要編 51 最後の日
シーン51 最後の日
早朝、盾石家の玄関前が見える車内で、要は待っている。
今日は、監視警護の最終日だ。
レンジローバーの助手席に座った要がスマホを操作して、自宅に居る富士子の位置を確認していると、ベータ長・サラマンダーが乗るレクサスが、ローバーの前に停車した。
サラマンダーは、いつ寝ているんだ。コロンブス同様ショートスリーパーか。
車から降りた要は、ベータの大男が座る助手席の窓をノックする。運転席のサラマンダーは、要の顔を見るなり不機嫌になる。その顔を見た要は、なんだよ、自分から会いに来たんだろうと、サラマンダーの顔から視線を外さずに考えていると、口を真一文字にしたサラマンダーが、要に手招きした。大男ゾロが助手席から降りる。
ゾロにファイターが「元気か?」と声を掛けるが、ゾロはファイターを一瞥し、迷惑そうな表情で「はい」と応え、ファイターは気に留める様子もなく「ちょっと、話さないか?」と言って歩道に誘う。
明日からベータは盾石家と軽井沢に移動して護衛任務、アルファーは敵工作チームの討伐任務に移行すると、早朝、本陣から正式通達があった。
レクサスの助手席に乗る。
「お宅のファイターが、ゾロのヘルウィークの教官だったらしくて、随分鍛えられたと言っていた。ゾロはその時のことが、まだ引っかかっているのだろうな。若いよな、まったく」サラマンダーの横顔に純粋さが滲む。その顔は歳若く、そして男前だった。
この人は、一体、幾つなんだ・・・。
サラマンダーの晴れやかな笑顔が、僕の脳裏に刻まれた。
サラマンダーに視線を向けたまま「ファイターは厳しいだけではありません。指示待ちするだけではなく、自分の頭でも、同時に考えるを求めているだけです」と僕が言うと、僕を見たサラマンダーは「確かにな。それが出来ないと、使い物にはならないからな。うちのゾロは素養もあって、学習能力も高い。経験を積ませてやりたいと思ってるよ」最後はゾロに頼もしげな眼差しを送って、そう言った。
ファイターたちに目を向けた僕は「僕たちが出張らない世界の方が好ましいですが」と口にしていた。そんなつもりは微塵もなかったのに、感傷的な口調で、サラマンダー相手に最悪だ。それを補おうと笑顔をつけ足したが、サラマンダーの表情を見る限り、全然、上手くいかなかったようだ。朝から僕の言動はチグハグで、歯ブラシに洗顔料をつけ、口の中に入れるまで気付かなかったり、ファイターに「今日はチャンスと病室だよな」と言ってみたり、挙句に、グロッグの安全装置をかけ忘れていた。どうかしてる。
とりあえず、サラマンダーは「そうだな」と応えた。
それから、しばらく2人は、お互いに、全く、噛み合わない事を考えていた。要はそういう世界になるのだろうかと思いを巡らせ、サラマンダーは要を朝からセンシティブな奴だと思い、二人は沈黙した。
その空を要は「スパルタンは、チームをどこでリクルートしたと思いますか?」と言って切り、サラマンダーは「シリアあたりだろう」と興味なく返す。
シリア内戦は長引き、ライフラインも機能しておらず、街は廃虚となって、得られる仕事は少ない。生活のために、軽い訓練を受けただけで戦闘員となり、月14、5万ほどの給与で雇われ、その中には十代前半の子供もいる。
内戦地域の命の価値は安く、軽い。
そして、非識字率は高い。
そんな現実はこの世界に、いくらでも転がっている。オンライン認証で買い物が出来る世界と、命を天秤にかけて生活する世界。経済格差の分断は、日ごとに増している。
同盟国は世界秩序の大義を信じ、自らの価値観を正義だと思う戦闘に、今頃は疲れてはいないか。他国のために自国の兵士が死に傷つくことに、疑問を持ち始めてはいないか。
良かれと思った事が、自国に仇となって、負荷を感じてはいないか。宗教、背景、歴史、思想は、見る側の見解で大きく角度を変える。
科学進歩は絶え間なく、石炭、石油は過去の物となり、新たな鉱物資源が、価値を見出すようになった今、地下資源の利権を得るが腹にあって、先進国は経済的援助をする。そんな打算もネット検索すれば、何が、どこに、どれほどの埋蔵量で、価値はいかばかりか、簡単に調べがつくようになった。援助国の表と裏の意向を知り、支援を受ける国は、利権争いで細分化されて、新たな内戦を呼ぶ。
一度、損なわれた平和は、人間の欲で、平和を取り戻すタイミングを逸する。責任感や利益、正義感や世界秩序、宗教感で介入していた国が、この頃は自国のことは自分たちでどうぞと、考えるようになってはいないか。こちらに火の粉を飛ばさず、内々で殺し合ってくださいと。力尽きた頃に、また来ますと思ってはいないか。
やるせない。
僕は話題を変える。「敵は我々の監視を、擦り抜けています。スパルタンに指導されているとはいえ、こちらの行動に対応しきっている気がします。敵の指揮者は、同盟国の軍隊経験者でしょうか?」と聞く。
それを知ってもどうすると、思いながら聞く。
サラマンダーは僕を一瞥すると、視線を前に戻して「俺にはそんな奴の加担理由なんぞ、理解する気にもなれんし、したくもない。だが、理由があるとすれば、元々、信念と覚悟が薄いやつなんだろうよ。そんな人間が仕事だとしか思わず、請け負ったんじゃないか」嫌悪が滲む声で、吐き捨てるように言った。
そう聞いて「仕事だからが、気持ちの1番に来るようになると、道徳心が薄れ、やっかいな事を招くようになります。どんなことでも、仕事だからと交戦規定を考えもせず、ケリをつけようになります」僕が怒気を含ませてそう言うと、面白いものでも見るかのように、僕の顔を見たサラマンダーは「怒った顔も美しいね。ハンサムがそんな、かっこいいことを口にするとは成徳的で、いいね」軽い口調を弾ませた。
確かに今朝の僕は理屈ぽくて、僕個人ではどうにもならない事ばかり話している。わかっていても、口を閉じろと思っても、腹の虫が収まらない。だから、サラマンダーにしかめっ面で対抗する。
僕の顔を見たサラマンダーは「すまない。悪い癖が出た」と誠実だ。そして一拍おくと「お前の言う通りだと俺も思うよ。そこがブレブレになったから、成り下がったんじゃないか。指揮を誰が執っているか知らんが、俺たちの世界は意外に狭い。顔見知りかもしれんな」落ち着いた声で予感めいた事を言う。
表立ってはどの国も、バランスを重んじ、和平を声高に唱えているが、どの国も対立する国だけではなく、同盟国に対しても人による諜報、工作、監視、偵察を常に行なっているのが現状だ。発達したネットワークを備えた世界は、機器内に自己診断システムを、いくら走らせても、その技術の信頼性を疑うようになった。結局、太古の人海諜報戦に戻って、情報を持つ人物と直で会い、その様子から信用度をはかり、それにパスした人物からの情報を重んじている。
電話では秘匿性を保てず、メールには当たり障りの無い言葉を打ち、その文面ですら残ることを嫌う。詰まるところ相手の表情を見て、動物的な勘で認識しながら、話すのが安全の担保に繋がっている。
人はメール、LINE、電話、SNSで、自分を装うことを、本能的に覚えてしまった。
黙り込んだ要に、サラマンダーは「おいおい、そう朝から陰気な顔をするな。俺たちは自分が出来ることを、コツコツとやっておけばいいんだよ。答えは歴史として後世に残る。それが大事なんだ。未来の指針を決める時に役立つ。それでいいじゃないか。今回アルファーは、どうあっても敵を潰し、その背後に何があるのかを炙り出して、その証拠を持って帰ってこい。それでいいんだ」珍しく、励ましの言葉を含む多弁さを披露した。
その言葉を聞いて、こういうことを言える人が、ここにも存在していたと思えた事に、力を得た僕は「ありがとうございます。アルファーが全てを狩り出せば、相手には1つの威嚇と脅威になります。尽くします」自然と覇気のある声で応えていた。
「すまない」いきなり、静かに一言、サラマンダーが呟いた。不可解さに、僕はその横顔をまんじりと見る。
答える様にサラマンダーは「元々、この作戦は、俺たちベータが担当していた。俺たちが敵に対峙するのが筋だ。拉致されたビスケットのこともある。アルファーには十分に備えて、作戦行動にあたり、完遂して、全員で帰って来て欲しい」強く、意志の響く声で言った。
いつも、すかした感を漂わせているこの人は、このことを伝えたくて、わざわざここに、僕たちに会いに来のか。だから僕の顔を見るなり、不機嫌になり口を真一文字にした。「承知しました」僕は笑顔で返す。
僕の顔を見たサラマンダーの表情に一瞬、物憂げがよぎる。僕は見なかった事にして「後々のこと、よろしくお願い致します」と言って頭を下げた。
サラマンダーは「ああ。わかってる。白梅のことだろう。承知してる。心配するな、俺に任せろ」いつもの調子で言葉を紡ぎ、はぐらかし、目に好奇心さえ浮かべて見せ、左の口角だけを上げてニヤリと笑う。そして「心配するな。俺は面倒見のいい方だ。俺からくっついて離れられないように、白梅をしてやるよ」最後の言葉を強調してみせる。
まったく、この人という人は。平たい目であろう僕は「どうぞ。帰還したら、ゆっくり、サシで話をしましょう」直線的な言葉を選んで、わざとはんなりとした口調で告げ、車を降りた。それでも僕は、サラマンダーの心配する気持ちを汲んでいた。十分すぎるほどに。サラマンダーも敵の殲滅に、こちらも、僕らアルファーも、相当ダメージを喰らうと踏んでいた。
車内から、大きな笑い声が漏れ聞こえる。
ファイターはゾロに「体に気をつけてな。またな」と言って握手を交わして別れ、フロントガラス越しにサラマンダーに会釈した。
早足に歩く要を、ファイターは追いながら「なんだ?サラマンダーが大笑いしてたぞ。あいつが笑うなんて、気持ち悪い。何があった?」と聞く。
ローバーのドアノブを握り締めて、鍵を解除しながら「今度ゆっくり、サシで話をしましょうと、脅かしてやった」不機嫌を隠さず言うと、ファイターは立ち止まってニヤニヤしながら「おいおい!俺達は和解したのに、今度はおまえとサラマンダーかよ」と言いながら運転席に乗り込む。楽しげだ。
富士子の自宅玄関を見つめた要の表情を、サラマンダーはバックミラー越しに見ていた。やっぱり、未練あるか・・まっ、・・・心はまだまだ恋心という事で・・だがな・・イエーガー・・・戦の前に、それはいらないな・・。
富士子の社用車が、正面の道に現れ、門をくぐる。
玄関から出てきた富士子は、黒のインナーに、細身な黒のストレートパンツ、アンダーソールが深紅色のベージュのハイヒールを履き、エメラルドグリーンのスプリングコートを羽織っていた。
また少し、痩せたように見える。食事はとっていたが、また、眠れなかったのか・・・。それでも富士子は、赤々した朝日を浴び、表情に喜色を浮かべて美しかった。
その美しさが、心に哀れさを呼ぶ。
「USB、ゾロに渡してくれたか?」とファイターに聞く。「ああ」短く答えたファイターが、僕の横顔を見る。その視線に気遣いを感じ、富士子を見たまま「心配するな」と返した。
ファイターは視線を前に移し、社用車が自宅の門を通過するのを見送り、慎重なアクセルワークで、その後を追尾し始めた。
パンツの後ろ左ポケットから、スマホを左手で取り出して、mapのターキーに、” レクサスの発信器は、生きているか?“ とチーム内暗号を打つ。すぐに“良好“と返信が入る。
“ ベータが軽井沢に移動してからも、追跡は可能か?“と入れると、“ 今の回線では無理です。秘匿衛星に経由させて、追える様にしておきますか?“ と返信がきた。
“ 頼む“ と送信する。
社用車が盾石グループ本社ビルに入り、ローバーをポイントDに駐車したファイターに、「勢員のインナースマートスーツ、戦闘服、装備に不備はなかったか?」と確認する。
「いつも通り。問題なかった」と言ったファイターは、お前も確認しただろうと言いたそうだ。「次の強襲で使う防弾装備を、重装にしようと思ってる。どう思う?」とファイターの意見を聞く。
無表情になったファイターは「サブマシンガン直撃でも、耐えられるヘルメットに、顔の3分の2を防弾フェイスマスクで覆い、顎までの高さと、股関節まである防弾チョッキに、厚鉄板を前後に入れて、サブマシンガンの銃倉を3倉増やすあれか。そうしたい気分はわかるが・・あの装備は・・・瞬時の動きが求められる強襲には不向きだ」感情を消した口調で答えた。
「だよな、強襲には向かない」うなずいて、思案する。僕の顔を見たファイターが「どうした?」と聞く。僕は無口ではいられず、口を開く。
「相手は元軍人の傭兵だ。銃撃戦になれば、確実に頭か首、身体の中心線を狙ってくる。僕たちだってそうするんだろう。重装備は外せない」と。
ファイターは「今回は、全員手紙を書いて、残しておいた方がいいと思う」ピリリとした声で、はっきりと自分の意見を言い、僕は「そうだな」と重く同意する。
息を詰めていたファイターが「ふぅー」と深い息を吐く。ファイターが・・・緊張していた・・サラマンダーに続いて、ファイターもそう思っている・・・風にあたりたくなった。「ファイター、車を出して、本社の周りを偵察しないか」と誘う。「すまない。手紙の話は苦手なんだ」と言ったファイターに血縁者はいない。
だが、ファイターは、自分が育った施設職員の数人と交流している。5人の卒園生の親代わりでもある。その人たちを思っていのだろう。これまでどんな時も、僕は手紙を書いたことがない。死後に受け取って欲しいと思う人もいない。そんな僕が、窓から出した左手を風に泳がせて「そうだよな。書くのは難しいよな」と口にする。
ジグソーパズルのような脈絡のない、バラバラと散らばった心の全景が、僕には見えない朝だった。
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