燔祭
午後の天頂はまばゆく、容赦なく肌を焼く。
早朝村を出たリュクルス達がラケディアにたどり着いたとき、大門は貢納から帰る隷民たちの群で占められていた。
長時間敢えて休憩も挟まずに歩き通したにも関わらず、パレイオスなどは未だ精気を持て余している。大河を遡る魚の群れのごとく、彼らは人波をかき分けて、あるいは蹴散らして進んだ。
雄弁を厭い沈黙を愛する市民の都市ラケディアは、常に適度な静けさを保つ。街外れに設えられた訓練場で木霊する気勢の叫びが中心部にまで届くほど、人々は言葉少なに過ごした。よって他の都市——彼らが呼ぶところの”堕落都市”と同様の喧噪は大門付近にしか存在しない。目を伏せ存在感を消し無言で貢納を終えた”隷民”たちが、その緊張から解き放たれるところである。
大門の先、市民広場に通じる大道の脇、石畳を外れた地面に一つの黒い塊が佇んでいる。否、大地から生えている。
黒い継ぎ接ぎの麻衣と剥き出しの手足はもはや境界を知覚させぬほどに一体化している。垢で覆われた皮膚。手入れもないまま伸びるに任せた髪と髭の黒色が、塊を一個の岩のように見せた。それは時折うなり、顫動し、周囲に臭気をまき散らす。獣の匂い。それだけが、塊の証であった。生ある者の。
見慣れた物乞いの姿に一行は意識を向けなかった。もう何年も、この哀れな男は大門の脇で恵みを乞うていた。今回のような小さな仕事の帰り、食糧に余りがあれば投げ与えてやることもあったが、生憎今日は手持ちもない。干し肉は全て食い尽くしていた。
しかしそれは彼らの事情である。戦士達の懐具合など知らぬ物乞いの男は、彼に許された唯一のもの、期待をもって彼らを眺める。
パレイオス、エイレーネ。前を歩く2人は”塊”を一顧だにしない。リュクルスだけが視線を返した。
この塊、この男は、先の「帝国」戦においてラケディアの精強と栄光をペルピネのみならず東方世界にまで知らしめた「テルパエの戦い」の生き残りである。
ペルピネ征服を目指す帝国10万の軍勢を、時の執政官の1人テセウスが500人の市民と共に北部山脈の隘路テルパエで迎え撃った。槍折れ矢は尽き、剣は毀れ、最後は素手で、偉大なるラケディアの戦士達は最後まで戦い抜き、皆死んだ。
この男を含む3人を除いて。
ラケディアに帰り着いた彼らは、戦いの帰趨を伝令するようテセウスの命を受けたのだと主張したが、元老会も市民会もその言を信じることはなかった。
ラケディアの共同体は彼らを取り除いた。ラケディアに怯懦の者の居場所はない。生き残った者のうち、1人は喉を掻ききって自らを裁いた。
また1人は2年前、性懲りもなく再度の侵攻を企てた帝国の軍勢に単独で飛び込み、敵の隊列を大きくかき乱した末に壮絶な戦死を遂げた。死後、その男は勇者——つまり麗しのラケディアの市民として手厚く葬られた。
そして最後の生き残りは今、こうして地に這い、残飯を糧に生を繋いでいる。この男オイステスこそが、リュクルスに父の死に様を伝えた男であった。落とされた首を雑兵の槍先に串刺され、見世物にされた父の姿を。
「ああ石の如きリュクルス! テセウスの子、石の如きリュクルス!」
奇妙に甲高い呼びかけを青年は耳にする。すれ違い様に。
物乞いオイステス——今やその名は忘れられ「犬」とのみ呼称される男は、裏声に近い耳障りな高音を以て彼を呼び止めた。
それは異常なことであった。これまで大門を通り抜けた際「犬」が声を発したことは終ぞなかった。施しを与えられても無視されても、男は無言だった。
しかしこの時、男は確かに呼んだ。リュクルス、と。
リュクルスは立ち止まり、地にうずくまる「犬」に向けて歩を進める。
大股一歩の距離まで詰めると、強烈な獣臭が青年の鼻孔を満たす。数匹の羽虫が「犬」の周りを飛び回る様を彼は見た。
「なにか?」
自身の行為が4つの瞳にじっと凝視されていることをリュクルスは承知していたが、このとき彼はそうせずにはいられなかった。意志においてではない。そうすることを強いられていた。
「なにか? なにか! 麗しのラケディア市民リュクルスよ。麗しの」
意味の通らない妄言を吐く足下の男こそが、まさに”気狂い”の姿であった。
ラケディアは怯懦の者、気狂いの者を”物理的”に除きはしない。それらの者は実際有用な存在であった。市民達が在るべきではない姿の結晶として、彼らは生かされていた。
偉大なるラケディアの人知を超えた叡慮を、リュクルスは今強く実感する。これこそがまさに自身の未来なのだと。
「生憎与えるものはない。物乞いは他の者をあたれ。——オイステス」
彼は共同体の栄えある戦士である。哀れな気狂いの物乞いではない。少なくとも今はまだ。
よってこの瞬間においては彼は上位者であった。いずれこの男の横に並び、道行く市民に残飯を乞うことになろうとも。
それでもよい。リュクルスはそう考える。気狂いも物乞いもまたラケディアに奉仕する存在であることに変わりはない。世にラケディアの栄光を体現する存在としてではなく、世の汚辱を知らしめる存在として。
——しかしそこに何の違いがあろうか。いずれにしろ、おれの生はラケディアの役に立つのだ。
刹那、犬——オイステスの瞳が青年を突いた。白目に走る無数の赤い筋すらくっきりと、リュクルスは知覚した。
青年は父テセウスと同じく四方八方から串刺しにされている。背を僚友達のそれに、正面をオイステスに。彼は全身でそれを感じた。
「テセウスの子」
次に発せられた物乞いの声は低い。冥府の神の呼び声とすら思われるほどに。それは剥き出しになった青年のくるぶしを掴み地中に引きずり込もうとする。
「響く声に従えよ。
石を金に変えよ。
汝、定められた者よ」
曖昧な譫言ではありえない。その言葉は一つの旋律であった。およそ限生の者が発するものではない。
彼にはそう思われた。
初夏の夕刻、テセウスの子リュクルスは大門の片隅で立ち尽くした。
佇む男の姿を、4つの瞳が静かに観察していた。
◆
翌朝、”隊列”の宿舎を出た彼は、元老会に命じられた通り「マヌの館」に赴いた。
使者は要件を伝えず、彼もまた聞かなかった。ラケディアは市民に理解を求めない。服従をのみ求める。しかし、まことに幸いなことに彼は要件を想像することができた。
彼の胸中には誇らしさすら宿る。
”隊列”の僚友、10年の友、そして”初のつがい”となるはずだった者は、やはりラケディアの立派な市民であった。そのような者達と友誼を得たことは疑いなく誇るべきことである。
彼らは成すべき事——報告——を為したのだ。
「マヌの館」は市民広場を抜けて続く小高い丘の頂点に建つ。人の背の数倍はある石柱が無数に並び立ち、立ち入る者の矮小さを伝える。
館には装飾が存在しない。「堕落都市」の多くが誇る金地の細工など存在しない。ただ白亜の石肌のみで構成されている。
戦神マヌは華美を軽蔑する。もし飾りが必要とされるならば、それは金ではなく赤——つまり血によってなされるべきである。
円柱のみで構成された室内は、昼間であれば案外明るい。それは館というよりも一個の巨大な柱廊といえた。
最奥に座する巨大なマヌ神像の元、1人の壮年の男がリュクルスを迎えた。齢50に達し背筋は鋼のごとく、白く豊かな頬髭が顎まで連なっている。
カミノス。
父テセウスの僚友にして、ともに執政官を務めた男。そして”師父”として、彼に惜しみない清らかな愛を注いだ男。青年が最も信頼し、模範とした男。そして清らかな愛を捧げた男である。
「ご用と聞き、参りました」
挨拶の言葉は必要なかった。ラケディアにおいて美辞麗句は夾雑物に過ぎない。
「テセウスの子、息災か?」
よって、カミノスの断固たる問いもまた定型の挨拶ではありえない。帝国との戦で右目を潰してなお、師父の隻眼は百の瞳よりも鋭利な切っ先を持つ。
「異常があります」
リュクルスはもはや戸惑わなかった。脳内に満ちる「言葉」は限りなく青年を励ました。
——声のままに往け! 卑怯者リュクルス!
「いつからだ?」
「3月ほど前から」
「どのような?」
「声を聴きます。幻の」
「どのような?」
「石を金になせ、と」
打てば響く問答であった。思考も逡巡もない。これ以上ないほどに明白なものだ。
だが、そこまで終えて、カミノスは一旦口をつぐんだ。
左の瞳を静かに閉じ、師父は両腕を組む。
リュクルスはその様を無言で眺めた。カミノスの思案姿は滅多に見られない。即断を重んじるこの男はリュクルスに対してもそう在るよう教えてきた。断固として、即座に。それこそがラケディア市民のあるべき姿であると。
父テセウスは帝国侵攻の報に接したとき、瞬きすら間に合わぬほどの速度で出征と玉砕を決めたと、カミノスは彼に幾度も語った。かくあれ、と。
そのカミノスが今、長考している。
10の瞬きを経て、カミノスが口を開いた。
「リュクルス。疲労は時に思考を乱す」
「はい」
今度の沈思は5つの瞬きの間になされた。
「——疲労ゆえ、ではないか?」
リュクルスはラケディア、麗しの都の市民である。共同体の一員として善く生きることこそが望みである。よって即答すべきであった。「いいえ」と。疲労ではなく”異常”である、と。
しかし卑劣な私欲がそれを留めた。
唾棄すべき、市民に相応しくない我が身可愛さが青年の口を噤ませた。ただの疲労と認めれば、一時の休養を経て再び”隊列”に戻ることができる。予定通りエイレーネと交わり、子を為すことも叶う。いずれは”大隊列”を指揮し、いずれは執政官の座を占めることも叶うかもしれない。
一方で、疲労ゆえではないと認めれば、その先に待ち受ける未来は暗澹たるものだ。昨日言葉を交わした「犬」オイステスの姿こそがそれだ。いや、彼は戦場の怯懦を示したわけではないのだから「犬」よりは多少ましだろう。ラケディアの外れに小屋を与えられるかもしれない。風雨を凌ぐ屋根を。だが、いずれにしても奉仕の夢は終わる。”大隊列”を指揮することも、執政官となることも叶わない。麗しのラケディアを善きものとして保つ礎となることは叶わない。
そして、子も。
——響く声に従えよ。
石を金に変えよ。
汝、定められた者よ
「卑怯者」「恥ずべき者」「呪われたる者」という、いまや親しみすら覚える罵倒の合唱から、昨晩脳内に加わった新たな旋律が浮かび上がる。うねるそれは甘美ですらあった。
それは耐えがたいものである。偽るということは。
そしてまた、彼は自身が敬意と愛を捧げたカミノスに失望を覚えたくなかった。僚友パレイオスとエイレーネに対するのと同様に、この偉大な執政官には模範的な市民であってほしかった。
他の全てを犠牲にしても麗しのラケディアに尽くす、誇り高い市民としてあってほしかった。それは彼自身の誇りでもある。
偉大な市民に愛されたという事実は。
よって、答えは定まっていた。
「いいえ。疲労ゆえではありません」
太くいかる眉の直下、リュクルスの茶眼から迷いは消えた。唇は断固として結ばれた。それはまさに偉大なラケディア市民の風情であった。
「理解した。執政官カミノスはテセウスの子リュクルスを理解した。ならば、市民リュクルスに命ずることは一つだ」
”隊列”からの排除と待機。
リュクルスの予想はそれだった。ラケディアの市民は皆等しく”隊列”に属する。そこから外れるとはつまり、市民達が構成する”共同体”から追いやられるに等しい。そして待機とは無役である。ラケディアに奉仕する栄誉を与えられない存在となる。
ラケディアは”気狂い”が共同体にもたらす危険をよく理解していた。神託の僭称から僚友への突発的な暴行に至るまで、程度の差はあれそれは共同体の健康を損なう。100年ほど前、まだ帝国との争いが始まる遙か以前のこと、マヌ神の転生体を自称した気狂いが引き起こした内乱の記憶は未だ色あせることなく語り継がれている。
よってリュクルスもまた、摘まれるべきであった。彼はそう考えた。
だが、師父カミノスの命は青年の想定から明白に外れたものだった。
「テセウスの子リュクルスに、本年、燔祭の遣いを任せる」
◆
ラケディアの守護神、戦を司る猛きマヌは贄を欲する。
ケイデー山の頂でラケディアの子らが捧げるそれをマヌはこの上もなく喜ぶ。
ゆえに年に一度、ラケディアの市民は贄を連れてケイデーに登り、贄を捌き、焼き上げる。その香はマヌ神の住まう天上に届き、ラケディアは剣によって守護される。
贄には羊が選ばれる。羊は市民の中から選抜された特に栄誉ある者に引かれてケイデーを登り、捧げられる。これがマヌの燔祭である。
一頭の羊が捧げられる。それは事実である。だが、羊を引く市民がどのような存在であるかについては補足が必要となる。羊引く市民は老いて身寄りのない者に限られる。持てる限りの干し肉と水、愛用する槍と剣、そして盾を背負い、老市民は旅立つ。
燔祭を終えた市民はラケディアに帰参することになっているが、それがなされたことはない。共同体はその事実をこう伝える。
「偉大なる戦士はマヌ神に認められ、天上に招かれたのだ」と。
ケイデー山は果てしなく続く「緑壁」——”魔物”の住まう地——の彼方に屹立する。
山頂に達した者は建国王アルトクレスのみ。
つまり、マヌの燔祭の遣いとはラケディア市民に与えられた最上のものであるといえる。
それは名誉の死である。
「テセウスの子リュクルスは理解しました」
リュクルスは即答した。
——山へ往け、山へ往け。
声は歓喜に沸いていた。
——ラケディアはおまえを捨てる。和を乱す者、石を金に変える者。山へ往け。山へ往け。
「だがテセウスの子よ。私はもう一度尋ねる。——息災か?」
荘重な動きで歩み寄った老カミノスは、猛きマヌ神の足下で、愛する青年に再び告げた。指呼の間にまで近いカミノスの顔を若きリュクルスはしかと見返す。
彼の双眸に映る師父の隻腕は極限まで開かれていた。
「師父カミノス。おれは、異常です」