓声を上げ、またある者はホッと胸をなでおろした。
5月22日の空襲はこれが最初で最後だった。しかし……
5月23日 7時30分
「敵大編隊! 100機以上!!」
電測員が悲鳴のような声を上げる。木村は呟いた。
「どうやら、昨日の空襲が一回きりだったのは今日の攻撃の布石だったようだな」
「主砲三式弾、撃ち方始め!」
再び「阿賀野」主砲が火を噴き、巨大な「花火」が花開く。今回は1機が主翼を吹き飛ばされて海面に突っ込み、3機が翼やエンジンから黒煙を引き離脱していく。
しかし、数が多かった。敵は双発機と四発機の混成だ。そのうち半数は高度を下げていく。
「雷撃か!?」
「それなら発射の直前に隙があるはず、そこを狙え」
松原が言った。航空機による雷撃では、雷撃機は魚雷投下の直前は必ず直進し続ける必要がある。内地での訓練の流れで航空雷撃の動きを学んだ彼は、そこが狙いどころだと考えたのだ。
「敵機、距離10!」
「雷撃機を狙え! 爆撃は操艦によって回避せよ!」
高角砲が砲弾を放ち、機銃が唸る。敵機は双発のB-25「ミッチェル」、およそ20機が肉薄してくる。何機かが火を噴き、海面に突っ込むも、彼らは止まらない。
突如、B-25の爆弾倉扉が開き黒い影が海面に落ちた。そして、B-25は急速に機首を上げ、離脱してく。
「敵機、何かを投下!」
「!?」
唐突な報告に松原は驚愕した。
(あんな乱暴な投下じゃ魚雷は壊れてしまうのでは……)
しかし、敵機が投下したのは魚雷ではなかった。およそ10秒後、輸送船のうち1隻が爆発した。




