Una rosa per te~愛しているのは~
『アシェリート様』
初めて出会ったのは9年前、母シュガーが開催したお茶会。炎に燃えるような赤い髪と瞳を持つ女の子。大輪の薔薇を彷彿とさせあの笑顔に惚れた。両親に頼み込んで伯爵家の跡取りであったスカーレットと婚約を結んでもらって9年。
あの日から、心を捧げるのはスカーレットただ1人。
――例え、周りにはラリマーを好きと思われても。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
「……」
私室のベッドに腰掛け、開いた窓から外をぼうっと眺める。鳥が大きな翼を羽ばたかせ、自由に空を飛んでいる。
昨日スカーレットと軽く言い合いになり、その際はっきりとこう言われた。
『婚約者に会いに来たと口実を作って、ラリマーに会いに来ている貴方と話すことは何もありません』
『婚約破棄をしましょう。アシェリート様』
「っ……」
唇をぎゅっと噛み締める。スカーレットの口から聞きたくなかった“婚約破棄”の言葉。当たり前だがするつもりは毛頭ない。
ベッドから立ち、机に置かれている深紅の色に染まった小さな箱を手にした。昨日渡す筈だった贈り物。婚約が決まってからは3日に1度、4年前スカーレットがヴァーミリオン公爵家に引き取られてからは毎日、……今では月に数回しか訪れていない。魔法学院に行く際には毎日迎えに行っている。今のように非常に微妙な関係になってしまっても、少しでも早くスカーレットに会いたくて訪れている。
馬車の会話は無いに等しい。アシェリートが迎えに来ているのはスカーレットだが、いの一番に乗り込むのはいつもラリマーだ。使用人は誰1人注意しない。スカーレットも。
「出来ないの間違い、か……」
姉として正しい行動をしても、あの夫妻がスカーレットを褒めることはしない。寧ろ、どうして妹を泣かせるのかと叱られるだけ。1度はスカーレットもアシェリートもラリマーは乗ってはいけないと告げた。次の日、諦めた感情のない仮面を着けたスカーレットを見て何も言えなくなった。2人が向かい合って座るのにラリマーはアシェリートの隣に座る。これも注意をしたら、あの夫妻に泣き付いてスカーレットに譲らせる。ラリマーだけが永遠に1人で話続けてもスカーレットもアシェリートも何も言わない。隣にアシェリートがいるだけで有頂天となっているラリマーは聞いているだけで十分なのだ。
「くそっ……」
1年前、丁度魔法学院に入学する半月程前にスカーレットは伯爵家に戻った。祖父母や叔父夫婦に当たるヴァーミリオン公爵と侯爵が伯爵とどのようなやり取りをしてスカーレットを家へ戻したか知らないが、何故戻してしまったのかと八つ当たり紛いな憤りを抱いてしまう。公爵である祖父母に引き取られ、行く行くは叔父夫婦である侯爵家の養女となると説明していたのに。
スカーレットとラリマーの祖父フローディン=ヴァーミリオンと祖母リリアネット=ヴァーミリオンは、5年前スカーレットを引き取る際夫妻にこう告げた。
『お前たちの元へは2度と戻さん!!』
『可愛い娘? それなら、ラリマーがいるじゃない。クリムゾン、貴方の愛しい妻にそっくりな娘が』
『スカーレットはわしが引き取る。そして、行く行くはフレアーズィオとヴィオレットの養女とする』
『良いじゃない。貴方も貴方の妻も、大事な愛娘だけ残るんだもの』
『こんなことになるのなら、もっと早くにスカーレットを引き取るべきだった』
『伯爵としては優秀でも、親としてお前たちは失格よ』
その場にはスカーレットはいなかった。今ほどぎくしゃくはしていなくても、ぎこちなくなっていた頃。アシェリートは父バルーンの助言で、姉ローズオーラが珍しい花を咲かせたから花見をしようとスカーレットを公爵邸へ招待した。念のために、手紙にはスカーレットとお付きの侍女だけを連れて来るよう明記して。到着したヴァーミリオン家の馬車にラリマーは乗っていなかった。安心した表情をするアシェリートに申し訳なさそうにしたスカーレット。
中に入れ、庭で一番見頃な花を見せた後、ローズオーラの咲かせた花がある場所まで案内した。遠い東の国にしか生息しない木で、今は魔法で咲かせたから花を見られるが本来は春にしか咲かない花だと説明した。薄桃色の花を無数に咲かせる木。初めて見た異国の木の名前を訊ねられるも、肝心の名前を聞くのを忘れていた。恥ずかしそうに頬を掻くアシェリートはほんのりと赤みを帯びつつ口にした。
『スカーレットに早く見せたくて忘れちゃった……』
半分の嘘と半分の真実を織り混ぜて答えるとスカーレットも頬を薄く染めた。そして、ありがとうございます、と心からの感謝を述べた。伯爵家に行っても殆ど見れなくなった大好きな笑顔。その笑顔にとことん弱く、惚れ込んでいるアシェリートがついスカーレットを抱き締めてしまった。
顔だけではなく、耳まで一気に真っ赤になるスカーレットは陸に上がった魚みたいに口を開閉させる。弱々しく声を出すと慌ててアシェリートは離れた。嫌われた、嫌な予感をしてしまいアシェリートの顔が青ざめていく。それに気付いたスカーレットは首を振って否定した。
……そして、魅力的な赤い瞳からぼろぼろと大粒の涙が本人の意思とは関係なく溢れ出た。やっぱり嫌だったんだ! とショックを受けたアシェリートに再度否定し、涙の出る思い当たる原因を話した。
「スカーレット……」
スカーレットは家に帰るのを嫌がった。もうあの家に帰るのは嫌だと。アシェリートの前では、決して涙を見せなかった彼女が初めて見せた。その涙に、スカーレット付きの侍女アメシストも、アシェリートも、オルグレン家の使用人も驚いた。直ぐ様、使用人がシュガーを呼びに行き、室内へ入ろうとアシェリートはスカーレットを連れて邸内へ戻った。
涙を止めようとしても止まらない涙。アシェリート付きの侍女イネスが温めたタオルをアシェリートに差し出した。受け取ったアシェリートは泣いているスカーレットの目元に優しくタオルを触れた。
たった数時間の幸福が家へ帰ったらまた地獄へ逆戻り。そう思った瞬間から涙が止まらなくなった。嗚咽を交えながらも心情を吐露する姿が痛々しく、まだ12歳の少女が抱える問題でもなかった。知らせを受けたシュガーが部屋へ入った。迷惑を掛けてしまったことに謝罪をしたスカーレットを力強く抱き締めた。苦しむ我が子のように。
『安心しなさい。貴女の祖母リリアネット様が元々来る予定だったから、鳥を飛ばして先に伝言だけは伝えたわ。リリアネット様が来るまでは思う存分泣いてしまいなさい。今まで泣けなかった分の涙は流しきってしまいなさい。それで少しは気が楽になるわ』
シュガー=オルグレンは元は王族。現国王の妹で元姫君。濃い桃色の髪に紫水晶の瞳のきつめの印象を受ける美女。夫バルーンは癖のある黒髪に青色の瞳の男性で、非常に穏やかで若いのに孫思いのお爺ちゃんみたいな雰囲気がある。性格も正反対。マナーに厳しく、他人にも自分にも一切妥協しないシュガーと見た目通り穏やかで常に微笑んで顎髭が似合っているバルーン。夫婦仲は非常に良好で子供であるアシェリートから見ても2人はお似合いなのだ。
子供の教育にも、勿論厳しい。しかし、厳しいだけがシュガーのやり方ではない。飴と鞭の使い方が非常に上手い。悪さをしたら徹底的に叱るが、良いことをしたら目一杯褒める。厳しくても惜しみ無い愛情をくれる母が姉弟は大好きで。その母が息子の婚約者とは言え、他家の娘を抱き締め慰める光景は事情を知らない者が見れば目を剥いただろう。非常に稀な姿に。
それから暫くして――リリアネットを乗せた馬車が屋敷に着いた。
リリアネットが来た頃には、既にスカーレットは泣き疲れて眠ってしまっていた。目元はすっかりと赤くなり、眠りながらまだ鼻を啜る姿にリリアネットは膝を崩してしまう。スカーレットと同じ炎に燃える赤い髪と瞳の女性。アレイトにあまり似ていなかったがリリアネットにはよく似ている。髪や瞳の色といい、父方の血が濃いのだろう。
そこからは怒濤の勢いで話は進んで行った。アシェリートは大人同士の話に子供はいなくていいとシュガーにスカーレットの側にいてやりなさいとずっと一緒にいた。1度だけ、お手洗いを行く振りをして大人の話し合いを盗み見て――ヴァーミリオン公爵夫妻が息子夫婦である伯爵夫妻にそう冷たく言い放っているのを目撃した。
「スカーレット……」
また、婚約者の名を紡ぐ。昨日贈る筈だった贈り物は、紫水晶が付けられた髪を結ぶリボン。リボンの色は黒。
スカーレットに贈るプレゼントは全て、アシェリート自身が目で見て判断し、また本人がデザインしたアクセサリーや珍しい異国の甘菓子等。色も、薔薇なら全て赤、それ以外の物は黒か紫で統一されている。甘菓子は別。婚約者に自分の色を贈るのは、一目で彼女が自分の物だと分からせる為。
魔法学院が休みな日は必ずスカーレットの様子を見に行きたい。だが、昨日の今日訪れても関係は悪化の傾向を辿るだけ。今朝から、両親と数時間に及ぶ話し合いをした。
内容は、婚約者のスカーレットをオルグレン公爵家に引き取りたいというもの。1年前、スカーレットが伯爵家に戻されると直ぐに結婚を早めてほしいと両親に強く望むも、2人はまだ未成年でまだ結婚は出来ないと反対された。なら、スカーレットをオルグレン公爵家に住まわせたいと願うも、伯爵家に戻されてすぐは無理だとこれも却下。結局、以前のように伯爵家を訪れてスカーレットに会いに行くしかなかった。
それがお互いの距離をどんどんと開いていくものと……どこか分かっていたのに。
話し合いはアシェリートや両親が納得のいく形で終わった。スカーレットの祖父にあたるヴァーミリオン公爵と叔父にあたるヴァーミリオン侯爵にはバルーンとシュガーの方で納得させることとなった。尤も、1年前スカーレットを伯爵家に戻した原因を知っている夫妻としては、身内よりも赤の他人である自分たちの方が行動しやすいと判断した。伝言を知らせる鳥をすぐにバルーンが飛ばした。
アシェリートは話合いを終えるとまた自室へと戻った。決定となるまで毎朝の迎えを入れて伯爵家を訪れることはするなとシュガーに告げられた。昨日のスカーレットの態度からして、すぐに行っても誤解は解けない。否、長年積み重なった不信感は簡単には消えない。例え、スカーレットがどれだけ深くアシェリートを愛していようと、ラリマーを愛していると思い込むスカーレットには難しい話である。
机に向き、羽ペンを紙に走らせ、綺麗に折り畳むと封筒に入れた。
「イネス」
気配を消してアシェリートの側に控えていた侍女イネスに手紙をスカーレットに届けるよう命じた。
「それと」
昨日渡せなかったスカーレットへのプレゼント。これも一緒に届けてほしいと。
「決して、スカーレット以外に知られるな」
「はい」
屋敷へ訪れていつも疑問に思う。何故、自分の訪問がスカーレットに知らされないのかを。いつも、真っ先に迎えるのはラリマーだ。ラリマーにスカーレットをと言ってもスカーレットは来ない。会っても、知らされていないと言われる始末。
嫌われている……。その一言で納得してしまう程、今の自分達の関係は冷めてしまっている。
「スカーレット……」
花瓶に生けられている薔薇の花を1輪取った。赤い薔薇はスカーレットが最も愛する花。一度、薔薇以外の赤い花を模した贈り物をプレゼントした。アシェリートからの贈り物なら何だって宝物となるスカーレットは大層喜んでくれた。それを身に着けた姿は似合っていたが、最も似合う姿は――やはり赤い薔薇の花だった。
くるくるくる
薔薇の花を指と指の間に挟み、回し。
「愛している」
赤い花弁に口付けた――。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
アシェリートからの届け物をローズオーラからの届け物と偽り、ヴァーミリオン伯爵邸へと訪れたイネスをラリマー付の侍女リリスがスカーレットの部屋へと案内する。オルグレン公爵邸を出る際、届け物はローズオーラからだと言いなさいと本人から指示を受けた。
――なるほど……
ある特殊な魔法を扱える一族の四女として生を受けたイネスは、何故アシェリートが訪れてもスカーレットが来ないのか。その理由を今知った。
<なあんだ、アシェリート様がいないならラリマー様に知らせる必要はないわね>
<ラリマー様はアシェリート様がいたら機嫌が良くなるもの。スカーレット様に知らせたら、あたしたちにヒステリーを起こすから面倒なのよねえ>
――坊ちゃんの来訪をスカーレット様に知らせないのはラリマー様付の侍女のせいか
このことは後でしっかりと主に報告する。
ホールケーキ並のサイズの箱を両手で慎重に持ってリリスの後を歩く。ある部屋の前で止まるとノックをした。
「スカーレット様。オルグレン公爵家より使いの方をお連れしました」
「どうぞ」
失礼します、とリリスに続いてイネスも入った。ソファーに座って刺繍を編んでいたスカーレットは手を止めて立ち上がった。立ち上がった際に緋色の髪に付けられた薔薇の髪飾りのリボンが揺れた。いるのがアシェリートだったら、何時渡した物なのかを言い当てていただろう。
「ローズオーラ様より、お届け物を預かって参りました」
「ローズオーラ様から?」
「はい。スカーレット様に早く見てほしいと」
「何かしら」
イネスから贈り物を受け取ったスカーレットはそれをテーブルに置いた。リリスは既に退室している。扉も閉まっている。イネスは突然謝罪を口にした。へ、と目を丸くするスカーレットへ頭を垂れ本来の贈り主の名を告げた。
「申し訳ありません。アシェリート様からだと言うとスカーレット様に取り次いでもらえないかと不安に思い」
「……」
スカーレット自身も実は疑問を抱いていた。伯爵家に戻されてから、間隔を開けて様子を見に来るアシェリートの来訪を1度も聞いたことがない。最近では、自分に会いに来ていると口実を作ってラリマーに会いに来ていると決め付けているが。それでも、2人の仲睦まじい姿を見せられると心の蓋は簡単にぐらつき、隙間を縫って刃物を突き刺してくる。
視界に入れないよう心掛けているから、これからもスカーレットは気付かないだろう。ラリマーと接する時と自分と接する時のアシェリートの違いを。
開けてみてください、とイネスに促され箱を開けた。中には1通の手紙と緋色の小さな上質な布で覆われた箱が入っていた。手紙には"スカーレットへ"とよく知っている文字が。先に箱を取り出して開いた。
「あ……」
中にあったのは、紫水晶を使用した髪を結うリボン。きらきらと輝く紫水晶に見惚れる。
「昨日、お渡しする予定だったプレゼントだと聞いております」
「綺麗……」
アシェリートの瞳と同じ色の宝石に心奪われてしまう。無意識に本音を漏らしたスカーレットに静かに近付いた。
「スカーレット様。アシェリート坊っちゃんは、好きでもない方に頻繁に贈り物はしません」
「イネスさん……?」
「侍女である私が差し出がましいとは思います。ただ、これだけは知っていてほしいのです。アシェリート坊っちゃんが考えるのは、何時だって貴女の笑顔を見ることだと」
「……」
「これを聞いて、ラリマー様に会いたくて貴女に良い顔をしていると思うのなら、思って頂いて構いません。アシェリート坊っちゃんは色々と間違っているので」
そう。色々と間違っている。下手に優しくするからあの妹は図に乗ってしまったのだ。アシェリートがはっきりと拒絶するか、嫌われるような態度を貫けば諦めていた。と思うのだが、そうはならなかったとイネスは嘆息した。何度もアシェリートは拒絶したし、はっきりと告げていた。スカーレットとの時間を邪魔するなと。相手が想像以上に話が通じない上に、婚約者が側にいる状態では素直になれないと勝手に自己解釈してしまう都合の良い思考回路の持ち主な為不可能だった。そして、最終的には両親に泣き付き、スカーレットを悪者にして無理矢理譲らせた。
イネスは複雑そうでありながらも、嬉しさが滲んだ赤い瞳と主の贈り物を見た。何時だって主が望むのは、目の前の少女の笑顔だけ。短期で外堀を埋められるよう動き出すアシェリートの為に侍女であるイネスが出来るのは、願うのとアシェリートからの指示を全うすることだけ。
訪問理由がローズオーラからの贈り物を届けに来た、なので長居は出来ない。スカーレットに見送られたイネスは徒歩でオルグレン公爵邸へ戻った。
読んで頂きありがとうございます!




