要編 43 戦
シーン43 戦
出陣式が終わり、第一大隊・真紅の大旗を見送った。あの大隊旗に、これまでどれだけの同胞が、忠誠を誓ったのだろう。
絆を結ぶ。つなぐ。継承する。
克己心の塊のような旗。
今も見上げる度に、心に血潮が込み上げてくる。
棒倒し会場のグランドに移動した。樹齢70年の針葉樹の前を、チャンスが陣取りしていた。地上1mの所から、二股に分かれている樹に背を向け、富士子を真ん中にして僕たちは観戦する。
樹幹は背後を守り、大きく張り出した何百本もの枝は、空を覆う様に垂れ下がっていて、全方向からの視界を遮り、僕たちを遠距離から狙撃不能の死角としていた。
背後をチラリと見て、チャンスの姿を確認する。直後に[送る。チャンス。異常ありません]とチャンスから通信が入った。気取られたかと頼もしくもあり、悔しくもある。
棒倒しの予選、第1大隊は辛くも、第3大隊戦に勝利した。
やはりチャンスから、相談があった第3大隊の攻撃部隊の遊撃人、通称キルは神出鬼没で、第1大隊の防御部隊の穴をよく見つけ、身を投じて攻め、防護を崩すきっかけを作ろうと、懸命に戦っていた。
その攻めは、狼が羊と踊っているかのように見えた。本能的に“目“がいいやつだと思う。
是非、リクルートしたい。
身辺調査の申請を出す事と、頭に刻む。
そう思う参加者が、もう一人いた。
第1大隊の防御部隊で、やはり目利きが良く、機を見極める機転があり、大胆に行動を起して、的に対して容赦がない。猿の足首を両手で捉えて離さない男の脇の下に、一撃喰らわせて沈め、勝機を作った。
あの男をリクルート出来たら、ファイターが喜ぶだろうと顔が綻ぶ。2人は気が合いそうな予感がしたからだ。そのファイターは、棒倒しの作戦立案に影響を与えるという、チャンスが一人で着手した成果を見たがっていた。
15分後の決勝戦までに、間に合うといいが。
ファイターからの一報は、まだない。
宗弥から棒倒しの色々を、聞いている富士子の眼差しは真剣だ。なぜ、富士子に対して、傍観者でいなくてはならないのだと、僕の心がうずき出す。脳でPavaneのピアノソロが、しめやかに聴こえ始めた。
★
決勝戦の開幕式を見守っていた。勝ち上がったのは第1大隊と第2大隊。どちらが優勝してもおかしくない。作戦の実行力で勝敗は決まるだろう。
整列して互いに向き合い、敵の大隊へのエールを送り合う。戦闘意欲をキリキリと巻き上げていく姿に、野生の雄叫びに、勝利への執着に、刺激を受けた僕の戦闘意欲が、沸き立って、いつもの如く血が躍り出す。
右横に立つ富士子の横顔に、視線を流す。
煤竹色の瞳が、輝いていた。
時間が無いと、痛感する。
任務遂行のため為に、僕が接近した事は、いずれ富士子の知るところになるだろう。宗弥のように、何十年にも渡る相互理解があるわけでもなく、富士子に理解を求めようと、どう説明を重ねても、最初のボタンのかけ違いは、修正できる訳もない。
たとえ、修正できたとしても、常に2人の間に不信は付き纏い、それを互いに、個人で、解消しようとする。そして、富士子は1人疲れてしまい、その苦悩を僕は嗅ぎ取って、富士子のそばに居るのを望まなくなるだろう。先は見えている。
最後に僕は、富士子を無惨に捨てる。そうした方が富士子が立ち直りやすいから・・・。妄想が一人でに、暴走して飛躍する。寛容に割り切れる冷徹さが、幸い僕にはある。
うつむく。
近い将来、何も告げずに去るしかない。
後ろ髪を引かれ、尚更の未練が残る。
矛盾と錯綜。
身勝手な僕の妄想を断ち切るように、開始を告げるアナウンスが入った。対峙する2つの大隊が、陣形を整えるために移動し始め、「棒立て」の号令が掛かる。
守る戦いと、砕く戦いが、静かに開始の時を待つ。
視線を上げた先の光景に、これからの自分を重ね見る思いがする。
開始の時を待つ大隊各自は、ここからいわいるゾーンに入ってゆく。
視野は広がり、視界はコマ落としとなり、1秒が長くなる。
己の呼吸音だけが大きく聞こえ始め、頭はすこぶるクリアに回転し始め。
武器を持たずしての肉弾戦が、太古の戦そのものの形態で始まり、頼るは仲間のみとなる。
血飛沫こそ上がらないが、大隊の名誉をかけて死力を尽す。
観戦する2万人が沈黙する中、撃鉄が落ちた。
地面を叩く、重低音の足音が鳴り響き出す。
鈍い当たり合いの音が聞こえ始め、観客から歓喜の声が上がる。
第1大隊攻撃部隊は団体殲滅戦を仕掛け、確実に敵防御を固めてゆく。
第1大隊の防御部隊の大男は、やはり、いい判断をしていた。
2分の時が流れ、終了の笛が青空に響き渡り、青く、清く、殺気だった参加者は、その場でピタリと動きを止め、荒い呼吸に身体を喘がせながら、両手を空にかざす。
審判員の協議が短く行われ、高らかに第1大隊側の手が上がった。
同時に、第1大隊の総員は地を這うような野太い声を上げ、その歓喜にグランド全体が、振動した様な錯覚に陥る。
富士子の顔を見る。富士子はすでに、僕を見上げていた。富士子の目は、潤み、黒目がかすかに揺れていた。魅力的な目だった。打撃を喰らった僕は、不謹慎な鼓動を一つ打つ。
思わず、膝まつきそうになった。
その衝動に耐え、何とか踏み留まって、富士子の瞳から渾身の力で、視線を引き剥がして宗弥に視線を送る。
宗弥はグランドを、目を瞬かせて見つめていた。
純粋を絵に描いたような姿だった。不誠実を抱いた僕の心が痛い。
視線に気づいた宗弥が、はにかんだ笑顔を浮かべて僕をみる。
宗弥に頷く。
宗弥が「行こうか」と富士子に声をかけ、先頭に立って歩き出す。
混乱と人混みは避けたく、表彰式を見ずにグランドを後にする。
宗弥はこれからの長距離移動を考え、富士子に何か食べさせた方が良いと思い、国防大学名物・海軍カレーを振る舞うことにして「国防大学に来て、これ食べなきゃ、もぐりでしょう」と言って、出店を右手の人差し指で差す。早速[送る。ファイター。フレミング、至急、都内へと移動されたし]とファイターから内耳モニターに入り、僕は「そうだよな。確かに、昼、まだ食べてないもんな」宗弥に同調した。[お前は、治療だ。イエーガー!]怒りのファイターが激る。いつもファイターはファイティングだ。頼もしい。おもいっきり無視して僕らは行動に移す。あとでお叱りを承るだろう。
カレーの出店前で、宗弥と料金の支払いで揉めていると、ファイターから[どっちでもいいから、さっさと支払え。小学生]と罵られ、僕たちを静止した富士子が代金を支払った。特戦を制するとは、富士子さん、あなたは勇ましい。富士子に呆れ顔を向けられた2人の男は、その顔を可愛いと思う。
カレーを食べ、富士子との最後の思い出にする。
左隣に座る富士子の横顔を、眺め尽くす。
平和な時間だった。
その後、売店に寄り、富士子が土産を選んでいる間に、“ 男は黙ってやせ我慢“ と、背中一面に刻印してある黒のTシャツと、今の部隊に志願していなければ希望したであろう、戦車大隊の携帯ストラップを、購入して富士子にプレゼントする。
校内の駐車場に移動して、待っていたチャンスからミニクーパーの鍵を受け取り、都内へと帰路に着く。
車をスタートさせ、サイドミラーで後方を確認すると、ファイターが運転し、助手席にチャンスが乗るローバーが、ガッチリとミニを捕捉していた。
ファイターから[送る。ファイター。今のところ、尾行はない。イエーガー、負傷が運転に支障をきたしていないか?]と入り、僕は[問題ない]と答える。すでに傷を負っている自分が運転席に座り、有事の際、正面の盾となったほうが効率的だと、富士子を長年見知った宗弥が、富士子と行動を共にすべきだと、そう思って、僕は宗弥から車のキーを奪い取った。
しかし、そう考えてはいても、ひねくれた僕の素直な心は、理性の意を突いて、赤ずきんの残忍な箇所を選んで語り始める。
お母さんに化けた狼は、家に入って来た赤ずきんの姿を見て「私は帰ろう、母のもとへ」と歌い始めました。赤ずきんも狼と一緒に歌います。歌う赤ずきんに、狼は言いました。「暖炉にシチューを作っておいたよ。お腹が空いているだろう。それをお食べ」と。赤ずきんは「お母様、とてもお腹が空いていたの。ありがとう」喜んでシチューを食べ始めます。肉をゴクリと飲み込んだ赤ずきんは「お母さま、こんなに美味しいお肉、初めて食べたわ」と言います。狼は次の肉を食べ始めた赤ずきんに目を細め「それは、よかった」と言って、毛布を口元に引き寄せ「その肉は、お前のお母さんなんだよ」とつぶやきました。
赤ずきんは「お母さま、今なんて言ったの?」と聞き返します。狼は「何でもないよ」平然と答えました。赤ずきんがシチューを食べ終わると、葡萄ジュースの瓶を見た狼が言います。「赤ずきんや、喉は乾いていないかい。その葡萄ジュースをお飲みよ」と。「ありがとう、お母さま。だけど、コップがないと飲めないわ」赤ずきんは困った顔をします。
狼は「可愛い、可愛い赤ずきん。お前のその可愛らしい口で、そのままお飲み」と言い、「分かったわ。お母さま」と言った赤ずきんは、葡萄ジュースを飲み始めました。満足した狼は毛布の中で呟きます。「それはね、お母さんの血だよ」と。慌てた赤ずきんは「え、いま何て言ったの?」と聞きました。狼は「大した事じゃないよ。そんなことより、美味しかったかい?」と聞き返します。「ええ、とても甘くて美味しいわ」と答えた赤ずきんの口は、野苺のように赤く染まっていました。大きく頷いた狼は「赤ずきんや、もう少しこちらに来てくれないかい」と言って、赤ずきんを枕元に呼びます。まじかで狼を見た赤ずきんは「お母さま、どうして、おばあさまの目はそんなに大きいの?」と聞きました。狼は「お前を良く見るためだよ」と答え、赤ずきんが言います。「どうして、お母さまの爪はそんなに尖っているの?」…「お前を捕えるためだよ」……「こんな感じだ」と言ったきり、僕は黙った。
宗弥は浮かぬ顔で「そこからいくことないだろう。前半の楽しいとこから話せよ」と言い、「すまん」と返して、富士子をバックミラー越しに見る。その視線に気づかぬ富士子は、要の淡々とした語り口が空恐ろしく、浮子の声が聞きたくなって、クランチバックからスマホを取り出した。
富士子の表情を見て、十二分に後悔したが、遅かった。 富士子を怖がらせてしまった。なんてことするんだ。
僕は固く、口を閉じた。
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