Una rosa per te~及ばない者~
華やかで豪華絢爛な装飾がされた夜会。開催主であるフォルトゥナ侯爵夫人へ挨拶を交わしにデルフィーノ=アイローラは、婚約者のラリマーを伴ってフォルトゥナ侯爵夫人の前へ来ると頭を垂れた。ラリマーも同時に。ロイヤルブルーの長髪に金色の瞳の美女が麗しの男女に頷いた。
「フォルトゥナ侯爵夫人。この度は、素敵な夜会にご招待くださりありがとうございます」
「ありがとうございます」
「ええ。是非、楽しんで頂戴」
「……あの」
「何かしら? ラリマー様」
「お姉様が欠席した理由をご存知ですか?」
「ええ。でも、お教えすることは出来ないわ」
「何故です?」
身内である自分には聞く権利があると言いたげなラリマーを微笑を絶やさない金色の瞳が見つめた。
「スカーレット様がお伝えしていないのなら、私から話すことは出来ません」
「わたしはお姉様の妹です」
「ええ。ですが、身内にだって話したくないことはあります。勿論、私にも。こちらは、スカーレット様の欠席理由をきちんと伺っているのでとやかく言うつもりはありませんわ。では、他の招待客にもご挨拶をしなければなりませんので」
「はい。お時間取らせました」
優雅に去っていくフォルトゥナ侯爵夫人を見届けるとデルフィーノは「ラリマー」と咎める声色を発した。現にデルフィーノの翡翠色の瞳も険しい。
「馬車の中で言った筈ですよ。侯爵夫人にスカーレット様の欠席の理由を聞いてはいけないと」
「だって、お姉様は聞いても教えてくれなかったのです!」
「それでも、です」
彼女は分かっているのか。他人であるフォルトゥナ侯爵夫人がスカーレットの夜会を欠席した理由を知っているのに、家族である自分が知らないのがどういう意味かを。
ヴァーミリオン伯爵家のお家事情はある程度漏出されているので、あまり交流がない家でも聞いたら「あの噂の」と思い出すだろう。態と事情を漏出したヴァーミリオン公爵夫人には驚かされた。本来、家の事情はある意味では最も外に出してはならない。何処の誰の耳に入るか分からない上に悪利用する輩だっている。話の裏に公爵家の存在があれば、並の相手はそうそう考えない筈であるが。
(態とですけどね。ヴァーミリオン公爵夫人は、1年前公爵と侯爵の下した判断に大変ご立腹なようですし。まあ、私としても納得していませんが)
詳細をローズオーラから聞かされていたデルフィーノとしては、4年前に引き取ったスカーレットをヴァーミリオン公爵と侯爵の判断で1年前伯爵家に戻したことに反感があった。無論、夫人であるリリアネットやヴィオレットは猛抗議した。スカーレットを戻したら、また同じ繰り返しだと。だが、クローディンとフレアーズィオの決定が覆ることはなかった。
リリアネットとヴィオレットの読み通り、1年経った現在状況は悪い。
スカーレットが公爵家に引き取られたので当たり前だがアシェリートは伯爵家に来なくなった。自分こそがアシェリートに愛されていると信じているラリマーは当然両親に泣き付いた。アシェリート様に会いたい、と。が、スカーレットのいない伯爵家をアシェリートが訪れる筈もない。伯爵夫妻もその辺りは理解していたようで、代わりとしてアシェリートが参加すると聞いたお茶会にラリマーを積極的に参加させた。そこにはスカーレットもいるのに。
当時の2人はお互いの世界にどっぷり浸っては四六時中会話に花を咲かせた。互いを知ることなら何だって構わない2人に会話の内容が途切れず。周囲は幼いながらに非常に仲睦まじい2人を微笑ましく見守っていた。お茶会の長さは開催主によって異なるが、凡そ半刻経過するとアシェリートが友人達と会話をしているスカーレットを迎えに来ていた。離れていくスカーレットを友人達はいつも暖かく見送った。一緒に会話を楽しんでいながらも、いつもアシェリートが迎えに来るのをそわそわして待っているスカーレットが見ていて可愛かった。
(そこを毎回無理矢理入ろうとするのがラリマーでしたね。本人は邪魔をしているつもりはないと毎回言ってましたが)
ヴァーミリオン伯爵令嬢として参加していたラリマーは、常に姉スカーレットを探した。スカーレットの側には必ずアシェリートがいると思って。お茶会に参加する際は、事前にリリアネットやヴィオレットがその家の夫人に連絡を入れていた。
“ラリマーがいたら、然り気無くスカーレットとアシェリート様から遠ざけてください”と。
そんな事情を知らないラリマーが動こうとする度に周囲が気を逸らしていた。話題の美味しいお菓子がある、最近のドレスはこんなデザインが流行っている、春の髪飾りはこれが人気、等。毎回話に乗ってくれるものの、何度かは失敗する。そんな時対応していたのがローズオーラだった。ローズオーラもスカーレットとアシェリートが参加するお茶会には参加するようにしていた。そこには必ずラリマーが来るから。何かあった時自分が防波堤になれるように。
ローズオーラが登場すれば、彼女が大の苦手なラリマーは動けなくなる。助けてくれる者は誰もいない。表面上は王家と繋がりの濃い公爵令嬢の敵になりたくない。裏面はドレスの裾を持って走り出す令嬢を庇いたくない。
それだけである。
家なら、ある程度のお転婆も許されるだろうがそこは他家。お茶会も立派な貴族の社交場。例え、参加者が子供限定でも子供から親に話がいく。
「さあラリマー。まずはダンスを踊りましょう。その後は自由行動で構いません」
「……」
返事も頷きもなく、差し出された手を取った。ホールの中央まで行き、ゆったりとしたテンポでダンスを始めた。勉強やマナーレッスンが出来なくてもダンスだけは上手い。ダンスレッスンだけは真面目に受けてきたのだろうと容易に想像がつく。顔を上げず、俯いたまま踊るラリマーを哀れんだ翡翠が見下ろす。
(スカーレット様は勿論ですが、ある意味ではラリマーも被害者なのかもしれない)
厳しいだけで一切の愛情を受けず育ったスカーレットと甘やかされるだけでまともな常識すら身に付けているか危ないラリマー。
(本当に愛しているのなら、可愛がる娘にもきちんとした教育を施す。伯爵夫妻はスカーレット様にだけ完璧な令嬢を求めるあまり、ラリマーへ過度に愛情が傾いてしまったらしい。それも甘いだけで酷く歪んでいる)
彼等が気付くか、気付かないかは今更考えても無意味。1年前家に戻ったスカーレットに今までの非礼を詫びておきながら、結局ラリマーを最優先する始末。心が死んで表情が消えていくスカーレットを見ていられなくなったアシェリートが相当苦い思いをしながらラリマーを優先するのも仕方無かった。
――ですが、とデルフィーノは考える。
(あれだけ仲の良かった2人が今のように険悪となってしまったのは何故?)
引き取られる前まではぎこちなくなっていたとは言え、引き取られてからは急速に仲を深めていった。ラリマーがいる時優先しがちな言動も行動の理由も全て話し謝罪していた。最初は訳を聞かされていたスカーレットも納得していた。が、あまりにもラリマーを優先するアシェリートを疑い始めていた。折角2人だけとなってもそのせいでぎこちない会話しか出ず。渡したい贈り物も渡せず、見たい笑顔も見れず。当時のアシェリートは相当なストレスを抱えていたなと思い出す。
原因は恐らくラリマーか。否、全てに於いて彼女が原因か。
ファーストダンスを終えた後は、宣言通り自由行動になった。言い出しだデルフィーノは、人見知りが激しく社交界デビューを果たしてもずっと壁と同化して終わるのを待っている妹オニキスの元へ行った。まだ婚約者のいない妹と踊るのが普段の流れ。金色の長髪を左耳の下に結い、白百合の花飾りをつけている。清らかで慎ましい少女に似合うが、当の本人は早く時間が来るのを待っているだけ。現に、周囲から気配を殺して立っていた。何時になったら人見知りが治ってくれるのかと、兄であるデルフィーノも一番上の兄も両親も先の見えない末っ子の未来を案じている。
「オニキス」
「お、お兄様」
デルフィーノの姿を目にするなり緊張が解けたオニキスがホッと息を吐いた。はあ、と嘆息したデルフィーノは鋭さを帯びた翡翠を妹へ向けた。「ひっ」と情けない声を漏らしたオニキスへ厳しい言葉を投げかけた。
「いつまでそうやって壁と友達になっているつもりですか」
「だ、だってっ、どうしても慣れなくて」
「そんなことでは、いつまで経っても貴族社会に馴染めませんよ」
「うう……でで、でもやっぱり緊張が勝ってしまって」
「今日はスカーレット様はいません。……ふむ、アルファ様がいますね」
「え」
視線を変えると菫色の髪をした令嬢アルファ=オルコットがいた。人見知りで人と上手に話せないオニキスにとって、年上であるが比較的話し易い相手である。「アルファ様の所へ行ってみなさい」と背を軽く押した。慌てて前に出た右足に力を入れて踏ん張った。涙目で兄を見上げるも「行ってきなさい」と冷気を感じる笑顔を浮かべられ、緊張のせいでびしっと背筋が伸びたままアルファの所へ行った。
オニキスがちゃんとアルファの所へ行けたのを確認したデルフィーノは、解放されているバルコニーへと出た。声までは届かなくても、遠目から見たアルファやオニキスの様子から自分が行かなくても大丈夫だろうと判断した。
冷たい夜風が金糸を攫う。
今日はスカーレットもアシェリートもいない。
(いても自分の役割はあまりないか)
夜会の時は常にスカーレットの傍を離れず、永遠にダンスを踊り続ける。スカーレットが疲れ切るとバルコニーに出て介抱をする。そこにラリマーが入る隙間はない。夜会の時ラリマーは常に装いに力を入れる。デルフィーノにではなく、アシェリートに可愛い自分を見てもらう為に。
(どの夜会でも、その時に渡した髪飾りを身に着けたスカーレット様に夢中で他に全く目が入りませんがね)
夢中というよりも執着に近いかもしれない。
(それはスカーレット様も同じか)
自身の妹と婚約者が想い合っていると噂を何度も耳にして、平静を装いながら心はボロボロに壊れていく。魔法学院でも、伯爵家の屋敷でも2人きりになれる機会がない。唯一、一緒にいてもラリマーが口出し出来ないのが夜会。婚約者である令嬢をエスコートするのは令息として基本で、ファーストダンスを踊った後は各々によって異なる。あの2人の場合は、踊り続けて疲労したら休憩する。夜会が終わるまでずっと。
嫌なら拒絶したらいい。しないのは、唯一と思っている場でしか一緒にいられないから。
(挨拶回りも終えてからのひたすらのダンスですがね。疲れ知らずですからあの方)
誰とは言わず。
背を柵に預け、通りかかった給仕から飲み物を受け取った。
(ラリマーもいい加減気付けば良いのですが)
誕生日以外でも、贈り物が出来る度に、夜会や行事がある度に髪飾りに首飾り、耳飾りに腕輪、又は日常で使用する様々な物までスカーレットは贈られている。
のに、自分には誕生日以外何も贈られていないのを彼女は果たして気付いているか。
……気付かないのが自己世界の姫か。
「はあ。やれやれ」
今日の夜会を欠席した理由でも聞きに行きましょうか、とグラスを持ったままデルフィーノは、ある令嬢を探すべく会場へ戻った。人の波を掻き分け絢爛に輝く光よりも目立つ髪色の令嬢を見つけた。普段ハーフアップにしている濃い桃色の髪を下ろした美女ローズオーラ。隣には、銀髪の男性がいる。王国の第2王子オリヴェル=ルチア=フォルテ。生まれた時から決められた婚約者。
デルフィーノは2人の近くまで来ると頭を軽く垂れた。
「あら、貴方もいたのね。あの甘えたはどうしたの」
「最初のダンスを踊った後は自由行動にしました。妹が心配になりまして」
「貴方達家族の過保護も結構だけど、もう少し放っておけないの?」
「放っておいたら、永遠に壁の花になってしまいますので。これでも、進歩した方です」
「そう。……殿下」
「うん?」
「お口が揺れてますわよ」
鋭い紫水晶を向けられ、隣で緩む口元を抑えようと無意識に動かしていたらしく。「だって」と漏らしたオリヴェルはとある方向を見た。デルフィーノとローズオーラも釣られて視線を変えた。
はあ、とどちらかが溜め息を吐いた。
「アシェリートやスカーレットがいてもいなくても問題を起こすのね」
「普段はアシェリート様に近付きたくても、どこへ行ったか分からない上に魔法学院の令嬢が然り気無く誘導してくれますからね。スカーレット様とアシェリート様の味方、というのもありますが令嬢達にはあまり人気がありませんから」
放課後、サロンでとある令嬢が開いたお茶会に参加した時。出された菓子に不満たらたらで、これは食べたくない他のを出せと開催主である令嬢にクレームを言い付けた。無論、招いた側の令嬢はラリマーに退出するよう求めた。自分が意見を主張しただけで何故出て行かなければならないのかと喚き、空色の瞳にたっぷりと涙を浮かべた。此処が伯爵家であれば、すぐに両親が駆け付けラリマーの願いを叶えてくれる。が、今いるのは魔法学院にあるサロン。お茶会に出席しているのは両親ではなく、同じ学院に通う令嬢達。ラリマーが泣いて味方する者は誰もいない。普段から姉の婚約者に引っ付いてばかりで、休憩時間になる度アシェリートのいる教室まで走る。昼休憩になるとお弁当を持って急いでアシェリートの所へ行く。スカーレットを好きな筈のアシェリートがラリマーの我儘に付き合う理由を知らないとは言え、何となく察しがつく者だっている。
伯爵夫妻のスカーレットとラリマーの扱いの差を知っていれば、自ずと答えが見つかる。
中には面白がったり、本当にアシェリートがラリマーを好いていると思う者もいるが、仲が良い所か常にスカーレットに引っ付いていたあの少年が大好きな婚約者が苦しむ元凶を好きになる筈がない。なので、こうして放課後お茶会に読んでアシェリートに近付けないようにしている。
「お茶会を追い出され、泣いているラリマーを慰める令嬢は誰もいなかったみたいで」
「それはそうよ。でも確か、あの子男連中には受けが良かったでしょう?」
中身は兎も角、あの可憐な妖精を彷彿とさせる美貌。婚約者がいながらもラリマーに夢中になっている令息もいる。救いなのがラリマーがアシェリートにだけ熱を入れていることだけ。婚約者の令息に手当たり次第茶々を入れていたら違う意味で問題がある。
が。
「それもスカーレット様とアシェリート様の仲の良さを知っている人以外、ですが。それか、知っていてもアシェリート様が心変わりされたと思っている人位ですね」
「周りがどうこう言っても本人達がどうにかしない、とね。時にデルフィーノ君。ローズオーラにアシェリートが欠席した理由を聞きに来たんでしょ?」
「よくお分かりで」
苦笑すると「おおよその見当はつくよ」と笑顔で返された。厭に笑顔なのは、視線を向けている方で起きていることが原因。
不謹慎殿下と、オリヴェルはローズオーラに偶に呼ばれる。人が争っている所を見るのが好きという悪趣味な性癖の持ち主。国王も王妃も、また他の子供達もオリヴェルのような悪趣味はない。国王夫妻の遺伝子はどこが狂ってこうなったのか。不謹慎でも、己の欲求を満たす為の行動はしない。偶然見られれば良いだけ。生まれた時からオリヴェルと婚約を結ばれているローズオーラは、可能なら婚約破棄を申そうと抱いた回数は数知れない。
ローズオーラは簡易的にアシェリートの欠席の理由を話した。続いてスカーレットの欠席の理由も。成る程と納得すると同時に動くのが遅いとデルフィーノは肩を竦めた。
オリヴェルはまたある方向に目を向けデルフィーノに問い掛けた。
「助けに行かないのかな?」
「私が行った所で言うことは聞いてもらえませんので」
「そう。なら、ぼくが代わりに行ってあげよう」
「面白半分で首を突っ込むのではありません」
「うんうん。よく分かってるよ。でも、このままにしておくときっとまたスカーレットのせいにされるだろうね」
そう言い残すとオリヴェルは小さな騒ぎが起きている方まで行ってしまった。
「ですから、お教えしません」
「何故です! 家族のことを聞いて何がいけないのです!」
「なら、その家族であるラリマー様はどうして知らないのですか?」
「そ、それは……、お姉様が教えてくれないから……」
「例え家族にでも言いたくないことはあります。今宵の夜会の開催主は私の母フォルトゥナ侯爵夫人です。母がスカーレット様の欠席に納得しているのなら良いではありませんか。それとも、スカーレット様がいなければならない理由がラリマー様にはあるのですか?」
夫人と同じ瞳がラリマーを真っ直ぐに見つめる。自分の全部を見透かされそうで居心地が悪い。アシェリートがいて、スカーレットがいなければラリマーもこうは騒がなかった。スカーレットだけいたら、ずっとアシェリートがいない訳を訊き出していそうではあるが。
欠席の理由がアシェリートの頼みであるとどんなに考えても思い付かないだろう。
周囲の人の目が段々と増えてきた。この辺りでお開きにしたいフォルトゥナ侯爵令嬢アリエルはにっこりと笑みを見せた。
「もうよろしいですわね? では、引き続き夜会を楽しんでくださいませ」
「ま……」
くるりと優雅に踵を返したアリエルは周囲の人々にお騒がせしましたと声をかけていく。残されたラリマーは待っての一言も言えず、その場に立ち尽くす。
落ち込むラリマーを慰める人はいない。
(終わっちゃったな)
来てすぐに終わってしまった。執拗に姉の欠席理由を聞く妹の姿をフォルトゥナ侯爵夫人はどう思うか。ヴァーミリオン伯爵家のお家事情が漏出しているので把握されるだろうが。事情を態と流したリリアネットには驚かされた。あれは夫であるクローディンに対する反発の示しでもある。スカーレットを伯爵家に戻したせいで公爵夫妻は一時期離婚騒動にまでなった。侯爵夫妻の方はヴィオレットが暫くフレアーズィオと一切口も利かなければ目も合わさなかったとか。
父である国王の疲れた様子と母である王妃が力強く頷いていたのを思い出す。
読んで頂きありがとうございます!




