お誘い
我慢令嬢if
久しぶりに大人なファウスティーナを書きたくなりました。
――婚約破棄って難しい……
三階の廊下から窓側に肘を立てて下を眺めるファウスティーナの視線の先には、腕を組んで庭園を歩くベルンハルドとエルヴィラの姿があった。
先日起きた誘拐事件以降、ベルンハルドはエルヴィラを恋人のように扱い始めた。ベルンハルドを本気で拒絶したあの日から、ようやく彼も認めたのだ。自分がどれだけ愚かか、“運命の恋人”を受け入れる幸福を。
今まで見たことがない幸福な微笑みをエルヴィラに向けるベルンハルドをぼんやりと眺めるファウスティーナ。胸が痛まないのは、もうないのだ。それか、枯れてしまって何も感じなくなっただけなのか。
すぐに婚約破棄をしてほしいとベルンハルドに頼んだのに、返された言葉は絶対に婚約破棄はしないというもの。
耳を疑った。
エルヴィラと恋人関係になったまま、卒業をしたらファウスティーナを王太子妃にするつもりなのだ。
『お前が望んだんだ。これ以上何を望む』冷たく吐き捨てられた言葉に眩暈がした。
「どうしよう」
ベルンハルドとの婚約を破棄する方法を考える。卒業するのを待っていられない。
うーん、と頭を悩ませていると「お嬢様」と聞き覚えのあり過ぎる声がファウスティーナの耳に届いた。同時に背中に当たった固い感触とお腹に回った腕、鼻腔をくすぐる香水の香り。知っている香りと声にもう驚かない。
ファウスティーナは顔だけをなんとか振り向いて相手の名前を紡いだ。
「ヴェレッド様?」
「そうだよ、俺以外に見える?」
「そうではありませんが……」
貴族学院は貴族の子が通っている学院とあり、警備が非常に厳重だ。毎回、どうやって警備の目を掻い潜ってやって来るのかが不思議だった。
顔に出ていたらしく、ヴェレッドはシエルの名前を使って毎回入っていた。
「司祭様?」
「うん。シエル様のお使いって言ったら、いつも快く入れてくれるよ。実際、本当にお使いとして何度か来ているから」
「そうだったのですか。お使いってなんですか?」
「お嬢様の様子見。お嬢様が元気にしてるかシエル様は気になってるの」
シエルにはいつも助けられてばかり。いつか恩返しをしたいとヴェレッドや助祭オズウェルに何度か相談するも、どれもファウスティーナが元気でいればいいとだけ返される。それならとシエルの好きな紅茶を贈ろうと思うものの、シエルが愛飲している紅茶はシエル自身が見つけた紅茶らしく、ファウスティーナが見つけようものならどれだけの時間が掛かるか。
最近は諦めている。
「お嬢様はこんなところで何をしてるの?」
「殿下とエルヴィラを見ていました。どうしたら殿下は婚約破棄をしてくれるのかと」
「はは! 王太子様ってば、誘拐されて眠らされたお嬢様を俺が襲ったって言うくらい動転してたもんね」
その時のやり取りがファウスティーナがベルンハルドを盛大に拒絶した理由でもある。ヴェレッドは人を揶揄うのが好きだが、シエルに嫌われる真似だけは絶対にしない。ファウスティーナに手を出したらシエルの怒りを買うくらい彼がよく知っている。
「何故殿下はあのような事を言ったのでしょう……」
「さあ? 自分は避けられて、妹君ばっかりを押し付けられるのに俺はお嬢様と距離が近くても誰も何も言わないからじゃない?」
「殿下が私と話をしたい訳ないではありませんか」
「うん。そうだね。お嬢様はそのままでいいよ」
ふと、下を見やったファウスティーナはエルヴィラの姿はあってもベルンハルドの姿がないと気付いた。
声は聞こえないがエルヴィラは何やら慌てていて、急に走り出した。
「何かあったのでしょうか?」
「さあ? ねえお嬢様、俺に付き合って」
「え」
腹に回っていた腕が離れ、代わりに肩を抱かれ空き教室に入れられた。
教卓の上にガラス瓶が置かれている。中には骨の形をしたクッキーが入っていた。
「貴族学院に来る前、街で買ったんだ」
「骨なのは何故……」
「犬の玩具をモチーフにしたんだって」
製造者は犬好きなのだろうか。
一緒に食べようと誘われるがどうせなら飲み物も欲しい。
「今は放課後ですし、食堂で頂きませんか?」
「俺と一緒だと見られちゃうよ?」
「なら、メルディアス先生を呼びましょう! メルディアス先生が一緒なら大丈夫では?」
「あいつをね……まあいいよ。後でシエル様の耳に入って小言を言われるよりかはマシ」
ヴェレッドにとってシエルから叱られるのも、小言を言われるのも嫌なそうだ。
「そうだ」
思い出したと声を上げたヴェレッドが前に立った。不思議そうに見上げていると急に抱き締められた。向かい合って抱き合うと香水の香りは強くなり、体の固さから鍛えているのが感じられる。
色っぽい空気はなく、背中をあやすようにポンポン撫でられる。
「ヴェレッド様?」
「シエル様はよくこうやってお嬢様を抱き締めていたでしょう? どう? 似てる?」
「ふふ、司祭様の真似ですか? ……ありがとうございます」
背中を撫でる手に厭らしさはない。
ファウスティーナを安心させ、心穏やかにさせる優しい手付き。
十一歳の時、ベルンハルドから盛大に拒絶され、王城で泣き叫んでいたところをシエルに保護されて以来、よくこうやって抱き締められ背中を撫でられた。子供の頃はよく抱っこをされシエルの腕の中で眠った。
そういえば、偶にやって来るヴェレッドも抱っこをしてファウスティーナが眠るまで頭や背中を撫でてくれた。
この二人がファウスティーナへの子供扱いを止める日はきっと来ないのだろう。
「あ」
「?」
心地良い温もりと香りにうとうとし出すとヴェレッドが声を上げた。顔を上げようとしたが、急に強い力で抱き締められ教卓の下に隠れた。クッキー入のガラス瓶も忘れず。
「――ファウスティーナ!!」
声が出そうになった口を自分の手で押さえたファウスティーナはヴェレッドが急に隠れた理由を知った。
まさか、外から三階の窓の光景を見たというのか。
――見たから、来た、のよね?
勢いよく登場したベルンハルドは、ファウスティーナとヴェレッドが教卓の下に隠れていると知らず無人の教室だと判断する。
「何処へ行ったんだっ、ファウスティーナっ」
「ベルンハルド様!」
続いて聞こえたのはエルヴィラの声。かなり息を切らしており、はあはあ言いながらもベルンハルドが上を見るなり突然顔色を変えて走り出した事への理由を求めた。
やっぱりヴェレッドといるのを見られたから。だが疑問が浮かぶ。
どうしてベルンハルドは血相を変えてやって来たのだろう。
「くそっ!!」
ベルンハルドらしくない乱暴な言葉。エルヴィラの制止を振り切りベルンハルドは走り去った。
「ベルンハルド様ー!!」
残されたエルヴィラの悲痛な叫びが響いても、ベルンハルドは戻って来なかった。
「ひく……う、うぅ……な、んで…………なんでですかあ……!!」
「わたしがいるのに……!!」
ベルンハルドに置いて行かれた、気にもしてもらえなかった。
この二つがエルヴィラの悲しみを爆発させ、床に座り込み盛大に泣き出した。
「嘘だろ……」
ドン引きするヴェレッドに同意したくなった。
エルヴィラが泣いたままでは教卓の下から出て来れない。
折角、美味しいクッキーを食べる予定だったのに。
「どうしますか?」と小声でファウスティーナに訊ねられたヴェレッドは小さく溜め息を吐いた。
「どうもこうも。妹君が泣き止むまでいるしかないっしょ」
「はい……」
二人身を隠しているので距離が非常に近い。メルディアス辺りが来ないかと期待するファウスティーナであった。
読んでいただきありがとうございます。
この後、ベルンハルドは城に戻ってシリウスにヴェレッド出禁令を求めても気にするのが馬鹿だと冷たく言い放たれ相手にされず、ファウスティーナがあの後何処へ行ったか聞きたくてもエルヴィラが積極的に引っ付いて来るから聞けずに終わった。
ファウスティーナはあの後、エルヴィラが泣き止んで教室を出て行ったのを確認後ヴェレッドと食堂に行ってお茶をした。メルディアスは丁度食堂で転寝をしていたから探しに行く手間はいらなかった。
ファウスティーナも恋人を作って婚約破棄を捥ぎ取るという話にしたかったのにならなかった……。




