第十三話 激闘、ダンピール海峡
のちに「ビスマルク海海戦」と名付けられるこの戦いにおいて大々的に使用された戦術、それが「反跳爆撃」である。簡単に言うと、水切りの要領で爆弾(遅延信管を装備)を水面で跳ねさせて目標にぶつける爆撃法だ。
この戦術は従来の水平爆撃より命中率が高く、急降下爆撃と異なり専用の機体でなくても実行できるものであった。
最初に被害を受けたのは輸送船「旭盛丸」であった。彼女は中心部に爆弾が直撃し、大火災を起こした。
しかし、爆撃を敢行したB-25隊の戦果はそれだけであり、また被害も大きかった。反跳爆撃は敵に肉薄する必要がある以上、被弾のリスクは高い。船団側も低空の敵機に向かって優先的に攻撃を加えたため、多数のB-25が被弾し墜落した。
7時48分
「敵機、数20、こちらに突っ込んでくる!!」
攻撃は続く。今度は、双発戦闘機P-38「ライトニング」7機とブリストル「ボーファイター」13機が護衛部隊目掛けて突っ込んできた。どちらも機首に多数の機銃を装備している。彼らの目的は、機銃掃射による対空火器の制圧であった。
「叩き墜とせ!」
急速に接近する敵戦闘機隊に対し、25ミリ機銃が猛射を浴びせる。
「阿賀野」には九六式二十五粍機銃が累計52挺装備されていた。この機銃は照準や旋回に難があるとされていたが、この時は高い精度を発揮した。内地での訓練の成果である。
しかし、敵も同時に機銃を放った。7.7ミリ、12.7ミリ、20ミリ、25ミリなど無数の銃弾が交錯する。そして、着弾、耳障りな金属音と何かが裂ける音が聞こえる。
「敵機、多数撃墜!」
「ギャッ!」
「負傷者だ! 衛生兵!」
「銃手がやられた、代わりを頼む!」
こちらが放った25ミリ機銃弾は敵機の機体を食い破り、甚大な被害を与えた。一方、敵の機銃弾は上部構造物に穴をあけ、甲板にいる者の身体を引きちぎった。
甲板は血にまみれ、あちこちに肉片が飛び散る。それでも、生き残った兵員は機銃を握り、敵に弾丸を浴びせた。
血と金属と硝煙の匂いが充満する中、怒号と銃声が響き渡る。空薬莢がガラガラと音を立てながら、甲板を転がっていった。
艦橋の者も、双眼鏡を握りしめ上空をにらんでいた。その時、視界の隅に爆炎が踊り、轟音が響く。
「『長月』、爆発!」
駆逐艦「長月」、睦月型8番艦である彼女は旧式ながら奮戦するも、機銃掃射により爆雷が誘爆し燃え上がった。また、「夕霧」は機銃掃射を艦橋にもろに喰らい、駆逐艦長以下艦首脳が全滅、攻撃・操艦ともに精度を欠いていく。
守るべき輸送船も無事では済まなかった。運送艦「野島」は水平爆撃の至近弾を喰らい損傷、ガダルカナルへの輸送作戦を何度もこなした「長良丸」は土手っ腹に爆弾が直撃、船体がへし折れ沈んでいく。
戦況は混乱の極みであった。敵機は次々と飛来し、手当たり次第に攻撃を浴びせてくる。空は高角砲弾の炸裂と曳光弾の光で覆われ、遠くでは敵かも味方かもわからない機体が煙を噴きながら石つぶてのように落下していく。
永遠に続くのではなかろうか——誰もがそう思った時、喜びの声が上がった。
「敵機、離脱していきます!」
「電測より艦橋、新たな機影なし!」
勝った——思うが早いか松原艦長は大声を張り上げた。
「総員、戦闘止め! これより漂流者の救助を行う!」
命令が届くやいなや、将兵らは歓声を上げた。
「勝った、勝ったんだ!」
「万歳! ばんざーい!」
両手を挙げる歓喜する者、喜びと安堵のあまり涙を流す者など様々であった。
「機銃手はその場で対空警戒を続行! 手空きの者は漂流者の救助を始めろ!」
そんな兵員を諫めるかのように甲板士官が怒鳴る。しかし、その声はどこか上ずっていた。
「勝った」と言っても、損害は大きかった。駆逐艦「長月」「夕霧」、輸送船「旭盛丸」「長良丸」が沈没、運送艦「野島」と輸送船「太明丸」は沈没こそしなかったものの機関室が全滅したため放棄のち自沈処分された。それ以外の船も機銃掃射や爆弾の断片によって損傷、多数の将兵・船員・便乗者が死亡した。
海に投げ出され漂流する陸海軍将兵や徴用船の船員たち、彼らは輸送船に搭載された大発動艇や各艦の救命艇、カッターで拾われ、救われていく。駆逐艦の甲板では、引き上げられた者たちがタライいっぱいに作られたカルピスを飲み、飲み込んだ油を吐いていた。
その上空を舞うのは直掩の零戦三二甲型、そのうちの1小隊が船団に近づき、バンクをした。所々剥げた濃緑色の塗装と機体後部に描かれた撃墜マークが非常にまぶしく見えた。
日本側の戦闘詳報によると、5月23日の空襲は12時40分頃に終わったとされる。船団は駆逐艦「長月」「夕霧」、輸送船「旭盛丸」「長良丸」「太明丸」、運送艦「野島」を喪失、乗船していた第五十一師団将兵583名が戦死し、直掩隊は14機を失った。一方、敵機60機以上の撃墜を報告している。
連合国軍側のアクションレポートでは、5月23日は7時30分頃より攻撃を開始した。編成は、攻撃機はB-17 12機、B-24「リベレーター」18機、B-25 28機、A-20「ハボック」35機、ブリストル「ボーフォート」20機、戦闘機はP-38 44機、P-40C「トマホーク」28機、ボーファイター13機、計198機の大編隊であった。その後、5時間近くにわたって攻撃を続け、12時33分に全機が戦場空域より離脱した。
当初は午前と午後の2回にわたって攻撃を加えようと計画していたが、前日の空襲(B-17 28機、P-40C 18機)で大打撃を被った(B-17 11機、P-40C 9機喪失、帰投後廃棄も含む)ことを受け、一度に大規模な編隊をぶつける作戦に変更した。
ポートモレスビーには600機近くの航空機があったが、連合国軍航空隊はラバウルへの爆撃や陸軍の支援(近接航空支援や物資の空中投下)に忙殺されており、これが出しうる全力であった。
しかし、攻撃は十分な成果(駆逐艦3隻、輸送船5隻炎上を報告)を挙げられず、被害も多かった。攻撃機20機、戦闘機35機が未帰還となり、100機以上が損傷した。損傷機の多くは、修理不能と判断され部品取りに使われた。
これだけの損害を被った原因として連合国軍は「精強なる直掩機の存在」「日本軍艦艇の強力な対空砲火」「戦闘機の不足」「連日の出撃によるクルーの疲労」「航空隊の練度の低下」を挙げている。
連合国軍南西太平洋方面最高司令官であるダグラス・マッカーサー大将は、この結果を聞くと「他には見たこともないぐらい意気消沈した」とされている。この戦いの影響は大きく、東部ニューギニア戦線の航空戦力の約三分の一が失われたばかりか、スキップ・ボミングの有効性そのものが議論されるまでに至った。
一方、次善の策として魚雷艇による夜襲が計画されていた。しかし、肝心の魚雷艇は基地(ラビに設営)への空爆と夜間艦砲射撃(潜水艦「伊17」によるもの)により多数が損傷、燃料も大半が焼失してしまい、実行は叶わなかった。
23時00分
船団はフォン半島先端のフィンシュハーフェン沖を通過し、ラエへの航路をとった。
海は昼間の喧噪とは打って変わって静かであった。海面に月が反射し、船の機関音に混じって静かな波のさえずりが聞こえる。戦場とは思えない幻想的な光景だった。
「電測、水測ともに異常ありません」
「司令、そろそろ休んではいかがでしょうか。今のところ危険はありません」
松原艦長が木村司令官に声をかけた。木村は戦闘終了後も艦橋に詰め続けていた。明日以降も船団は行動を続ける。ここで指揮官が倒れては困る。
「艦長、油断は禁物だよ」
木村は真顔で言った。潜水艦や小型舟艇の襲撃リスクは今だ存在する。安全だと楽観することはできなかった。
「まあ、しばらくしたら交替で休息をとろう。ああ、それと……」
木村はこう言うと、松原に向き直った。
「明日、ラエに到着する前に飯をたっぷり炊くよう主計長に伝えてくれ。通信参謀、各艦にも同じことを伝えろ」
「はあ、わかりました。しかし、何故?」
「ニューギニアの陸さんはずいぶん食うのに苦労しているそうだ。少しでも助けになってやらねば」




