要編 65 サヤとスパルタンと要の苦行
シーン65 サヤとスパルタンと要の苦行
立ち上がれるようになった要は食事の合間に、腕、首、肩まわり、脇腹と、日々、徐々に範囲を広げてストレッチを行えるようになれた。
そんなある日、腕立て伏せをしてみる。5回で潰れ、へたり込む。ありえない。マジで!あり得ない!!!3分間に120回できていたことだった。精神的ダメージをも喰らう。
次の日も、その次の日も、昨日も、同じ結果となる。
メゲそうになる心を叱咤して、クソッタレ!!と吐きながら、毎日を繰り返す。
ある日、風呂場のドアの縁に、両指を掛けて懸垂してみる。4回で指先が悲鳴を上げた。絶対的にメゲる。こんなことは朝飯前だった。70キロ背に担ぎ、不眠不休の4日間行軍をこなしていた身体だ。馬鹿やろう!!!クソッタレ!!とわめき散らす。
腹筋をする。15回で起き上がれなくなって、大の字になった。荒い呼吸に肺が焼けつく。
癇癪を起こす。毎日。
声に出して、罵り、愚痴る。日々。
わめき、気持ちのトゲを削ぐ。取り戻すために。
ピエロが紙に書く。
yeah don't be in a hurry.と。
ピエロが笑う。
Gradually okay.と僕に示す。
気持ちをコントロールして宥める。クソ。こんなことは、とうの昔に卒業したと思っていた。また繰返していると嘆く。やるしかない修行だと言い聞かせる。いつになったら積もれるとぼやく。人生とはに考えが行き、神を恨みそうになる。だが、それでも取り戻したい。武士道も要を許さない。“ やれ!“ ただ、ただ、“やれ“と要に課す。
3が付いたある日、蹲踞姿勢を取ってみる。背筋を垂直に伸ばしたままの姿勢を保てず、背骨、股関節、足首、アキレス健の柔軟性を失ったと知る。
さすがに、落ち込む。
脳伝達よりも早く、イメージ通りの動きを、難なくこなせていた身体的武器が、損なわれていた。クソ!!!!!!!!!僕のーーーー唯一の!!!!くそったれ!!!!!!!!!!!神よ。助けて下さい。御身の懐に抱かれし我が身です。その腕にお招きくださいと切に願う。
時に挫折を味わい、失ったものを取り戻せるだろうかと不安に駆られ、要は船室をぐるぐると歩き回り、苛立ちの罵詈雑言を吐き散らす。それに疲れると床に座り込んで項垂れ、一時経っても葛藤している内心に、しょうがないだろうと、ここからだと、元に戻さなければ何も始まらないと、死んだ仲間に会えるかと対話する。
ピエロ以外に気づかれないよう、密かにトレーニングを続けた。
一人なのだ。背中を預ける仲間もいなければ、本音を話せる相手もいない。孤独だけがそばを離れず、共に歩く。隣を見れば言葉を交わさずとも、分かち合える戦友がいた。
クソ!!!!!くそ・タ・・•レ
この頃からピエロに船内の様子や人員の配置を聞き、頭の中に船内地図を作成し始めた。身体が思い通りに回復しない腹いせも手伝って脳を使う。せめてものあがきだった。
同時に、毎日、気ままに、船室を訪れるようになったスパルタンの信頼を、内情を覆い隠して得られるような言動を取る。ストレスでしかない。だが・・敵を知るためだ。スパルタンに何も共感できず、思考の違いを感じるだけの苦痛。忍耐と耐久性で、スパルタンと話をする。たまに、殺してやりたくなる。荒んでゆく。
スパルタンの話ぶりから、今回の作戦で、部下の全てを失った事を、拉致の失敗を雇い主から追及され、死んだ部下が手違いを起こし、それが原因で作戦進行に問題が生じ、富士子の拉致に失敗したと、書面にしてボスに提出したと知る。
己の無能を棚に上げ、己の杜撰が死に追いやったチームを、追求を逃れる材料にしていた。それでも平然としている。そういう男だと、卑怯で身勝手で、傲慢で、何につけても上からで、・・わかっていた・・・さりとて・・・一抹の期待はしていた。会心という名の責任感を持っていると・・スパルタンがどこまで、逃げ切れるか、見てやろうという気になる。トレーニングの糧にする。内心で牙を研ぎながら、日々、スパルタンとの会話を続ける。
船内での立場を失いつつある、スパルタン。
何も仕事をしていない、スパルタン。
ボスとの関係性が、疎遠になりつつあるスパルタン。
そのスパルタンは、衛星電話とスマホを無くしていた。
スパルタンの脇の甘さにつけ込む。
体力と気力が回復していくにつれて、心が硬くなっていく。
就寝時、一切は無常なのだと、だから、人間の存在は苦の根拠なのだと、ネガティブに考える夜もある。そんな思考に陥る暇と余裕がないほどに、日中、一層、身体をいじめて睡魔を得る。
何がしらのステージをクリアすれば、新しい課題が壁となって表れ、パスするまでその課題は、角度を変えてループし、僕の前に現れ続けた。
人は“お前なら出来ると、だから神は試練をお与えになる。“と言うが、それは気休めだと思う。“お前はどうする?どの道を選ぶ?“と言われているとも感じる。今のこの状況は、怠慢か、堕落か、諦めるか、不信に堕ちるかの選択しかないかもしれない。死を讃美したくなる。
生きてゆくのは、なんと残酷で、永遠で、侘びしいのだろう。
そんな頃、スパルタンは要の戦闘能力をボスに伝え、特戦群きっての人材であり、将来の部隊長候補と期待されていたと話した。その要を自分が転向させると、本人も承諾済みだと、それを盾にして己とサヤ、要の身の保証をボスから取り付けた。
それをスパルタンの言葉の端々から感じとった要は、体調の悪さを強調し、装って、とりあえず時間を稼ぐ。
そして、厄介事がまた一つ増える。サヤが要の暮らす船室にスパルタンの目を盗んで、出入りするようになった。僕はスパルタンのサヤに対する執着心を、高速艇で見ている。
もし、今、サヤを理由にスパルタンに襲われれば、一捻りで命を失う。サヤの行動は僕にとって、危険極まりなく、サヤの考えのなさに、浅はかさに呆れたが、元々その愚かさがサヤを、今のサヤにしたと納得すれば、哀れとさえ思えた。
だからといって、嫌いな女は嫌で、サヤは疎ましい女に変わりいく。
身支度を整えて朝食を摂り、ストレッチをしていると、ドアがノックされ「here you go.」(どうぞ)と言ったのと、同時にドアが開く。ちょこんとドアから顔だけ出したサヤは室内を見回し、僕が1人だとわかると、薄紫色のワンピースの肩に、黒いカーディガンを掛けた姿で入室してきた。
サヤは、マットブラックのハイヒールを履いていた。
気取った足取りで、壁に寄せたソファーに歩み寄り、空いたスペースでストレッチしている僕の正面に、クロスさせた両足をソファーに上げて座る。
クソ!
アウトソールが真紅だ。
案の定、富士子の顔が脳裏を横切る。
クソ!!!!
サヤの姿を見もせず「パンツ見えてるぞ」と言う。サヤは「あら、ごめんなさい」淑女のトーンで応え、スラリとした足を下ろして座り直す。ストレッチを続けながら「もうここには、来るなって言ったよな」冷めた声色で言い放つ。
「そうだった?」なに食わぬ顔で返したサヤは、僕の目の前に真新しいスマホをかざし「このスマホ、ネット自立型なのよ。傭兵の中に売店と呼ばれてる男がいるの。そいつと寝た報酬。私・・このスマホをあなたにあげようと思ってる。どうかしら?欲しい?それともいらない?」ハンカチをすれ違いざまに、拾ったかのような言い方をする。
ボスは船員からの情報漏洩を恐れ、船内のネット環境をレットゾーンと呼ばれている部屋でコントロールし、外部とアクセス出来ないよう制限していた。
船内で、自立型スマホは貴重だ。
サヤの正面で胡座を組み「サヤ、それは受け取れない。お前からは、なに一つ受け取る気は僕にはない」はっきりとした声で言い、サヤは小馬鹿にした顔で僕を見下しながら「あんた自分の立場わかってる。あんたなんて、今の私だったら、男たちに襲わせる事だって出来るのよ」傲慢極まる態度で吐き捨てた。
「その男たちとは、どうやって知り合ったんだ?」と聞く。
サヤは綺麗な笑顔を作り、首を傾げ、思わせぶりな目で僕をしばらく見たあと「ボスはさ、船が接岸すると、次の仕事の打ち合わせで船を離れるのよ。スパルタンはその隙に、男たちから金を取って、私に相手をさせるの。それを眺めながらビデオ撮るのよ。あの変態」と他人事のように言う。
サヤの顔を凝視する。サヤは微笑む、美しく。こんな女でも、こんな笑みを浮かべる事ができるんだな。女とはなんと厄介なのだろう。サヤの微笑みを見ながらそう思う。
自分の話に興味を持ったと満足したサヤは続ける。「スパルタンはね、私を抱いた直後の男に、そのビデオを見せながら、サヤはどうして、女人禁制のこの船にいられると思う?って言うわけ。どうしてだと聞くわよね。そして言うの。教えてやる。サヤは俺とボスが共有してるからさ。私欲の強いボスがこのビデオを見たら、お前をどう思うかな?って、スパルタンは男たちの耳元でそう囁くの。当然、男は慄くわよね。ボスの仕打ちは残忍だもの。そしてスパルタンは誓わせるの。刃向かわないって、声に出して誓わせるの。何度もね。そしてまた、私を抱かせるのよ。自分のものは、使い物にならないくせに。最低でしょう」とせせら笑いながらサヤは語った。哀れな、スパルタン。流されて生きるサヤの方が潔い。
「お前はそれでいいのか?」と聞く。サヤは「何か起きた時に、男たちは私の保険になるかも」そう言ってクスリと笑い、立ち上がって歩き出す。
冷蔵庫の扉を開けながら「いいわね。冷蔵庫があるなんて、あっ。コカコーラ入ってる。あんたがボスに気にいられてるって話す、スパルタンの言葉もまんざら嘘じゃないのね」と言ってコーラを取り出し、振り返って「これ飲みたい」と甘えた声で言った。
「どうぞ」冷たく平坦に応えると、「やあね、その言い方」サヤは封を切って飲み「キンキンに冷えてると美味しいな。やっぱり」と言いながら僕のそばに立った。
見上げた僕にサヤが「ねえ。あんたが富士子に、日影を作ってやった男でしょう。富士子から聞いてるわ。富士子のこと好きなの?」と言った。
「いや」と即答する。サヤはなおも「スパルタンが富士子を撃とうとした時、あんた盾になったんでしょう。わかりやすい行動よね」と言葉を重ね、コーラを一口飲んで床に置き、ソファーにソロリと寝そべった。
「ねぇ、私を抱かない?」ねっとりとした視線で僕を見る。この目を僕はよく知っている。歓楽街の路地に立つ万国共通の女の目だ。表情は作れても、仕草は装えても、感情は隠せても、眼差しを偽るのには、ある種の訓練と脳みそが必要で、だから、道端に立つしかない女の目。サヤはそんなこともわからず、知らず、考えず、色っぽいと勘違いしたままの安っぽい目で、僕を誘う。相手に失礼だとさえ、自分を下げる行為だとも思い至らないサヤは、こんなところまでスパルタンとお似合いだ。
うんざりして立ち上がり、テーブルの上にあるペットボトルを取り上げて、キャップを開けながら「サヤ、どうしてそういう生き方を選ぶんだ?」と聞く、「生まれた時から邪悪だからよ」サヤは捨て鉢で応え、「そう選択してるのはお前だろう」と返す。サヤは「あんた、とことんめでたいのね。人はね、心で思ってる真実の3分の1も口にしていないのよ。その言わない真実のほとんどは、相手に対する否定よ」どこか寂しげな表情で言った。
それを聞いて、鋭いとわかる気がして「そうだとしても、人の心を、そう決めてしまうのは残念じゃないのか」と興味本位で聞く。目を尖らせたサヤは「いいえ。全然。逆にわかりやすくて、私の態度も決めやすくていいわ」と言い、サッとソファーから身体を起こすと「興醒めしたわ。つまんない話しないでよ。あんたって、ほんと、バカ!」と言って眉間にシワを寄せる。
サヤの考えと生き方は、もう一つの僕の生き様を見ているような気がする。国防大に落ち、慈しんでそばにいてくれる人と知り合えず、むしられて痛みを知り、むしる側に立つがうまく出来ず、相変わらず取られ続ける立場だが、経験値だけは高く、その分、口が達者になりはするが、身を削るやりようしかない。
僕をひと睨みするとサヤは、床からコーラを右手で取り上げて立ち上がり「あんたは、いつか私を必要とするわ」と言い捨てて、船室から出て行った。
喉から手が出るほどに、僕はスマホが欲しかった。
自立型スマホがあれば、 トーキーに連絡を入れられる。トーキーはコンテナ船の位置を割り出す。だが、しかし、いま脱出すればボスは姿を消す。それでは、敵の背後関係が掴めなくなる。何もかもが、中途半端になってしまう。この組織を瓦解できなくなる。今はまだ早い。
そう考えて耐えた。
サヤの言葉から自分の居場所が、一日中、ここにあると、男たちは知れているとわかった。室内に籠っているのも、そろそろ潮時だ。翌日の早朝から、トレーニングの場所を船上に移そう。




