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シャープフラットE  作者: 片瀬イズミ
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E 01話(B)再会



 顔を上げた逢沢の視界に飛び込んできたのは一人の女子生徒。ニッコニコな笑顔で逢沢の顔を覗き込んでいた。


逢沢

「んっ……カ、茅谷かやたにっ⁉︎」


 完全に油断ゆだんしていた逢沢はのどの準備ができておらず、頓狂とんきょうな声を上げて椅子いすごとのけぞってしまう。ガガガッと音を立てた椅子が、ガンッと後ろの机とぶつかった。後ろの席にまだ誰も座っていなかったから良かったものの、一つ間違えば『なんだてめぇ、やんのか?』という言葉が飛んで来てもおかしくはない状況だ。

 そんな逢沢のオーバーリアクションを見て、


女子生徒K

「そ、そんなに驚かなくても……」


 ニッコニコだった女子生徒Kの笑みの中に少しの困惑こんわくが生まれた。それに対して逢沢は目をパチクリ、口をポカンと開けて見事なマヌケヅラを見せている。


 逢沢の目の前に立っている女子生徒Kの名前は、茅谷かやたに愛衣あい

 かたに付くくらいの短い髪にもちのような白い肌。身長は女子高生の平均とも言われている百六十三センチ。笑顔が魅力で元気がの女の子である。

 ”元気な女の子=馬鹿”という根強いイメージ通り茅谷かやたには頭が悪い。

 そして”馬鹿=運動神経が良い”という勝手なイメージ通り運動神経が良い。そのためスポーツ推薦という形で茅谷はこの東園高校に入学する事ができたのだ。


 逢沢と茅谷は小、中学校が同じで家も近所。逢沢が登下校とうげこうする際は必ず茅谷家かやたにけの前を通るほどの近さである。

 逢沢にとって茅谷は数少ない幼馴染の一人で、小学生低学年の頃は毎日一緒に遊ぶほど仲が良かった。

 しかし昔は仲が良くても年をかさねるにつれて疎遠そえんになって行く事なんてよくある話。この二人がまさにそうで、今では友達とも言えないくらいの距離ができてしまっている。

 逢沢と茅谷かやたにがまともに言葉を交わしたのは五年ぶりの事。そんな意外な相手から声をかけられた結果、逢沢は素っ頓狂な声を上げてしまったのである。


 固まったまま言葉が出てこない逢沢と、あまりにも驚かれてこま気味ぎみな茅谷の間には微妙びみょうな空気が流れていた。


茅谷

「あ、逢沢くんも……B組?」


 先に口を開いたのは茅谷。手でスカートの先をにぎりしめ、前髪の間から微かに見えるひたいにはうっすらと汗が光っている。

 頑張ってひねり出した話題なのだろうが、こういう時に「はい」か「いいえ」で答えられる話題は実にまずい。答えたとしても待っているのは沈黙だけである。

 コミュケーション能力が高い人間ならこんな話題でも膨らませる事はできるだろうが、そんな引き出しを持っていない逢沢は『ああ、そうだけど』みたいなつまらない返答しかできないだろう。

 

逢沢

「……ふふっ」


 笑った。

 茅谷からの質問に答える事なく、意外にも自然な笑みを浮かべた。


茅谷

「な、なんで笑うのっ⁉︎ あたしなんか変なこと言った⁉︎」


逢沢

「あーいや……あまりにも変わってなくて、ちょっと驚いただけ」


 確かに新学期初日、B組の教室に一人でいる生徒に「B組?」と尋ねるのは馬鹿丸出しである。昔から頭が悪かった茅谷の相変わらずな姿を見て逢沢は笑ってしまったのだ。


茅谷

「……それってどういう意味?」


 馬鹿にされている事に気付き、ほおふくらませ少し目を細める茅谷。わかりやすい不満顔である。


逢沢

「あーいやぁ……なんというか……別に大した意味はないんだけど」


 ここで逢沢の人見知りモードが発動。先ほど見せた自然な笑顔は影を潜め、絵に描いたような苦笑いを披露する。ヘッタクソな苦笑いである。


 この二人、言葉を交わしたのは久しぶりだが、おたがい同じ高校に通っている事は知っていた。一年間同じまなで過ごしていて顔を合わせない事はまずない。だが部活に所属していない逢沢に対して茅谷はバレー部。クラスも違えば話す機会などないと言っていいだろう。


 苦笑いをつらぬく逢沢に茅谷が再び口を開こうとした時、学校中にチャイムの音が鳴り響いた。


茅谷

「ウソッ⁉︎ もうそんな時間っ⁉︎」


 逢沢から黒板の上にある時計に目を移した途端、茅谷はわたわたし始めた。首元のリボンを触ったり毛先をいじくったりして、とにかく落ち着きがない。その行動は『言いたい事があるけど言えない』と言っているようなものだった。それを察した逢沢が、


逢沢

「……ど、どうした? なんかーー」


 と言いかけた時、一人の女子生徒が教室に入ってきた。そして茅谷の後ろを通ろうとしたのだが、


 ゴンッ……


 その女子生徒の左腕に落ち着きのない茅谷の右肘みぎひじがめり込んだ。しかもなかなか強めに。


茅谷

「あっ⁉︎ ごめんなさい!」


 さすがはバレー部と言ったところか、茅谷の声は良く通る。が、褒めている場合ではない。ひじをぶつけられた女子生徒は、吹っ飛びまではしなかったものの体勢を崩し肩に背負っていた鞄を床に落としてしまう。


茅谷

「ほ、ホントごめんなさい! だ、大丈夫ですか⁉︎」


 『女子生徒に怪我がないか心配』という思いと『床に落ちた鞄を拾わなきゃ』と思いが混ざり合い、結局わたわたしているだけの茅谷。キャパオーバーとはこの事だろう。

 そんな茅谷と目も合わせず、


女子生徒S

「……大丈夫です」


 と小さな声で答え自ら鞄を拾い、女子生徒Sはこしまで伸びる長い髪をなびかせながら離れて行った。


逢沢

(まったく、何やってんだか……)


 呆れて頭を抱える逢沢。同時に中身が変わってなさすぎる茅谷を見て少し安心もしていた。人はそんな簡単に変わるものではない。

 一方茅谷はというと、


茅谷

「……」


 離れて行く女子生徒Sの背中を見つめていた。先ほどまでとは一転してやけに落ち着いている。そんな茅谷の横顔を見た逢沢は思った。


逢沢

(え……? マジ、喧嘩とかやめてよ?)


 茅谷には昔から悪い癖があった。それは”よくわからないところでブチ切れる”というもので、しかも怒鳴る系ではなく殴る系なのだ。

 今回の件で非があるのは完全に茅谷だが、女子生徒Sのあしらい方も少し冷たい感じだった。もし茅谷が昔と全く変わっていないとしたら、ここで悪い癖が出てしまう事も大いにあり得る事である。


茅谷

「……逢沢くん」


逢沢

「な、なんでしょう?」


 逢沢は茅谷の心の成長を心から願い、そして次茅谷の口から『あの子……やっていい?』という言葉がでない事も願った。


茅谷

「あの子……やーー」


 終わった。逢沢の願いは叶わ、


茅谷

「やばくない? すごい可愛い!」


逢沢

「……はい?」


 逢沢の願いは叶った。茅谷は女子生徒Sを睨みつけていたわけではなく、ただ単純に見惚れていただけなのだ。

 ちなみに茅谷はそんなに喧嘩っ早い女の子ではない。逢沢の勝手な印象である。きっと茅谷は『あの子やっていい?』というヤンキーみたいなセリフは生まれてから一度も口にした事はないだろう。

 そんな勘違い野郎逢沢は、勝手に茅谷の成長を感じ安堵のため息をついた。


茅谷

「なんで、ため息?」


逢沢

「……なんでもない」


 勘違い野郎逢沢はそう呟きながら、茅谷が可愛いと評する女子生徒Sに目を向けた。

 女子の可愛いは当てにならない。『ブサイクな子にもとりあえず可愛いって言っときゃいいや』というのが女子高生の基本である。友達がいないわりにそういう事は知っている逢沢は全く期待せずに、逆に『どんだけブサイクな子なんだろう』という意気込みで女子生徒Sに目を向けたのだが、


逢沢

(えっ……? めっちゃ可愛いんですけど)


 意外にもタイプな女の子だった。

 真っ直ぐ伸びる長い髪にクールな雰囲気ふんいき。茅谷とは全くと言っていいほど正反対せいはんたいの女の子である。

 人見知りと思春期の変なプライドが混ざり合っている逢沢の中では”かっこいい男=チャラ男” ”可愛い女の子=悪女''というてつおきてがある。そんなひねくれた人間である逢沢が、素直に人を褒めるというのはとても珍しい事だ。

 逢沢からも可愛いと評価してもらった女子生徒Sは、黒板に貼られている座席表をジーッと見た後、周りの生徒には目もくれずうつむいたまま窓側の前から二番目の席に着いた。


 女子生徒Sに目を向ける生徒は逢沢達以外にも大勢いた。と言うよりは教室内にいる生徒のほとんどが彼女に目を奪われている。クラスで一番の人気者でもここまでの目は集められないだろう。

 だが逢沢はこういうケースをよく知っている。


逢沢

(ああ、マドンナパターンね)


 ”マドンナパターン”これを簡単に説明すると、


「あっ! マドンナSさんだわ!」

「今日もお美しい!」

「マドンナSさん、おはようございます!」


 と言うやつだ。

 ようするに学園一の美少女ってやつである。まあそれならこれほどの注目にも頷ける。これから女子生徒Sに大勢の生徒が群がるのだろう、と思われたのだが、


 …………


 沈黙。学園一の美少女とは同時に学園一の人気者というのがお決まりなのだが、誰一人話しかけようとはしない。しかも女子生徒Sも下を向いて前髪で顔を隠している。

 ちなみに逢沢はこのような矛盾の理由も知っている。


逢沢

(あぁ……女神めがみパターンね)


 ”女神めがみパターン”簡単に説明すると、


「あの子超可愛くないっ⁉︎」

「でもなんか話しかけづらいよねー」

「お、俺……話しかけてみようかな!」

「やめとけ。お前なんて相手にされねぇよ」


 と言うやつだ。

 ようするに自分からではなく勝手に周りが一線引いてしまっているというやつである。そして逢沢はなぜか女神Sを見ながら頷いた。


逢沢

(うん、うん……わかるよーその気持ち。友達いないと辛いっすもんねー)


 逢沢は『この子も自分と同じで友達作りが苦手なんだろうなー』と勝手に判断した。

 知らぬ間にそんな失礼なレッテルを貼られた女神Sは、B組の生徒ほぼ全員からの注目を一身に浴びながらゆっくりと右手を動かした。


逢沢

(あ、あれは……まさか)


 右手で自分の左肘を押さえた女神S。

 別にどうって事もない行動だが、なぜか絵になる。そしてそんな事でざわつく教室の中で逢沢はある事に気付いてしまった。


逢沢

「お、おい……茅谷」


茅谷

「へ? なーに?」


 不思議そうに女神Sから逢沢に目を戻す茅谷。しかし逢沢の目はまだ真っ直ぐ女神Sを見つめている。


逢沢

「あの子……痛がってね?」


 女神Sは左肘を押さえている。その場所は先ほど茅谷が肘がめり込んでしまった場所だ。それを踏まえて見てみると、もう痛がっているようにしか見えない。


茅谷

「え、えぇ⁉︎ だ、大丈夫かなっ⁉︎ そんな強く当たっちゃった感じはしなかったんだけど……まさか折れちゃってたり⁉︎」


 普通に考えて折れているわけがない。だが茅谷の顔からはサーっと血の気が引いて逢沢と女神S、交互に目をやり「どうしよう、どうしよう……」とブツブツ呟いている。


逢沢

「ま、まあ、そこまで心配しなくてもいいと思うけど……」


茅谷

「でも……でも、やっぱあたし、もっかいちゃんと謝ってくるっ! 席も隣だし、それにーー」


 と言いながら女神Sの方向に足を一歩踏み出した時、茅谷の頭の上にポンッと出席簿しゅっせきぼが乗せられた。

 いや、優しく出席簿で叩かれたと言った方が正しいかもしれない。


 逢沢には見えている。茅谷の後ろに立つ長身で細身、そしてり残しのひげが目立つ少しだらしない印象いんしょうの男性の姿が。

 ”八時三十分” ”出席簿を持っている大人の男性”この二つの情報だけで、見た目がどうであれ目の前の男性が担任教師なのは理解できる。その担任教師が茅谷の頭を叩いた理由、それは『席に着きなさい』という無言のメッセージだろう。

 しかし何の情報も手にしていない茅谷は、当然メッセージなど受け取る事はできなかった。


「でゅはっ……⁉︎」


 この声は茅谷のものではない。担任教師のものだ。

 勢い良く振り向いた茅谷の左肘ひだりひじが担任教師のみぞおちにめり込んでしまったのである。

 逢沢と茅谷の耳には「でゅはっ⁉︎」と言う情けないうめき声がやまびこのようにひびいていた。そして時が止まったような感覚の中で、二人はポカーンと口を開けて目を丸くしている。


茅谷

「……ご、ごめんなさいっ!」


 先にわれに返ったのは茅谷だった。必死に頭をペコペコ下げて担任教師にびを入れる。遅れて我に返った逢沢の目には、わりと本気で痛そうな男性の苦笑いが飛び込んできた。


担任教師Y

「……ほ、ほれ、チャイム鳴ったぞ……席付けー」


 この担任教師Yも新学期初日に、しかも女子生徒からエルボーという斬新ざんしんなプレゼントをもらうなんて考えもしなかっただろう。痛みをやわらげるように腹をさすりながら、担任教師Yはなんとか教卓きょうたくに立った。

 それを見た生徒達はお喋りを止めておもむろに席に着く。茅谷も顔を真っ赤に染めながら自分の席へと戻って行った。


「うわっ……やっさんかよ」

「ハズレだわー」

「二年連続……ついてないなぁ」


 ざわつく教室内から担任教師Yへ向けた不満ふまんの声がちらほら。きっと聞こえてはいるだろうが、担任教師Yは表情一つ変える事なくホームルームを始めた。


担任教師Y

「あーい、静かにー。えーまず初めに、今日からお前らの担任になるやすだ。よろしくなー」


「「よろしくお願いしまーす」」


 自然と生徒達は声を合わせて軽く頭を下げた。まあ、良くある事である。

 このやすという担任教師、よく見るとひげだけではなく服装ふくそうもだらしない。ボロいサンダルにズボンのポケットからはみ出しているネクタイ。そしてYシャツの胸元に茶色のシミ。これはおそらく醤油しょうゆをこぼしたあとだろう。

 人を見た目で判断してはいけないとは言うが、誰が見ても外見は教師失格きょうししっかくである。

 しかし『さすがは教師』とめたいところもある。それは自分への罵声ばせいう教室の中で、胸を張ってホームルームを始めた事だ。”生徒の悪口にいちいち耳をかたむけていては心が持たない”という事をしっかり熟知じゅくちしているに違いない。


「えーとだなぁ……別にあだ名とかで呼んでくれてもいいんだけど、ハズレとか、ついてないとかは……やめてくれる?」


 そんな事はなかった。

 きっとハートはそれほど強くない人間なのだろう。もしかしたら生徒の声に耳を傾け過ぎた結果、心がこわれてしまい今のようなだらしない姿になってしまったのかもしれない。

 冗談で呟いた生徒達も、安の打たれ弱さをの当たりにして苦笑いを浮かべている。


 これからの一年間、二年B組の担任をつとめる担任教師Yの名前は、安武人やすたけひと

 去年めでたく三十六歳で結婚けっこんしたのだが、その相手が元教え子という事から”外見だけではなく心から教師失格”と生徒達からなじられるようなった。

 昔は熱血教師ねっけつきょうしだったとの噂もあるが、今ではそのような雰囲気は一切ない。

 ちなみに担当は現代文。


「えーなんだっけな……あっ、そうだ! とりあえず自己紹介でもするか。早く顔と名前覚えたいしな。面白い自己紹介頼むぞー」


逢沢

(なんだ、この人……本当にここの教師か?)


 何度も言うが東園高校はエリート校だ。そのため真面目な教師が多い印象が強い。それなのになぜこんないい加減そうな人間をやとっているのか、逢沢は疑問に思っていた。


「そんじゃあ、出席番号しゅっせきばんごう一番のヤツ。よろしくー」


 教卓横きょうたくよこに置かれた椅子にドスッと腰掛こしかけた安は、だるそうにあくびをしながら出席簿を開いた。そして中を見て眉を寄せたと思えば、


「うほほっ! マジでか。三人もいるじゃーん」


 急に上機嫌になった。出席簿の中に何が書いてあるのだろうか。それは安だけにしかわからない。

 出席番号一番は逢沢である。どうせため息でもついてるのだろう、と思いきや、


逢沢

(ふふっ……まあそうなるわな)


 意外と余裕を見せていた。『こうなる事はわかってたぜ!』みたいな感じで口だけニヤリと笑っている。

 逢沢は小学一年生から高校二年生の今までずっと出席番号一番。そのせいか自己紹介タイムに入ると『それじゃあ一番の生徒からねー』となる風習ふうしゅうを嫌っていた。

 だが、今は違う。


逢沢

(高校生にもなって自己紹介でテンパる? ありえないね)


 学校での自己紹介といえば趣味しゅみ特技とくぎなどを言わされる事も多々あるが、高校生にもなると”名前だけ言って座る”といった方法ほうほうが許されるのだ。

 男子高校生はとがっている生徒が多い。そんな生徒の心中を察してか、高校の教師達は無理に趣味や特技を聞いたりはしない。そんな思春期男子高校生達のおかげで逢沢は自己紹介タイムという苦痛な時間を克服こくふくする事ができたのである。

 ククッと笑うのをこらえるように余裕ぶった面持おももちで立ち上がると、別に大きな声を出すわけでもないのに深く息を吸った。

 そして勢いに任せて口を開こうとした、のだが、


「おっ、なになにー。逢沢あいざわ君、学年二位なの? やるねー!」


 先に口を開いたのは安だった。出席簿を手にしながら長い足を組み、嬉しそうに逢沢に目を向ける安。出席簿の中には生徒達の学年別順位などが記載きさいされているようだ。

 そして安の口は止まらない。


「ところで逢沢君は優等生ゆうとうせいなの? それとも不良ふりょうなの? いや待てよ。まあ不良で頭良いっていうのもありなのか?」


 学年二位なのは間違いない。だがどうして自分が不良に見えるのか、逢沢はどうしてもわからなかった。


逢沢

「いやあの……不良ではないと思うんですが」


「そう? よかったー。じゃあネクタイしてないのは流行はやりか何か?」


 逢沢は思い出した。

 ネクタイをしていなかった事に。

 「す、すいません!」と顔を少し赤く染めた逢沢がブレザーの内ポケットからネクタイを取り出すと、ネクタイを締めながらの不思議な自己紹介タイムが始まる。


「優等生いるクラスはねー、俺の評価も上がるから助かるよー。このままキープしてくれよー。んで、逢沢君。部活は?」


逢沢

「は、はい? あ、いや……部活は何も」


「えーもったいなーい。せっかくの青春時代せいしゅんじだいだぞー? あせ流さんとー。んじゃあ、趣味しゅみは?」


逢沢

(おいおいおい……なんだ、このパターンは……)


 ただいま逢沢動揺中。ネクタイは無事締め終わったが『これは自分の知っている自己紹介タイムではない』と思った逢沢は目の前にある、まだ何もられていない掲示板けいじばんを見つめたまま固まる。

 『高校生にもなって自己紹介でテンパる? ありえないね』という心の声がしっかりフラグとしての仕事を全うした。

 当然クラスメイトの視線は逢沢に集まっている。


逢沢

「……と、特にないです……」


「えー? ないって事はないでしょ? うーん……あっ、じゃあーー」


 とても楽しそうに質問を繰り返すやす。教室に入ってきた時とは大違いだ。なぜ初めからこのように明るく振る舞わなかったのだろう。まあよくわからない男という事には変わりない。

 どんどん口のギアを上げていく安が『次は特技でも聞くのではないか』と思われた時、


「何これ? 面接?」


 逢沢の後方から少し低めな女子生徒の声が響いた。

 あまりにも的確てきかくなツッコミにクスクスッと小さな笑いが生まれ、教室内がざわつき始める。

 ここで『自分の番は終わる』と思い安堵あんどの表情を浮かべた逢沢だったが、それは大きな間違いであった。


「そ、そうだな! すまん、すまん。じゃあ続けてくれーい」


逢沢

(何をだよっ!)


 続けるも何も逢沢の数少ないプロフィールは既に安の口から出てしまった。あと言える事といえば下の名前が”良太”という事だけである。

 安の一言で再びクラス中の視線が逢沢に集まった。『この空気は名前をげるだけではどうにもならない』そう感じた逢沢は必死に考える。

 学年二位の頭をフル回転させ、考える。


逢沢

「……」


 しかし、何も浮かばない。

 こういう時一番必要なのは頭脳ではなく経験とかんだ。変にウケを狙えば寒い目で見られるし、かといってクールにってもキザな印象をあたえるだけ。

 ”次自分の口から出る言葉が今後の高校生活を良くも悪くも変えてしまう”そんなプレッシャーが逢沢の頭の中を真っ白に染めた。

 そして諦めたように目を閉じた次の瞬間、


 ガラガラガラッ……


 逢沢の目の前、すなわち教室前方の扉が突如ノックの音もなく開いた。ゆっくり開けられた扉の向こうには仏頂面ぶっちょうづらの女子生徒が一人、ポツンと立っているのだが、


女子生徒A

「……」


 いつまでっても教室に入ってくる様子はない。それどころか人形のように微動びどうだにせず、ただ一点だけを見つめている。眠たいのか、それとも怒っているのか、目蓋まぶたが半分しか開いていない女子生徒Aの表情からは何も読み取れない。

 生徒達は『何事だ?』といった表情で逢沢から女子生徒Aに目を移す。


「おーおー、遅刻ちこくかー? 初日からやるねー。今何時だとーー」


女子生徒A

「逆にいたい。やす先生。今は何時でしょうか?」


 女子生徒Aは食い気味に……いや、安の言葉をかき消すようにボソッと放ち、黒板上に設置されている時計を指差した。


「ん? 今は、九時ジャストだろ? ん、九時ジャストゥ? うーん……九時ジャストッ⁉︎」


 三回言った。

 そして時計を三度見した安の表情から余裕が消えた。楽しそうにながめていた出席簿を勢い良く閉じ、


「お、お前らっ! 今すぐ体育館向かえ! 早く、早くっ!」


 もう少しで裏返うらがえりそうになるほどの大声を上げてあわてて立ち上がった。

 何かを思い出した……いや、何かを忘れていたのだ。

 よく見ると安に時刻を伝えに来た女子生徒Aの胸元には生徒会役員のあかしである、やけに高そうなピンバッチがキラリと光を放っている。


「いやー悪気はないんだよ? なんだろ……歳かなー? 近頃物覚えがーー」


女子生徒A

「私に言い訳しても無駄ですけど」


 ササッと歩み寄る安から逃げるように女子生徒Aはその場から立ち去った。まあ確かに彼女の言う通りである。

 なぜなら安が忘れていたものとは、


 ”始業式”なのだから。


 本来なら八時五十分には全校生徒が体育館に集合し、始業式が始まる予定だったのだ。新米しんまい教師でもこんなは凡ミスしないだろう。

 初日から担任の頼りない姿を見た生徒達はあきれながら席を立ち、バラバラに教室を出て行く。この数分で一気に疲労ひろうした逢沢は、半分以上の生徒が教室を出て行ったのを見て、とりあえず一息ひといきつこうとドスッと椅子に腰掛けた。


逢沢

「ふぅ……ぬぃっ⁉︎」


 一息吐いて周りを見渡した逢沢の口から出た「ぬぃ」の意味。それは”驚き”である。

 特に何も考えずに教室を見渡していたら、ある人物と目が合ってしまったのだ。

 その人物とは窓側まどがわの前から二番目の席に座る女子生徒。ただ座っているだけなのに気品きひんがあり、同じ制服のはずなのに彼女が着ていると高級品こうきゅうひんのように見える。その女子生徒とは、


 女神Sだ。


逢沢

(すんげぇ目合っちまった。気まずっ……ていうか今めっちゃ見てた、よな……?)


 反射的に目をそらした逢沢だったが『なぜ女神は自分の事を見ていたのか』少し……いや、結構気になってしまい、慎重かつ慎重にチラッと女神Sに目を戻した。

 

逢沢

(……Teleportテレポート⁉︎)


 しかしそこにはもう女神Sの姿はなかった。

 そして外人並みの発音はつおんの良さだった。

 驚きのあまり立ち上がった逢沢は、大胆かつ大胆に女神Sが先ほどまでいたはずの席に目と身体を向ける。


逢沢

(えっ? マジどこ行った⁉︎)


 教室のどこを見渡しても女神Sの姿はない。それどころか人っ子一人いない。物音一つしない教室内。


逢沢

(あっ……そういう事ですか)


 自分以外誰もいない教室を見渡して逢沢は思った。『女神は天界に帰ったわけでもテレポートしたわけでもない。ただ体育館に向かっただけだ』 と。

 逢沢が女神Sから目をそらして考え事をしていた時、逢沢の世界と現実世界の時間の流れにはズレがあった。逢沢の世界での一秒は現実世界では十秒。そんなズレがあったおかげで、逢沢は教室に一人取り残されてしまったのである。


逢沢

「はぁ……馬鹿みてぇ、早く行こ」


 ため息。そして逢沢は足早に教室を後にした。



【第二体育館入口前】



「ちょいっ、押すなよー!」


 ちょうど逢沢が教室を出た頃、安は体育館前に到着し固く閉ざされた扉の前で大量の汗をかいていた。その後ろで待機するB組の生徒達。


「早く入った方がいいと思うんですけど……」

「まさかビビってんすかー?」


 この扉の先には全校生徒に加え全教職員が待っている。開ければ”冷たい眼差し”と言う名の矢がそそがれる事は馬鹿でもわかる事だ。

 そんな現状をしっかり把握している安は、


「うるさいなーっ、ビビってるよ! ビビるに決まってるでしょうがっ! お前らは校長の怖さを知らないからぁーっ!」


 ビビっていた。

 校長に怒られる事に恐れてどうしても体育館に入れずにいる。そして「あっ、やべ。忘れてた」と今頃ネクタイを締め始めた。逢沢に『ネクタイをしろ』と遠回しに注目しておきながら、自分もネクタイをするのを忘れていたとはいうのは、教師としてどうなのだろうか。

 ちなみにこの体育館入口前での安と生徒達の会話は、一応中に聞こえないように小声で交わされている。


「……ちょっと安先生お腹痛いみたいでトイレ行ってます、って言っといてくれる?」


「言い訳なんて見苦しいっすよー」


「言い訳じゃないし。本当に腹痛いし」


「ごめんなさい、忘れてました、でいいじゃないですか」


「アホかっ! 忘れてましたなんて言ったら俺の首がスパンッだよっ!」


 かたくなに中に入ろうとしない安。扉に背を向けムキになって生徒達と言い合っている姿は、実に見苦しい。

 まあそんな事をしてくれているおかげで、


逢沢

(あっぶね……危うく一人で入場するはめになるとこだった)


 教室でちんたらしていた逢沢もなんとかB組の集団に追いつく事ができた。

 教室から体育館入口までの約三百メートルを逢沢は小走りと早歩きの間くらいスピードで駆け抜けた。駆け抜けたとは言わないかもしれないが、そう言っていいほど息を切らしている。

 そんな逢沢の目に入ってきたのは、通せんぼするように体育館への扉の前に立ち、生徒達からの口撃こうげきを受けている安の姿。言い訳を繰り返す担任教師の真の姿だった。


逢沢

(何やってんだか……)


 呼吸で上下していた肩も落ち着きを見せ始め、乱れた前髪を適当に指でセットし直した時、逢沢は突如身体をビクッと震わせる。


逢沢

(……こっ⁉︎ ここにいらっしゃいましたか)


 不意ふいに目を横にやると、ちょこんとたたずんでいる女神が一人。集団の一番後ろで口撃されている安をジーッと見つめている。


逢沢

(ビックリしたぁ……気配なさ過ぎでしょ)


 ”突然自分の横に女神Sが現れた”みたいな言い方をしてはいるが、実際は”逢沢が女神Sの隣で足を止めた”の方が正しい。

 女神Sから即座に目をそらした逢沢は、まるで強烈の腹痛と戦っているかのようにグイッと眉を寄せる。


逢沢

(大丈夫、大丈夫……こういう子はどうせ、めっちゃ性格悪いタイプだから……人を見た目で判断しちゃダメだから……きっと彼氏もたくさんいて、その中から『今日はこいつかな』みたいな感じで選んでるはずだからっ!)


 女神Sの顔に泥を塗ろうと頑張ってはいるが、思考が矛盾している。鉄の掟が逢沢の脳内をグチャグチャにかき乱しているのだ。

 そして今度は強烈な頭痛と戦っているかのように目を掌で覆った。すると逢沢の脳内に新たな情報が入ってくる。


逢沢

(やべぇ……めちゃくちゃいい匂いする……)


 美人=いい匂い。

 別に匂いをいでいるわけではないのだが、女神Sから発せられている香水によるものではないであろう、柔らかな匂いが逢沢の鼻をピクピク開閉させる。


逢沢

(ま、まさかっ……これが原石トレジャー⁉︎)


 この時逢沢は今朝さつきが見ていたテレビ番組”今後光るであろう原石トレジャー”に出ていた女の子を思い出す。


逢沢

(いたわ……こんな身近に、やべぇ原石トレジャーいたわ……)


 番組の趣旨しゅしをよくわかっていない逢沢は”美人すぎる女子生徒=原石トレジャー”だとで間違えていた。本当は”この先の活躍が期待される中学生や高校生=原石トレジャー”である。

 逢沢がそんな事を考えている間も安はずっとごねていた。そして五分以上も扉の前で立往生たちおうじょうさせられている事に少しイラつき出す生徒も出てきた。すると今まで安への口撃に参加していなかった人物が安の目の前まで歩み寄り、


茅谷

「先生ーっ!」


 大きな声を出した。皆は一応声を細めていたのだが、そんな空気は一切読まずに茅谷はピンッと天井に向けて手を上げた。


「ちょ、ちょいっ、君? 声大きいよ?」


茅谷

「この間にも、中にいる人たちに迷惑をかけてるんですよ? つみつみかさねないでくださいっ!」


 茅谷の真っ直ぐで綺麗な目、そして”罪”という言葉が安の胸に刺さった。


「……俺……罪……おかしちゃった?」


茅谷

「まだ間に合いますっ!」


 安に迷いが生まれている。先ほどまでは『絶対に入らない』と目に書いてあったのだが、茅谷の説得せっとくのおかげで『頑張って入ってみようかな』に変わっている。


「……君、名前は?」


茅谷

茅谷かやたにですっ!」


「か、茅谷かやたに……? ま、まあいい。わかった。茅谷っ! 俺、行くよっ!」



 『さっさと行けよ』誰も口にはしなかったが、生徒達の目にはその言葉がしっかり書かれていた。

 やっと覚悟を決めた安は無駄に格好良く振り返り、力強く扉を開けたのであった。



【二年B組教室】



逢沢

(終わったぁ……)


 時刻は十時十五分。始業式を終えて担任の安が帰って来るまでの自由時間中。逢沢は疲労ひろうしていた。


 安が勢い良く体育館の扉を開けた後の話。

 予想は外れた。全校生徒から冷たい眼差しを向けられる事はなかった。が、

 その代わりにニッコリと笑みを浮かべる校長先生が扉の前でかまえていた。おそらく入口前でさわいでいた安や生徒達の声(主に茅谷の声)が中まで届いていたのだろう。

 笑顔の校長先生は「早く入りたまえ」と優しく呟き、その後は何事もなかったかのように始業式が行われたのであった。


 B組の教室を見渡せば逢沢以外にも疲労ひろうの色を見せている生徒は多々いる。その理由は皆同じ。


逢沢

(やっぱあの校長……話長すぎだろ……)


 東園高校校長、中井譲治なかいじょうじの話が長かったからだ。

 中井なかい校長はとにかく話が長い。『どうしたらそんなにしぶい声がでるの?』と思うほど低い声で無意味な話を淡々と続けるのだ。その無駄話むだばなし最長記録さいちょうきろくはおよそ三十分だったのだが、先ほどの始業式で四十分超えという新記録を叩き出した。

 結果、立ちっぱなしだった生徒達は体育の授業後のように疲労ひろうしているのだ。

 

「いやー、今日も饒舌じょうぜつだったねー」

「あれワザとなのかな? 三、四回はなみあった気がする……」


 教室に戻った生徒達が中井校長の話で盛り上がる中、逢沢は机に突っ伏して寝たふり中。その背中は『自由時間は聞きたくもない他者の会話が耳に飛び込んでくる苦痛くつうな時間である』と語っている。

 そんな背中が突如とつじょ、ヌルッと起き上がった。


逢沢

(よし。後ろのやつに話しかけよう)


 逢沢にも少しは今の現状げんじょうを変えたいという思いはある。”後ろの席の生徒に話しかける”というミッションを遂行すいこうするため、深呼吸しんこきゅうを繰り返した。深く、長く。

 そして勇気をしぼって振り向いた、のだが、


逢沢

(初日から休みぃーっ!)


 後ろは空席だった。

 周りには数名立ち歩いている生徒もいるが、机に鞄が掛かっていない事から欠席けっせきだと判断した逢沢は『俺の勇気を返せ』と言いたげな表情でジーッと空席をにらみつける。おまけに舌打ちも。

 小さなミッションのためにたくわえた空気がため息という形で吐き出された瞬間だった。


逢沢

(ていうか俺、何やってんだろ……高校生にもなって、人見知りはだせぇよなぁ……)


 ため息を吐き終えた逢沢は自分のマヌケさを実感し、つい笑ってしまった。

 笑みを浮かべた。

 空席をながめながら、笑みを浮かべた。

 そんな瞬間を、見られてしまった。


 空席の後ろ、すなわち逢沢の二個後ろの席に座るちょっとギャルっぽい女子生徒と目が合う。そして、


ギャルS

「……どしたの?」


 声をかけられた。

 ギャルSは真っ直ぐ逢沢の目を見ている。こんな時いつもの逢沢ならすぐさま目をそらすはずなのだが、まるで金縛りにあったようにギャルSと目を合わせたまま固まってしまっている。

 そして『今までのマヌケな行動を全て見られていたのではないか』という最悪な事態じたいが逢沢の頭をぎった。


逢沢

「あ……いや! あの、これは……」


 空席をながめながら笑う男子高校生。はたから見れば、完全にやばいヤツである。『誤解ごかいかねば!』と高速で目をまばたかせてみたものの、


逢沢

「あっ……いや、何でもないっす」


 人見知りモード発動。誤解ごかいく事を諦め、逢沢は完全にやばいヤツになった。

 ギャルSが「ん?」と首を傾げたと同時に、逢沢は目をそらし身体をクルッと前に戻すと、真っ赤な顔を隠すように机にひたいを叩きつけた。


逢沢

(やべぇ、やべェ、ヤベェ! 見られた……しかも女の子に、ていうかギャルにっ! あーあ……『こいつキモッ』とか思われただろうなぁ)


 『慣れない事はするもんじゃない』心からそう思った逢沢であった。


 数分後、逢沢並みに落ち込んでいる安が教室に戻ってくると簡単なホームルームが行われた。

 きっと中井校長に説教でもされたのだろう。明日の入学式の事などをボソボソと説明して「午前中のうちに……下校してね」と遺言のように言い残して教室を出て行った。

 こうして逢沢の二年生初日が終了した。



 次の日ーー



【二年B組教室】



逢沢

(……これはもう高校生活は捨てて、大学デビュー目指すか……あとたった二年だしな。よし! もう授業中以外絶対顔上げねぇからな)


 ”自分の失態をギャルに見られた”という昨日の些細ささいな出来事をきっかけに、高校生活を捨てる決意をした逢沢。そんな逢沢が登校早々やる事といったら、寝たふりしかない。

 朝のチャイムが鳴り、あとは安の到着を待つだけ。こういう時ほど時間の流れは遅い。


逢沢

(遅ぇ……あのクソ教師、時間も守れねぇのかよ)


 だんだん逢沢の心がけがれてきている。

 時刻は八時四十分。普段なら三十分頃には担任が到着してホームルームが始まるのだが、安はいまだに現れない。


「やっさん、もしかして……来ないんじゃない?」

「ありえるな。昨日校長に怒られでもして心折れたんじゃね?」


 そんな事を呟いている生徒がちらほら。安はもう完全にナメられている。だが昨日始業式に遅刻した事を反省しているであろう人物が、次の日のホームルームに遅刻するなんて事はさすがにないだろう。『もしかしたら冗談抜きで、安の身に何かあったのでは?』そんな空気がB組内に流れる。そんな中、


「やあっ! おはよう、みなしゅうー!」


 安は堂々と現れた。

 そしてやけにテンションが高い。


「うわ、普通に来たし」

「先生ー、遅いよー」

寝坊ねぼうっすかー?」


 昨日のぼんミスを反省している様子は全くない。しかも遅刻しておいて、謝りませず呑気のんきに笑っているというのは教師として、大人としてどうなのだろうか。


「俺は生まれてから、寝坊した事は一度もないっ! それだけは言っておこう」


逢沢

(……嘘つけ)


 寝たふりを続けながらも逢沢の耳はしっかり安の声に傾いている。同じように思った生徒も多く、いたる場所から「嘘つきー」 という言葉が飛び交う。

 だが安は自分への罵声ばせいあふれる教室の中で、これでもかというくらいのドヤ顔を披露ひろうしていた。


「へへーん。まあ、んな事より、お前らに大事な報告ほうこくがある。心して聞くようにー」


 やけにもったいぶる安。新学期二日目で大事な報告とはいったい何だろう。


 昨日の失態しったいにより安武人やすたけひと、本日限りでクビ。そのせいでよくわからないハイテンションになってしまっている。

 ないだろう。


 本日の予定は入学式のみ。一年生が全員今流行りのインフルエンザにかかり入学式が中止。

 ありえない。


 残すはプライベートな事。安が去年結婚した事は既に知れ渡っている。もしかしたら子供が生まれたのではないか。

 ありえる。というかそれしかない。

 めでたい事なのだか……正直言ってしまうと凄くどうでもいい。


 こんな事を逢沢は考えていた。しかし安は逢沢が『それしかない』と断言だんげんした予想とは全くもってかけ離れた事を口にする。


転校生てんこうせいを紹介する!」


 この言葉は誰も予想していなかった。七割の生徒が思わず「え……?」と口を開く。

 先ほど『授業中以外は絶対顔あげねぇからな』と心に決めた逢沢も、驚きのあまり普通に顔を上げてしまった。ここで再び生徒達に嘘つき呼ばわりされる安だったが、渾身こんしんのドヤ顔は揺るがない。


「おーい、入ってきていいぞー!」

 

 ガラガラガラッ……


 安の声に反応して扉が開くと同時に、ざわついていた教室がピタッと静まり返る。安はそんな生徒達の顔を見ながらはなの穴をピクピク広げていた。


逢沢

(えっ? マジじゃん……)


 ”転校生”それは高校生にもなるとかなり希少きしょうなもの。男子なら『可愛い女子がやってくるのではないか』と無意識のうちに期待してしまうものである。転校を経験したものならわかるはずだ。この期待ほど、うざったいものはない。

 しかしそんなうわついた男子達の期待は、ふくらませる間もなくくだった。


逢沢

(なんだ……男か。しかもチャラそうだなぁ……)


 教室に入ってきたのは男子生徒だった。

 男だと認識にんしきした瞬間、興味きょうみうすれた逢沢は再び机に顔をうずめる。

 ”転校生との運命的な出会い。そこから始まるラブストーリー”なんてピュアな考えが逢沢の心の片隅かたすみにあった事は、間違いない。

 しかし”現実はそれほど甘くはない” ”世界は自分をじくに回ってなどいない”そんな事をチャラそうな転校生から学んだ逢沢であった。


 黒板に汚い字で名前を書き終えた転校生はダンサーのようにクルッと振り返り、立派な八重歯やえばを見せつけるような笑顔を教室中に振りいた。


「んじゃあ、自己紹介ーー」


 安は転校生に『自己紹介でもしとくかー?』とでも言いたかったのだろう。だがしかし、転校生は安の言葉を最後まで聞く事なく、静寂せいじゃくと安の言葉をくように口を開いた。


転校生K

「初めましてっ、加治前裕貴かじまえゆうきです! 沖縄から来ました。趣味、特技共にサッカーっす! 彼女募集中なんで、よろしくお願いしやすっ!」


 まぶしい笑顔に光る八重歯。調子の良い雰囲気ふんいき加治前かじまえに、一瞬圧倒された生徒達はワンテンポ遅れて拍手はくしゅを送った。

 知り合いでもいるのか、それとも彼女募集中なだけに可愛い女子でも探しているのか、加治前は振り返ってからずっとキョロキョロしている。


「あ、あのな、加治前かじまえ? リハーサルしたろ? 俺が『自己紹介でもしとくかー?』って言ったら自己紹介始めろって?」


加治前

「先生っ! オレの席どこっすか?」


 『自分はナメられている』それを感じ取った安は先ほどのハイテンションから一転、わかりやすく肩を落とした。


「うん……あそこね」


 安が指差ゆびさした座席は、廊下側の前から二番目。寝たふり中の逢沢の後ろの席だ。

 『あの席はそのためだったのか』と小さな伏線ふくせん回収かいしゅうしてご満悦まんえつな生徒や、加治前を見て「かっこよくない?」と呟く生徒、逆に「なんかチャラそう」と嫌味いやみな事を言っている生徒もいる。


加治前

「……おっ⁉︎ あ、了解でーすっ!」



 こういう空気感くうきかんれているのだろう。逢沢なら百パーセントうつむいてしまう状況じょうきょうだが、加治前は笑顔をやさず指示された座席へと足を向けた。


「じゃあお前らー。加治前も初日で緊張してるだろうし。色々話しかけてやれよー。それじゃあホームルームーー」


 そう言って安がこれからホームルームを始めようと出席簿を開いた時、生徒達の視線は教卓に立つ安にではなく、まだ加治前に向いていた。いや、

 再び加治前に集まっていた。


 加治前は自分の席へ向かう途中突如足を止め、ニヤリと悪い笑みを浮かべながら手を上げた。

 『どうしたのだろう?』そう思うのは当然だ。安もふくめクラス全員(逢沢以外)は加治前がこれから何をするのか全く理解できず、ただだだ目を見張っている。

 そんな中加治前は、上げていた手を、


 パシンッ!


 思い切り振り下ろした。

 そしてその音はひびいた。

 果たして何が起こったのか、そんなにもったいぶるような事ではない。

 ただ加治前が逢沢の頭を引っ叩いただけである。


「……えっ?」



 教室内がこおりついた。”転校生がいきなり優等生の頭を引っ叩く”など誰も想像しているはずがない。

 この東園高校には優等生が多いため、生徒同士の喧嘩けんかなど滅多めったにないのだ。

 しかもこの高校、喧嘩やいじめなど生徒同士のめ事に関しての罰則ばっそくはかなりきびしい。もしこれから喧嘩が始まるようなら、転校生であろうと停学処分ていがくしょぶんまぬがれないだろう。見慣みなれない光景に教室内の人間はまばたきをも忘れていた。


逢沢

「……」


 この時、一人だけ現状げんじょう把握はあくしていない逢沢は、安に引っ叩かれたと思っていた。

 先ほどまで安の遅刻にイラついていた事もあり、少々にらみつけるように顔を上げた、のだが、


逢沢

「……あ、あぃ?」


 目の前には笑顔の加治前。逢沢の思考は停止した。そんな逢沢の唖然あぜんとした表情を見て加治前は更に八重歯を光らせる。


加治前

「これっ、朝から居眠いねむりはいかんぞっ! 逢沢あいざわく〜ん!」


 なぜ自分は初対面しょたいめんの相手に頭を叩かれたのか、そんな所で思考が止まっている逢沢の頭には、なぜ加治前が自分の名前を知っているのかという疑問は生まれなかった。


逢沢

「は、はあ……?」


加治前

「あんま変わってねーなー。リョウタッ!」


 この言葉を聞いた逢沢の真っ白な頭に一人の少年の顔が浮かんだ。昨日まで記憶きおく奥底おくそこにいたはずの少年の顔が。


逢沢

「……」


 自分の事を下の名前で呼ぶ人物は、両親りょうしん以外に一人しかいない。

 その人物とは、小学二年生の夏に離れ離れになった幼馴染おさななじみの少年”ユウキ”である。


 頭を回そうとしても回らない。逆に回らなかった事で、素直に頭の中の少年ユウキの顔と目の前にいる加治前裕貴かじまえゆうきの顔が重なった。


逢沢

「……お、お前っ⁉︎ ユウキかっ⁉︎」


 思った以上に大きな声を出してしまった逢沢。

 運命的な出会いはなかったものの、運命的な再会を果たした逢沢の目はいつもの倍くらいに開かれていた。

 忘れかけていた旧友きゅうゆうとの再会で、今さっき捨てたはずの逢沢の高校生活がまた新たに始まろうとしている。



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