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第3話「お慕い申し上げておりますわ」③

「お待ちになって!」


 二人の間に入るように上げられた甲高い声。

 聞き間違えようもなく、まさしくそれはヨンロクのものであると響は確信する。


「ヨ、ヨンロク—————」


 何だか知らないがとにかく助かった。

 安堵してヨンロクの名を呼ぼうとしてピタリと響は動きを止める。


 本当に、彼女を他の人間の前に晒してもいいのか?


 助けを求めたのは響自身で、その手が差し伸べられるならば何が何でも掴みたいという心持ちに変化はない。

 しかし、だからといって一般人であるすみれや春太にヨンロクの存在を知られる訳にはいかないのではないか。

 いや、響も同じく一般人であることには変わりないのだが。


 知られれば、説明の義務が生まれる。

 無理矢理に拒めば、不信感を与えて平穏に暮らすのがきっと難しくなる。


(どうする…どうする……!)


 しかし、悩む時間など当然存在せず。

 今まさに声に振り返ろうとすみれは横顔をこちらに見せている。


 せめて。せめて先に合図でも送ることができたなら。

 響は下がっていく体温を感じながら、すみれの隙間からどうにか玄関先へと視線を向けた。


「お待ちになってくださいませ老齢のデカパイ!その方はあなたには不釣り合いでしてよ!」

「—————は?」


 そこにいたのは、間違いなくヨンロクだった。

 頭から伸びた腰よりも長いツインテールが、ふんぞりかえって頬に手を添えるポーズをとる際に跳ねて大げさに揺れる。

 背中に背負っていた機械は取り外しているようだが、そのピンクの魔法少女の服は見間違うことはない。


「………何んなのですか、あなたは?」


 ゆらりと振り向いて、その全貌を見たすみれが不快感を隠すことなく見下した目で言う。


 それはそうだ。初対面の人物に失礼極まりない言葉を浴びせられただけでなく、それを言い放ったのが“すみれより少し背丈の小さい”およそ20歳前後のコスプレをした若い女だったのだから。


「お、おま…おま、お前……!」


 出したい言葉が定まらず、状況の全てに動揺しながら響は小鍋を抱えて姿勢を戻す。


「ワタクシの名前はヨーロク。響様に仕え、身も心も捧げた恋人でしてよ!」


 胸に手を当てて堂々とヨンロクは言い放つ。


「仕える……恋人………?」

「い、いえ、いえいえいえ!いや、ちょっとコレ!どうすればいいのかな!?」


 こちらを一瞥したすみれの視線があまりにも冷たくて響は小さく「ヒエッ」と悲鳴を上げる。


 釈明しなければ。

 それは分かっているのだが、状況を打破する必要がある以上ヨーロクなる女と無関係であると言うことはできない。

 愚痴をこぼしながらも、こちらを助けようと動いたヨンロクに申し訳が立たないし、何よりこちらの名前を既にヨンロクが言ったからには無関係なはずがない。


 ただ、この頭のおかしいコスプレ女が自分の彼女であるなどという不名誉だけは払拭しなければ。


「さぁ、そこな異常者!ワタクシの夫から疾く離れなすって!」

「いや、どういうキャラなんだお前は!せめてひとつに絞れ!というか誤解を招くような言い方はやめろ!」

「何を仰るのダーリン!いつも過去も未来も言っているじゃないですの!?もう一度いう必要があるなら何度でもいいますわ!ワタクシはあなたをお慕い申し上げておりますわ!!」

「何でもいいけど声を抑えろォ!!」


 まるでひとつの舞台劇を見ているかのようにヨーロクは大きく動いて、その言葉を体を使ってこちらに投げかける。

 その頬は僅かに朱く染まり、しかし隠しきれない哀しみに目尻には涙が溜まってホロリと頬を伝う。


 嘘くさくもあり、しかし見る人によっては真実のようにも見える。

 どちらだとしてもこの女が正常であるとは思えないが、少なくともすみれは嘘ととったようで、蔑んだ瞳で前髪の隙間からヨーロクを見据えた。


「…あなた、誰かは存じませんが。見たところ青山さんが困っているようですが。……ストーカーですか?」

「ハッ!ストーカー…!……ストーカー……?いえ、それが何か知りませんがワタクシを侮辱した言葉なのは分かります!しかし、響様を困らせているのはあなたの方ではなくって!?」

「私が…青山さんを困らせる……?……面白い冗談ですね。」

「アァーハッハッハ!!………ゴホッ!ゲホッ!……滑稽もこうまでなるとお笑いですわ!響様はいつもおっしゃっていますわ、一階の未亡人の雌豚が押しかけてきて迷惑をしていると!!」


 言葉に反応して勢いよく振り向いたすみれに、響は取れそうなほどに首を振って否定の意を示す。


「あなた……あなた…何なのです?おかしな髪色の……おかしな服装で…初対面の私を馬鹿にして……嘘まで言って……。そう、そうです。……お優しい青山さんが私の悪口など言うはずありませんもの。」


 呟いて、自分を納得させるようにすみれは言葉を飲み込む。

 

 今まですみれに発した言葉の全ては、どうとっても社交辞令や挨拶でしかなく、優しくした覚えなどなかったが、それを否定すると恐ろしいことになりそうだったので響はただ状況を見守ることを選択した。

 

「それはどうでしょう?彼だって人間で、好き嫌いだって当然ありますわ!表面上どう接していようとその内面までは決して分からない。信じるのはご勝手ですが、真実は変わりませんわ!そう、ワタクシ達は昨日だってベッドで愛を語らって———」

「お、おい————!」

「やめろ!!」


 さすがに遮ろうと響が口を開いた時、放とうとしたものと全く同じ言葉をすみれが叫び、ヨンロク改めヨーロクに弾丸の如く飛びかかった。


「よくってよ!!いいパワーですわ!全身の筋肉が喜んでいますわぁ!!」

「お前…お前……!!」


 飛びかかってきたすみれの両手の掌を、受け入れるようにがっちりとヨーロクは両手で掴む。

 そうして互いにまだ自由のきく頭をぶつけて額を合わせると、腰に力を入れた押し合いになった。


「分かりました……!恋人だなんて論外…あなたのような失礼な方が……青山さんの友人であるはずもありません……!敵…敵です……!虚言ばかり言って青山さんを困らせて……私を馬鹿にして……!……それなら…いっそのこと…!!」

「いっそのことどうするというのですか!?ワタクシを殺しますか!?ワオ、いいですわ、それが本性ということですね!」

「黙れ!!」


 なんだこれは。コメディなのかホラーなのか。

 血走った目で歯茎を剥き出しにして食いしばるすみれの対照的に、ヨーロクは口調や態度を変えることなく「もっとこい!」と謎のアピールを続ける。

 今までの人生の中で、こんなとんちきな状況に対する回答など響は当然持ち合わせていない。


「い、いいや、いやいや、さすがにダメだろ!ちょ、ちょっと二人とも!」


 しかし、回答がないからといって傍観するのはさすがに愚策だろう。


 とにかく取っ組み合いの、あるいはこれから起こるであろう惨劇を回避するためにも困惑する春太を後方から呼び、急ぎヨーロクとすみれを引き離した。


「青山さん…説明して下さい……!この女は青山さんの……!?」

「お前は響さんの何でもないだろ!それに私は妻って言っただろバーカ!!」

「この女……!!」


 春太は半泣きで、響は力一杯煽り続けるヨンロクを「妻とは言ってないだろ」と言いながらどうにか羽交い締めにして押さえる。


 息荒く、垂れた髪の隙間から見えるすみれの開いた瞳孔に背筋が凍る。

 あれだけ整った美人の顔は、今となってはさながら井戸から出てきた怨霊のような様相だった。


「お前、言い過ぎっていうか、やりすぎだ馬鹿!」

「そんなひどいですわ、響様!」

「そのキャラやめろ!ったく、こうなったら本当に説明するわけにいかなくなっただろうが!どうすんだこれ!」

「フッ、ワタクシに全て任せるといいですわ!」


 ヨーロクに溢れる謎の自信に疑問に思いながらも、響は大きくため息を吐く。


「もうしょうがないよな…はぁ。これ以上は本当に近所迷惑になりそうだし……何よりお前は目立ち過ぎる。ご近所に見られたら一発で覚えられるぞ。その背丈とか、聞きたいことは色々あるが……とにかく中に入るぞ。任せていいんだな?俺はもうどうにもできん自信があるぞ。」

「ええ、よろしくってよ!いえ、よくってよ!!」


 玄関先。ヨーロクを羽交い締めにしたまま周囲を見渡し、誰も居ないことを確認すると、調子に乗るヨーロクの後頭部を平手で叩いて背中を押す。


 どうにかして欲しいと言ったのは自分だ。

 口は災いのもととはいうが、正に控えている災いを目の前にすると、響は一抹どころではない不安を覚える。


 尚もヨーロクを睨み続けるすみれ。

 響は引きつった表情で玄関を閉めると、後でキッチンにある包丁をどこか手の届かない場所に隠そうと心に決めた。





 ひたりと。

 響が閉めたドアの外部、室内で行われる喧騒を他所に静かに忍び寄る影があった。


「———ここね、全く騒がしいったらありゃしないわ。」


 青黒い長髪から覗く、切れ長の瞳を細めて“身長30cmほどしかない小さな女”はドアに触れる。


「さて……中にいる人間は3人で間違いないかしら。」


 部分的に刺々しく頑丈そうな、しかし所々に露出している矛盾の白銀の鎧を着込んだ女は、空いた手を一度顎に置いて一考すると、小さく息を吐く。


「馬鹿馬鹿しいほどに隠す気のない大きなスケレオン反応……タイプゴリラが居るのは間違いないとして、あとは契約者の男と無関係な一般人2人ね。念のため確かめておきましょうか。」


 そう言うと女は耳の下、鎧から伸びた首横にある小さなボタンを押す。

 すると、鎧はガキンと金属音を上げ、背部の羽のような装飾の一部が裏返って眼前にゴーグルのように装着される。


「うーん、どうもこのスキャン方法は慣れないわね……。」


 軽口を叩きながらも女は「どれどれ」とそこに映し出されるサーモグラフィーのような映像を確認する。

 そこには、長身の女性を引きずるようにする小柄な人間の姿と、少し離れたところに立つ男性と思われる人間の姿が映っていた。


「……よし、思った通り。」


 女は納得すると、先ほど押したボタンをもう一度押して装飾をもとに戻す。


「———しかし、見つけたとはいえ接触するのは難しそう。またの機会を伺うしかなさそうね……。だけど契約しているというのなら、チャンスはある。次の金曜日、つまり明日ね。そこで仕掛けるしかないわ。……はぁ、どうして私がこんなことを…。」


 女は頭を抱えると、大きなため息を吐く。


「でも、仕方ないわよね。……ええ、仕方ない。私は、こんなところで終わるわけにはいかないもの。」


 言って女は顔を上げると、決意の眼差しをドアの向こうに居るであろう一人の人物に向ける。


「すぐに。ええ、すぐにでも。私色に塗り替えてあげるわ。待ってなさい、ヒビキ。」


 去り際に横目で、髪をかき上げて女はそう言うと、その言葉を残して錆びて土色になった金属の上を歩いていく。


 大層な装飾を背負いながらも、飛行機能を備えていない女騎士。

 行くその道は、普通の人間であれば大したものではなくとも、彼女にとっては体感数百メートルにもなる。


 しかしそこに憂いはなく、足取りには堂々としたものを感じさせる。

 まっすぐに先を見据える女の瞳には確かに、覚悟の炎が灯っていた。



 ほうれん荘の庭、枝を突いて遊んでいた雀が危険を感じ取って急に顔を上げると、その正体を探らぬまま脱兎の如く飛び去る。


 変わらぬ日常。気持ちいいくらいの快晴。

 しかし、僅かに。投じられた一石は波紋となっていつか共鳴し、確実にじわじわと現実を侵食する。

 誰も感じ取れないほどに静かに、まるで四季の移り変わりのように。


 不意に吹いた冬の風が、最終的にどこへ向かうのかなど誰も知り得ない。

 何がきっかけで、世界が変わるなど誰も分からない。


 ———しかし、そうでなくてはならない。

 そうでなければ“意味”がない。

 そう、だからこそ。“愚”を持つからこそヒトはヒト足り得るのだと、晴天の下小さく影を落とす鳥を見て小人は笑うのだった。

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