蛇の母娘
無数の札に覆われた石造りの扉の前で一人の少女が待っていた。10代前半の幼い彼女は持っている懐中時計を見つめ、もうすぐあれから48時間後になるのを確認していた。
少女が待っているのは封印された扉の向こうで異形病と戦っている母親と、彼女に付き添っている父親だ。
母が異形病にかかっているとわかったのは一昨日の夕飯の時だった。食事中の母の口から人間とは思えない鋭い犬歯が見えているのに娘が気づいた。娘と父は驚いたが、母の方がかなり驚いていた。無理もない。今まで奇跡的に人外が襲われずに済んだ家族なのに、いつの間にか変わっていたのだ。今は初期段階だが、進行していくにつれてモラルを失い、家族を襲ってしまうだろう。
家族殺しを望まない母は医療街から派遣された医師に頼むが、完全に治療できないと告げられる。それでも母は治る可能性があるなら治療を受け、手遅れなら死を望むと言った。彼女の覚悟を感じた医師は母を含む家族に説明する。
家族が住む家の近くに小さな遺跡があり、その扉を封印して中で48時間治療する。治療に成功すれば外に出る、失敗すれば医師自身を犠牲にして異形化した母を封印する。
聞いた娘は当然首を横に振った。
「お母さんが死ぬのは嫌だ……お母さんと離れ離れになるのは嫌だよ……」
父と母は彼女を優しく抱きしめる。
「大丈夫よ。お母さんはきっと良くなってあなたと一緒にいるわ」
「もちろんだ。お父さんがお母さんのそばにいるよ」
その言葉に娘も決心した。
夜中、例の遺跡の前に娘が立っている。開いている扉に医師と共に入っていく両親はこちらを笑顔で見ていった。恐怖と希望を感じた気がした。扉を閉めていき、札で封印する医師の助手たち。作業を終えた彼らは娘に慰めの言葉をかけて去っていった。
それから約二日間、母がやってくれた家事を娘はなんとかする。食器洗い、選択、掃除等……一見楽な作業と思っていたが、体力と頭を使わないといけない家事の大変さに困惑する。
「お母さんが治ったら、今度は私がやるよ」
休憩中に約束することを決める娘。
母と父が遺跡に入ってからもうすぐ48時間になる。
封印の扉の前で娘は手作りのお菓子を持ちながら元気な母が出てくるのを待っていた。家には食事の準備もしてある。2日ぶりの家族と一緒の御飯を楽しむつもりだ。
一瞬、扉が動いた気がした。医師から「成功すれば中から開ける」と聞いた娘は異形化した母が封印されるバッドエンドがなくなったことに喜んだ。確実にお菓子を食べてもらえるし、ご飯も一緒に食べれる。喜びのスキップを我慢して、母が出てくるのを待った。
開かれていく扉を見て更に喜ぼうとした。
しかし、甘い異常な臭いが鼻につき、喜べなくなった。代わりに恐怖が湧き、後退る。遺跡の中から母の姿が現れる。
母の姿……? 髪の毛、破れている服、顔つきはお母さんと似てる……むしろ同じだ。
だけど、あれが母とは思いたくない。ジグザグに避けた口、獣のような目、青い鱗に覆われた体……そして、足のない長い尻尾で出来ている蛇の下半身。怪物になってしまったお母さんが血まみれでこっちを見ている、笑顔で。
すぐに逃げたかった。だけど、足が動かない。恐怖? それとも母を放っておけない?
「待ってたのねぇ」
お母さんの声。怒ってないのに何故か怒った時より怖い。動けない娘に蛇の異形――ラミアに変化してしまった母がゆっくりと近づく。その姿に思わず尻込みしてしまい、泣いてしまう。
「お母さん……治れなかったの……? お父さんとお医者さんは……?」
「こんな素晴らしい身体からちっぽけな人間に戻るなんてありえないわ。あの二人はすぐに死んだわ、パパは大好きだから食べたけど、医者の方は成りかけの途中であっさりよ」
「こ……ころしたの……お父さんを……?」
娘が恐る恐る聞くと、蛇の下半身が彼女を囲み、巻き付く。パニックになった彼女は助けを呼んだ。
「た、助けて! 死にたくない! お願い、誰か――」
身体の中から折れる音が聞こえ、娘は親に殺された。
「さあ、起きなさい」
優しい母の声に娘は目覚めた。いつもの天井が見える。あれは夢だったの? 少し安心しながら上半身を起こした。
そして、異形の母に殺されたのは現実だと思い知らされた。とぐろを巻いてる母の姿、そして母が持っている鏡に映っている娘自身の姿。人間の頃の面影はあるが、鱗に覆われ下半身が蛇のラミアになっていた。
「おはよう、新しい娘♪」
母の言葉を聞き、涙を流す。鏡の中にいる娘も泣いているが、避けた口の端が上がっていた。